『第一章:あなたのこころ。』②
◇ ◇ ◇
看板を前にした祥真の困惑を見て取ったのか、先輩女性が横から助け舟を出してくれた。
郁海と同期で、最も親しいらしい見城 雅。
「原田、よく小道具のヘルプもしてるもんね。小道具に限らずだけど、裏方のあれこれって向き不向きあるから」
金に染めた、緩いウェーヴの掛かるショートボブの髪。郁海と変わらない長身に中性的で端正な顔立ちの雅は、彼とは違って身につけるものが悉くシンプルでいてお洒落だ。
「あ、あの! 俺、この間照明の手伝いしたんすよ! なんか『舞台を支配してる』って感じですげーカッコイイなって」
褒められた勢いもあり、祥真はつい自分について口走ってしまった。
「俺は指示通りにスイッチ押したくらいなんですけど、あれ最初から自分で判断できるようになったらすごいですよね。あ、もちろん照明の計画っていうか、係の人がその場で好き勝手にやってんじゃないのはわかってますけど!」
「そういう感覚、舞台人には大事だと思うよ」
浮足立った後輩にも、彼は静かに真剣に返して来る。
「表に立って目立つ『役者がすべて』みたいな考えを否定する気はないし、ある意味役者がメインなのは正しい。でも役者『だけ』じゃ絶対に幕は開かないんだ。もちろん、脚本と演出だけでもな」
続けた郁海に、雅も明るい口調で加わった。
「そうそう! それぞれの担当が自分の仕事に誇り持って、『いい舞台作って行くんだ』って共通認識がないと。だって舞台って集合創作の極みじゃん? 自分だけ目立てばそれでいい、ってやつは個人でなんかやるのが合ってるよ」
やはりこのサークル、というよりこの『世界』には、演劇についての確固とした持論をもつ人も多い。
実際に語るかどうかは別として。
祥真には当然そんなものはまだないが、何にしろ好きなものに夢中になっている相手の話は楽しかった。
「……原田ってさ、なんか便利使いされてるだろ? もしかしたらお前は嫌かもしれないけど、そういう人間ってすごい大事なんだよ。だってみんながみんな自分の狭い担当のことしか見てなかったら、全体がどうなってるかわかんねぇもん。実際俺もサークル全体のことなんて知らないし」
「俺は全然嫌じゃないです! ってか、俺ホントにまともにできる事なにもないし。いろんなこと手伝わせてもらえてありがたいっす!」
思い掛けない郁海の言葉を、咄嗟に手を振って否定する。
「郁海の言う通りだね。原田、このサークル入ってよかったんじゃない? ホントに裏方向いてるよ。演じる気ないんなら、いっそ舞台監督目指してみたら? 君、敦紀のことも手伝ってるから知ってるでしょ? 別に偉くはないけど裏の王だよ? あくまでも『裏方』のだけど」
雅までもが賛同してくれるのに、喜びが込み上げる。確かに祥真は、部長で舞台監督を務める諸星 敦紀の元にもよく顔を出していた。
「ぶ、舞台監督なんて無理に決まってるじゃないすか! 諸星さんの手腕だから仕切れるんですよ……」
くだらない陰口など気にせず今まで頑張って来てよかった、と恐れ多さに口籠りながらも頬が緩むのがわかった。
「名前出して悪いけどさ、祠堂さんは確かに書くものとか演出はすごいけど、じゃああの人がサークルの隅々まで目を配って全部把握してるかってーとそれはないんだよな。正直、演出してるその場の役者の動きとかしか頭に残ってないと思う。しかも、帰って脚本に手を入れたり他のもの書き出したらそれさえ忘れる、絶対!」
でも祠堂さんにはそれだけ突出した才能があるから、と郁海は笑う。
「あの人が、サークルにとって絶対的な存在なのになんで『部長』じゃないのかの答えだよ。今は院生だけど、学部時代からそうだから」
郁海の言葉に雅が返す。
「本人がやりたがる人じゃないのが大きいけど、誰ひとり『祠堂さんに部長を』なんて言い出さなかったもんね。あたしたちが入学した頃からさ」
「まあ、祠堂さんはそれでいいんだよ。そういうレベルで戦う人じゃないから」
先輩二人の会話の内容はなかなかに辛辣だ。
しかし、愛があるのも伝わる。
「だけど凡人はそれじゃダメ。俺も含めてな。脚本や演出には結局経験が出るんだ。人生切り売りしてるみたいなもんだから、インプットがないとすぐ枯れる。視野は自分で広げるもんなんだよ」
単なる自虐だとは感じなかった。
郁海は彼なりに自分に自信があり、だからこそリュウとの差もきちんと自覚しているのではないか。
綺麗で可愛らしい顔に反して、きっとこの人はとても、強い。
「だから原田は今すごく良い経験積んでると思うよ。役者になるにしろ照明なりの裏方やるにしろ、無駄にはなんないから腐るなよって柄にもなく宥めようとかしたんだけど。俺が口挟むまでもなく、お前わかってそうだよな。まだ若いのに。……雅も言ったけどマジ舞台監督いいんじゃねーか?」
後輩としてそれなりに可愛がってもらえていると感じてはいたものの、郁海の本気の話を初めて聞かされた気がする。
容姿にも能力にも恵まれているように見えるのに、常に努力を惜しまない姿にも惹きつけられた。
その裏にある『何か』など考えてみたことさえなかった。
まだ十九の何もできない未熟な後輩にも、斜に構えることもなく真面目に語ってくれる人。
涼し気な美貌の裏に、こんな熱さを隠していたなんて知らなかった。
誰にでも綺麗な笑顔を向ける、厳しいが優しくて面倒見のいい先輩。
おそらくはサークルの多くの人間が郁海に対して抱いているイメージは、間違いではないが正しくもないのだと祥真は改めて感じた。
彼が話すのを聞いて、実際の郁海はかなり頑固で『心を開く相手を選ぶ』タイプな気がしたのだ。
おそらくはそれを誤魔化すための人当たりのいい笑顔なのではないか、とも。
祥真自身は、舞台に立ちたいという欲はなかった。
だからといって、郁海のように脚本に限らず『やりたいこと』があるわけでもない。
結局は郁海たちに指摘されたように、その場その場で人手の足りないパートに呼ばれては言われたことをこなす便利屋ポジションに落ち着いていた。
「なんのために演劇サークル入ってんだよ。てきとーに穴埋めばっかやって、お前何が楽しいの? もしかして、今から『人脈作り』とか考えてんのか? そういうのはまず才能ありきなんだよなぁ。お前にゃ無理だよ」
同期に、面と向かってそんな風に絡まれたこともある。
彼は演技力やそれまで積み重ねた実績に自信があるのを隠さない。
だからこそ祥真は論外としても他の『素人』と同列の下積みに納得がいかず、目についた祥真に当たったのだろう。
「役者になりたい」「演出がしたい」等の希望に溢れた同級生なら、今の祥真のような扱いは耐えられないのかもしれない。
しかし、自分のようなタイプにはちょうどいいと祥真自身は思っていた。
時には郁海の手伝いもできてお得だ。