32:子猫のステラと王子様
申し訳ありません、更新遅れました…!
二度と薬を使わないと誓って以降、ステラの容姿は再び変化をしている。
前回と同様に紫色を強めているあたり元々のステラの髪と瞳の色は紫色だったのだろう。まるで上書きした黒が薄れ、その下に隠されていた色が現れるかのようにゆっくりとした、それでいて着実な変化である。
その代償に痛みは定期的に襲ってくるが、それも王宮勤めの医者や――悔しいから本人には言わないが――アマネの調合した痛み止めのおかげでだいぶ楽になった。痛みと熱に魘されて眠る事すら出来ないような夜は無い。
それを話せば、レナードが安心するように頷いた。
次いで彼の視線が向かうのは、ステラの膝の上に置かれたままの本。小さな子猫ステラの本だ。
「あ、」とレナードが小さく声を漏らし、先程まで安堵の笑みを浮かべていた表情を気まずそうなものに変えた。
「読むなって言っただろ」
「言われてない」
「……確かに言ってはないな」
すぐさまレナードが己の発言を撤回し、ステラの膝の上から本を取った。
「面白かったよ。子猫のステラちゃんのお話」
「しっかり読み込んだな……。ちょっと待ってろ」
本を再びステラへと戻しレナードが立ち上がる。かと思えばそのまま部屋を出て行ってしまった。
残されたステラはどうして良いのか分からず言われるまま待つしかない。
なぜ先程の話の流れで待たされるのか。急用を思い出して部屋を出て行ったというわけでもなさそうだったし、かといって本を読まれたことに怒って出て行った様子でもなかった。そもそも怒っていたのなら自分が部屋を出るのではなくステラを追い出すはずである。
「なんだろ?」
首を傾げながら彼が出て行った扉をしばらく見つめ、待つしかないならと再び本を開いた。
「ちょっと待ってろ」と言った通り、レナードは部屋を出てしばらくすると戻ってきた。
その手には一冊の本。ソファに座るやその本をステラに渡してきた。読めという事なのだろう。
ならばとステラも子猫の本を彼に返し、新たに手渡された一冊を開いた。
その本もまた低年齢の子供向けに作られたようで、文字は少なく、代わりに綺麗な絵が描かれていた。
幼い少年の物語だ。弱気でいつも怖気づいてしまう少年が木の上で鳴いている子猫を見つけ、勇気を出して助け出す話。短いながらも分かりやすい文章と可愛らしいイラストが少年の優しさと成長を綴っている。
そうして最後に少年は子猫に『ステラ』と名付け、一つのベッドで一緒に眠るイラストで締められている。
「これって、さっきの本と同じ?」
手元にある二冊の本を見比べれば、本の造りは同じで、表紙や背表紙の文字と飾りも似通っている。
一冊は子猫視点で、もう一冊は少年視点で、一匹と一人の出会いを描いている。最後のイラストを揃えている点もより繋がりを感じさせた。
「七歳の時に、猫の方を本屋で見つけて買ってもらったんだ。他の子供向けの本はしばらくして卒業したのに、なんでかその一冊だけは妙に気に入って手放したくなかった」
「こっちの男の子の方は?」
「それを見つけたのは十三歳の時だ。……今となったら恥ずかしい話だが、まぁ、自分の立ち位置的に悩んでた時だな」
曰く、当時のレナードは第二王子という自分の立場に迷いを抱いていたらしい。
兄であるサイラスを尊敬している。彼が王になる事に異論はない。だが一部にはレナードこそ王になるべきだと考える者達もおり、そういった者達からは時に直接的に、時に遠まわしに、台頭すべきだと発破をかけられていた。
大人の言いなりになるほど子供ではなく、さりとて、自分の将来を決める判断を、それも大人達の言葉を押しのけてまで貫くほどには成長しきっていない。
当時の未成熟さを今のレナードが「危なっかしい年頃だ」と苦笑交じりに話す。
「王位を駆けて争う気なんて元から無かったが、そうなると自分は何のために居るのか、どうしてわざわざ王族に、それも第二王子なんて立場に生まれたんだろう。……なんて、子供のくせに生意気にも考えてたんだ。その時にもう一冊に出会った」
気に入っていつも手元に置いていた子猫の物語。
その物語の、もう一つの姿。
幼い少年が木から降りられない一匹の子猫を助けるだけの、世界を救うわけでも、竜を倒すわけでもない物語。
「読んでたら目が覚めたというか、『猫一匹救うだけでも良いんだ』って思えてきたんだ」
「猫一匹……」
「たった猫一匹だけど、俺にとっては大事な物語の猫だからな。そう考えたら、俺は俺で大事なものを作って、守れるものを守れば良いんだって思ったんだ。変な話だけど、それが分かった途端に迷いも無くなった」
焦燥感は消え去り、同時に、自分の決意が己の中で揺るがぬ芯として聳え立ったのを感じた。
そしてその決意に背を押されるように、発破をかけてくる大人達に宣言をした。
自分は王位を継ぐ気は無い。
兄を支える。
それこそがこの国の平和を維持する最善だと信じている、と。
それを受け、レナードに王位を継がせようとしていた者達も大人しくなったという。
中には露骨に残念がる者もいたらしいが、殆どが彼の考えに敬意を示してくれた。それほどに真摯に、そして強い意思を持って彼が話したという事だ。
「……そっか」
「なんか真剣に語っちまったな。恥ずかしくなってきた」
話し終えると恥ずかしさが勝ったのか、レナードが自分の髪を雑に掻いた。濃紺色の髪が揺れる。
はたはたと己の顔を扇ぐのは羞恥心で熱くなってきたのか。挙げ句、立ちあがるや執務机へと向かってしまった。「これを持ってきてくれたのか」と無理やりに話題を変える。
その後ろ姿は彼らしくなく焦りが見え、濃紺色の髪の隙間から見える耳は真っ赤だ。
「もう少し言及して恥ずかしい思いをさせても良いけど、お詫びにもうこの話は終わりにしてあげる」
「詫び? 何のだ」
「……前に、レナードの事を煽ってサイラスとの仲を拗らせようとしたこと。何も知らなかったとはいえ、そんな思いがあったのに野暮なことしたから」
今更ながらにかつての己の行動を申し訳なく思えて詫びれば、レナードが一瞬驚いたような表情を浮かべた。
だがすぐさま表情を穏やかなものにかえ、ステラの前まで来ると頭に手を置いてきた。撫でるように軽くポンポンと数度叩いてくる。
「ステラにはステラの事情があったんだ。仕方ないだろ。気にするな」
「うん……。それと、あと、ありがとう」
「ん? 今度は何だ?」
謝罪の後にすぐさま感謝を示せば、これもまた予想外なのだろうレナードが不思議そうに尋ねてくる。
そんな彼をじっと見上げ、改めて感謝の言葉を口にした。
「大事な名前を私につけてくれてありがとう」
名前を着けられた当初に礼を告げた事はある。だがあの時はアマネが考えた『春風に誘われて舞い降りたハニーマフィン』というとんちきな名前に比べて『ステラ』の方が良いと考えての感謝だった。
まさかこれほど思い入れのある名前とは思わなかったし、今ではもう『ステラ』という名前は自分に馴染み、これ以外は考えられないと思えるほどになっている。
だからこそ礼を告げればレナードが一瞬言葉を詰まらせた。
雑に前髪を掻き上げるのは恥ずかしくなってきたのだろうか。ステラが見つめているとふいと視線をそらしてしまった。
「……別に、ただお前を見てたら思い浮かんだだけだ」
「それなら、思い浮かべてくれてありがとう」
謙遜するレナードに更に感謝を示す。
ここまで来るとは思わなかったのかレナードがまたも言葉を詰まらせ、じっとステラを見つめてくる。
「よし、分かった。今すぐに婚約の公表を」
「それはまだしない。ところでさっさとその書類にサインして返してくれない? サイラスを待たせてるんだけど」
「あっさりと切り替わるな……。まぁ良い、そんなところにも惚れて……、分かった、すぐに確認してサインするから出て行こうとするな」
待ってろと告げてレナードが執務机に向かう。若干焦った様子で椅子に座るのはここでステラに逃げられるわけにはいかないと考えているからだろう。
そんな彼にステラはまったくと溜息を吐き、だが部屋を出ることはせず、二冊の本を手に立ちあがり本棚へと向かった。元々一冊があった場所を少しずらして並べて隙間に差し込む。
「なんだ、二冊ともそこに戻したのか?」
「うん。せっかくだから一緒に居させてあげようと思って」
子猫のステラと、そんなステラを救った少年。
ずっと一緒だとお話の中でも描かれているが、どうせなら本も一緒にしておきたい。
そうステラが話せば、レナードが僅かに話を止め……、
「婚約の公表なんてまだるっこしいな、明日にでも式をあげるぞ」
決意を改めるような表情で告げてきた。
これに対してのステラの返事は「書類! サイン! 早く!」というものだった。




