『第一章:あなたのこころ。』⑧
「まず最初に断っとくけど、郁海にも誰にも口外する気ないから。そこは安心して」
「……ありがとう、ございま、す」
「演劇やる連中なんてエキセントリックなのが多くて、男同士女同士なんて話の種にもなんないから悩む必要ないんじゃない? いや、悩んでんのか知らんけど、もしそうならね」
「え、っと。別に悩んではないっす。他の人がどうとかは全然知りませんけど、『俺が』副島さんが好きなんで」
どうやら性指向についてなのでは、と気遣ってくれたらしい彼女に無関係だと否定する。事実だ。
「ほー。君、なかなか男前だね」
茶化す色などまるでなく、雅が感心したように告げる。
「郁海のことについてはあたしがあれこれ言うことじゃないけどさ、少なくとも祠堂さんとだけはないね。君、あの人が女途切れないの知らないの?」
「いえ、副島さんが話してましたから知ってます。祠堂さんがどうのじゃなくて、副島さんが祠堂さんを好きなら、その──」
「それはない」
食い気味に言葉を被せる彼女。
「詳しくは言えないけど、それだけはないの。郁海は祠堂さん大好きだけど、あくまでも『脚本家・演出家』として、だから。一か月分の夕飯賭けてもいい」
寮生活を送る彼女にとって、「一か月分の夕飯」が到底気軽なものではないのは一人暮らしで食事に苦労している祥真にはよくわかる。
それだけ本気だ、という意思表示だ。
「……いえ、信じます」
雅はこれ以上何を訊いても決して答えはしないだろう。
それでも、なんとなく彼女は「郁海の好きな相手」を知っているのではないか、という気がした。
根拠を訊かれても『勘』としか言えないのだが。そして祥真自身、己の勘など特に信じていない。
一つだけ確かなのは、郁海のことも含め雅には一生頭が上がらないということだった。
祥真の恋心は止まることなどなかったが、郁海とリュウの間にそういう感情はまったくない、ということは祥真にも徐々にわかってきた。
雅が話していた通り、リュウには学部時代からほぼ途切れずに交際している『彼女』がいたらしい。
そのことについて平然と話す郁海に、二人の関係は本当に『演劇・脚本』に関すること限定なのだ、と改めて納得もした。
「いい人と付き合ってると、祠堂さんも安定するからこっちも安心なんだよな。まあ今の相手はちょっとなぁ、……とか思ったって、他人の恋愛に口出す気なんてないけどさ」
困った先輩が本当に珍しく穏やかな生活を送り、脚本もそれなりに進んでいるようだ、と郁海が喜んでいたのが印象深い。
彼にとってリュウは恋愛や性愛の対象ではないのだ、とようやく合点がいった。
郁海が担っているマネジャー的役割をなぜその恋人に頼まないのかも不思議だったのだ。
脚本の内容などはともかく、すべきことの優先順位を意識させる。せめて後先考えない逃亡をさせない程度には。
雅に訊いてみたところ、「そこに関わらせないから、なんとかうまく行ってんじゃないの? 祠堂さんと付き合える人のことなんて、あたしには理解不能だけど」と返って来た。
彼女いわく、「ただでさえ手の掛かる男なのに、恋人役に加えてお母さん役ってふざけんなって話だよ」だそうだ。
「『逃げなくていいように、ちゃんと計画立ててその通りやりましょう』ってさ、『リュウちゃん、忘れ物ない? ハンカチは持った?』と同レベルじゃん」
歯に衣着せぬ雅の物言いに、祥真も反論はできなかった。
「ま、『創作』は機械的な作業とは違うから。言われたってできるとは限らないし、難しいんだよね。……だから結局、創作仲間の郁海が一番適任なのかもしれない、今は」
郁海がいなくなったらリュウはどうするのだろう、と他人事ながら少し気になってしまう。
同時に、「途切れないってのはつまり、続かないんだってわかってる?」と確認され、祥真はそのことにもようやく気付いたくらいだった。
百八十を超える長身で、「男らしい」というには多少繊細そうではあるが相当なイケメン。
世間一般的に学力が高いとされているこの大学で、リュウは頭の良さでも有名だったという。入試で主席だったため入学式で表彰された、という伝説は聞いていた。
学年が離れ過ぎているので真偽は定かではないが、おそらく事実なのだろう。
次々彼女ができることは何ら不思議ではないが、最初は続かない理由がわからなかった。
能力に溢れ、見た目も非常にいい彼。
女性にとっては、むしろ決して手放したくない超のつく優良物件なのでは? と。
──『脚本・演出家』としてではないリュウ個人について、改めて考えてみるまでの話でしかなかったが。
「郁海ぃ、お前だけは僕のこと見捨てないでよぉ!」
「俺はあなたの書く脚本と、演出する芝居が好きなんです。だから『書く』以上はあなたが好きですし見捨てませんよ、絶対に」
「ほ、ほんと、に……?」
「ええ。──だから書いてください」
リュウの必死さに比べ、郁海の対応は軽く受け流しているかのように見えた。
本心からの言葉には違いなくとも、いい加減飽きるほど繰り返されたやり取りなのだろうと察せられる。
「うん、書く! 書くから、……見ててくれる、よね?」
「ここで見てます。あなたが嫌がってもずっと見てますよ」
「郁海ぃぃぃ! やっぱり僕にはお前だけ……」
「──いいから早く書け! 口より手ぇ動かせ!」
たまたま訪れた部室で、リュウが郁海に文字通り縋りついている場面を見てしまったときは祥真の方が居た堪れなくて消失したい気分になった。
そしてなぜ、普段は人がたむろしている狭い部室がほぼ無人だったのかの理由もわかってしまった。
いったい何の罪科で、『好きな人』が他の男に「あなたが好きだ」と告げているシーンを見せつけられなければならないのか。たとえ恋愛感情から来るものではないにしても、だ。
郁海ではなく、大先輩の方に「そういうことは家でやってくれ!」と口に出せる筈もない悪態を心の中で吐いたものだった。