10. アドリアン元王太子殿下の向かう先とは
「なんで最後まで何も知らないままなんだ。
まるで道化のようじゃないか」
アドリアンには不満しかなかった。
たかだか下位貴族相手への不始末じゃないかという、そんな気持ちしかない。
しかも悪妻という話はジュリアンの嘘で、アドリアンは騙されていたのだ。
罪を犯し、処罰を受けるべき相手はジュリアンだけでいいはずなのに。
「なのに何故、私が国の外に出されないといけないのだ!」
アドリアンの怒りに満ちた声は、瞬く間に海風が攫い、すぐに波音だけの世界に戻っていった。
** *
「アドリアン、お前はヴァルテオーサ帝国へと留学してもらう」
暫くの謹慎の後、唐突に父である国王の執務室に呼ばれたかと告げられたのは、広い海洋を隔てた先にある、さして縁も無い帝国への留学だった。
「どういうことですか! 私は部下を憐れに思って手助けしようとしただけで、むしろ被害者といえるでしょう!」
ただでさえ王太子の座をマリアに奪われているというのに、更に処罰を科される理由がわからない。
既に学園は卒業し、成人までした身だ。
必要なことは全て学び終わっているアドリアンが、他国に渡ってまで学びを必要としていない。
ならばと、このような仕打ちをアドリアンにすれば、婚約者の家が黙っていないと脅しを口にすれば、婚約は解消されたと告げられる有様で。
一体何が父をここまでさせるのか。
ベルフォール子爵家かカステルノー男爵家に、発言力のある寄親がいたなんて聞いていない。
いたとしても苦言を呈するのが精々で、やはりアドリアンがここまでの罰を受ける程ではないはず。
納得がいかない。
けれど、決定事項だと告げられた留学が覆ることはなかった。
せめて側近であったルノーやマティアスの同行を願い出たが、彼らに見合った処罰を受けているため同行は不可能だと返される。
そうして再びの謹慎の後、顔も合わせたことも無い伯爵家の四男とやらが仮の従者として宛てがわれ、知らぬ間に留学に詰め込まれた荷と共に送り出されたのだった。
** *
海上の旅路は最悪だ。
元来アドリアンは船の揺れに弱く、酔いやすい。
乗船の日から度々揺れを強く感じる時には気分が優れず、狭い船室で寝込むことになるし、新しい従者は主への気遣いもできない無能である。
役立たずなど鬱陶しいので遠ざけていたら、船旅が始まって四日目には姿を全く見せなくなっていた。
外の空気を吸おうと甲板に出ている今も、主のことを心配して、冷たい水の一杯も持ってくるといった気配りをすることもない。
まあ、声もかけずに黙って抜け出したのはアドリアンだが、あの伯爵令息が無能なのは間違いない。
甲板から見る景色は薄暗く、曇り空が一層アドリアンの不機嫌を増長させる。
と、鳥の鳴き声が近くでして目を向ければ、船べりに一羽止まっていた。
青い羽を持つそれは渡り鳥と言われているが、広い海原を渡る種はなく、陸地伝いに寒暖の差がある地を行き来するというぐらいの知識はある。
アドリアンと目が合うと、また一声鳴いてみせた。
それが無性に苛立たしく、追い払おうとふらつく足取りで近寄るも、小馬鹿にしたように軽いステップで船べりを伝い歩く。
あと少しというところで逃げて、手が届かないのだ。
「鳥のくせに私を馬鹿にしようというのか」
景色を見て気分を慰めようと思っていたのに、もはやアドリアンからそんな気持ちは消え失せていた。
胸に渦巻く感情は、いつしか憂鬱から怒りへと変わっている。
「そうやって私を嘲笑っているのだろう」
脳裏で踊るのは青いドレスだ。
レースとフリルの控え目な、王族としての華やかさも持たないドレス。
可愛い妹だったセリーヌとは違う、反抗的な妹のマリア。
女のくせにアドリアンの王太子の座を狙い、奪い取った、生意気な女。
「成績しか自慢できるものがない格下が、誰に媚を売った?」
船べりにかける手に力がこもり、指先が白くなる。
「父か?宰相か?」
それとも。
「周囲の男共にでも取引を持ち掛けたか?」
一歩。
青い鳥は、マリアは逃げることを止めて、アドリアンを誘うかのように立ち止まっている。
「私を追い落とすために、さして魅力もない体でも利用したのか?」
後、一歩。
そうすれば、その小さな体を握り潰すことができる。
「お前みたいなのを何というか知っているか」
つんのめるようにして体が前へと傾いで、真っ直ぐに伸ばされた腕。
「悪女というんだ!」
叫び声に反応して、青い鳥が船べりから飛び立つ。
それを視界に収めながらも、勢いの付いた体は高さのない船べりから外へと乗り出そうとする。
広がる海に、咄嗟にアドリアンは船べりに手をかけ、上半身が乗り出した状態で止まった。
一瞬の内に息が止まるまでの緊張感と、助かったという安堵からくる溜め息を落とす。
それなのに、ギリギリの縁で留まるアドリアンの背中に、軽やかな衝撃と、そして鳴き声。
驚いたアドリアンの手が船べりから滑り、体は急速に外へと傾いていく。
あ、という呆けた声と共に体が軽くなり、すぐに浮遊感を感じる。
従者の顔が思い浮かんだが、名前を覚えておらず、口から吐き出されるのは呼吸のみ。
アドリアンを見送るのは青い鳥だけ。
すぐに大きな海原に対して小さな体は落ちていき、船のどこかに引っ掛かったのか、そのまま浮かんでくることはなかった。
何も持たない貴方は、物語に花を添えることなく消えておしまい。
物語の短さは泡沫の生でしかない貴方に相応しい。




