04:愛情ネックレスのオプション
切実な気持ちが伝わったか、即答をされれば折れるしかないのか、アマネが若干残念そうな色を残しつつも「分かった……」と応じてきた。肩を落とす姿に落胆ぶりが窺える。
「本人が気に入った名前が一番よね……。私の愛しい春風に誘われて舞い降りたステラちゃん」
「若干自我を残すな」
「うぅ……、そこまで言うなら分かった。ステラちゃん」
了承はしているものの、アマネは見て分かるほどに落胆している。彼女は常に自信に溢れて溌剌とした女性だと聞いていいたが、今は意気消沈しているのを隠そうともしていない。
それを見ていると自然と少女の気持ちも晴れていった。さすがに爽快感とまでは言わないながらも気持ちがスゥと音を立てるように軽くなり、初めて知る感覚に無意識に胸元を掴んだ。
「胸の内が軽くなっていく、こんな感覚はじめて……。この感覚は……」
「それは一般的に『ざまぁみろ』ってやつだな。あんまり感動するものじゃないぞ」
初めての清々しさに感動していると、レナードが呆れた様子で口を挟んできた。
次いで彼はじっとこちらを見つめると改めるように「ステラ」と名前を呼んできた。濃紺色の瞳には警戒の色がまだ宿ってはいるものの、それでも今は幾分は和らいでいるように見える。
「悪くない名前だろ」
「……ステラ、ステラ。……うん、悪くない」
何度か自分の中に落とし込むようにその名前を口にしてみれば、響きが良いのかすんなり馴染んだ。口にしても違和感は無く、レナードに呼ばれても自分の名前だと受け止められる。
確かに悪くない、そう考えた矢先「ステラちゃん!!」と名前を呼ばれた。
アマネだ。先程まで肩を落としていた彼女はいつの間にか復活しており、ぐいとステラに身を寄せてきた。瞳がキラキラと輝いている。
「なんて可愛い名前。私もステラちゃんって名前が一番似合うと思ってたの。むしろ私も考えてた。私が提案するのも時間の問題だったから、つまりこれは私が提案した名前って事よね?」
「まったくもって違う」
「お姉ちゃんが考えた名前を気に入ってくれるなんて嬉しい。これぞ姉妹愛ね」
強引に話を進めるアマネは随分と浮かれ切っており、これにはステラも呆れるしかない。
口を挟む気にもならずに溜息交じりに肩を竦め、いつの間にか握られていた手は振り解く。
「ステラという名前は受け入れるけど、それはただ利便性から個人名が必要と判断したからだ。別に慣れ親しむつもりはない。当然、お姉ちゃんの事を姉なんて呼ぶ気は無いからな」
はっきりと拒絶の意思を込めて告げてやる。
……のだが、数秒後に違和感に気付いて「ん?」と首を傾げてしまった。
今なにかおかしな単語を口にしなかっただろうか。
自分の口からは決して出るはずの無い単語が、それでも自然と、まるで言い慣れているかのようにスルリと出ていったような……。
「……なんだか、変な感じが」
「おいお前、どうした」
レナードも異変を感じ取ったのか、怪訝な表情でステラに声を掛けてきた。だが問われたところで答えようがない。
自分自身、何がおかしかったのか分からないのだ。それでも確かに違和感があった。
なにより、レナードが様子を窺ってくるということは、先程のおかしな発言が勘違いや気のせいではなかったということだ。つまり、自分は、何かを、考えたくないような言葉を、いましがた口にした……。
そう自覚すればするほど嫌な予感が増していく。血の気がゆっくりと引いていくような感覚。
「お姉ちゃんの事を呼ぼうとしたら、本来の意図に反して変な言葉が……」
「今も呼んでるな」
「な、なんで、お姉ちゃんの事なんて姉として呼ぶ気なんてないのに! 勝手に言葉が、声が変換される!」
どうして! とステラが混乱のあまり声を荒らげれば、何かを察したのかレナードが盛大に溜息を吐いた。
ついで彼の手がステラの首元に伸ばされる。つんと突っついてきたのは首につけられた首輪だ。彼の指を受けて首輪の金具がカチャリと軽い音をあげた。
「これのせいだろ」
「これって……、この首輪が?」
「どういう理屈かはわからないが、大方、お前がアマネを呼ぶ時に無理やりに言葉を変えさせる機能でもつけたんだろ。そういう事が出来るんだよ、あいつは」
レナードの説明はまったく厄介だとでも言いたげなもので、同時に、聖女アマネの規格外な能力を『理解しきれない』と受け入れている節がある。今までにも何度もこの手の不可思議な技術を目の当たりにしているのだろう。
確かに聖女アマネはこの世界には無い知識や技術を持っており、特定の言葉を変換することぐらい造作ないのかもしれない。それ程の能力を持っているからこそ聖女であり、ゆえにステラに狙われたのだ。
それは分かる。
……分かるが、こんな事に力を使っていいものなのか。
絶望とさえ言える心情でステラがゆっくりとアマネの方へと向いた。自分の動きがギチギチと音がしそうなほどぎこちないのが分かる。
そんなステラの言わんとしている事を察したのか、アマネはステラの視線に気付くとゆっくりと一度頷き……、
そして親指をグッと立て、ウィンクをし、更にペロと唇を出して笑った。
眩いばかりの表情、これ以上ないほどの浮かれ具合である。
「おっ、お姉ちゃん! ふざけた事にお姉ちゃんの力を使って、お姉ちゃんとしての自覚は無いのか! あぁ、罵倒文句すらも変えられる!?」
「ステラちゃん、そんなにお姉ちゃんの事を呼んで……、愛が溢れてるのね。嬉しい。そうだ、首わ……、ネックレスにお名前を彫ってあげる。きっとそっちの方が似合うわ」
「今首輪って言った!」
「首輪? 何のことかお姉ちゃんにはさっぱりだわ。さぁ可愛い妹ステラちゃん、ネックレスをお洒落にしに行きましょうねぇ」
ご機嫌なアマネがステラの腕を掴んで歩き出す。
もちろんステラは拒否をしようとするのだが、想定外にアマネの力が強くズルズルと引きずられて行ってしまう。
細身の体とは思えない力だ。これも聖女ゆえなのか、それとも拗らせた姉妹愛の為せるわざなのか……。どちらにせよステラにとっては不本意でしかなく――どちらかと言えば後者の方が嫌だが――、更にはこのまま連れて行かれれば首輪に名前が彫り込まれてしまうのだから、もはや絶望でしかない。
思わず「離せ!」と吠えるもまったくもってアマネには届かず、それどころか鼻歌まで奏で始めるではないか。
「お洒落な文字で『春風に誘われて舞い降りたステラ』って刻もうね。きっと素敵なくび……ネックレスになるわ」
「まだ春風が残ってる! そんな名前の首輪なんて着けられるか! いや違う、そもそもこの首輪自体が嫌なんだ!」
引きずられながらステラが喚くも、今更それでアマネが止まるわけがなく、片や怒声をあげて片や鼻歌を奏でながら部屋を出て行った。
◆◆◆
そんな二人が去っていき、妙な静けさが室内に漂う。
それを破ったのはレナードだ。雑に頭を掻き、それだけでは足りないと盛大な溜息を吐いた。
「まったく、何が妹だ……。問題が起こったらどうするつもりなんだよ」
不満を露わに愚痴を漏らし、ステラとアマネが去っていった扉を睨みつける。正体不明のステラに対しての警戒と、そんな彼女を簡単に受け入れてしまったアマネへの不満が綯い交ぜにされた表情だ。
眼光は鋭く、そこいらの女性や子供が睨まれたら臆しかねない威圧感さえ纏っている。
もっともこの部屋に残されているのは彼と、そして兄であるサイラスだけだ。サイラスからしたらどれだけ眼光が鋭くとも弟の不機嫌でしかなく「まぁまぁ」と宥める声は随分と軽い。
挙げ句に軽く肩を叩きまでするのだから、レナードの鋭い眼光が今度はサイラスに向けられた。
「アマネも嬉しそうだし、一応対策は取ってくれてるし、しばらく様子を見ても良いんじゃないかな」
「なに温いこと言ってるんだ。父上と母上が居ないんだぞ、全権を任されてる身としてもっと真剣に考えろよ」
現在リシュテニア国の両陛下、サイラスとレナードの両親は長期不在にしている。
その間の国内の決め事はすべて第一王子であり王位継承権を持つサイラスが任されており、実質これは彼が国を治められるかの試験なのではと考える者も少なくない。
そんな状況で面倒事を受け入れるなんて……。そう咎めてくるレナードに対して、サイラスは反省するどころか「まぁまぁ」と彼を宥めるだけだ。
「そもそもだな、兄貴はアマネに対して甘すぎるんだ。何かって言うとすぐ折れてあいつの意見を通す。だから余計にあいつが増長して無茶言い出すんだろ」
「そうは言っても、アマネは聖女なんだから僕達が反論したところで押し通されて終わりだよ。それはお前だって分かってるだろ。それに、女の子一人ぐらいなら問題ないって」
大丈夫だと言い切るサイラスの態度はあっけらかんとしており、その楽観的な思考に更にレナードの溜息が漏れる。
だが次の瞬間に出かけた文句の言葉を詰まらせたのは、サイラスの笑みが次第に変わっていったからだ。先程までは朗らかな笑みだったというのに、今はどことなく悪戯っぽい笑みに変わっている。
にやりと弧を描く口元は随分と楽しそうだ。兄のこの表情には嫌な記憶しかなく、思わずレナードが身構える。
「なんだよ……」
「確かにお前が警戒するのも分かる。でも、警戒してる割には良い名前を付けてあげたなと思ってさ」
「それは……、別に良いだろ。ただ思い浮かんだだけだ」
深い意味は無い。と言い切り、レナードが「俺達も行くぞ」とステラ達の後を追って部屋を出て行く。
その背中をサイラスがニヤと笑みを浮かべて見つめ、楽し気に追いかけた。