31:近衛騎士(未定)の美味しい報酬
先日の遠出の件から調査は続けているようだが、アマネについての情報を老夫婦から聞き出そうとしていた集団についてはいまだ不明点が多いという。
分かった事と言えば、彼等はやはり聖女アマネについての情報を集中的に集めているという事。そして時には聖女の妹であるステラについても聞き出そうとしているようだ。
だが内政や社交界についての情報にはあまり興味が無いようで、そういった情報を集めている様子はない。
その極端な行動は怪しいの一言に尽きる。だが行動が早いようで、報告が入るや駆け付けても集団の姿は無い。
「近隣諸国が聖女の力を使っての侵攻を恐れて秘密裏に調査を入れる……、という事は以前にも何度かあったんだ。歴史上において、聖女が現れたことで大陸内の力関係が狂ったこともあるし、それを危惧するのは仕方ない事だからね。もちろん、こちらも丁寧に対応して和解のうえ穏便にお帰り頂いてるよ」
「『丁寧に対応して』あたりから微笑みが薄ら寒くなった気がするんだけど」
「気のせいじゃないかな」
にっこりと微笑むサイラスにステラは何か言ってやろうとし……、だが口を噤んだ。
この状況の彼に何を言っても通じないのは半年の付き合いで分かった。それに現状、大陸にある近隣諸国との関係は良好なのだから、彼の言う『丁寧』だの『和解』だの『穏便』だのといった単語も嘘ではないのだろう。
ならば言及するまいと考え、ステラは手にしていた資料に視線を落とした。
ステラが任されている仕事は話題の集団とは別件、その件で忙しくなったサイラスが回してきた雑務の一つだ。記されているのは城下であった小競り合いについてだが見たところ問題視する必要は無さそうだ。
「私が調べに出ても良いんだけど」
「ステラが?」
「集団の報告があるとレナードかサイラスが出るけど、準備が必要になるから時間が掛かるでしょう」
聖女絡みの問題は時として近隣諸国にも関与しかねず、動けるのは極少数。二人の王子を筆頭に相応の身分のある者達と決められている。ゆえに報告が入り当事者達が動き出すにはどうしても時間が掛かってしまう。
かといってすぐ動ける末端の騎士を出すのも問題がある。
調査をしている者達の素性や目的が分からず、そもそも、件の集団が悪意で調べているとまだ判明できていないのだ。仮に観光客が興味本位で聞いて回っているだけだった場合、こちらが過剰に騒いでは事を荒立てかねない。
なので今回の件は大体的に動けず、それゆえに出向いた時には既に姿を消されている。
それだってこちらが『姿を消されている』と思っているだけで、彼等はたんに話を聞き終えて移動しているだけかもしれない。それさえも判断出来ずにいるのが現状だ。
「でも、私なら二人と違って報告が入ったら直ぐに動く事が出来る。それに騎士じゃないから詳しく話を聞いても問題にはならないし、お姉ちゃんの妹なんだからこっちから話を振って情報を引き出したって問題にはならないはず」
「それはそうなんだけど。でも、何かあったら問題だろ?」
だから、と話すサイラスに、ステラは「何か……」と呟いた。
この提案はレナードにも話しており、その時も彼に「何かあるかもしれないから駄目だ」と言われている。
その何かとは……。
「何かあったとしても、この首輪があるから問題ないのに」
いざとなれば首輪が締まってステラの行動を制限してくる。
そうステラが首輪をカチャカチャと揺らしながら話せば、サイラスが困ったように笑った。
「そういう意味での『何か』じゃないよ」
「そういう意味じゃないって、それならどういう意味?」
「心配してるんだよ。特に今回の件はちょっと……、いや、これは終わったら話そうかな。というわけで、こっちの書類の確認終わったから、レナードに持って行ってくれるかな」
はい、と書類を差し出してくるサイラスは相変わらず爽やかな好青年だ。
一見すると体よく話題を変えたとは誰も思うまい。ステラも気付きはしたのだが、彼の穏やかな微笑みを前にすると言及する気を削がれ、大人しく書類を受け取った。
その際に手渡されるクッキーはお駄賃だろう。彼から任される仕事も最近増えてきているのだが、どんな仕事であろうともお駄賃のお菓子は無くならない。
「お姉ちゃんの近衛騎士になってもこのお駄賃は続きそう」
「さすがに近衛騎士にクッキーは渡さないよ」
冗談めかしたステラの話にサイラスが笑う。
ステラもそれもそうかと笑い、書類を手に部屋を出て行った。……のだが、扉が閉まる直前、
「近衛騎士にはタルトやマフィンぐらいあげないとね」
という彼の声が聞こえて思わず眉根を寄せたが、やはりこれも言及せず扉を閉めた。
サイラスから託された書類を持ってレナードの執務室へと向かう。
だがステラが部屋に入っても彼の姿は無かった。通りがかったメイド曰く、部下に呼ばれて外に出て行ったらしい。
部屋の鍵を掛けないあたり直ぐに戻るつもりなのだろう、もしくはたまに見せる彼の不用心さかもしれない。
強さからの慢心か、もしくは根からの性格か、あるいは王宮の警備に自信があるからか、彼は施錠という概念を無くす時がある。
「私に薬を盗み出されて、サイラスに何度も言われて、それでも直らないんだから一生ものだろうなぁ」
呆れ交じりに呟きつつ、預かっていた書類を執務机に置いて、自分はソファに腰掛ける。
書類を渡したらレナードに確認をしてもらい、サインを貰ったうえで再びサイラスのもとまで届けるのが今回のステラの仕事なのだ。そうでなくとも、本人に手渡しせず執務室――それも鍵が掛かっていない――に誰でも手に取れる状態で置いて終わりは気分がよくない。
「本でも読んでようかな」
レナードの部屋は一辺を本棚で覆っており、自由に読んで良いと言われている。蔵書の幅も広く時間潰しに最適だ。
何か良い本は……、と棚に並ぶ背表紙を端から順に眺め、ふと一冊の本に目を留めた。
戦術や政治に始まり、商売、農耕、果てには医学まで、並ぶ本はどれも難しいものばかりである。背表紙からして重苦しい。
だがそんな中に一冊だけ、オフホワイトカラーの背表紙に温かみを感じさせる文字の本があった。手に取って表紙を見れば一匹の子猫のイラストが描かれている。明らかに異質な一冊。
以前にもステラはこの本を手に取っている。否、ステラだけではなく誰だってこの本を見つければ手にするだろう。それ程に浮いているのだ。
あの時は読もうとしたところをレナードに取り上げられてしまった。
曰く、
『自由に読んで良いとは言ったが、好きに読んで良いわけじゃない』
との事で、矛盾が過ぎる言い分にわけが分からないと返したのを思い出す。
「でも本棚に戻してるって事は、もう読んでも良いってことかな」
そう考え、ステラは本を手に取るとソファへと戻ってさっそくとページを捲った。
その本は殆ど絵本のような造りで、短い文章と可愛らしく綺麗な絵が描かれていた。
文字数は少なく、きっとまだ字もきちんと読めない低年齢の子供を対象にしているのだろう。もしくは親が子供に読んでやるための本か。
内容もまたシンプルなもので、親猫と離れ離れになった子猫が苦労の末に優しい人間と出会い幸せを見つける話だ。
子猫が雨に濡れたり狂暴な動物に追われるシーンは可愛い絵柄ながらに胸を痛め、その分、家を得て人間の男の子と柔らかなベッドで眠る絵は幸せで満ちている。
そんな幸せな結末を綴る文章を読み、ステラは小さく呟いた。
「……ステラ」
それは自分の名前だ。そして同時に、この本の中で子猫が幸せと同時に得た名前でもある。
仮にここが書庫でこの本もたまたま目についた一冊であれば名前が被っても偶然と思えただろう。だがここはステラの名をつけたレナードの執務室で、重苦しく難しい書籍の中にたった一冊だけ置かれていた本だ。
偶然、とは考えにくい。レナードはこの本から名前を思いついたのだろう。
「……なんだステラ、来てたのか」
ガチャと音立てて扉が開き、入ってきたのは部屋の主のレナードだ。
彼は室内にいるステラを見ると意外そうな顔をしたが、ステラが「鍵が開いてた」と告げると気まずそうに顔を逸らしてしまった。また鍵を開けっ放しで出てきたことに後ろめたさがあるのだろう。言葉にこそしないが「しまった」と顔に書いてある。
「仮にも王族であり騎士隊を統治する身でその不用心さはどうかと思うけど」
「重要なものは別に保管してるから良いんだよ。そもそも外部の奴は王宮に入る手前で止められるし、ここまで入って来れる奴なんて王宮勤めか身内かで限られてるだろ」
「この部屋より奥にあるお姉ちゃんの部屋に入り込みましたが?」
「お前は例外すぎるだろ。それに、今だったら絶対に止められるからな」
話しながらレナードが隣に座り、ステラへと手を伸ばしてきた。
彼の手がステラの髪を掬う。黒一色の髪……、ではない、今はもう濃い紫色へと変わっており、明るい場所でなくとも違いが分かる。
瞳も同様に変化を見せており、それを確認するようにレナードの手がステラの頬に触れ、親指の腹で目尻を撫でてきた。
「だいぶ変わったな」
変化を愛おしむように目を細めて見つめてくるレナードに、ステラは彼の手の温かさを感じながら見つめ返した。




