05:見分けのために
『ステラ』と名前が決まり、次は……、となったところでレナードが「見た目が問題だ」と話し出した。
場所は先程の一室。あわや首輪をお洒落に飾られかけたものの、なんとかそれは阻止して再びこの部屋に戻ってきたのだ。
そんな中でのレナードのこの発言に、ステラはもちろんアマネやサイラスも説明を求めて彼に視線をやる。
「そいつはアマネに瓜二つだ。いくら姉妹で通すって言っても、ここまで似てたら周囲も混乱するだろ。一卵性双生児だって多少は違いが出るものだし、逆に怪しまれかねない。それにいざという時に見分けが付かないのは困る」
レナードの言う通り、ステラの見た目はアマネと瓜二つだ。黒髪黒目の他にも背格好や顔の作り、髪型、今は服装も同じものを着ている。
その姿は間違い探しどころではない、傍目には鏡映しにしか見えないだろう。
もちろんそれはステラがアマネに入れ替わろうとしていたのだから当然なのだが、『妹』として生活するにあたっては不便でしかない。周囲が混乱するという話も頷ける。
むしろレナードは不便どころか面倒事を起こしかねないと危惧しているのか、見た目で判断できるようにすべきだと念を押してきた。
「見た目といっても服装は毎日変わるから意味ないし、どうすればいい」
「そうだな……。たとえば髪を切るとか」
「確かに髪を切れば分かりやすいな」
なるほど、とステラが頷いて己の肩口に視線をやった。
アマネは髪が長く、それに合わせてステラも髪を伸ばしている。黒く艶のある長い髪。それを片方が短く切るのなら確かに見分けが付く。
とりわけ黒髪は聖女の象徴の一つでもあるのだから、そこで違いを着ければ目印になるだろう。
名案だとステラが同意を示そうとし……、だがそれより先に「髪を切るなんて!」と悲鳴じみたアマネの声が割って入ってきた。
「髪は女の命! それを切るなんて酷い!」
「酷いって、それなら他に何か案はあるのか?」
「それは……、無いけど。それなら私が切る! 可愛い妹に大事な髪を切らせるなんて出来ない!」
「馬鹿言うな、お前が髪切ってそいつが長いままなら余計に混乱を招くだろ。切るのはそっちの女だ」
アマネの必死な訴えをレナードが一刀両断する。だがそれでもアマネは応じず、果てにはステラを庇うために抱き着こうとしてきた。
もちろんステラも大人しく抱き着かれなどするわけがなく、スルリと彼女の腕から抜けてみせた。アマネの腕がスカンと虚しく宙を掻き「ステラちゃん!」という情けない声があがる。
「私は別に髪を切ることは構わない。というか、お姉ちゃんが煩いから切るならさっさと切ってほしい」
「そんな……! せっかく姉妹で同じ髪型なのに切っちゃうなんて……。お姉ちゃんとお揃いの髪飾りを着けたくないの? たまにあえてアシンメトリーにする事によって仲の良さをよりアピールしたりしたくないの!?」
「前言撤回、『構わない』じゃなくて髪を切る事におおいに賛同する。ざっくりと切ってほしい」
「あぁぁぁ、ステラちゃんの綺麗な黒髪が……、私と同じ艶のある漆黒の黒髪が……。お互いの髪を仲良く結びあったりしたかったのに……」
ステラが決意すればするほどアマネが嘆く。がくりと肩を落として、椅子に座っていなければその場に頽れてもおかしくない嘆きようだ。
そんなアマネを見ているとステラの胸の内が再び軽くなった。サァと軽やかな風が吹き抜けていくような、そんな爽快感が胸に満ちる。
「嘆くお姉ちゃんを見ていると不思議な感覚になる。胸が軽い……、この感覚は……?」
「それも所謂『ざまぁみろ』ってやつだ。感銘を受けるようなものじゃないからな。それよりさっさと切るぞ」
言うや否やレナードが立ち上がり、一度部屋を出ると数人のメイドを連れて戻ってきた。
メイドが手にしているのは櫛と鋏。切った髪が散らばるのを防ぐために布も用意され、それを手早く床に引いていく。
彼女達は部屋に入ってきた時こそステラを見て呆然としていたが、事前に説明をされていたのだろう好奇の視線を向けこそするものの訝しがる様子は無く、手早く準備を終えると一礼して去っていった。
一脚の椅子を中心に広げられた布。テーブルに置かれた櫛と鋏。あっという間に準備が終わり「座れ」とレナードがステラに着座を促してくる。
「切るのは兄貴がやってくれ」
「僕?」
「兄貴が一番器用だろ」
「それはそうだけど……。さすがにひとの髪なんて切ったことないよ」
自分には出来ないとサイラスが辞退する。
「言い出したんだから、レナードがやってあげなよ」
サイラスが促せば、レナードがならばと鋏に手を伸ばし……、だがその手を「待った!」とアマネが掴んだ。
「可愛い妹を怪しんでる男に刃物なんてむけさせられない! ここはお姉ちゃんが可愛い妹の髪を切ってあげる!」
「この中で一番の不器用女が何言ってるんだ。俺じゃ駄目だっていうならやっぱり兄貴だろ」
「えぇ、やっぱり僕? まぁでも確かにアマネは止めた方がいいかな……。それならいっそ明日にしよう。明日にすれば理容師を呼べるし」
サイラスは他人の髪を切る事に怖気づき、レナードが鋏を取ろうとするとアマネが止める。そのアマネは不器用なためサイラスとレナード両方から辞退を促される。そしてまた一番器用だからとサイラスに話が回り……。
これは所謂『堂々巡り』というものだ。埒が明かない。
促されるまま椅子に座ったものの話が一向に進まず背後で三人に騒がれ、ステラはうんざりだと溜息を吐いた。
ちらと肩に掛かる己の黒髪に視線をやる。
艶のある黒く長い髪。事情を知らぬ者が見れば手入れをしていると感じるだろう。事実、手入れはきちんとしていた。だがそれはあくまで聖女アマネと入れ替わるためにだ。
入れ替わりが失敗した今、この黒髪への拘りは無い。切るというのなら好きにしてくれて構わないし、誰が切ろうとどうでもいい。
(そうだ、別に誰が切ったって良いんだ。それなら私が切ったって……)
ふと考えに至り、ステラは机の上に置かれたままの鋏に視線をやった。
急ぎ用意されたもので当然だが髪を切るための鋏ではない。だが切れるのならば何だって良い。
そう考えて、徐に鋏を手に取った。
次の瞬間、ジャキンッと威勢の良い音が室内に響いた。
何の音か? 言わずもがな、髪を切った音だ。
ステラが自らの髪を。それも鏡を見ることもなく、片手で己の髪を束にし、それを豪快に切り落としたのだ。
髪を掴んでいた手を放せば切り落とされた束がパサと音を立てて床に落ちていく。首回りが外気に触れ、心なしか軽くなった気さえする。
もっとも、きちんと切ったわけでは無いので切断を逃れた束がいまだ首元や肩回りに残っているのだが。
「お、お前! 何やってるんだ!」
「ステラちゃん!?」
「うわぁ、これは随分と豪快にやったね……」
一寸の間を置いて、背後にいた三人が三者三様に声をあげだした。
「要は髪が短くなれば良いんだし、それなら誰がやったって同じ、私がやっても良いだろ」
あっさりと言い捨てながら残った髪の束も掴んで切っていく。……のだが、さすがに見兼ねたのか途中でレナードに手を掴んで止められた。
見れば彼は何とも言えない表情をしている。眉根を寄せて、どことなく苦しそうにさえ見える表情だ。
「……それだけ切れば十分だ。明日、理容師を呼んで整えさせる」
妙に落ち着いた、否、落ち着きすぎた低い声。
彼の視線はステラを見つめ、かと思えばふいに逸れて切り落とされた髪へと視線を向けた。
僅かに目を細める。だがそれ以上髪について言及する事は無く「片付けさせる」とだけ告げると、再びメイド達を呼ぶために部屋を出て行ってしまった。
◆◆◆
翌朝、呼び寄せられた理容師は見事な腕前でステラの髪を綺麗に整えてくれた。
ちなみに初見時に理容師が「これは髪への冒涜……」と慄いていたが、それほどまでに切断面は豪快だったらしい。施術の最中にも「これは」だの「せっかくの貴重な髪を」だのと何度も呟いており、ステラも自分でやっておきながらもう少し丁寧に切れば良かったと思えてしまう。
長い髪に未練は無い。切る事に躊躇いは無かった。……が、背後で理容師に唸られると申し訳なさが募ってくるのだ。
それでもさすが王宮お抱えの理容師だけあり、出来栄えは乱雑に切ったのが嘘のように綺麗なものだった。
短く切り揃えると印象がガラリと変わる。依然として顔はアマネと瓜二つだが、これほど髪型が変われば並んで立っていても見間違える者は居ないだろう。
「髪が短くなっても可愛さの変わらないステラちゃん。髪飾りはどんなのが良い? お姉ちゃんとお揃い? 色違い? 髪型が違うから、同じデザインを元にしつつもあえて少しだけ変えた髪飾りでも良いわね」
嬉しそうに抱き着きながら話してくるアマネを無視しながら、ステラは鏡に映る新しい姿の自分を不思議な気持ちで見つめていた。