第二十六章 負け惜しみの遁走曲(フーガ)
ああ、『断捨離』。断つ、捨てる、離れる。なんともスッキリシャッキリしそうな言葉じゃないか。
ああ、『断捨離』素敵なるかなその思想。
『僕も考えさせてもらいます』に対する、僕なりの答えだ。
もうストレスを溜めることなんてない。僕は人間関係の断捨離、人間関係の整理を始めたんだ。
いらない関係、負担になる関係は手から離して、すいすいーと彼方へと流してしまうんだ。
でもね、僕も馬鹿じゃない。
仕事の話はするよ、同じ事務所で仕事をするんだからね。
そうでなきゃ、それこそハラスメント行為ってものでしょ?
でもそれだけ。仕事の話しかしないよ、世間話も雑談もしない。なぜなら相手に興味がないから。
恋愛話じゃないけど同じことだよ。『好き』の反対は『嫌い』じゃない、『無関心』だって聞いたことがある。まったくそのとおりだね――。
さてとりあえず。今、僕の隣の席は女神様なんだ。
すーぱーゆるふわ神業お仕事系女神様って長いお名前。絵衣子さんと融合していないときは、ゆるちゃん。
ここしばらくは、絵衣子さんと融合した女神様がお仕事してるんだけど。
背中に白い翼を持った女神様が「ぴゃ!」とか「きゅ?」とか言いながら、パソコンに向かっている姿はなんとも不思議な光景だね。
でも僕以外の人間には、絵衣子さんが仕事をしているようにしか見えないらしい。
僕は天界で女神様と話をした。……あれは夢じゃないと思ってるけど。よくわからない。
そうだよ。
自分に妙な能力があるなんて、信じちゃいない。
そんなことができるなら、もうとっくに自分の都合の良い世界に書き換えているからさ。
つらかったり、苦しかったり、涙を流すような想いをしたくないよね、誰だって。
だけど、ヒロユキが化け物に見えたあの一瞬を、僕は今でも忘れられない。
……で件の老害。奥の席で魔物になり損ねたヒロユキが、クソ重たい体で椅子を軋ませながらふんぞり返っている。
時折、何やら言ってるみたいだけど。
僕の知らない言語なのかな? 翻訳機が欲しいなぁ。
僕はもう超がつくほど生返事。キーボードを打ちながら時折「へー」「はー」「ほー」の、はひふへふー。
それから、ハツオにも同じ態度で接してるけど、こっちは空気を読む能力が備わってないらしい。僕の態度に何も感じないようだ。
そんな日々の中、やはり詰め込まれる業務に忙殺されていると。ヒロユキが何やら不穏な気を出し始めた。
……そして、ついに。
「第一倉庫にいく、自分はあの倉庫で仕事が出来るんで」
そうい言い出した。
ほう。
何があっても止めやしないけど。ほんとに自由だね、それが許されるのん?
そしてまた、僕に聞えよがしなんだろうけど、女神様に言っていたんだ。
「ハツオも、ここから抜くかもしれん」
ほう。
お前にその権限があるの?ほんとに勘違い野郎だね。それも許されるのん?
たぶん、自分達が居なくなると、僕が困って慌てると踏んだんだろうけどね。
僕だって、いつまでも新人じゃないよ。もとより知識の下地はあるつもりだし。これまでの人脈もあるし。
僕が残業すれば何とかなるよ。僕の残業時間が嵩むのがまずいなら、会社が考えるさ。
そう言えば、二階の『追い出し部屋』からパソコンデスクを持って降りた時に、ヒロユキの私物入りの段ボールを引きずり出したんだっけ、邪魔になったから。ひとまとめにして置いといた。
有言実行は美徳だね。ごそごそとその私物を片付け始めた。
傷んでぶよぶよの段ボール箱に、ぎちぎちに荷物を詰め込むものだから、箱の底が抜けそうになって、よたよたと歩いている。
荷物がまとまると、オンボロ社用車に荷物を積んで運び始めた。刻々と時間も過ぎて、困惑気味の絵衣子さん(女神様)も退社時間となり……。
まぁそれでも何か言わないといけないかなぁと、思ったんだ。
「今日までにされるんですか?」
……今考えれば余計なお世話だったよ、何も言わなくても良かったかもね。
「ああ、そうしまっせ!」
やけに威勢がいいなぁ。なんて思っていたら。
倉庫事務所の引き戸を占めながら。
「ぜったいにゆるちゃんけんなー」(絶対に許さないからな)って言ったんだよ。歳を考えなさいよ、イタチの最後っ屁か。
久しぶりだけど。これはパワハラの具体例、人格否定、暴言にあたる。
普通に考えて、職場でこんな言葉を使う場面なんか、まず存在しないよね。
ぽかんとしていた僕は、我に返ると業務用スマホを手に取った。ぽちぽちと画面をタップする。その連絡先は……。
『お疲れ、どうかしたの?』
やっぱり軽妙なコハラ神官の声にホッとする。状況をかいつまんで説明すると、電話の向こうからコハラ神官の乾いた笑いが聞こえてきた。
『あはは、もう子供みたいだね。ええとね、日付と時間と言われたことメモしておいてね。もし何かしてきたらすぐに連絡ちょうだい、僕がすぐ来るから。心配ないよ、罪状が増えるだけだからねー』
「分かりました、ありがとうございます」と、電話を終える。
事務所に妙な感じの空気を残して、老害ヒロユキは遁走した。
コハラ神官、メイスを担いで駆け付けてくれるのかしら?
この章は、長く張りつめていた空気がようやくひとつ抜けるような、そんな解放の場面でもありました。
ヒロユキという存在が象徴していたのは、理不尽・抑圧・自己正当化――そんな負の感情の塊でした。
このデカブツを動かすのは容易ではなかったでしょうから、奇跡のような出来事です。
コハラ神官の軽妙さと頼もしさに助けられました。
本当に「心強い味方がいる」と感じられるって、大切なことです。
物語はクライマックスへと向かい始めました。
それでは、また次回の更新で。
ありがとうございました。




