第二十五章 対決! 女神様の導き
鳩が豆鉄砲を食ったような顔。
僕はこれまで生きてきて、そんな表現にぴったりの顔を初めて見たよ。
ヒロユキとハツオの戸惑い顔に、僕はしてやったりという気分になった。
そうだよね。事務所から追い出したヤツが、自分達の知らないうちに何食わぬ顔で戻ってきてるんだから。
それにしても、綱渡りのような作戦だった。タイミングが少しでもズレていたら成立しなかった。
神様ってほんとうにいるんだね。ええと、うん。女神様と一緒に働いてるけどね。
ヒロユキとハツオは、年末に自分たちがやらかした件で上司から注意を受けたみたいだった。
そして僕と老害コンビ、反目し合う者同士が同じG材倉庫事務所内で仕事をする。
……そんなひりついた空気の中で、仕事をする日々が続いていたんだけど。
☆★☆
僕とヒロユキは、使っている更衣室が別なんだ。
でも偶然、工場のメインストリートで鉢合わせた。それはさながら西部劇の決闘シーンみたいだ。
なんでだろうね、知らん顔していればいいのに。その時、なんとなく言わなきゃいけない気がして。
僕は息を大きく吸った。
「あの……」
僕に話しかけられるなんて思わなかったのだろう。げじげじ眉毛をひくつかせたヒロユキは、怪訝な顔で僕を見た。
「『ぶちょうに言っとく』とか、気になって仕事に差し障るんです。やめてもらえないですか?」
喉の奥に詰まった言葉の塊は、掠れながらでも何とか口から出てくれた。
でも……。「ふふん」ヒロユキは大きな鼻の穴を膨らませて、勝ち誇ったように僕を睨めつけた。
「長く同じ場所で仕事をして、慣れてるからさぞかし楽だろう。俺はお前を評価しないからな」
(はぁ? 何を言ってるんだ。醜悪な魔物面して、虎の威を借る図体だけでかい矮小な悪鬼のくせに。それにお前に評価されなくたって、痛くもかゆくもない)
僕はありったけの憎しみ込めて、目の前のでっぷりと肥えたヒロユキをにらんだ。
……あれ? なんだか様子がおかしい。
次第にヒロユキの輪郭がぼやけていく、僕は自分の目を疑った。
ヒロユキの背中が丸まって、肌はどんどん爛れて目は落ちくぼみ、口は大きく横に裂けていく。
瘴気を放つ口から、だらだらとよだれを垂らす姿は完全な魔物だ。
だけど、僕はそのヒロユキが堕ちていく様子が楽しくてたまらない。
こんなふうに醜く変貌するヒロユキを見下ろす自分の心が、どこか……ぞっとするほど心地よく感じてしまった。
変わり果てて、もうとても人には見えないヒロユキを指さして、高らかな笑い声をあげようとしたその時だった。
『もう、やめましょ』
その声と共に突然、僕の意識は暗転したーー。
「あれ?」
「大丈夫ですか? いきなり連れてきてしまったから」
鈴の音のような声が耳朶にそっと触れる、僕は目を瞬かせた。
「ここは?」
「ふふ、天界です」
「女神様、なんで……」
体を起した僕は、きょろきょろと辺りを見回す。
ここは天界なんだと、息をのんだ。とても不思議な空間だ。暖色から寒色へと虹色が刻々と色を変える空。
そしてなんと、僕が座っているのはふわふわの雲の上だ。
僕の隣で羽を畳んで膝を抱えて座っているのは、ゆるちゃんではない……女神様だ。
ああ、ついに天界にまで来ちゃった。なんかとんでもないことになってるな、僕。
「もう、危ないところだったんですよ」
「危ないですって? どうして止めるんですか? 僕は正義だ、ハラスメント行為を平然と行う、ヒロユキのほんとうの姿を暴いただけじゃないですか」
愉悦の瞬間に水を差されたようで、どうしても語気が強くなってしまう。
「気づいてますか? あなた、酷い顔をしているんですよ」
「僕が、僕の顔が?」
女神様はそっと目を伏せ、それから悲しげに小さく頷いた。
魔物へ変貌していくヒロユキの姿を見て、高揚していた僕は頭から冷水を浴びせられたような気がした。
女神様に対する反発心がムクリと頭をもたげてくる。
「あのような魔物を生み出すことが、あなたの本意ではないでしょう」
魔物を生み出すって、いや元から魔物みたいな奴だよ、見てわからないの?
女神様の答えに、僕は――揺れた。
僕の「正義」と誰かの「正義」は、似ていても同じ形ではない。それは分かっている。理解しているさ。
だからって、魔物は魔物、悪しき存在だろう? 許せない存在じゃないの?
「それでも女神様ですか」
僕の心にに芽生えたのはなんだろう。諦めに落胆、肯定されなかったやるせなさだ。僕は否定されたんだ。
女神様の優しく悲し気な瞳で見つめられるのに堪えきれずに肩を落とす。
「気付いていますか?」
「気付く? 何をですか」
柔らかな気遣いが滲む言葉なんだけど。それが受け入れられずに、投げやりな言葉を吐き出した。
「あなたの力です」
「僕の、なんですって?」
そして、女神様は信じられないことを口にしたんだ。
「あなたは、その想像力を具現化できるんです」
「は?」
僕の頭の中で何かが弾けた気がした。……想像力? 具現化? まさか。
でも女神様の表情は真剣だ。
「あなたは、そんな能力を持っているんです。あなたの力が発現したとき。あなたの創造した世界と現実の世界が反転します」
「ば、馬鹿なことを言わないでください。僕はなんの力もない凡人だ、そんなの信じられるわけがない」
「今しがた目にした光景を思い起こしてもですか」
本物の魔物へと変貌したヒロユキの姿を思い出し、僕は鋭く息をのんだ。あの化け物じみた姿は、僕の怒りが形になったものだったのか。
「あなたは、私と絵衣子さんをちゃんと見分けられるでしょう?」
「もちろんですよ。女神様は女神様、絵衣子さんは絵衣子さんじゃないですか」
「普通の人は、私になんて気付かないんですよ。でも、あなたは違う」
女神様は腰に帯びた聖剣の柄に軽く触れた。
「私は女神です、その役目はお分かりになりますよね」
「……人を、導く存在」
「そう。そして人の願いを叶える存在でもあります」
女神様は穏やかな声で続ける。
「けれど。あなたの願いが、あなたの力が誰かを裁くことに向けば、私もそれを看過することはできないでしょう」
「あなたが僕を斬るとでも? でも、僕は――僕はあいつに、ヒロユキに散々なことをされてきたんです!」
怒りが胸を突き上げる。
けれどその怒りが、どこか空っぽなものに感じた。
聖剣を翼で隠した女神様は、そっと手を僕の胸に当てる。
「でも、あなたはもう立ち上がったじゃないですか。地獄のような追い出し部屋から自分の意志で戻ったのです。あなたは、もう負けていないのです」
そうだ、僕は僕の意志でG材倉庫に戻った。やりがいを感じる、あの仕事が好きなんだ。
僕の目に、じんわりと熱いものが滲んでくる。
「……じゃあ、僕は……」
「あなたは、あなたの道を進めばいい。あなたはこれからも誰かを支え、助けることが出来るんです」
女神様の優しい微笑みに癒される。
そのあたたかなまなざしに、僕は嗚咽をこらえるのに精いっぱいだったーー。
気がつくと、目の前には僕を見下すヒロユキの姿があった。
これでもかと罵声を浴びせ、地面に這いつくばらせてやりたい。でも女神様の言葉が、頭の中でぐるぐると渦巻いている。僕はそんな衝動を全力でねじ伏せた。
『お前を評価しないーー』そんな罵倒も、もうどうでもいい。
「分かりました。では、僕も考えさせてもらいます」
静かにそう言いおいて、僕は踵を返したんだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第二十五章「対決! 女神様の導き」は、主人公にとっても、物語全体にとってもひとつの大きな節目となるエピソードです。
この章を書きながら、私自身もたくさんの感情と向き合いました。
怒り、悲しみ、やるせなさ、そしてほんの少しの希望。
現実の世界でも、誰かに理不尽に傷つけられた経験を持つ方は少なくないと思います。
「僕」というキャラクターは、そんな中で必死に立ち上がろうとしている人の象徴です。
正義とは何か。力とは何のためにあるのか。
そして、傷つけることではなく、照らすために“力”を使うという選択肢。
それがこの章を通して、読者の皆さんの心に何かしら届いていたら、これ以上うれしいことはありません。
これから先の物語でも、「僕」はまだ迷いながらも進んでいきます。
完璧じゃなくていい。ただ少しずつ前へ。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
次章も、またお付き合いいただけたら嬉しいです。




