21:偽物聖女の歪ななかみ
サイラスの執務室。
ステラの隣にはアマネが座り、向かいにはサイラスとレナードが座る。
間に置かれたテーブルには黒一色の箱。大きさにすると本が一冊入るか否か程度のものだ。
レナードが箱の蓋を開ければ、中には三つの注射器が落ちないようにしかと固定されてしまわれていた。その横には二つ分の空きがあり、最大で五本が収納される箱なのだと分かる。
調査に出しているという一本と、ステラがレナードの机から盗み出し投薬した一本。その空きである。
「こんな少量でアマネと瓜二つになれるなんてな」
注射器の一つを手に取り目の前で軽く揺らしながらレナードが話す。
その光景をステラはいまだぼんやりとした視界で眺めていた。
あの後、事情を説明するためにこの一室に呼び集められた。
といってもステラはいまだ顔色が悪く気怠さが付き纏っていた為、主になって話をしたのはレナードだ。ステラは時折彼に確認を取られて相槌を打ったり補足を入れるだけである。
その補足も殆どあってないようなもので単なる付け足しに過ぎない。
曰く、薬剤の中身については既に調査が進んでおり、大方の目途は立っていたのだという。今回のステラの行動は調査結果を後押しする事になっただろう。
「しかし、まさか人の見た目を変える薬があるとはな。だがこれだけの技術がある国ってなるとある程度絞れてくるな。兄貴、そっちはどうだ?」
「ちゃんと探りは入れてるよ。ただこっちもステラをアマネの妹として公表してる手前、大々的な行動には出られないから時間は掛かってるけどね。……ところでレナード」
ふと、サイラスがレナードを呼んだ。
いつも通りの穏やかな表情。ステラが投薬をしたと知った時は驚き真剣みを帯びた表情を浮かべていた彼だったが、ステラが後ろめたさから言葉を紡げずにいると直ぐに表情を優しい物に変えた。責めていないと言いたいのだろう。話しかけてくる声色も普段通り、否、普段よりも優しく感じるほどだ。
今レナードを呼んだ声も普段と同じ……、はずなのだが、不思議と妙な空気が漂っている。
「『薬は一本調査に回して、後は俺が管理しておく』って言ってたよね。それなのにあっさりと盗み出されて」
「いや、それは……。ステラだから油断してたんだ。それにちゃんと鍵付きの引き出しにしまってた」
「その鍵を机の上に置いていたら意味が無いだろ。まったく、我が弟ながら変なところで油断するというか、たまにここぞって時に抜けるんだよなぁ」
「う、うるせぇな。薬は別の場所にしまったし、ステラにはもう投薬しないように約束させたから良いだろ」
分が悪いと察し、レナードが無理やりに話を終える。
視線を泳がせ果てには紅茶を煽るように飲むあたり、それほど居心地が悪いのだろう。対してサイラスはまったくと言いたげな表情で深く溜息を吐いた。その溜息がレナードへの追撃なのは言うまでも無い。
普段とは違う意外な力関係にステラがきょとんと目を丸くさせていると、隣に座っていたアマネがクスクスと笑い出した。そちらを見れば視線に気付いたアマネが苦笑交じりに肩を竦めてみせてくる。
彼女曰く、普段は温和なサイラスと強気なレナードの兄弟だが、極稀に、レナードがやらかした時だけ逆転するのだという。
それを話すアマネは楽しそうで、次いで目を細めると「ああ見えて意外と我の強い男だよ」と二人の方へと視線をやった。
『我の強い男』とはサイラスの事だ。一見するとアマネは二人のやりとりを眺めているように見えるが、彼女の黒い瞳はサイラスをとらえている。その気持ちを隠すことなく瞳に宿して。
だがすぐさまこちらを向くと、不思議そうにステラを呼んできた。
「ステラちゃん、どうしたの? お姉ちゃんの事をじっと見つめて……。はっ、そ、そうだったのね。お姉ちゃんが怒ってるんじゃないかと心配だったのね。気付かなくてごめんねステラちゃん!」
「いやまったくそんな事はないんだけど」
「お姉ちゃんは怒ってなんかないわ。お姉ちゃんと同じで居たいというステラちゃんの想いを踏みにじったりなんかしない……! でもお姉ちゃんはステラちゃんが大事だから無理をしてほしくないの!」
「また勝手に解釈して暴走する……」
付き合ってられない、とステラは溜息を吐き……、それでもと考えゆっくりと息を吐いた。
室内にいる三人をゆっくりと見回し、
「心配かけてごめん」
と小さく謝罪の言葉を口にした。
その瞬間、室内がシンと静まり返った。
「な……、なに」
思わずステラがたじろいでしまう。
隣に座るアマネどころか、向かいに座るサイラスとレナードまで動きをピタと止めてこちらを見ているのだ。
三人が制止した室内はまるで時間が止まったかのようで言い知れぬ雰囲気が漂っている。先程までは話し声に負けていた時計の音が妙に大きく響き出した。
「ステラちゃんがデレた!」
「はぁ? デレ? なにそれ」
「ようやくお姉ちゃんの愛が通じたのね……!」
喋りだしたかと思えば歓喜の声をあげるアマネに、ステラはいったい何だと怪訝に彼女を見て、次いで抱きしめようと伸びてきた腕をするりと躱した。
これで抱きしめられたら余計に面倒な事になるのは分かっている。謝罪はしたが、かといって大人しく抱きしめられてやる義理は無いのだ。
アマネが「つれない」と訴えながらもそろそろと手を伸ばしてくるのは、抱きしめるのは無理でも手を繋ごうと考えたのか。それぐらいならとステラも考え、アマネの手を躱すことなく受け入れようとし……、横からすっと現れた大きな手に掴まれた。
節の太い大きな手。それがステラの手を包み込むように握っている。
「ようやく俺の気持ちに応える気になったのか。よし、結婚しよう」
片膝をつきステラの手を握るのはレナード。
いつのまにこちら側に移動してきたのだろうか。テーブルを挟んだだけの僅かな距離とはいえ音もなくそれどころか認識させる前に近付くのはさすがの一言だ。まったく尊敬する気にはならないが。
「は、結婚!? ステラちゃんは私の愛に気付いたの。私の! 姉からの愛に!!」
「まだ視界は戻らないんだよな。それなら俺の部屋で過ごした方が安全だな。安心しろ、ずっとそばにいてやるからな。新婚生活の練習だと思えば良い」
勝手な解釈で暴走するアマネに当てられたのか、レナードまで暴走しだす。
ステラはうんざりだと二人の話を聞き流し、一人静かにこのやりとりを眺めているサイラスへと視線をやった。
「弟と自国の聖女だろう、どうにかしてくれ」という気持ちをこれでもかと込めて彼を見つめれば、強い視線を感じ取ったのか彼とバッチリと目が合った。途端になんとも言えない苦笑を浮かべるのはステラの言わんとしている事を察したのだろう。
ちなみにこの間もアマネとレナードは暴走しており、姉妹愛がどうの、新婚生活がどうのと話し、ステラの視界が悪い間はどちらの部屋で過ごすかで争い始めている。
早く止めて、と訴えるようにステラがサイラスを見つめれば、ようやく彼が口を開いた。
「えーっと……、それで、身体の不調はどう? 痛みは?」
「身体を案じてもらうよりもこの二人をどうにかして欲しいんだけど」
「二人共ステラの事が大事なんだよ。それで痛みは?」
「……まだ残ってる」
痛みと熱は投薬から一日続く。視界も同様。
それをステラが話せば、聞いていたサイラスまでも辛そうな表情をしだした。「無理をしないで」という声はまるで彼まで痛みを感じているかのようだ。
「研究員から薬の事について聞きたいって言われてるんだ。でも辛いなら今日じゃ無くて良い。明日か明後日ぐらいにお願い出来るかな」
「いや、今すぐでも」
「いいよ。今日はゆっくりして」
優しい声色。だがはっきりとした口調には無理をさせまいという意思が強く出ている。反論はさせまいという優しい圧。
そのうえ念を入れるように食事は部屋に運ばせるとまで言ってくるのだ。これはきっと今日一日部屋で休んでいなさいという意味だろう。
これにはステラも頷かざるを得ず「……分かった」と呟くように返した。本音を言えば今も体は痛く熱が体内で渦巻き、とうてい質疑応答など出来る状態ではなかったのだ。休めるのは有難い。
彼の優しさにステラは素直に感謝を示し、自室に戻るべく立ち上がろうとし……、
次の瞬間、ぐいと浮かんだ感覚と、一気に上がった視界に「うわっ」と咄嗟に声を出してしまった。
レナードが抱き上げてきたのだ。
それも片腕をステラの背に回し、もう片方の腕で膝裏を支えて。
抱きしめるように持ち上げられ、ステラが彼の腕の中で目をぱちくりとさせる。
「な、なに……?」
「俺が連れ出したんだ。俺が部屋まで運んでやる」
「運ぶって、別に平気だよ。歩くぐらいなら出来る」
「いい、俺が運ぶから大人しく運ばれてろ」
有無を言わさぬ強引さでレナードが言い切り、そのまま返答も碌に聞かずに部屋を出て行こうとする。
ステラはどうすれば良いのか分からず、だが抗っても降ろしてはくれないだろうと察して大人しくすることにした。アマネが何か騒いでいるが、そこは面倒なので「おやすみ、お姉ちゃん」と告げて黙らせておく。
こう言えば途端にアマネは怒りを納め「おやすみ」と上機嫌で告げてくるのだ。
そうして彼の腕の中でゆっくりと息を吐き、目を閉じた。
意識が揺らぐ。しっかりと自分を抱きかかえるレナードの腕が頼りがいを感じさせ、その安堵感に包み込まれるように意識が沈んでいった。
「無理させて悪かったな」
そんな優しい声を、溶ける直前の意識で聞いた。
◆◆◆
「ステラは?」
「医者から貰った薬もちゃんと飲むっていってたし、今回は大人しく寝るだろ」
部屋に戻ってきたレナードが溜息交じりに深く息を吐いた。
思い出すのはステラの様子だ。部屋から連れ出すなり彼女はぐったりと四肢の力を抜き、返事も朧げになり、自室に戻って布団の上に降ろしてやると起き上がる気力もないと言いたげだった。
その様子から眠りを促す薬の必要は無いのではと告げるも、彼女は夢見が悪くなるからといって結局薬を飲んでから眠ってしまったのだ。それを話す様子もどこか苦し気だった。
「どんな夢だったのかは話してないが、あの様子から見るに相当嫌な夢なんだろうな。……多分、過去の事だろうな」
「そっか……。体の痛みもあるし、深くは眠れないのかもね。やっぱり医者に事情を話してちゃんと診てもらった方が良いのかも」
「……無理だよ」
レナードとサイラスの話に、アマネが割って入った。
先程まではステラに対して姉妹愛を拗らせ、ステラから就寝の挨拶を送られると嬉しそうに破顔していた彼女だが、今は険しいとも言える真剣な表情を浮かべている。
美しい顔は眉根を寄せているからか言い知れぬ迫力があり、きつく縛られた口元が苦し気にさえ見える。悲しさと、それ以上の怒りを感じさせる表情だ。
「ステラちゃんの体の中は歪んでる。少なくとも、医者に治せるような次元じゃない」
「医者に治せないって……」
「あの薬は異常だよ。ステラちゃんの体を私とそっくりにするために造り替えてる。そんなの普通じゃ考えられない」
「だから医者でも無理なのか」
「こんなこと長くは続けてられない。……多分、それは薬を作った奴が一番分かってるはず」
アマネの声が次第に沈んでいく。口にするのも酷だと感じているのだろう。
そんなアマネの続きを担うようにレナードが口を開いた。
「あいつは俺達に関しての情報が浅い。計画も杜撰だ。それにこの薬ときた。元々、うまくいけば御の字、駄目なら使い捨ての駒だったのかもな」
吐き捨てるようなレナードの言葉に室内がシンと静まり返った。
冷ややかな空気が流れる。「ふざけやがって」というレナードの言葉は向ける相手が無く、それがまた彼の憤りになってるのだろう。
だが憤ってるだけでは無駄だと感じたのか、一度深く息を吐くと真剣な顔付きでアマネに向き直った。
「それで、ステラの体は大丈夫なのか?」
「私に聞かれても分からないよ。ただ、あの子の体が私とは違う風に変化してたって事は、薬の効果が抜けて元に戻ろうとしてるって事だと思う。戻り切れれば、多分大丈夫なはず」
「薬の効果が切れるのを待つってことか」
「それも痛みがあるかもしれないけどね。後はもう、ステラちゃんが痛みに耐えるのと自然治癒に任せるしかない」
苦しげに告げるアマネの言葉に、室内の空気がより重苦しくなった。




