『第四章:聖夜』②
郁海が持っている食器類は、白くてシンプルな同じテイストのものが大半だった。
キッチンの収納が限られているため、できるだけ少ない数でどんな料理にも合うように、だそうだ。
ローテーブルに並べられたうちの大きな皿に、祥真の好物である前菜のカルパッチョサラダ。
野菜の上に白身魚のカルパッチョ、さらに緑の小さな葉とプチトマトが載っていた。
一回り小さい皿二つには、普通に売っているのとは違う四角いローストチキンにブロッコリーと細切りの赤いパプリカが添えられている。
そして深皿に盛られたフランスパンのスライスと、片取っ手付きのスープカップに色からしてかぼちゃのポタージュ。
「うわ、すげえ! ありがとうございます! こんな豪華なクリスマス料理、家で食べられるなんて思いませんでした。いや、買って来ればすぐですけど、こんなの作ってもらえる人そうはいませんよね! 俺、幸せです……」
感動のあまり涙ぐみそうになる。
「食う前からしんみりしてんじゃねえよ。この程度、豪華でもなんでもない。まあ食後は一応、ケーキもあるからな! 『メリークリスマス』なんだからもっと気分上げろ!」
辛辣な台詞を吐きながら最後に運んで来たトレイを床に置き、郁海が祥真の向かい側に座った。
視線を向けると、見た目はワインのような瓶と脚付きの洒落たグラスが二つ。
しかし彼が、まだ二十歳になっていない祥真にアルコール飲料を出す筈がない。この恋人は表向きの印象と、真の中身に意外な乖離があるのだ。
「これ、雅に教えてもらって買ったんだ。ノンアルのシードルだってさ。食前酒代わりだよ。甘いジュースじゃ合わないだろ?」
「見城さん、あんまりお酒好きじゃないですもんね」
彼女はアルコールには強い方で、かなり飲もうと言動も顔色もほぼ変わらない。
だから逆に、なのか「酔わないのに高い酒飲むの、なんかもったいない」と飲み放題でもなければ大抵ノンアルコール飲料を頼んでいた。
味が嫌いなわけではないので、それこそ食事と一緒に楽しめるそういったものに詳しいそうだ。
「カルパッチョとローストチキンて全然合ってないけど、店じゃないからいいだろ」
「え、そうですか? 俺よくわかんないですけど、どっちもすごく美味しそうですから問題ないっすよ!」
「そりゃどうも。あ、バゲットは好みでこれ塗ってな。ガーリックバターとこっち普通の」
祥真の返答に頷き、彼が脇に置いた小皿を指し示した。
チキンとスープは一人分ずつだが、サラダは二人分まとめて盛られている。
取皿を渡され、祥真は大皿に添えられた大きなスプーンでまずは郁海の分を取り分けた。
メインのローストチキンはもちろん、前菜もスープもすべてが見た目からして彩りもよく綺麗だ。
「郁海さん、このチキンめちゃめちゃ美味いです! そっか! これ、クリスマスの色なんですね!」
皿の上の料理が赤と緑のクリスマスカラーを演出しているのだ、と祥真は食べ始めてようやく気付いた。
「まーね。料理は味が一番だとしても、目でも味わうもんだからさ」
郁海は性格的に、自分からこういうアピールはしない。祥真が気づかなければそのまま何もなかったように流すだろう。
少し嬉しそうに答えた恋人の想いを汲めたことに内心喜ぶ。
そして確かに、骨なしのローストチキンはナイフとフォークで食べやすかった。
「運ぶのはあとでいいから。寄せて場所だけ空けて」
食べ終わった皿を重ねていた祥真に、郁海がそう言い残してキッチンに立つ。
「このケーキも郁海さんが作ったんですか? すごいですね」
戻って来た彼に目の前に置かれたのは、おそらくはレアチーズケーキだ。底だけが茶色い真っ白な菓子に、赤いソースと小さな緑の葉のコントラストが鮮やかなデザート。
そして、隣にコーヒーと紅茶を湛えた二人のペアカップが並ぶ。初めて招かれた日に、二人で選んで祥真が買ったガラスのカップ。
「これはすげえ簡単なやつ。タルトじゃなくてビスケットの土台だし。料理が結構ボリュームあるから、ヨーグルト入れた軽めのにしたんだよ。……ミント大丈夫か? 別に食わなくていいから」
「いえ、好きです。生の食べる機会なんてないんで楽しみです。赤いのはジャムですか?」
「うん、苺のな。プレザーブスタイルのをラム酒と水で伸ばした。アルコールは飛んでるから」
正直半分も理解できなかったが、彼がいろいろ考えて手ずから作ってくれたことに変わりはない。
食事を終えれば、1Kのこの部屋のすぐ隣のキッチンに食器を運んで洗うのが祥真の役目だ。
今回もそのつもりでトレイに順に汚れた皿やカップを移していた祥真に、郁海が不意に訊いて来た。
「祥真。今日はこのあと何もないよな?」
「え? はい、ありません。あるわけないでしょ」
恋人とふたりきりでの、しかも初めてのクリスマス。
その後に入れる予定など、いったい何があるというのか。
「じゃあさ、今夜は泊まっていかないか? 狭い部屋だけど、よかったら」
穏やかな低めの声で告げられた台詞が、耳から入って脳に届くまで少し時間が掛かった。
「……ホントにいいんですか?」
理解した途端、口から零れたのはそんな言葉。
「俺がこういう冗談言うように見えんのか?」
「見えません。──泊めてください。あ、皿洗ったら掃除しますから」
「頼むわ。一晩ゆっくり過ごせるように、すっきりとな」
おそらく場の空気を読めていない祥真の発言に、郁海は笑いを噛み殺しながら返して来た。
付き合い始めてまだ一月経たない。
この部屋に招かれるようになってからは半月ほどだろうか。
最初の訪問で帰る際、玄関先で触れるだけのキスをされた。
驚きに固まってしまい、何もできなかった自分を思い出す。今ならいくつも浮かぶのに。キスを返せばよかった。せめて抱き締めれていれば。
「じゃあ、また来いよ」
笑って送り出してくれた郁海は、それ以来何もしようとはしない。
本来は祥真の方から行動を起こさなければならなかった。せっかくの恋人の意思表示に、その場で反応できなかったのだから。
もう少し待とう、と彼に思わせたのだろうことは想像に難くない。
しかし言い訳させてもらえれば、何をどうしていいのかまったくわからないのだ。
とはいえ、すべて年上の相手にお任せではあまりにも情けなさ過ぎる。
結局は、こうして郁海の方から切り出させてしまった。「知らない」ことを恥だとは考えていないが、それに甘えるのはまた別だ。
まずは今、できることを。
「あの、すごく嬉しいです! 俺、郁海さんのことホントにホントに大好きなんです!」
知ってるよ、と言いた気な恋人は、もともと整った顔にとびきり綺麗な笑みを浮かべた。
~聖夜:END~