『第一章:あなたのこころ。』⑦
「原田。君しばらく飲み会禁止ね。だって酒ほとんど飲んでないのにアレでしょ? だからそーいう場全部禁止!」
「わかりました! あの、見城さん、ここ……」
翌朝まったく見覚えもない和室に敷かれた布団で目覚めた祥真に、入り口で腕組みしながら立つ雅が重々しく言い渡して来た。
状況はわからないなりに、彼女に迷惑を掛けたことだけは間違いなさそうだ。
「あら、起きたのね。大丈夫だった?」
「あ、久木さん。はい、平気そうです。本当にいきなりすみませんでした!」
「いいのよ。……見城さんも色々大変よねぇ」
雅の後ろから見知らぬ中年女性が顔を出し、先輩が懸命に謝っている。
久木というらしい女性の説明によると、ここは雅の暮らす女子寮の一室らしい。
彼女は住み込みの寮母なのだとか。
大学の女子寮ということもあり、親兄弟でさえも男性は基本立ち入り禁止。
例外として地方から出て来た父親に限っては、申請と証明は必須だが一階の玄関を入ってすぐのこの部屋でのみ面会や宿泊が可能らしい。
そこに雅が特別に頼み込んで、なんとか寝かせてくれたようだ。
いくらまだ冬ではないとはいえ、さすがに外に転がしておくわけにも行かない。
男子寮はここから一駅離れた場所にある上、部外者がいきなり泊めてもらうのは不可能だろう。
一次会の店に置き去りなど以ての外だ。大学関係者自体が出禁になりかねない。
所謂チェーンではなく、安くて美味しい上になにかと融通の利くあの店は、学生だけではなく教員もよく利用しているらしかった。
しかも大学関係者を締め出しても、立地上商売が立ち行かないこともない。よくある「大学しかない」街ではないからだ。
大袈裟な言い方をすれば、サークル自体があとあとまで大学全体に恨まれる羽目に陥るところだった。
「こういうことって滅多にないのよ。あっちゃ困るけど。少なくとも、私がここ勤めてからは初めて。見城さんなら信用できるからね。あなたもいい先輩持って感謝しなさいよ」
諭すような寮母の言葉に項垂れるしかない。
一人暮らしのアパートの住所さえ言えない状態の祥真に、困った雅が寮母に一晩だけ宿泊室を使わせてもらえるよう頼み込んでくれたのだとか。
「私が言うことじゃないんだけど、このことは吹聴しないでもらえるかしら。『男は入れない』ってことで親御さんも安心なさってるわけだしね。やっぱり年頃のお嬢様を大勢お預かりしてる立場だから」
「絶対喋りません! 本当に申し訳ありませんでした!」
祥真は布団の横の畳の上で土下座する勢いで謝罪する。
雅を信頼しているからこそ、彼女の懇願に禁を破ってまで男子学生を泊めた。
久木の責任で取り計らった以上、やはり外に漏らしたくないのは当然だ。
「じゃ、出るわよ。他の子が起きて下りてくる前に」
「あ、は、はい!」
雅はここに住んでいるのだから祥真を追い出せば済むだろうに、と共に出ようという彼女に疑問を持ったのだが、理由はすぐに明かされた。
「このお店のモーニングセット美味しいから。あたし、たまに来んのよ。朝から自炊めんどいな~ってときとか」
大学前の通りを二本ほど外れた、学生が客層の中心ではないだろう喫茶店に連れて行かれる。
時計を見ると七時半だった。
「見城さん、こんな早く出る必要なかったですよね。本当にすみません……」
「別に。外で食べるときはいつもこれくらいだから気にしなくていい。あたし、美味しいものゆっくり食べんの好きなの。パパっと詰め込むなら、自分で作った適当なもんで十分じゃん?」
それが事実でも、一年生の祥真とは違い四年生の雅は朝一限目の講義などある筈もない。
ただただ申し訳なかったが、これ以上謝罪を重ねても彼女に返す言葉を考えさせるだけだと気づいて、祥真は口を噤んだ。
雅のおすすめメニューを頼んで、テーブルにオーダーが揃うとまずは食べよう、ということになる。
縁に飾り模様のついた白い大きな皿に、数種類のパンと卵料理の中から選んだトーストとスクランブルエッグ。雅はクロワッサンにオムレツだった。
脇に添えられた芋の塊が目立つポテトサラダも、メニューによるとマヨネーズから手製らしい。
それに加えて飲み物の大きなカップ。カフェオレボウルとかいう代物だろうか。
「俺、実はコーヒー苦手なんで。紅茶とかジュース選べんのいいっすね!」
「あたしもあんまりコーヒー好きじゃないけど、ここのカフェオレは別なんだ。……でもまあ嗜好品だから無理しなくていいよ」
中身のない話を続けながら、雅の言葉通り美味なプレートを平らげた。
「飲み物のお代わりいかがですか?」
「ください!」
「あ、俺もいいですか?」
マスターがそれぞれのカップになみなみと注いでくれたカフェオレとミルクティーを前に、雅がふっと真面目な顔つきになった。
いよいよ説教が始まる、と背筋を伸ばした祥真だったが、説教の方がどれほどよかったことか。
「副島さんがぁ、好きなんですよぉぉぉ! でも副島さんは祠堂さんが好きだからぁぁぁ!」
最初のコンパの会場で雅と二人になった祥真は、半ば寝たままで郁海への想いを叫んでいたらしい。
恥ずかしい台詞を本人に対して口にしなければならない彼女の方こそ被害者だとわかりつつも、祥真は机の下に潜り込みたくて堪らなかった。
このときほど、無駄だと重々知りつつも「消えてしまいたい」と願ったことは後にも先にもない。