第十八章 転機の前触れ
慣れない仕事に緊張していれば、物思いなどしている暇など全然ない。だから僕のひび割れた心は、これ以上壊れずにすんでいるのかもしれない。
仕事を教えてもらうのに、先輩後輩がどうだ、歳が上だ下だなんて関係ない。教えてもらうんだ、真摯に受けとめるんだ、そして必ず自分のモノにするんだ。
どんな仕事でも僕はそんな気持ちで向き合っている。知らない方が、できない方が恥ずかしいから。
コンピュータ制御の自動棚を操作する、目的の部品を選び出し、伝票通りの数を揃える。そして残りの数を必ず確認しておく、ここが大事なところなんだ。送り状に配達場所をはじめ、必要事項をマジックで丁寧に書き入れる。
「よし、出来た……」
間違えないように何度も確認した。準備が出来た荷物を現場へ運ぶ、段ボールを担いだ僕は歩き出した。
現場までの配達は、そのあとの係の役目なのだけれど、近くなら自分で持って行くように教育されているからだ。
吹き付ける風が強くてとても冷たい。そういえばもう年末なんだ。そんなことどうでもいいほど、僕の神経はすり減っていたんだ。
工場の荒れたアスファルトを、くたびれた安全靴で踏みしめるように歩く。
驚いたことに以前よりも不安が少ない。
それはなぜだろうと、ふと考えた。
僕はG材倉庫で当初は配達担当だった。そして僕はその後も、足しげく現場を訪ねることを心掛けていた。
現場の場所、人の配置、誰がどの現場にいるのかをほぼ記憶している。ヒロユキに貶されても、ハツオに否定されても、老害二匹に馬鹿にされたって、僕は確かに成長していると実感した。
☆★☆
「お〜Gちゃん、いいところで会ったよ!」
びびくうっ! もうこれ条件反射だよ。
徹さん課長から視線が泳がないようにと気を遣う、気温が低いのに、たらりと頬を汗が伝ったよ。
「お、お~疲れ様です」自然と背筋が伸びる僕。
「おう、お疲れ。なぁGちゃん、ひとつ頼まれてくれよ」
「どうしたんですか?」
「ん〜実は修理を頼みたい工具があるんだ。ちょっと待っててくれ」
そう言った徹さん課長は、工場の奥に引っ込んだ。
がたがたという台車の音が薄暗い通路に響く。そして徹さん課長は台車に載せられ、うずたかくホコリが積もった塗装工具を引っ張り出してきた。
「ええっと、これは……」
台車に載せられたそのエア工具がまとうどよんとした雰囲気。徹さん課長が、台車を動かすたびに盛大にほこりが舞う。
これはひどい、げほげほ。
ひとめでわかる、これって直るのかしら?
……それよりも。
「申し訳ありません。自分はもうG材倉庫の担当ではありませんので、ご依頼をお受けしかねます」
僕の答えに、口をへの字にした徹さん課長は天パ頭をかりかりと掻いた。
「それじゃ困るんだよ。こんな古いの、メーカーやら購入先やら探さなきゃならないだろ? あの魔女には絶対に無理なんだ、頼むよ」
そう言われても僕はもうG材倉庫担当ではない。それに、この工具には悪いけど修理可能だと思えない。
「課長……。これ、どのくらい使っていなかったんですか?」
僕がうろんな目で聞くと。徹さん課長は得意げに、にやりと笑った。
「ん? 分からんよ」
「え?」きょとんとしてしまう僕。
「大事なのはコイツじゃないからなぁ」
徹さん課長が何を言っているのかわからない。
「ああこっちの話、気にしなくていいんだよ。ま、よ~く聞けよ。こんなチャンスはもう巡ってこないぞ。正月休みに入るタイミングは、人によってそれぞれだからなぁ」
「あの、徹さん課長?」
「お、電話だ電話。何でもないよ、仕事仕事。じゃ、Gちゃん頼んだよ〜」
僕の問いかけに答えず、背を向けて足早に歩き始めた徹さん課長だったが、ふいに足を止めて振り返った。
「あ、Gちゃん」
「はい?」
「逃げるなよ、絶対にだ」
その口調は静かで、でもとても力強くて。
ひどく真面目な顔をした徹さん課長の言葉が、僕の心を掴んで離さなかったんだ。
慣れない仕事に緊張して、ただ目の前のことに向き合うだけで精一杯。
けれどそんな時間こそが、壊れかけた心をそっと守ってくれる。
静かな再出発の中で、ひとつずつ積み重ねた日常の手応えが、
少しずつ主人公を変えていきます。
そして――静かに置かれた「引き金」。
それが、どんな音を立てて物語を動かしはじめるのか。
徹さん課長の真意、Gちゃんの選択、
そして“転機”の意味とは?
次回、第十九章「嵐!ゆるふわ女神様の怒」です。
また、ページの向こうでお会いできますように。




