第三十章 魔女の嘆きと女神の愛
弾き飛ばされた魔女は、ゆらりと立ち上がった。
「小賢しい……」
「小賢しいって私のことですか? お似合いの悪役っぽいセリフですけど。失礼ですね。私、ずる賢くなんてないですよ」
女神様が眉をひそめて返すと、国語が苦手な絵衣子はきょとんとしたまま「小賢しいって、どういう意味?」とつぶやいた。
「絵衣子さん、私の後ろへ」
「う、うん」
絵衣子は慌てて女神の後ろへと身を隠し、女神は絵衣子を守るように翼を広げた。
その出で立ちは、やはり戦装束だ。腰に帯びた聖剣の柄に手を掛けて、油断なく魔女の動きを瞳で追う。
「ゆるちゃん、心配したんだから!」
「ごめんなさい、絵衣子さん」
女神様は「えへへ」と小さく舌を出した。
「こうなるのは分かっていたんです。でも、どうしても絵衣子さんを巻き込んでしまうから……。私は貴女がいないと現界に顕現できませんからね。でも私が迷ったせいで、絵衣子さんを危険な目にあわせてしまいました」
「ゆるちゃん……」
「ほんとうに、ごめんなさい」
綺麗な瞳を伏せた女神様が、人である絵衣子に詫びている。
その光景を見た魔女は、ほんの、ほんの少しだけ羨ましそうな顔をした。
しかし、すぐにそれをかき消すように顔を歪めると、腕を大きく振り上げて叫んだ。
「ふ、ふん、そんな馴れ合いを見せるな!」
魔女の足元から黒い靄が広がる。それは見る間に床を這い、空間を歪ませ、G材倉庫事務所そのものを異空間のように変貌させていく。
女神様は絵衣子を背に庇い、魔女と真っ向から対峙する。
「あなたが歩いてきた孤独は確かに本物。でも、それを世界にぶつけていい理由にはなりません」
「綺麗事を言って……。あなたに、私のなにがわかるの!」
「わかりません。でも、あなたが誰かに優しくされたかった気持ちは、きっと、私たちにもあります」
女神の言葉に、絵衣子がそっと小さく頷く。
それでも魔女の怒りは収まらない。歪んだ魔法陣が激しく脈動し、再び空気が張り詰めた。
「もういい。私ひとりでだって、この世界を描き変えてやるんだから!」
魔女が叫んだ瞬間、現界が断末魔の悲鳴を上げた――。
大地が鳴動し、立っていられないほどの地震がG材倉庫事務所を襲う。
――現界はもう、穏やかな姿をみせてはくれないのだろうか。
清々しい青空やここら安らぐ木陰、魂を揺さぶられる広大な海、緑芽吹く雄大な山々……。
そんな美しい現界の宝が、次々と失われていく。
そして、G材倉庫の壁も天井も、忌まわしい二階の『追い出し部屋』さえも消し飛んだ。
「ゆ、ゆ、ゆるちゃん、これってまずいよ!」
「分かってます。絵衣子さん、私に力を貸してください」
「分かった、オーケー! いよいよ合体ね!」
女神の言葉に、絵衣子は待ってましたとばかりに、ぴん!と、サムズアップで応える。
肝っ玉だね絵衣子さん。
「あはは、お前の剣では私を斬れない。私の理想郷、その礎となってもらうから!」
魔女が空中に無数の魔法陣を描き出す。その魔法陣の中心から、鋭い鉤爪を持つ節くれだったいくつもの黒い腕が飛び出した。
「ゆるちゃん!」
絵衣子が悲鳴をあげ、女神が聖剣を鞘から抜き放った瞬間だった。
「だから、させませんってば」
黒い魔手が荒れ狂う異変の最中、鈴の音と共に涼やかな声が響いた。
絵衣子と女神を引き裂こうとした、鋭い鉤爪を持つ無数の黒い腕は、あっさりと打ち据えられた。
黒い魔手は塵となって消えゆく。
そして怪しく輝く魔法陣を避けて、とんっ!と、軽やかに降り立ったのは。
「は、初瀬野さん!?」
「ぴゃあ! 菩薩様!」
「遅くなりましたね。私の勤務は九時からなので、てへへ」
着物姿にたすき掛け。額に鉢金をきりりと締めて、釘バットを担いだ菩薩様が二人に向かって片目を瞑った。「それなら私だって九時からです」という、絵衣子の言葉は魔女の叫び声にかき消された。ごめんなさい。
「さぁさぁ二人とも、はやく仲良くしてね。これからトラックが来るからね、荷物の受け入れがあるの」
菩薩様は、釘バットを握りしめて魔女と対峙する。
「さぁて、ひと勝負おっぱじめますか? 私の自慢の釘バット、当たればただではすみませんよ?」
「あなたまで邪魔をするのか。この苦しみが、この憤りがどうして分かってもらえないの!」
「もう。それじゃただの駄々っ子ですよ、お姫様。冷静に考えれば、誰もあなたを否定してないってわかるはずです」
「この……言わせておけば!」
憎々し気にうめく魔女を、釘バットでオラオラと牽制する菩薩様の姿は、なんとも笑いを誘う。
「絵衣子さん」
「ゆるちゃん!」
しっかりと両手を繋いだ女神様と絵衣子が額を合わせる。互いの存在を認め合い求め合う、優しい絆がここに確かにあるのだ。
女神の翼が大きく広がり絵衣子を柔らかく包んでいく……。天界でも、こんなリンクを実現させられるパートナーを持つ女神の存在は稀だ。
光を放ち始めた翼は、女神様と絵衣子の姿をその懐に抱いた。
「セレニティ・リンク開始。魂のきらめきをひとつに──リンク・コンプリート!──ユナイテッド・エリシア、ここに顕現しますっ!」
混乱の中で生まれた清い光の中から、崇高なる女神『ユナイテッド・エリシア』がその姿を現した――。
ゆるちゃんの可愛らしさではなく、どこまでも清らかで美しい女神の姿。
「わぁお!」
菩薩様も、そのありがたさに目をぱちくりとさせたんだよ。
「菩薩様!」
「はい。ゆるちゃん、絵衣子さん。じゃなかった、エリシア様。どうしたの?」
次々と襲い来る黒い魔手の攻撃を、ひょいひょいと軽やかに躱しては、釘バットでのカウンター攻撃を繰り返していた菩薩様は、釘バットを握る手首をくるりと翻した。
「セレスティアル・エクリアを使います!」
「おっとぉ……。マジすか?」
「はい、もう他に方法がありません」
『もう何でもいいよ。ゆるちゃん、やっちゃえ!』
イケイケ絵衣子の声に、菩薩様は再び目をぱちくり。
「セレスティアル・エクリア……天の閃光が、歪んだ理を浄化します! 菩薩様、あとをお願いしますっ!」
菩薩様のご尊顔を掠めた鋭い魔手の一撃が、釘バットを半分ほどへし折る。惜しげもなく釘バットを放り出した菩薩様は、後方へ飛び退りながら両手で印を結ぶ。
「分かっています、ゆるちゃん。セレスティアル・エクリアが放つ浄化の光。その余波は、私のカルマ・ストライクが引き受けましょう」
「ありがとう、菩薩様」
長い金髪をなびかせる女神エリシアは、しなやかに手を広げた。
届くことはなくても、慈愛あふれる表情の女神は、魔女に救いの手を差し伸べるというのか。
柔らかな唇がわずかに開き、力ある言葉を紡ぐために女神は胸を膨らませ息を吸い込んだ――。
「光のはざまにて眠りし理よ――。慈悲と戒律の天秤は、今、我が掌に宿る罪を穿ち、穢れを祓え。セレスティアル・エクリア! 天よ、雷霆となりて我に応えよ!」
あふれる光、光、光――。
「こんなの認めない、こんなの信じられない!」
魔女の嘆きは世界を変貌させようと暴れまわり、女神の愛はその負の感情を癒そうとする。
凛とした女神の祈りが天界に届き、膨大なエネルギーを秘めた純白の光が弾ける。そう、女神の力は滅ぼすためのものではない、すべてを浄化するための優しい力だ。
ここまでお付き合いくださった皆さま、本当にありがとうございます。
ついに物語は大きな節目を迎えました。
魔女の絶望と憤りは、決して『悪』として単純に切り捨てられるものではなく、
その内側にある想いに、女神と絵衣子がどう向き合うか──それがこの章の核心でした。
この章を書きながら、
誰しもが「強くなりたい」と願う一方で、
その強さのかたちは人によって全然違うんだと、改めて思いました。
女神の祈りも、絵衣子のまっすぐな信頼も菩薩様の釘バットも──
それぞれが違うかたちで「誰かを守りたい」「理解したい」と願う力です。
この物語の登場人物たちは、戦いながらも優しさを手放しません。
それはたぶん、この物語を書いている自分自身が、
「そうあってほしい」「そうでありたい」と、切に願っているからだと思います。
次回、いよいよ終幕が近づいてきます。
それでは、また次の章でお会いしましょう。
次章「優しい世界はきっとそこにある」
心からの感謝と、少しのどきどきとともに。




