3. 国王陛下が言うことには
事実確認が必要なわけで。
唐突に父たる王に呼ばれたアドリアンは、嫌な予感に襲われながらも急ぎ足で廊下を進んでいた。
今日は面会する予定などなかった。
それなのに、隙間なく詰められたスケジュールを調整してでも、アドリアンと会おうとしているのだ。
確実に良い話ではない。
思い当たるのは一件だけだ。
アドリアンの中でも頭の痛い話になっているそれは、内々に片付けるつもりだったのに、どうやら父親に気付かれてしまったらしい。
「一体誰が」
密告したのかと内心呟き、すぐに憎々しい妹を思い出す。
「……マリアか」
かつて王太子争いをした双子の妹は、いまだ強かにアドリアンの足元をひっくり返そうと狙っている。
前国王であった祖父の一声でアドリアンの立太子が決まったが、両親が二人のどちらを推していたのかはわからない。
双子であっても全く似ていないことから、マリアに対して親しみが持てず、よく似た外見をしたセリーヌの方ばかりを可愛がっている。
だからこそ、ジュリアンを貸してやったのだが、そのジュリアンの話が予想外に出回り過ぎたようだ。
国王の執務室までは後僅か。
どういう風に話に持って行こうかと、アドリアンの頭はひたすら思案に暮れていた。
** *
「クレールに離縁されてしまいました!」
貴族籍離縁届を渡してやってから数日後。
蒼白に染まった顔をしたジュリアンが、アドリアンの執務室に駆け込んできた。
この時点で、既に公務ができる状況では無い。
今日はジュリアンを向かわせられないと、セリーヌの部屋まで言付けのための使いを出し、その間にルノーとマティアスが休憩スペースのソファーにジュリアンを座らせる。
女性文官が嫌そうな顔でお茶を用意した後、すぐさま部屋を出て行った。
他の文官と法務官達に今日の仕事はとりあえず、印を押すだけで済むものを優先して片付けるように言い、それからアドリアンもソファーに座る。
「どういうことだ?」
と思わず聞いたアドリアンの向かいで、ジュリアンが両手で顔を覆った。
「殿下に言われた通り、離縁届を見せました。
そうしたら、突然姿を見なくなって。最初は拗ねて姿を見せないだけかと思ったら、今朝になって聞いてみると、離縁していると言われたんです!
あの、殿下に頂いた届け出によって!」
話を聞いているルノーとマティアスの顔色が悪くなる。
いや、アドリアンも同じだろう。
あの書類を提出されたとなれば、申請前からアドリアンが承認欄に署名していたことがバレてしまう。
アドリアンのしたことは、明らかに下位貴族への不当な介入だ。
それこそ王家からの、離縁の強要と捉える者が出てきてもおかしくない。
出来心や悪戯心なんて、そんな言い訳で許されることではないのは立場上知っている。
所詮は下位貴族だが、上手に対処しなければ王太子の地位だって危うくなる話だ。
「離縁届はいつ出された?」
尋ねれば、三日前と返ってくる。
申請は王城でしか受けられないが、運悪く届け出を受け付ける事務官は下位貴族や平民が多く、あいにくアドリアンに知り合いはいない。
関係者に融通を利かせてもらうのは無理だが、受付してから七日間は申請の取り下げが可能だ。
期日までに取り下げさえすれば、手元に貴族籍離縁届は戻されて、軽いお仕置きの気持ちで用意したそれを無かったことにできる。
これは急がねばならない。
「急ぎベルフォール子爵とカステルノー男爵の両家に使者を出し、明日にでも話し合いの場を設ける。
そこで申請を一旦取り下げるように命じ、あわせて今までの態度を改めるよう夫人を諫め、ジュリアンに謝罪さえすれば離縁はしなくてよいのだと伝えよう」
アドリアンが言えば、絶望に染まったジュリアンが顔を上げる。
「アドリアン殿下」
掠れた声は縋るよう。
そうして頭を下げたジュリアンは仕事にならなさそうな様子で、今日のところは帰るよう伝えるも、家に帰ると妻を思い出すからと辛そうな顔になる。
仕方ないので王太子の特権として、騎士寮の空いている一室を使えるように手配し、そこでようやくジュリアンは執務室を出て行った。
「悪い評判しかない妻を、ジュリアンがここまで愛しているというのに。
とんだ悪女だな。明日顔を見るのが楽しみだ」
マティアスが舌打ちと共に怒りを吐き出し、ルノーが「冗談も通用しないなんて」と苦笑する。
そこから誰もが公務も手付かずでいたところの、国王からの呼び出しだった。
** *
「公務を行う貴重な時間を割いて、今、お前の愚かな行動を確認するのに充てている。
時間が惜しいので、一切の弁解は聞くつもりはない。
私の質問に対し、事実だけを答えよ」
家族だから食事は一緒にすることがあれども、執務室に呼ばれるのは月に一度が二度ほど、それも事前に予定を組んだ進捗報告ばかりだった。
「父上、聞いてください!
私は別に本気で渡したのではなく、あくまで問題解決の切っ掛けにと思っただけで!」
「公務中は王と王太子だ。
それから、もう一度だけ言うが、私の質問に事実のみ答えよ」
凍り付くような言葉に遮られてしまえば、アドリアンは口を噤むしかない。
「ジュリアン・ベルフォールに対し、承認欄に王太子直々の署名がされた、貴族籍離縁届を渡したのは事実か?」
「……事実です」
渋々答えれば、睨むような目がアドリアンを見ながら、さらに細められた。
「ジュリアン・ベルフォールの妻が悪妻だと、場所を選ばず、人目も気にせずに話していたのは事実か?」
「そ、それは、本当の話なのだから」
「事実か?」
「事実です」
どこまでも他人のように冷たい言葉に再び遮られて、アドリアンの言いたいことを一切汲み取ってもらえないもどかしさに、胸中が不満と焦りで溢れそうになっている。
「表情を作れ。顔に出すな」
またピシャリと言われ、慌てて表情を取り繕った。
「片方の話だけを聞き、鵜呑みにしたのは事実か?」
「下位貴族の妻になど、私が会うことなどできるわけがないでしょう。
それにジュリアン・ベルフォールとは長い付き合いです。彼は忠誠心に厚い騎士なのですから、どうして疑う必要があるのですか」
アドリアンの前で、隠す気もない溜息が落とされた。
「明日、両家を呼び出したらしいな。
この件は、私とマリア第一王女も同席する」
「な、どうしてマリアなのですか!
あれは王太子の座を虎視眈々と狙う、女狐だというのに!」
「自分の妹に随分な言い草だ。前国王に何を吹き込まれたのやら。
どうやら城内でも噂になっている、『セリーヌ第二王女ばかりを可愛がっている』というのも事実のようだな」
国王が手元に置いていた白い紙を表に返す。
「マリア第一王女は学園時代から爵位を問わず、多くの交流を心掛けていた。
その結果がこれだ。事務官が書類を見ておかしいと思い、わざわざ報告してきたらしい」
目の前にあったのは、確かにアドリアンが用意した届け出用紙だった。
いらぬことを。
書類がおかしいと思うならば、承認しているアドリアンに報告するのが筋だろう。
あの小賢しい女はこうやってアドリアンを追い落とし、自分が立太子しようとしているのだ。
「お前の考えていることは実に読みやすいな。
とにかく、我々が同席するのは決定事項だ。明日の話次第で色々考えることもあるが、先ずは騒ぎを起こした張本人であるお前は謹慎とする。部屋を出ずに大人しくしていろ」
もう言うことはないとばかりに手で払われる。
届け出用紙は近くにいた者に手渡され、封筒へと丁寧に仕舞われた。




