第三十四話 干し肉
「匂いが……。」
部屋で待ってると、匂いがこもってる感じがする、嫌な臭い、血の匂いとは違うけど、すえたかび臭い匂い、まるで、学校の使ってなかった教室みたいな、倉庫みたいな、そんな感じの匂いが、慣れない。
って言っても、慣れない事には寝る事も出来ない、ここが私に用意された全て、部屋なんだから、私はここで生活をしないといけない、いくら片づけをしたとしても、この匂いは取れそうにない、だから、慣れるしかない。
染みついた匂いって言うのかな、ここに住んでた人の匂いじゃなくて、この部屋自体に染みついた匂い、私の体臭って言うのかな、それもここの匂いに変わっちゃう日が来るんだと思う。
「ふー……。」
緊張してるのかな、知らない人と一緒になる機会、って言うのはあんまり無かった、基地に行ってからは知らない人達、軍の人達と一緒にご飯を食べる事はあったけど、殆ど喋った事もない、だから、私は知らない人と話すのに慣れてない。
師匠と話してる時だって、顔に出さないだけで緊張はしてた、それが心がマヒしかけてるからわからなかった、直接的には感じなかっただけで、緊張はしてたんだと思う。
緊張って言うか、感情全般が、なのかな、爆撃の日からずっと、私の中で心がマヒしてて、心が疲れてて、何かを感じる事が嫌になって。
そう言えば、二年前に銃声を聞いた時には、冷や汗が出たって言うか、嫌な汗をかいたな、って言う覚えはある、ただ、それ以来また、私の心はマヒしたまま、私はどうすればよくて、どうしたくて、どうすれば私らしくいられるのか、そんな事もわからない。
何を選択すればよかったのか、あの時助かったのは、お父さん達と別々の道になった事は、アリィと、決別をした意味は。
そんな事を考えても、私の心はピクリとも動かない、私の心は、まるで死にかけてるみたいに、何も感じない。
何も感じないって言うべきか、感じるだけの余裕が無いって言うべきか、とにかく、そう言う事に心を砕く事が出来ない、自分の事、自分の将来の事、自分の選択の事、そう言う事にも、心を入れ込む事が出来ない。
「……。」
地下室だから、星は見えない、見えたとしても、見る気になったかどうかわからない。
ゴランとアリィに無理を言って、一緒に星を見てた頃が懐かしい、あれがもう二年以上前の話、って言うのが信じられない、私にとって、大切だったはずのあの出来事が、あの思い出が、思い出したとしても何かを考えるわけでもない、何かを感じる訳でもないって言う事柄に変化する、とは思えなかった。
あの時の思い出、三人で一緒に星を眺めて、アリィが、私とゴランを標星と連れ立ちの星みたいだって言った、あの時の事、ちょっと恥かしくて、でもゴランとアリィと一緒に居られて嬉しかった、はずなのに。
それから二年、私の心は摩耗して、疲れて、何かを感じる事を許してくれない、何かを感じるって言う事に、意味も意義も感じられないから。
「K、出てこい。」
ふと、部屋の隅から声が聞こえる、よく見ると、暗がりにスピーカーが設置されてる、そこから師匠が声を掛けたみたいだ。
返事をしても聞こえないだろう、どれくらい考え事をしてて、ぼーっと過ごしてたのかはわからない、ただ、師匠に呼ばれたら行かなきゃならない気がする、反乱分子を排除する為に動いてる人なんだから、私が反抗したって何にもならないし、むしろ殺されてお嶋だろうから。
「……。」
部屋を出て、地下二階から一階にあがりながら、殺されるって言うのはどういう感覚なんだろう、ってふと考える。
これから人殺しになる為の鍛錬をして、結果として人殺しになるんだから、自分が殺されたって、それこそ誰かに恨まれて死んでもおかしくないと思う、だから考える、殺されるって言う事は、殺すって言う事は、どういう事なのかを。
殺されたこともない、それは当たり前だ、死んじゃったらそれで人生はお終い、それ位わかってる、だから、殺されるっていうのがどういう事なのか、については想像しかできない。
なら殺すって言う事はどういう事なんだろう、そっちに考えの視点を当てる。
殺す、命を殺める、動物じゃなくて、命を頂く為じゃなくて、国の為、アルマノという国に対する反乱分子を殺める事、それを私はこれからしなきゃならない、その為には、殺すって言うのがどういう意味なのか、って言う事は考えないといけないはずだ。
「師匠、来ました。」
「ん、寝てたら叩き起こす所だったがな、起きてたなら良い。俺は今から、残りの四人を迎えに行ってくる、って言って、有体に言えば誘拐か。ま、そんな事はどうでもいい。一日かかる、その間はこれを食って過ごせ、そのうち作り方は教える、今はまだ早計ってやつだ。一人一人に教えて、なんて面倒を被るのは御免だからな。取り合えず一日だ、これ食って生き延びろ。」
「えっと、はい。」
地下一階のリビングについて、師匠に何かを投げ渡された、と思って掴んだ、袋に入ってるそれは、少しだけ香ばしい香りがする、何某かの食べ物な事はわかったけど、これがどういう食べ物なのか、どういう食べ方をする食べ物なのか、って言うのを説明されずに、師匠はガレージの方に行っちゃって、私は独り、ポツンと取り残される。
「お腹、空いたかな。」
お腹が空いたかどうか、はちょっとわからない、感覚がおかしくなってから長いから、この袋の中身だけで一日を過ごせるのか、って言われるとわからない、ただ、それをしろって言われた以上、それをするしかないんだと思う。
試しに袋を開けてみると、お肉が入ってた、でも、生肉でもなければ、焼いた肉でもない、どういう調理をしたらこういう肉になるんだろう?って言う肉の料理が、何枚か入ってる、香りとしては牛肉なのかな、豚肉と鶏肉の方が食べ慣れてるけど、牛肉の香りがする、それを嗅いでると、少しだけお腹が空いてくる。
「……。」
袋から取り出して、ちょっとかじってみる。
固い、とっても固い、髪切れるかどうかわからない位固い、これ、お父さんが食べてた事があった気がする、確か、干し肉、ジャーキーって言う食べ物じゃなかったかな。
四年前くらい、お父さんが食べてるのを欲しがって、リリィには噛み切れないよ、って言いながら、少しだけくれたのを思い出す、あの時はほんのひとかけだったから、何とか飲み込めたけど、この量を飲み込むってなると、相当な回数噛んで、唾液で柔らかくしないと食べられないと思う。
「ん……。」
味は結構濃くて、お醤油を使ってるのかな?あと、お魚の味もちょっとだけする、お魚の粉末を入れてるのかもしれない、お世辞にもおいしいとは言えないけど、食べれない位じゃない、そんな味だ。
「水……。」
美味しかろうと美味しくなかろうと、水が欲しくなる。
台所に行って、コップを取って水を入れて、一口飲む。
「ふー……。」
干し肉は何枚かある、それを食べて一日を過ごす、それ自体は出来そうだけど、逆に食べるのが大変かもしれない。
なんて事を考えながら、煙草の匂いが染みついてるリビングを出て、部屋に戻る。
「さて、行きましょうか。」
今日は天気が晴れている、今の時期の豪雪ぶりからするに、珍しい日だ。
今日アジトを出発して、ここから一か月程度は出る事になる、暗殺の合間に、新しい品種だという芋を買い付けにもいかなければならない、と思うと、私は案外と忙しい類に入るのかもしれない。
基本的には貿易商として、若き実業家として言われていて、裏では暗殺を担っている、ある意味ペルソナを被って生活をしている、それは師匠も変わらないけれど、師匠は金をおろす側の人間、つまり出資者の類だ。
暗殺で得た多額のベンを使って、正体不明の出資者として活動してる師匠、私も、その師匠に見込まれて出資を依頼した、という設定になっている、現実としては、師匠が一人前になった私を放逐するにあたって、ダミーカンパニーの一つでも持っておけ、と言って、誂えたものだけれど、それを知らずに出資を受けている人間は少なくない、何十人か、の人間が、師匠が暗殺者である事を知ってかしらずか、師匠の資金洗浄の為に使われている、そんな人間達がいる、私も、結果としてはその中の一人、出資をして貰う代わりに、売り上げの一割のベンを師匠の表むきの口座に振り込む、それが私と師匠の決まり事だった、当時未成年だったと言うべきか、学生の年齢では銀行の口座が作れなくて、そこに関しても、師匠の手を借りた、だから、私の行動の一挙手一投足は、師匠に知られていると見て間違い無いだろう。
だから何だという訳でもない、何かの情でそう言う事をしているのか、とあの人に問うたら、恐らく利害関係の話しか出てこないだろう、それだけの事、私と師匠の関係値は、終始利害関係だ。
それは情報屋と私達も変わらない、お互いに利害関係が一致しているから、情報屋は金の為に、私達は暗殺の情報の為に、利害関係だけで動いている、そんな関係値だ 。
「ふ……。」
雪が降っていないといっても、路肩に雪は積もり続けている、豪雪地帯であるこの街は、夏にならないと雪が溶けない、春先になって雪が降らなくなっても、暫くは雪が残り続ける、そして、夏場になると雪が解けて、ある程度の気温が担保されるようになる、そんな街だ。
不思議と嫌いではない、縁もゆかりもなかった街だけれど、今ではアジトを持って四年、この街に暮らし始めてから四年が経つ、あの頃、師匠の元にいた頃の、地下生活の頃に比べれば、天国のような生活をしているのだろう、とは思う。
ただ、それが当たり前だとも思ってない、それは偶然の産物、私が政府に追われていないのは、偏に政府側の諜報が役に立っていないから、そうでなかったら、私は今頃逃亡生活を送っていただろう。
それはわかっている、だからこそ、今の生活を当たり前だとは思ってはいけない、それはずっと頭の中にある事だった。




