【再投稿】8. 私と王女殿下、どちらが大切なのでしょうか?
「少し覚悟が足りないのでは?」
最終話を間違えて削除してしまったため、再投稿致しました。
内容は一切変更しておりません。
「ヴァージス、お前に娶ってもらいたい女性がいる」
新しい執務室に響く声。
マリア王太女の言葉の意味をゆっくりと理解し、ヴァージスは取り繕うことも忘れて息を呑み、彼女の後ろに控える侍女が肩を震わせた後、何かを堪えるように俯いた。
今は昼休憩の時間ということで、公務を手伝う文官達も出払っている。
ここにいるのはマリアと付き合いの長い、心を許した者達だけだ。
護衛騎士であるヴァージスもその一人である。
いや、誰よりもマリア王太女のことを想っていると、ヴァージスは自負している。
主として。一人の女性として。
マリア王太女はヴァージスの全てを捧げる存在なのだから。
それなのに、命じられたのは他の女との婚姻。
身分差は理解している。
だからこそ彼女の王配は、宰相を務める侯爵家の次男であるアンリ・ロッシェが相応しいと言い聞かせ、護衛騎士の任務を全うしようと決めていた。
ヴァージスは子爵家の三男で、既に嫡男である兄には可愛い赤子がいる。
だから生涯独身を貫き、女王としての栄光の軌跡を守るだけでも幸せであると思っていたのに。
あまりにも残酷だ。
断ろうと顔を上げたヴァージスは、けれど唇を噛み締めるマリア王太女を見れば、喉元にあったはずの言葉が消えていく。
何て顔をなされるのだ。
苦しくて、胸を掻きむしらずにいられないと思う程の衝動を必死に堪える。
「すまない。お前でなくともいいのではと、他の者を探そうともした。
だが、お前が適任だという結論に至るまでに二月かかった」
二月もだ、とか細い声が床へと落ちる。
「殿下」
「離縁した傷物の男爵令嬢にどれだけ栄誉を与えても、続く繁栄の責務を果たす、貴族の家に迎えさせるのは難しい。
だからといって、身分だけを見て適当な者を推挙すると、また嫁ぎ先に蔑ろにされる可能性もある」
大きな溜息が吐き出された。
「国王陛下はカステルノー男爵令嬢の行く末を酷く心配されていた。
ゆえに、お前が一番いいのだ」
凛とした一輪挿しの花が、今にも萎れていきそうで。
強く、強く目を瞑る。
「彼女を娶った際には、三代続く騎士爵が約束されている。
引き受けてくれるか?」
問われた言葉に頭を下げた。
「不肖、このヴァージス・モスターニュ。
殿下の仰せとあれば、初対面の方であろうと堂々口説いて見せましょう」
笑え。
マリア王太女が困らぬように笑うのだ。
眉尻を下げ、唇を僅かに上げたマリア王太女の顔を見て、どんな形であろうと彼女を守り続けるのだと、ヴァージスは固く誓うのだった。
** *
こうしてヴァージスの返事を貰ったマリア王太女は、カステルノー男爵令嬢を侍女として迎え入れるための書面を認め、ヴァージスは侍女達から紳士的な対応について厳しく諭される。
傷心でいるだろうから厳しい物言いをしてはいけないとか、笑顔で接しなければいけないとか。
実に馬鹿馬鹿しい。
そう言ったら首根っこを掴まれ、一定の基準に達するまでは会いに行くのは許さないと言われてさらに一ヶ月。
カステルノー男爵令嬢は数ヵ月程前に、元夫であり、故人でもあるジュリアン・ベルフォール卿と離縁した、悪妻と評判の令嬢だ。
曰く、ベルフォール子爵夫妻に取り入って散財に明け暮れ、ジュリアン・ベルフォール卿のことは金蔓呼ばわり。
実の両親であるはずの子爵夫妻までも誑かされて、謂れなき冤罪で責め立てていたのだとか。
最終的には、セリーヌ第二王女と自分のどちらが大切かを聞いたらしい。
話半分に聞いても面倒臭そうな女性だと思うが、それでも娶ることになるのだから、誠意を持って向き合った方がいいだろう。
そう思っていたのに。
「ご配慮には感謝致しますが、謹んでご遠慮申し上げます」
訪れた先、カステルノー男爵家の応接間に程好く響いたすげない言葉に、ヴァージスは目の前の令嬢を不躾にも見つめた。
緩やかなカーブを描く黒の髪と、どことなく厳しさを漂わせた切れ長の、菫色をした瞳。
全く異なる顔立ちだったが、どことなくマリア王太女を連想させられる。
マリア王太女は心根と同じく真っ直ぐな髪だったが、髪と瞳の色味が同じせいだろうか。
どうしてだろうと探るように見れば、背筋を伸ばし、真っ直ぐに視線を返してくる、折れないしなやかな木々のような雰囲気を持つからかと思う。
マリア王太女が一輪挿しに飾られた、真っ直ぐ咲く高嶺の花ならば、彼女は同じ花瓶に挿された、しなやかな細枝のようだった。
噂で聞いただけの令嬢は、思いのほかヴァージスに良い印象を与えた。
「それは、一体どういうことか聞いても?」
ヴァージスの問いかけにカステルノー男爵夫妻も、後ろに控える妙に若い家令らしき者も答えることはない。
どうやら今日の話は、カステルノー男爵令嬢が主導で話を進めることになっているようだった。
当主を差し置いて令嬢が話すなど、それはとても奇妙に映ったが、もしかしたら娘の意思を尊重しているのかもしれないと考える。
「言い方は失礼だが、ここで貴女自身が積極的に動かなければ、貴女とカステルノー男爵家の悪い噂を払うことはできないと思うのだが」
社交界ではマリア王太女が流した新しい噂に誰もが夢中だが、それでもカステルノー男爵令嬢が夜会に参加したとなれば、好奇の目に晒され、時には侮辱めいた言葉を戯れとばかりにかけられるだろう。
男爵家でどうにもできないのなら、王家の差し出す手を取って、自分でどうにかしなければならないし、そのためには栄えある王太女の侍女という立場は有利に動く。
それすらわからない馬鹿だとは思えなかったが、もしかしたら思い違いだったのかもしれない。
「それは社交界に出ることを想定してのお話ですよね。
あいにく、私はこの国の社交界に二度と顔を出すつもりはありません」
返される言葉に眉を顰める。
「つまり、マリア王太女殿下が心を砕かれているにも関わらず、貴女は何の努力をするつもりも無いということか」
たかが男爵令嬢如きが。
騎士としての鍛錬を日々欠かさぬヴァージスには、彼女の言葉は怠惰としか受け取れなかった。
何もせず、ぬくぬくと王家からの、マリア王太女からの慈悲だけを手に入れるつもりか。
ヴァージスがどのような思いで、彼女を娶ると決めたかも知らずに。
自然と剣呑さを帯びたヴァージスの言葉に、それでもカステルノー男爵令嬢は怯む様子も見せずに薄く笑みを浮かべる。
「努力、ですか。使者様は騎士と見受けられます。
さぞ、日々の鍛錬を欠かさずに精進され、そして願う結果を手に入れたのでしょうね」
家族と離れて一人掛けのソファーに座る細枝は、フリルとレースの少ない青のドレスを纏い、濃い色のそれは青空よりも夜空を連想させた。
「努力という行為は、本来美徳と褒められるものでありますし、私もそう思っています。
たとえ、どれだけ努力が報われず、願いなど一つも叶わない日があったとしても」
「ならばなぜ、マリア王太女殿下のご厚意を無にするのか」
スッと目が細められた。
「使者様、お名前をお聞きしても?」
そう言われて、名乗っていなかったことに今更気がつく。
ヴァージス・モスターニュと名乗れば、口の中で反芻したカステルノー男爵令嬢は薄い笑みを残したまま。
「モスターニュ卿に質問を」
何を問われるのかと、息を止めて言葉を待つ。
「私と王女殿下、どちらが大切なのでしょうか?」
は、と驚きだけが、言葉にすらならない音を作った。
もしかしたら呆れなのかもしれない。
何を頓珍漢なことを言っているのだと、不敬にも程があると注意をした方がよいと思うのに、なぜか背中をゾワリと撫でた感覚がヴァージスの怒りを押し込める。
「それは、どういう」
困惑した顔で問いかけるヴァージスを気にせず、カステルノー男爵令嬢は後ろに控える青年へと同じ質問をする。
「ロディ、聞くわ。
私と王女殿下、どちらが大切かしら?」
「馬鹿馬鹿しい。
話したこともない相手と比べようがないね」
間髪を容れずに返された言葉に、カステルノー男爵令嬢が満足そうに頷いてから、凪いだ瞳がヴァージスを見た。
「この質問は元夫にもしています」
知っている。
確か、あまりに突拍子もない質問だから、返事に困って何も言えなかったという話ではなかっただろうか。
馬鹿馬鹿しいと一笑に付すか、仕事を軽く見ているのかと怒ればいいだけのことだと思っていたのに。
いざヴァージス自身が問われると、余りにも多くの思惑が絡み合って、単純な質問に隠された意味を見出そうとして答えられなかった。
それは疚しさからだ。
ヴァージスの一番はマリア王太女であり、カステルノー男爵令嬢のことは命じられたから迎えるだけに過ぎず、そこに愛情などない。
だが、そんなことは結婚しても口にしない。
彼女に申し訳ないからではない。
彼女がつまらぬことを口にして、マリア王太女の迷惑になっては困るからだ。
口は災いの元。見かけによらずお喋りであったら、結婚早々に殺害せねばならなくなる。
そんなヴァージスの気持ちなど何も知らないはずなのに、何か知っているのではないかと疑いたくなる、笑みの形ばかりをした表情。
けれど、質問を投げかけられた時に本音を言えるはずもなく、何も知っているはずないと思いながらも言葉の真意を見いだせず、結局建前すら返せぬまま。
彼女は答えなど求めていないのかもしれない。
問いかけ、相手の態度を見ている。
誠実なのか。嘘つきなのか。
嘘であっても、建前と本音を上手に使い分けられるのか。
二心がある者程、言葉の意味を理解しようと口を噤む。
なるほど。ヴァージスは試されたのだ。
「モスターニュ卿も答えられませんでしたね」
期待も落胆も持たぬ声音が、淡々と言葉を紡ぐ。
「では、やっぱり辞退させて頂こうかと。
愛の無い結婚に抵抗はありませんが、開き直れないのではお辛いと思いますので」
結局のところ、マリア王太女が彼女を保護しようとするのは、たかだか男爵令嬢にまで心配りを忘れない国王を配慮してのことだし、自身がアドリアン元王太子よりも民思いなのだと知らしめるために、虐げられた憐れな子羊が必要なのだ。
そして、ヴァージスは子羊が恩恵から逃げられないように囲い込む、主人に忠実な牧羊の犬に他ならない。
彼女を侍女にして汚名を返上させ、ヴァージスが娶ることでマリア王太女の慈悲深さを示す。
何もかもが完璧な物語の演出。
ふと思う。
もし、カステルノー男爵令嬢が、侍女として使い物にならなかったら。
マリア王太女は彼女をどうするつもりなのだろうか。
教養も無く、周囲の足を引っ張るだけならば、誰からも相手にされなくなる。
そうなった侍女の行く末は厳しいものだ。
人によっては心折られて、辞職する者だっている。
期待しているのか、それとも。
「それに、ご配慮は感謝いたしますが、あれから暫く経っております。
特にお声掛けもありませんでしたから、その場限りの話だったのだと思い、恐れながらとうに新しい婚約者を見つけました」
「なんと。そうだったか」
マリア王太女は二月悩んだと言っていたし、他を探してもいた。
連絡のないカステルノー男爵家は口約束だったのだと思い、新たな縁を探していてもおかしくはない。
カステルノー男爵令嬢が後ろを振り返れば、家令ではなかったらしい、ロディと呼ばれた青年がニッと笑みを作った。
「ロディは国を越えた先にある、アルバ商会の跡取りです。
この国ではまだ小さな商会という認識ですが、故郷に戻ればそれなりに大きな商会ですし、平民でもありません」
ならば、出戻りとなった男爵令嬢には破格の好待遇だろう。
「ならば、こちらの申し出は取り下げよう」
その方がよろしいかと、と返された言葉に嫌味も無ければ、労りも無い。
「既に婚約を?」
「いえ、彼の故郷に行ってからと考えています」
「そうか。では王太女殿下にもそのように報告しておこう」
場合によっては話し合いの時間が必要になるかと明日は休みにしていたので、明後日にでも報告したらいい。
きっと安堵してくれるはずだ。
「これから彼と婚約の話し合いをする予定だったのです」
「すまない、重ねて邪魔をしたようだ」
慌てて立ち上がったヴァージスを、見送るためかカステルノー男爵令嬢も立ち上がる。
「それではモスターニュ卿のご健勝をお祈り申し上げます」
そうして笑みを消した彼女がした礼は、簡素な応接間に不相応な、優雅で完璧なものだった。
** *
結局、ヴァージスの報告を聞いたマリア王太女は困ったようにだけ笑い、「次回、国王陛下との面談時に報告しておこう」と返した。
これで、マリア王太女もヴァージスも変わらないままだ。
王配候補であるアンリ・ロッシェも訪れなくなり、学生時代の延長線のような日々。
いつかは王配を迎えるだろう、美しき女王候補の彼女と今暫くはこのままに。
全てが中途半端で、何もかもが時を止めたようだった。
あれからヴァージスは王都を調べたが、アルバ商会なんてどこにも無かった。
夜逃げをしたとか立ち退いたとかではなく、学園時代の伝手を使って確認したが、そんな名前の商会など登録が無かったのだ。
では、ロディと呼ばれていた彼は何者だったのだろうか。
その答えを誰も教えてくれない。
気づけばカステルノー男爵家は無くなっていた。
風の便りで爵位を返上したと聞いただけで、今はどうしているのかもわからない。
恐らくは婚約者の故郷へと向かったのだろう。
一度しか話すことのなかった、彼女の問いが時々蘇る。
──私と王女殿下、どちらが大切なのでしょうか?
そして、いまだ最適解を思いつかないままだ。
さして知らぬままの男爵令嬢と、忠誠と敬愛と人生を捧げる相手と。
決まりきった答えのはずが、ぐるりぐるりと深層心理の奥底を泳ぎ回っている。
もう会わないだろう令嬢に、もう一度問いかけてほしいと思いながら、執務室の扉をノックした。
前回の最終回でも書きましたが、感想と誤字報告ありがとうございます!
感想は三桁を越えたため追いつけず、週末から順次返信させて頂く予定です。もし返信できない量と判断した場合でも、全て拝読させて頂きます。
現状、伏線を拾うためにアドリアンの後日談を投稿する予定でしたが、彼だけだとわかりにくいため、さらに一話追加する予定です。
ただ、それでも輪郭のはっきりしないままの話になるかもしれません。




