16:聖女妹は囚われない
アマネのことを考えたせいか、もしくは偶然か、「ステラちゃん!」と覚えのある声が聞こえてきた。
言わずもがなアマネであり、走り寄ってきたかと思えばその勢いのままステラに抱き着いてきた。
「可愛いステラちゃん、無事で良かった! ごめんね、お姉ちゃんがあんな事をしたから……!」
「まったくその通りなので反省して近付かないで欲しい」
「すべては愛ゆえなの……。愛が、可愛い妹への抑えきれない愛が、独占欲が、私をあんな狂気に走らせてしまったの……! 愛が、深すぎる愛が全てを狂わせる……!」
「また変な演技に入った」
付き合ってられないとステラが呆れの表情でアマネを引き剥がす。
これ見よがしにアマネの目の前で軽く手を叩いてせいせいした事を伝えてやれば、次いで肩を掴まれて引き寄せられた。
今度はレナードである。それも、随分と悪戯気な笑みを浮かべている。
「後のことは俺に任せてくれ。俺がステラの手当てをする」
「何勝手なこと言ってるの、可愛いステラちゃんの手当ては姉である私がするわ」
「怪我の原因を作った奴には任せられないな」
「ぐっ……、レナードめ……!」
正論を前にアマネの表情は忌々し気だ。それを真正面から見るレナードは不敵でいて好戦的な笑みを浮かべており、彼のこの態度がアマネを更に焚きつける。
二人の間に流れる空気は険悪としか言いようが無く、バチバチと音立てながら火花が散っていそうなほど。『犬猿の仲』とはまさにこの事である。
……だけど、とステラは二人のやりとりを聞きながらレナードに視線をやった。
アマネからの反論を時に聞き流し、時に負けじと反論で返し、それどころか終始ステラの肩に手を置いたままで更には引き寄せてたりと、彼は火に油を注ぐような言動をしている。
どことなく、楽しそうに。
アマネに対して煽るような言動をしつつも、彼の瞳は楽しそうで、友好的な色を持ってアマネを見つめている。
出会った当初、彼から警戒の視線を向けられたステラだからこそ分かる。今アマネを見るレナードの瞳には敵意や悪意は無い。
(そういえばレナードは……)
ふと、ステラの脳裏に男の声が蘇った。
『良いか、いざとなったら……、そうすれば……。レナードは実は……』
朧げに何かを伝えてくる声。
話の内容は覚えているのに、誰に聞いたのかは思い出せない。頭の中にある、身元の分からない情報。
聖女アマネと入れ替わった後、行動を起こすための情報だ。
その情報では、レナードは……。
「そうか、だから私が良いんだ」
小さく呟き、無意識に胸元を掴む。
レナードはいまだ肩に手を置いて触れるほど近くにいるというのになぜか遠く感じ、目の前にいるアマネが不満を訴える声もどこか別の場所から響いているように聞こえる。
これだけ近くに居るのに、なぜか薄い壁で遮られているような錯覚さえしてしまう。
だがそんな錯覚を覚えているのはステラだけで、ひとしきり言い争いをしていたレナードがまるで勝利宣言のように「じゃぁな」とアマネに別れを告げた。
そうして歩き出そうとする。
もちろんステラの肩に手を置いたまま、それどころかステラに歩くように促してくる。
つられてステラが歩き出せば、背後から悔し気なアマネの唸り声が聞こえてきた。
「どうだ、アマネの唸り声聞いて少しはスカッと……。おい、どうした?」
「……え?」
「アマネの奴があんなに悔しそうにしてるのに嬉しくないのか? いつも胸がスカッとするとか色々言ってるだろ」
「あ、あぁ……、うん、スカッとしたよ。姉妹愛だなんだふざけたこと言ってひとを監禁したんだから、少しぐらい痛い目を見て貰わないと」
「……その通りなんだが、何かあったのか?」
異変を感じ取ったのかレナードが様子を窺ってくる。
それに対してステラは「何って……」と僅かに躊躇ったのち、
「別に、何も」
とだけ告げて、肩に置かれた彼の手から逃げるように足早に歩き出した。
◆◆◆
「手当てをする前に運び出したいものがある」
そうレナードが言い出すので、ステラは彼に連れられて王宮の地下へと向かった。
王宮の地下は広いワインセラーと用途別に区切られた保管室で構成されている。真暗というわけではないが明かりは最小限しかなく、絢爛豪華な王宮の屋内との差が激しい。
元々この地下は人の出入りが殆どない場所だ。とりわけ保管室に至っては扉が開かれるのは年に片手の回数という部屋もある。
「地下に来るのは初めてかも」
「俺もそんなに頻繁には来ないな。悪い、こっちに来て手伝ってくれ」
一室を前にレナードが手招きをしてくる。
どうやらそこに運び出したいものがあるらしい。ならばとステラは言われるまま一室へと入っていった。
中は保管室にしては物が少なく、あるのは棚と机と木箱が幾つか。部屋の天井付近には小さな窓が設けられており、あの窓は王宮裏手に面しており、外から回ると大人の膝の高さも無いという。換気のための小窓だ。
部屋の隅には大きめの額縁がきちんと並べられて保管されている。
王宮内に飾られている絵画だろうか。思い返せば王宮内はあちこちに絵画が飾られており、それも時期に合わせて飾るものを変えているという。なるほど、飾らない絵画はここに保管しておくのか。
そう考えつつステラは何気なく部屋の奥へと進み、ガチャン、と聞こえてきた音に足を止めた。
振り返れば、扉に背を預けるようにレナードが立っている。
彼の手にあるのは……、銀色の細長い鍵だ。カチャリと音を立てて揺らすのはステラに見せつけるためだろうか。
先程まで平然としていたというのに、いつの間にか彼は目を細めて薄っすらと笑みを浮かべている。
「もはや何も言う気にならない」
「そう呆れた顔するなよ。ここに閉じ込めればお前を独り占めできる。俺のものになって永遠にここで……、待て冗談だ! 話の途中で窓に飛びつこうとするな!」
即座に壁に置かれた棚を伝って窓枠にしがみつけば、慌てたレナードが足を掴んできた。
降りるように促され、仕方なく地面に戻る。服に着いたホコリをパタパタと払えばレナードが盛大に溜息を吐いてきたが、今回に限っては溜息を吐きたいのはステラの方である。
「あの窓、小さすぎて出られない。……でも片方の肩の関節を外せばなんとか」
「さらっと恐ろしいこと言うな。閉じ込めるわけないだろ、冗談だ、冗談」
「生憎とつまらない冗談は冗談と受け取らない主義だから。それで、そもそも運び出したいものって何?」
「あー……、それはだなぁ……」
途端に歯切れの悪くなるレナードに、ステラはまさかと彼をじっとりと睨みつけた。
まさかこのタチの悪い冗談の為だけに地下に連れてきたのではなかろうか……。
そんな疑惑を元に睨み続ければ、察したのかレナードが気まずそうに乾いた笑いを浮かべた。挙げ句に「俺も監禁してみたくなって」だのと軽々しく物騒な事を言ってくるではないか。
これにはステラも呆れを通り越して怒りを抱き、彼の手から銀色の鍵を奪うと部屋の扉へと駆けだした。
もちろん閉じ込めてやるためだ。もっとも、察したレナードがギリギリのところで追いかけて扉に半身ねじ込むようにして制止してきたので叶わなかったのだが。
それでもと無理やりに扉を閉めようとすれば、本気と感じ取ったレナードが慌てて制止と謝罪の声をあげだした。もちろん謝罪程度で許せるわけがない、二度も監禁されかけた恨みは深い。
「私がお前達を閉じ込めてやる……! まずはレナード、お前からだ!!」
「悪かった、悪かったから許してくれって! ほら、何か美味しいもの食わせてやるから!」
「何でもかんでも食べ物で誤魔化せると思うな!」
騒々しく喚き合い、部屋の内外から扉を奪い合う。
聞こえてくる騒々しい音に、地下へと続く階段の近くを通りがかった者達は揃えて首を傾げていた。
◆◆◆
「なるほど、それでその音を聞いてアマネまで駆け付けたってわけか」
「二人揃うと余計に煩いし、果てにはどっちが長く監禁出来たかで競い合って、冗談じゃない!!」
怒りを露わに訴え、傍らに置かれていたクッションをボスンと殴りつけた。さすがサイラスの執務室に置かれているクッションだけあり程よい弾力でステラの拳を受け止めている。
これは完璧な八つ当たりだ。だがクッションに八つ当たりで済ませているのだから、この寛大さを褒めて欲しいぐらいである。
それも含めて訴えれば、話を聞いていたサイラスが苦笑と共に宥めてきた。執務机の引き出しから投げてよこすのは梱包されたクッキーである。これでどうにか……、という事だろうか。
「アマネもレナードも本気でステラを閉じ込めたいわけじゃないし、ただちょっとステラの事を構いたかっただけなんだよ」
「私は閉じ込められたくないし構われたくもない。いっそあの二人を閉じ込めてやれば良かった。三日間くらい地下に閉じ込めれば大人しくなるかもしれないし」
「それは僕も困るかなぁ」
ステラの物騒な発言にレナードが困ったように笑う。次いで更にクッキーを一枚投げてよこすあたり、このままでは実行しかねないとでも思っているのだろうか。
宥める策が焼き菓子のみというのも一言いってやりたいが、その前にまずはアマネとレナードをどうにかすべきだ。
だが二人同時に相手をすると面倒だし、かといって片方を相手にすれば片方が騒いで、下手すると独占欲を拗らせてまた監禁どうの……。
「考えると頭が痛くなりそう……。とりあえず、書類終わったから私は部屋に戻る」
纏めていた書類を軽く整え、サイラスの執務机の上に放り投げる。
手渡ししないのは怒りのアピールである。察したのかもしくはお礼か、クッキーが一枚追加された。
それを受け取りさっさと部屋を出ようとし、だがドアノブを回しても扉が開かない事に気付いた。鍵は開いているはずなのに扉がびくともしない。
何かが扉の向こうで押さえているのか。
だけど、なぜ……。
疑問を抱いてすぐ、ステラは息を呑むと同時に振り返った。
執務机に着いていたサイラスがゆっくりと立ちあがる。
その手にあるのは銀色の鍵……、ではないが、時間を示す懐中時計。
「ま、まさか……」
「ざっと三十分ってところかな。この勝負、僕の勝ちだね」
サイラスが爽やかに微笑みながら勝利宣言をしてくるのを、ステラはもはや怒りも呆れも通り越した無の境地で聞いた。
そんなやりとりの翌日、ステラは自室のドアノブに、
『自主監禁中』
と書いた札を下げ、一日中部屋に籠ってやった。




