11:「ありがとう」
「あ、の、馬鹿女ぁ!!」
背後から聞こえてくるレナードの怒声を、ステラは馬に揺られながら頷いて賛同した。
彼に担がれて部屋どころか建物を飛び出し、そのまま担がれたまま彼の愛馬に飛び乗り、走り出して今に至る。
手綱はレナードが握っており、ステラは背後から彼に抱えられながら馬に揺られていた。
「おい、大丈夫か!? 苦しくないか!」
「……少し楽になった」
「楽に……。そうか近付いてるんだな。あいつら、やっぱりあの場所に居るのか……!」
「あの場所……、お姉ちゃんとお前達が出会った場所……っ!!」
ステラが話の最中に言葉を詰まらせる。
それに気付いたレナードが馬を走らせたまま「おい!」と声を掛けてきた。手綱を片手で持ち、空いた腕でステラの体を抱きかかえる。
彼の手が首に触れた。首を絞める……のではない。大きな手は締め付けから少しでも解放させるように首輪を押さえている。
「また締まったのか? もうすぐ着くからあと少し我慢を」
「舌を噛んだ」
「……は?」
「舌を、噛んだ」
揺れている中で話をしたから思いっきり舌を噛んでしまった。
そう説明してベェと舌を出して見せれば、レナードが一瞬目を丸くさせた。だが次第に話を理解していったのか彼の表情が何とも言えないものに変わっていく。
その果てに発せられた「もう何も喋るな」という声は未だかつて聞いた事のないほどに低い。唸り声とさえ言える程だ。
「くそ、心配して損した……。そもそもなんで俺が心配しなきゃならないんだよ……」
「難儀な性格だな」
「お前が言うな。もう何も喋るな。少しぐらい首輪で苦しめ」
自棄になっているのか、もしくは己の現状への八つ当たりか、命じてくるレナードの声色は今日一番低い。
これに対してステラは今は大人しく従っておこうとし、ふと道の先に見覚えのある姿を見つけた。
開けた草原。そこに二頭の馬が止められており、少し離れた場所に並んでアマネとサイラスが座っている。
二人はこちらに背を向けており、遠目でも距離が近いと分かる。触れそうな程に近付き、それどころかサイラスの手がアマネの肩に触れている。割って入るのを躊躇わさせる空気だ。
だが今のレナードにはそんな空気など関係ないのだろう。むしろ彼からしたら二人の間に漂う空気が良ければ良いほど腹立たしいのかもしれない。手綱を握る手がわなわなと震えている。
その気配を感じ取ったのか、単に足音を聞いたか、アマネとレナードがほぼ同じタイミングで振り返った。
「よぉ、お二人さん。楽しそうなところ邪魔して悪いな」
「レナード、どうしたんだ? ステラまで連れて」
突然の乱入にサイラスが不思議そうに視線を向けてくる。
彼の隣に座るアマネは自分達の距離が近い事に今更気付いたのか慌てて立ちあがり、白々しくステラを呼んで近付いて来た。
「可愛いステラちゃん、お姉ちゃんが居なくて不安になって探しに来たの? ごめんね、いつも一緒に居ようって約束したのに」
「約束してない」
「そんなに拗ねないで。でも、どうしてわざわざ探しに来たの?」
サイラスとアマネがそれぞれ理由を尋ねてくる。
それに対して、ステラはレナードと顔を見合わせ……、
「お姉ちゃんが遠くに行くから私の首輪が締まったんだ」
「アマネが遠くに行くからこいつの首輪が締まったんだ」
と、声を揃えて言ってやった。
次の瞬間、長閑な草原にアマネの甲高い悲鳴が響き渡った。
◆◆◆
「ごめんねぇ、お姉ちゃんってば可愛い妹に酷い仕打ちを……。こんなのお姉ちゃん失格だわ……、やめないけど、お姉ちゃんであることはやめないけど失格だわ。失格だろうとやめないけど」
「嘆いてても残る自我の強さ」
「本当に悪かったよ。最近仕事が立て込んでて出かける機会が少なくてさ。久しぶりだから少し浮かれちゃって」
「はいはい、分かったよ。何事も無かったしもう良いだろ」
嘆きながら謝ってくるアマネにステラが呆れを返し、苦笑しつつ謝罪をするサイラスの話にレナードが肩を竦める。
賑やかとさえ言える進みに擦れ違った者達は不思議そうにこちらを見るが、二人の王子と聖女が居ると分かるや誰もが恭しく頭を下げた。中には、それに加わるステラを見て「あれが噂の……」「本当にそっくり」と小声で話し合う者もいる。
その声には警戒の色は全く無く、あるのは好奇心と敬意だけだ。
(警戒や侮蔑の視線は覚悟してたけど、真逆の要素で見られるのはなんだか落ち着かない……)
妙な居心地の悪さを覚えつつ、行きと同じようにレナードが手綱を握る馬に乗る。
本当は一人で馬に乗りたかったのだが、それを話したところ「逃げるつもりか? 駄目に決まってるだろ」「僕は良いと思うよ。そうしたらアマネは僕の馬に乗れば良い」「お姉ちゃんと一緒に乗りたいのね。さぁおいで」という三者三様の返答をされてしまった。
それが順にレナード、サイラス、アマネなのは言うまでもない。これに対してステラはレナードとサイラスには返答し、アマネのみ無視をし、仕方なくレナードの馬に乗って今に至る。
「ったく……、なんで俺がこんな面倒な事を」
背後から聞こえてくるのはレナードの愚痴。
既に怒りは引いているようだが、どうやら怒りが引く代わりに疲労感が募ってきたらしい。声には覇気が無くうんざりしたという気持ちがこれでもかと込められている。
そんな愚痴を聞きながら、ステラはふと考えを巡らせた。自分の体を支えるレナードの腕に視線を向ける。
日々鍛えているだけあり逞しい腕。彼は王族として騎士隊を率いており、有事の際には自らも剣を持って戦うと聞いた。もっとも、この国が他国と争っていたのは随分と昔、歴史と言える時代でのことだが。
それでも国内の争い事を納めるために騎士は日々鍛えており、彼の腕の逞しさや背に触れる体躯の良さからそれを感じさせる。
思い返せば、自分を担ぎあげるときも軽々としていた
そのままの勢いで、彼はひとを担いでいるとは思いもしない勢いで王宮を飛び出して馬に飛び乗ったのだ。
(レナードは私を助けてくれたんだよな……。それに、この名前も考えてくれた)
もしもレナードが『ステラ』という名前を提案してくれなければ、あやうく『春風に誘われて舞い降りたハニーマフィン』として今日一日首輪の締め付けに苦しむところだった。
そんな最悪を超えた地獄とさえ言える状況を想像すれば、今は比べるまでもなくマシだ。『ステラ』という名前も既に馴染んでいるし、首輪も元に戻った。ちゃんとアマネから遠ざかった時には締め付けないように設定を変える約束も取り付けてある。
それらすべてレナードのおかげだ。
となれば礼の一つでも言っておくべきなのかもしれない。
そう考え、さっそく……、と礼を告げようとするも、言い出すより先に王宮に到着してしまった。
「ごめんねステラちゃん、お詫びにお姉ちゃんのデザート食べて良いからね。なんだったらお姉ちゃんが食べさせてあげる」
「アマネ、ほら落ち着いて。とりあえず中に入ろう」
いまだ落ち込んでいるアマネを宥めて、サイラスが彼女を連れて王宮の中へと入っていく。「先に行くよ」と苦笑交じりに告げてくる声と軽く手をあげる仕草は相変わらず爽やかだ。
そんな二人の背が小さくなるのを見届け、ステラは今ならと考えて馬上でくるりと振り返った。背後から抱えるように密着しているため振り返れば間近にレナードの顔がある。
突然振り返ったステラに驚いたのか濃紺色の瞳が丸くなった。
「な、なんだよ。また舌でも噛んだのか?」
「いや、礼を言っておこうと思って。……ありがとう」
レナードの目をじっと見つめて感謝の言葉を口にする。
彼はいまだ目を丸くさせたままで、呆然としたように「……は?」という声を漏らすだけだ。
突然感謝されてわけが分からないのだろう。確かに突然すぎた。
「首輪の事に気付いて、すぐに馬を出してくれただろう? それに名前も考えてくれた。その礼は伝えておかないとと思って」
「そ、そう、か……。いや、気にするな」
「分かった。それなら気にしない」
本人が気にするなと言っているのなら気にしなくて良いのだろう。そう判断し、ならばと馬からひらりと降りた。
先程のサイラス同様に「先に行ってる」と声を掛けてレナードを置いて王宮へと向かう。特に彼を待つ理由も、ましてや振り返って様子を窺う理由も無い。むしろこの騒動でお腹が空いているため、心なしか歩みはいつもより早い。
ゆえに、レナードが馬上からなかなか降りなかったことも、ましてや彼がじっとステラの事を見つめていたことも、
「……なんだよ、あいつ、結構可愛いところあるじゃねぇか」
そう小さく呟いたことも、生憎とステラは気付かなかった。




