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1. 王太子殿下が言うことには

部下から話を聞いていたものの。

朝、エントランスでジュリアンを見送る使用人達の前に、三ヵ月前に結婚式を挙げた妻のクレールが家令と一緒に立っていた。

無駄な装飾の少ない水色のドレスは、朝早くに見ても華やか過ぎたり地味であったりということもなく、程好く爽やかな色合いだ。

だが、これはいけないとジュリアンは眉を顰める。

「ドレスのデザイン自体はよいな。だけど、水色はセリーヌ王女殿下の瞳の色だから、外出しないのであろうと着ないでくれ。

クレールだって不興を買いたくないだろう?」

「私がセリーヌ王女殿下に、お目通りが叶うことがなければ、同様の理由で水色のドレスを購入しない夫人や令嬢はいないと思いますが」

ジュリアンの助言を聞きもせず、感情のトーンが乗らぬままに返事をするクレールに溜息をつく。

「何を言う。セリーヌ王女殿下は間もなく嫁がれるが、それまでは私の暫定的な主でもあるのだから、妻であるお前が配慮できなくてどうするんだ。

そこらの雑多な婦人方を例に挙げて、誤魔化してはいけない」

言いながら、ポケットから懐中時計を出して時間を確認し、「急がねば」と呟く。

「とにかく、今日も帰る時間がわからないから、私を待たなくていい。

夕食はいつものように同僚達と一緒に摂る」

家令から剣を受け取り、いつもと同じ言葉を口早に投げつける。

これで必要なことは済ませた。

そう判断して玄関から出ようとしたジュリアスの背中に、「ジュリアン」と珍しくクレールから言葉がかかった。

急いでいるのに足止めをする煩わしさを隠そうとせず、僅かにだけ振り返ったら、いつもと変わらぬ表情でクレールが言葉を続けた。


「私と王女殿下、どちらが大切でしょうか?」



** *



「──と、言われたそうですよ」

王太子の執務室に備えられた休憩スペースで溜息が落ちる。

ここには学生時代からの付き合いである、気安い側近達しかいない。

彼らとは違う、公務にあたっている文官や法務官といった職務の者達も机を置いている。

けれど、彼らは休憩ともなれば部屋を出て行くし、恐れ多くもといった風で公務の内容に関わらない限りは話しかけてくることはない。

溜息の前の台詞を言ったのは、王太子であるアドリアンの向かいに座るルノー・ヴェルモンだ。侯爵家の嫡男である彼は、王太子である自分の側近として相応しい人物であり、従兄でもあるから幼馴染同然の関係でもある。

「さすが噂の我儘妻だな。

実に物分かりが悪く、常識の欠片もない」

眼鏡を押し上げる仕草で会話を続けるのは、宰相を務める侯爵家の三男であるマティアス・ロッシェだ。

彼もまた幼少期から面識があり、付き合いも長い。

欲を言えば、嫡男や次男でなかったことが不満だが、彼らは第一王女である双子のマリアと婚姻予定だということで、アドリアンの側近からは外れていた。

とはいえ、宰相家は誰もが優秀なので、アドリアンとしては何の問題もない。

「全く困ったものだな」

アドリアンも苦言を吐いてから珈琲を飲み干す。

近くにいた女性文官がお代わりを注いでから、すぐに自分の席に戻っていった。

それを見送りながらも会話は続いていく。


「それで、ジュリアンは?」

「困ったものですと笑っていましたよ。

あんな風だから侮られて、色々言われてしまうのです。

私なら叱りつけますし、家に帰らないでしょう」

アドリアンの問いにルノーが肩をすくめながら返し、マティアスは眉間に皺を寄せる。

「ジュリアンは人がいいからな。

妻も本性を現わして、言いたい放題なんだろう」

実際、ジュリアンから聞く日々の生活の中の態度は、淑女らしからぬものばかりで、誰もが眉を顰めて聞いている。

つい先日には侍女の一人が、「私だったジュリアン様にそんなことを言いません」と顔を赤くしながら言っていたものだ。

それぐらい、勤勉で人当たりのいい人物なのだ。


当の本人はいない中で話は進んでいく。

これも最近では日常の風景のため、執務室にいる誰もが、彼らの口さがない姿を指摘などしない。

「ジュリアンの妻といえば、カステルノー男爵の娘だったか。

知っている者はいるか?」

このセリフも何度目だろうか。

今日執務室に入っている者達からは返事もなく、いつもの僅かに首を横に振る仕草を見せるといったリアクションが戻ってくるだけだ。

「高位貴族の私達が知らないのは仕方ないとして、どうやら社交も不精なようですね」

ルノーが片方の眉だけ器用に下げれば、マティアスが言葉を続ける。

「これでは子爵夫人など、とても無理だろう」

彼らの言葉にアドリアンも頷く。

「しかし、ベルフォール子爵家とカステルノー男爵家の相互利益によって成立した婚姻を、王太子である私の意向だけで離縁をさせるわけにはいかない」

そうしてから、目の前のソファーテーブルに置かれた、一枚の紙を手に取る。

表紙など不要な、届け出用紙が一枚。

と、ちょうどそこに噂の人物がニコニコしながら帰ってきた。


ジュリアン・ベルフォール子爵令息。

彼が会話にあった我儘妻を持つ男であり、優秀な護衛騎士でもある。

顔立ちも良く、好青年としたなりと態度の彼とは、学園時代に知り合った。

側近に騎士が欲しいと同学年を探した時に、年上の生徒相手に怯みなく戦いを挑む彼に感嘆し、騎士ならば爵位が低くても問題無いと思って声をかけたのだ。

学園時代にはどんな無茶をしようとしても彼は止めることなくお供し、時として体を張ってアドリアン達を守ってくれた。

時折、聞き分けの良すぎる犬だと揶揄されることもあったが、彼らにとっては良い意味での忠義の者である。

それゆえ、卒業前に彼を自身の護衛騎士として任命したのは、同学年の間では有名な話だ。

ベルフォール子爵家としては一人息子の為、あまり無理のない職務でいてほしかったようだが、アドリアンが王となれば、ジュリアンには相当の役職と伯爵位が授けられる。

立身出世の良い見本として、彼には活躍してもらう必要があるのだ。


「アドリアン王太子殿下、ただいまセリーヌ王女殿下の下より戻りました」

「ああ、ご苦労。あれは我儘を言って困らせなかったか?」

アドリアンが聞けば、ジュリアンは好青年な笑みのままで首を横に振る。

「我儘などと。王女殿下は天真爛漫で愛されるべき方なのですから、お願いの一つや二つ、苦になどなりません」

「いや、その天真爛漫と呼ばれる気質を発揮して、嫁ぐ前まではお前を貸してほしいと言い出すのだから、本当に困ったものだ」

妹のセリーヌ第二王女は、顔がよい人を前提条件に、何でも言うことを聞いてくれる者を上手に見分ける。

アドリアン然り、そしてジュリアン然りだ。

もう二月程すれば他国へと嫁ぐ。

それまではジュリアンを貸してほしいと言われ、仕方なく週に三日ほど彼をセリーヌの下へと向かわせている。

「これよりアドリアン殿下の護衛にあたらせて頂きます」

「すまないな」

セリーヌを護衛するのは通常勤務時間、つまりは普通の騎士の勤務時間と同じだけ拘束されることになる。

そこから短時間ながらも王太子の護衛にあたるのだ。

騎士として体力があるからこその話である。


王城に働く者達の労働条件は、ここ数年で大幅に改善されている。

過去には半日働く上に、月に一度の休みしかないといった待遇から変わり、10時間の勤務時間に週一度の休みが与えられている。

これは王城で働く者達全員の権利だ。

その対象は騎士であるジュリアンもだが、短期間だから仕方ないと目を瞑ってもらっている。

勿論、週に一度の休みは守っているし、給与に特別な手当ても付けている。

そもそも一介の騎士と王女に何かあろうはずもない。

これだけ配慮しているのに、ジュリアンの妻とやらは下位貴族の分際で、王女と自身を秤にかける言動はいかがなものだろうか。

「ルノーから聞いたぞ、またお前の妻が弁えない言葉を言ったらしいな」

「アドリアン殿下のお耳に入れる程ではないことを、失礼致しました」

付き合いは長いけれど、騎士としての節度を守る模範的なジュリアンは、何度言っても敬語から気楽な言葉遣いに代わることはない。

「早くも悪妻だと噂が出回っている。

今ならあちらの有責で離縁だってできるだろう」

マティアスの言葉に困ったように笑みが変わるのみ。

「そう言われましても。まだ結婚して三ヵ月しか経っておらず、それにカステルノー男爵家とは家族ぐるみの付き合いですから。

クレールにも良いところはあるのです」

具体的な例を出さないところでお察しだ。


「とはいえ、私に仕えるお前の評判を落とすのは良ろしくない」

ジュリアンの持つ届け出用紙、そこには貴族籍離縁届と書かれている。

そこに承認者の名前としてアドリアンの名前を書き足し、肌身離さず所持している王太子印を押下する。

「少しぐらいは立場をわからせた方がいいだろう。

これを持ち帰り、夫を立てないのならば離縁だと言ってやればいい」

受け取ったジュリアンが届け出用紙を真顔で見下ろす。

あまりの真剣さに本気にされないよう、ルノーが朗らかに伝える。

「ジュリアンの奥さんも貴族令嬢なのだから、有責で離縁された後の辛さをよく知っているでしょう。

きっと反省して、円満な関係になりますよ。

それでも駄目ならアドリアン殿下が良縁を探してくれるでしょうから」

「承知致しました」

少しして顔を上げたジュリアンは元の笑顔に戻っていた。


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― 新着の感想 ―
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