第三十三話 水
「そう言えば……。」
部屋を出て、師匠さんの所に戻りながら思い出す、と言うかなんでそこに行きつかなかったのか、って言うのがわからない、師匠さんの顔立ちとか、服装とか、そう言う事にまったく気がいかなかった。
「あのー……。」
「ん、部屋は見て来たのか?」
「はい、えっと師匠さん……。」
「師匠と呼べ、さんづけなんざ無駄の極みだ。」
師匠は、さっきと一緒でドカッとソファに座って、葉巻を口に咥えて、煙を吐き出してる。
観察してみる、まず、体が大きい、今までみてきた誰よりも、体が大きい、言い方を変えれば、ゴランよりも太ってる。
でも、筋肉質な事はわかる、少し薄手の上着、黒いコートの隙間から見える腕が、丸太みたいに太い、あんな腕で掴まれて、腕をひねられでもしたら、骨が簡単に折れそうだ。
顔つき、は暗がりでよくわからないけど、髭を蓄えてる、お父さんが言ってた、無精ひげってやつなのかな、そういう感じの髭の生やし方をしてて、目つきは怖い。
目が細いんじゃなくて、目つきが鋭くて、それを見てるだけで、呼吸が出来なくなって、そのまま殺されてしまいそうな、そんな目。
葉巻を咥えてる口元は、ちょっと所じゃなく偏屈に曲がってて、この人は総合的に見て「人相が悪い」タイプなんだろうな、って言うイメージだ。
「俺の顔に何かついてるか?」
「えっと、いいえ……。」
「まあいい、後四人揃うまで、の短い間、安息を楽しんでおくんだな、修錬が始まったが最期、俺は手を一切抜くつもりはないからな。数年間、息をおろす暇なんざ無いと思え。」
「は、はい……。」
冷たい声、もしそれで誰かが死んだとしても、どうでも良いんだろうって言う声、私はきいた事がない声、人を殺すのが当たり前の人だから、多分そう言う事なんだと思う。
「あの……。」
「なんだ?」
「喉が、乾いて……。お水、頂いても、良いですか?」
「勝手に取れ、いちいち選択を俺にゆだねるな。」
「あ、はい……。」
言われて、台所を探す、台所は居間から右に行った所、にあって、水道は通ってる、地下だからどうなんだろうって思ったけど、そこに関しては問題ないみたいだ。
コップを一個棚から取り出して、水を入れて、一杯飲む。
「美味しくない……。」
基地の水もそうだったけど、住まわせてもらってる以上文句は言えなかった、それは今でも変わらない事、これから先、ココが私の生きる場所になるんだから、文句を言っても仕方がない、ただ、水が美味しくない。
村の水は美味しかった、神様の恵みだった水、山岳部から溶けだした雪解け水、それを上水として使ってた村の水が美味しかったからなのか、それともこの地域の水がそうじゃないだけなのか、水が美味しくない。
って言っても、基地から一日かけて移動して、地域はまた違ってるはずだから、水が美味しくないのは、街の特徴なのかな?それとも、やっぱり村の水が特別美味しかったのか、どっちなんだろう。
「……。」
水を飲んだコップを洗って、棚に戻して、ふと考える。
アリィは、今頃どうしてるだろう、村に戻れたのかな、村に戻ってたとしたら、お父さん達と再会出来たのかな。
それだけが心残り、私にとって、アリィがどんな人生を送っても、それはもう私には関係がない話、私はこれから、人殺しの人でなしとして生きていくんだから、幸せなお嫁さんになるアリィとは、所謂袂を別った、って言う事なんだと思う。
袂を別つ、関係を切って、清算して、無関係な状態になる、って言う言葉だった気がする、そう言う事をする軍人さんもいて、私はそう言う人を殺す為にいるんだと思うから。
軍の反乱分子、それを始末するって言う事は、軍に従わない人を殺すって事だ、それ位の事は私だってわかってる、それ位、頭でわかってる。
ただ、それをする覚悟があるのか、って言われると、わからない、人なんて殺した事がないし、血を見たのだって何度かだ、銃の使い方も、知識としては知っているけれど、撃てるかどうかなんてやった事が無いからわからない。
反動がどうだ、照準がどうだ、っていう知識は持ってるけど、それを使いこなすだけの実戦経験がない、って言うのが正しいのかな、もしも撃つ事になったとして、使いこなせるかどうかはわからない。
「ふー……。」
師匠と一緒に居ても良いのかもしれないけど、なんとなくそれが嫌だ、と思って、地下二階の部屋に戻る。
確か、牢獄って言うのは、窓が無いといけなかったはずだ、窓がない牢獄は、人権侵害?になるから、駄目なんだ、って。
実際、この部屋には窓がない、穴が開いてて、外につながってそうな空気が流れてる場所はあるけど、基本的に空気が澱んでて、居心地が悪い。
酸素が無くて窒息死、って言う事はないんだろうけど、本能的に、この場所を私は嫌がってる、って思う、心のどこかが、この場所に居たくない、この場所に居てはいけない、って言ってる気がする。
「……。」
息が詰まる、って言っても、他に行く所もない。
ここから逃げたとしても、何処に行けばいいのかわからない、何より、私はアリィの幸せの帳尻合わせの為にここにいる、アリィが幸せなお嫁さんになれる様に、遺されたアリィが、村の人達が、幸せになれる様に、ここにいる。
だから、逃げ出す事はしてはいけない、しちゃ駄目だ、決して、何があっても、ここから逃げて生きていく、って言う選択肢は私の中には残されてない。
きっとだけど、私が逃げたら、師匠は情報を潰すために私の村を壊す気がしてた、大尉と一緒になのか、それとも師匠の力でなのか、それに関してはわからないけれど、でも、そんな気がした。
それは駄目だ、帰る場所ではなかったとしても、帰るべき場所ではなくなっていたとしても、あの村は私が生きた証、私が生きた標しなんだから。
「アルミニア、機関車のチケットの件なのだけれど。」
「はいはい、社長はいつも急だからねぇ、今回も間に合ったわよぉ!」
会社に顔を出して、アルミニアにチケットを確認する、昨日の今日で用意できたのか、と言われると難しそうだけれど、アルミニアはこの四年間、一度も機関車のチケットを取り損ねた事はなかった、私にとっては生命線とも言える移動の手段である機関車、それに乗って紛れた方が、車に乗って車種で特定されるよりも足がつきにくいから、という理由で使っている機関車のチケット、取りづらいはずのそれを、アルミニアは必ず取る、どういったルートを使ってるのか、については干渉しない、私にとっては、チケットが私以外の手から入手出来る、それが有難いという話だ。
私が自分で入手するという手もなくはないけれど、それでは足がつきやすい、アルミニアという緩衝材を中にはさむ事で、相手の認識を誤認させる、それが私達にとっては大切な事だ。
今の所、で言えば、施政者側、つまり政府に関する諜報機関、はまだ暗殺者稼業の情報屋の域まで達していない、とRがいっていた、俺達が何十年と掛けて構築してきたいネットワークにただ乗りさせるつもりはない、政府に対する反逆の手段として情報屋をやってるのに、政府の犬になるやつはいない、と言っていた覚えがある、だから、なのか政府側の諜報機関はまだまだ未発達だ、私や師匠の事に関しては、情報を幾重にも塞いでいるのだから、ばれていなかったとしてもわからなくはないが、直接的にそこに関わってくる情報屋の情報、が流れていない時点で、些末なものなのだろうとは感じている。
情報統制に精を出していた反動か、諜報に関しての知識が足りていない、というよりは、戦時中に関しては、まさか自分達の懐に、敵国の人間でもない人間が刃を磨いて潜んでいるとは思わなかっただろう、だからこそ、終戦後に国内関係の諜報機関を作って、それがまだ未成熟だ、という話だ。
「はい、これね。経費で落としちゃって良いのよね?」
「えぇ、お願い。」
経費で落とさないと、かえって怪しまれる原因になる、ダミーカンパニーと言っても、実務のある会社なのだから、社員達に面倒を掛ける訳にもいかない、彼らは、ただの無辜の一般人なのだから、私が万が一捕まった時にも、利用されていただけだという体裁を保てるだけの条件を出しておかないといけない。
「じゃあ、後は頼んだわね。」
「任せておきなさいな!」
チケットを受け取って、一旦アジトに戻る、干し肉の仕上がりを確認して、明後日がアジトを出発する日になる、今度は北の街に行く事になる、首都からほど近い街である事に間違いはない、だから、警備の手も普段よりは格段に厳しいだろう、と言うのが、Hの話だった。
ただ、そこに付け入る隙はある、アルマノの施政者が官邸にこもりきりで出てこない、だから暗殺が困難だ、という結論からしても、それ以外の軍幹部に関しては、まだ警戒態勢が出来上がっていない、基本的には、アルマノの懐に忍んでいる私達暗殺者ではなく、ベイル側の暗殺者や奇襲を警戒している度合の方が高い、という話でもあった、そこに、付け入る隙は生まれてくる、私がアルマノの辺境の村の出身だ、という事を知られたとしても、その辺境の村の出の小娘が何かをする、という思考に行きつかないのだろう。
あの時、前線基地ビーネルの大尉が殺されて以降、私の足跡を辿る事が出来る人間はいない、そもそも、師匠との関係値、にまでたどり着く為には、今の諜報機関は稚拙すぎる、と言うのが私個人としての感想だ。
師匠は暗殺者としてはアルマノの中では有名で、高いベンの代わりに必ず葬る、というのが売れている通名、確殺のA、と言うのが、師匠のあだ名に近い、所謂別称だ。
確殺、の名の通り、どんな依頼であったとしても、どんな困難な暗殺任務だったとしても、必ずやってのける、今の所は施政者の暗殺は依頼として来ていないのと、国の施政者の暗殺なのだから、莫大なベンが掛かると言うのもあり、依頼は入ってきていないという話だが、もし師匠の下に依頼が入ってきた場合、私と師匠で暗殺対象の取り合いになるだろう、それで師匠を殺す、という考えには至らないけれど、私は私の手で暗殺を遂げる、それが生きる意味なのだから、たとえそれが確殺を別名としている歴戦の暗殺者だろうと、相手になったら容赦はしない。
それに……。
私の命は、そこまででいい、私の命は、復讐を終えるまででいい。
シードルを殺した私が、軍関係者を殺して回っている私が、幸せになって良い理由はないのだから。




