4. 元悪妻と子爵家が言うことには
話がひっくり返ってしまうわけで。
王家からの召喚状に応じ、クレールが両親と共に登城したのは貴族籍離縁届を出してから程なくしてのことだった。
王家の方々と直接言葉を交わすことなんて、デビュタントの挨拶以来だ。
下位貴族の立場なんてそんなものでしかない。
元夫になったジュリアンは騎士だからというのもあったが、学園生活の延長線上の感覚でいる彼らは少々異様なのだ。
先に来ていたらしいベルフォール子爵夫妻に声をかけられる。
「悪妻の噂だけではなく、王太子殿下からの離縁要求、さらには脅迫状まで。
本当に面倒なことになってしまって、クレール嬢とカステルノー男爵家にはなんと謝罪すればいいやら」
「いえ、それを含めて彼をサポートするのだと、お受けした話でしたから。
それに水害の折には援助頂いたことで、我が領も早々に災害復興できたのです」
つい先日まで義父であったベルフォール子爵から言われ、苦々し気な表情で黙り込んだ父に代わり、首を横に振ってクレールは言葉を返した。
両親としてはジュリアンの性格を知っていたものの、ここまで酷い状況に陥るとは想定していなかったのだろう。
確かに、ジュリアンがアドリアン王太子殿下に気に入られていなかったら、王城のみならず社交界の隅々にまでクレールの悪評が広がることはなかったし、当の子爵家が否定しているのに話が収束しないという事態にもならなかったはず。
ジュリアンが両家に怒られ、ほとぼりが冷めるまでは囀るのを止めて、蒸し返されないように大人しくしていただけで終わった話だ。
けれど、学園にいた頃からアドリアン殿下に気に入られていたのは、クレールの両親も知っている。
楽観的に考えていた両親達にも問題があったといえよう。
そもそも、ベルフォール子爵家から近隣の誼でという援助が無ければ、場合によっては爵位返上だってありえた。
夫妻に感謝こそすれ、恨む気持ちはない。
まあ、ジュリアンは屑だと思うけれど。
「クレールさん。旦那様の言う通りで、許す必要は何一つありませんよ。
あの愚息が姿を見せたら、扇子でぶちのめさないと気が済まないわ」
ジャリ、と扇子らしくない音がベルフォール子爵夫人の手元から聞こえる。
あれは鉄扇ではないだろうかと思ったが、口には出さないでおく。
なにせ、クレールの母も同じようなものを今日は持っているからだ。
できれば国王陛下の御前で使うことがないよう祈りながら、迎えにきた従者に促されて歩き出した。
** *
通された部屋は広く、応接室というよりは食堂と言った方がしっくりする部屋だった。
長テーブルが中央に据えられ、そこに椅子が並べられている。
片側の席へと両家は誘導され、ベルフォール子爵夫妻、カステルノー男爵夫妻、クレールが座る。
貴族籍離縁届は七日間留め置かれているが、既に両家で合意の上でとなれば、離縁しているといってよい状態だ。
だから、今のクレールの立場は男爵令嬢である。
暫くすると国王陛下の入室が伝えられ、臣下として立って出迎える。
入ってきたのは国王陛下とマリア第一王女殿下で、彼らは両家に座るよう言ってから、長テーブルの終わりに置かれた豪奢な椅子に国王陛下が座り、マリア第一王女殿下が側に控える。
次に連行されるようにして入ってきたのは、アドリアン王太子殿下と彼の側近達。それからジュリアンだった。
ジュリアンは部屋に入って家族とクレールを見ると何か言いかけたが、すぐに近くにいた騎士に肘で突かれて席に座らされる。
「すまないが、昨日今日で予定にない話し合いの席を入れ、手付かずの公務が残っているため手短に済ませたい。
必要と判断すれば、後日改めて一席設ける予定ではある。
今日のところは王太子の起こした行動のせいで、両家及びカステルノー男爵令嬢に多大な迷惑をかけたことの謝罪と、もう片側からの話を聞くためだ」
この言葉に目を見開いて驚いたのがアドリアン王太子殿下達だった。
彼らの表情には驚き以外に、不満や苛立ち、怯えといったものが表れている。
実に表情豊かなことだと思う。
今の様子だと、全く何も把握できていないのだろう。
「さっそくだが、ベルフォール子爵及び、カステルノー男爵令嬢側の話を聞きたいと思う。
その上で、マリア第一王女から本件に関する補足をしてもらう」
指名されて軽く会釈をしてから、元夫とその主達を見据えた。
「国王陛下の貴重なお時間を頂くこと、大変申し訳なく思いますので、できるだけ簡潔に離縁に至った経緯と理由をお話しさせて頂きます。
王太子殿下も側近の皆様方も、おっしゃりたいことはあるかと思いますが、ご説明しますことを聞いて頂ければと存じます」
淀みなくスラスラと口上を述べれば、再び驚いた様子のアドリアン王太子殿下に溜息を吐き出したくなった。
もしかしたら、ヒステリックに喚きたてる女だと思っているのだろうか。
だとしたら初対面の相手に、随分失礼な話である。
まあ、彼らのように不愉快な態度を取るつもりはないので、溜息を落とすどころか表情すら変えはしないが。
とはいえ、さすがに優しい言い方も不要かと思いながら、クレールは口を開いた。
「気づけば知らぬところで、私が悪妻だと評判になっておりますようで。
そこに至る過程は想像がついておりますので無駄な追及はしませんが、離縁に至った原因については、彼に問題があると両家が判断し、私としましては無礼ながら王家側にも問題があると考えております」
ダン、と大きくテーブルを叩く音が聞こえたが、気にしないふりをする。
「式を挙げて三ヵ月半。夫に一日たりとも休みがなく、夜更けにばかり帰ってくるならば、私が色々申し上げても仕方のないことかと」
未だ怒りや焦りといったものからは醒めないようだが、目の前に座る高貴なご子息たちの目が僅かに見開かれる。
同時にジュリアンが視線を逸らしたのも見逃さない。
「結婚式当日はセリーヌ王女殿下の護衛があるからと、式が終わって挨拶周りを済ませぬうちから、早々に子爵邸を出て行きました。
それから離縁に至る日まで、元夫であるジュリアンは休日がないまま王城で勤め、ただ帰って食事を摂り、湯浴みと寝ることしかしておりません」
これにベルフォール子爵夫妻が事実だと証言してくれる。
「そんな馬鹿な。王城に勤める者達は職種に関係無く週一度の休暇が与えられている。
ましてや結婚式を挙げたのならば、こちらだって配慮した! 当日と次の日は休みになるようにと調整していたはずだ!
我が妹であるセリーヌの名前を出してまで、貴様らは王家を侮辱する気か!」
テーブルを叩きながら立ち上がったアドリアン王太子殿下を、後ろの騎士達が席に座るようにと促す。
激昂でギラギラした瞳がこちらに向けられたが、事実を話しているので訂正のしようがない。
後で報復されなければいいなと思うぐらいだ。
「アドリアン王太子、口を挟むな。
次に邪魔をするようなら、その騒がしい口を猿轡でもして塞がせるので、大人しくしていろ」
国王陛下の言葉に、唇を噛んで睨むだけに留まったアドリアン王太子殿下を確認してから、続きを話そうと再び口を開く。
「その為、恥ずかしい話ではございますが、一度も閨を共にしておりません」
向かい側の面々が驚愕といった顔になり、ここでようやくジュリアンへと視線を向けるが、都合の悪いことは向き合おうとしない彼と、目が合うはずがない。
「ここからは私達から」
と言ったベルフォール子爵が息子へと厳しい視線を向ける。
「はっきり申し上げると、ジュリアンはあまり褒められた性格をしておりません。
どうしてこんな愚かに育ったのか。私達の育て方が悪かったのだと反省しているのですが、幼少期から直らぬ悪癖がありました」
皆の視線がベルフォール子爵へと向き、それからジュリアンへと向けられる。
その中でジュリアンは大きな体を少しでも見せないようにと、猫背になって視線をテーブルの外へと向けている。
現実を見る気の無い姿に、違和感を覚えてくれたらいいのだけど。
「子爵、悪癖とは?」
既に聞いているはずの国王陛下に質問を投げかけられて、意を決した様子のベルフォール子爵が言葉を続けた。
「常に人の注目を浴びたいといったものでございます」
途端に、向かい側に座る誰もが呆気に取られた顔になったが、こちら側は誰もが大真面目だ。
「幼少期より、人の注意を引きたい余りに、物事を大袈裟に膨らませて話す傾向がございました。
全く無いことからの嘘、捏造はございません。
成長するにつれて知恵をつければ、起きたことに対して誤解を与える内容で説明したり、私達やターゲットにした相手に気づかれにくい環境で噂にするといったことを、罪の意識なく行います」
そう、度々ジュリアンが周囲を悩ます問題は、彼自身が悪いと思っていないことにある。
具体的な指摘をしても、「うっかり言い忘れただけ」だの「そんなつもりはなかった」だの言って、都合が悪くなると話を切り上げて逃げ出すのだ。
「質の悪いことに、疑われない為の努力は惜しまず、好青年を取り繕うのが上手なのですよ」
そうなると、全てがジュリアンにとって都合の良い真実へと変わる。
いつまで経っても変わらぬジュリアンの歪さが、今回のように彼だけではなく、周囲の人達の立場まで危うくしていくのだ。
「年を重ねれば落ち着くかと思ったのですが、学園で王太子殿下に見出されてからは、認められたいばかりに悪化していく始末。
何度も叱りつけてはいるものの一向に直らず、だからといって子爵家とあればアドリアン殿下によもや手紙を出すことも叶わず」
ベルフォール子爵から思わずといった溜息が落ちる。
「縁を頼って進言できればと思ったのですが、それも届かぬ有様。
せめて抑止力になれるようにと、はっきりと駄目なところを言ってくれるような伴侶がいいと、無理を言ってクレール嬢に婚約の打診をしたのが、まさかこんなことになるなんて」
最後は呻き声に近い。
ベルフォール子爵夫妻は本当に良い人柄で、どうしてジュリアンがこうなったのかがわからない。
幼い頃から時々顔を合わせていた私でも原因はわからず、ただ、話した時の違和感が気持ち悪かったことは憶えている。
一人息子を大事にしようとしていた二人の判断は決して最善ではなかった。
けれど、王太子殿下に見出されることさえなければ、人から注目されることなく、程々に生活していけたかもしれないのだ。
「私達の耳に入らない場所でならば、気づかれないとでも思ったのでしょう。
少しばかり伴侶の愚痴を言う。そんなものはどこにでもある話ですから。
ただ、王太子殿下のお気に入りということが、どういう立場かを理解しなかった息子に問題がございます。
膨らみ始めた話を元に戻せず、噂は尾鰭が付いて広がり、もはや偽りだらけと化した話を否定できなくなっていったのでしょう」
本当に最悪だ。
既にクレールの評判は社交界にも流れ、このままだとクレールは社交場に出ることはできないだろうし、次の嫁ぎ先など見つかりそうにない。
カステルノー男爵家としても、当分は社交界から距離を置かなければならない。
クレールはいいが、跡を継ぐ弟ですら学園で嫌がらせを受け始め、通うのが難しい状況にまでなっている。
ベルフォール子爵夫妻が噂の消し止めに奔走してくれているが、王太子自らがジュリアンを守ろうとする態度を取っているのならば、低位の貴族如きが噂を正すことは難しいだろう。
向き合う面々は、何でもかんでも鵜呑みにした結果を目の当たりにし、既に顔色は土気色に近く、生きた心地もしていない様子だ。
まだクレールには言うことがあるのだが、最後まで聞いていられるだろうか。
「この件についての説明を求められて参りましたが、既に両家にて離縁を決めた身であれば、王家も満足ではないでしょうか。
セリーヌ王女殿下からは、何度も手紙を頂いておりましたので、迅速に対応したつもりではございますが」
手紙、と反芻するアドリアン王太子殿下の言葉は虚ろで、消え入りそうなものだ。
「はい、嫁ぐ際に元夫を連れて行くため、早く離縁するようにという内容です」
クレールの近くにいたお城勤めの人が、預かっていてくれた封筒の中身を国王陛下とアドリアン王太子殿下の席にと運んでいく。
「確かにセリーヌ第二王女の印であるかと」
マリア第一王女殿下の声が、紙の擦れる音を通り抜けて届く。
そう、封筒に入っていたのは、ご丁寧にセリーヌ第二王女殿下直々の手紙で間違いないと言わんばかりに、自身の印を堂々と押したものである。
書かれた内容はクレールも一通り読んではいたが、なかなか酷い文面だったとは思う。
現に手紙に目を通したアドリアン王太子殿下の顔が真っ白になり、便箋を持つ手が震えていく。
時折、「そんな馬鹿な」「嘘だ」といった呟きが漏れている。
ジュリアンを選んだことといい、随分と見る目の無い王太子殿下であれば、手紙を読んでも信じられないのは当然の話かもしれない。
「セリーヌ王女殿下の手紙をお持ちになり、子爵家を訪れていましたのは、ハドリー伯爵夫人を名乗られる方でした。
訪れる度に早く離縁してベルフォール子爵令息を解放するよう、こんこんと説教されたものです。
王女殿下のお気に入りに手を出すなんて、慎みのない阿婆擦れだと」
母親の鉄扇を握る手が、怒りでブルブル震えている。
それでも表情には出さず、涼し気な微笑みが顔に乗せられていた。
対照的に、やんごとなき人々の顔色と表情は実に豊かだ。本当に高貴なる方々なのだろうか。
先程まで真っ白に燃え尽きていたのが嘘のように身を乗り出し、信じられないものを見るかの顔でクレールを見ている。
「私達は何を信じていいかわからず、困っておりました。
なにせ、お城からは正式な通知がないにも関わらず、こうして王女殿下の使者が訪れるのですから。しかも、まるで恋人を奪ったかのような扱いで」
いまや、悪妻に苦しめられる騎士は、第二王女殿下の慈愛によって傷ついた心を癒されているのだと、夢物語のような内容までもが口さがなく社交界で噂されているらしい。
これは王都の学園に通う弟が、嘲笑混じりにクラスメイト達から言われたことだ。
「だからこそ、私は彼に問いかけたのです。
『私と王女殿下、どちらが大事なのでしょうか?』と。
私もしくは仕事だからと答えられなければ、ますます王女殿下のお立場を悪くするだけですから」
もう、そこまでの事態になっているのだ。
既にクレールは噂の矢面に立たないようにと、お茶会や夜会といったお誘いを全て断っているが、このままクレールが隠れたままでは、今度はセリーヌ第二王女殿下が下世話な噂の対象となる。
ジュリアンはそんなことを気にせず、ただただ自身の同情を引こうとするだけなのが想像できたなら尚更。
間もなく嫁ぐ身で、立場が危うくなりかねない。
もっとも、一ヶ月後には国の外へと嫁ぐ身だから、多少の誤魔化しは有効だとでも思っているのだったら別だろうが、そこはクレール達にはわからなかった。
「元夫であるベルフォール子爵令息に話し合いを求めるも、仕事の疲れを理由に取り合ってもらえませんでした。
そうして対応を考えあぐねていたところに、王太子殿下から渡されたという貴族籍離縁届です。
これには両家も離縁は王家の総意であると認識し、面倒事になる前にと手続きを済ませようと決まりました」
以上です、と締めくくった言葉に、精魂尽き果てたかのような王太子殿下達がいる。
彼らに同情することはできず、そっと国王陛下とマリア第一王女殿下へと視線を向けた。




