10:聖女妹のたまに苦しい生活
『聖女アマネの妹』としてステラの生活が始まり、一月が経過した。
突然現れた妹など普通ならば怪しんで当然なのだが、誰もが「アマネ様の妹なら」とステラのことを受け入れている。
聖女の地位の高さと、それほどまでにアマネがこの国に貢献しているという事だ。ステラにとっては人に首輪をつけて姉妹愛を押し付ける厄介でしかない女だが、これがどうして人望は厚い。
そんなアマネの人望と、そしてサイラスとレナードが同意しているというのも周囲が納得する要因であった。
とりわけレナードに対しては警備面での信頼もあり「何かあってもレナード様がいらっしゃるから」と話す者は多い。
(人望ねぇ……。どうして己に関する決定を他人への不確かな感情にゆだねられるのか)
よく分からない、と考えながらステラは王宮の一角を歩いていた。
屋内はおろか敷地内も含めて自由な行動が許されており、その範囲内であれば首輪も締まらないという。だからといって出歩く気にはならず、もっぱら与えられた自室とアマネ達の居るところの往復である。
本音を言えば部屋に引き籠って今後の計画を立てたいところなのだが、それをしたところ「ステラちゃんと会えなくてお姉ちゃん寂しい」とアマネが部屋に入ってくるわ、それと一緒にサイラスとレナードまで来るわで騒々しくなったのだ。
これなら自ら部屋を出た方がマシだ……、と、有耶無耶の内にベッドでアマネに寝かしつけられながら思ったのは記憶に新しい。
そうして王宮内を歩き、一室の前で足を止めた。
扉にはレナードの名前が記されている。彼の執務室だ。一応の礼儀として扉をノックすれば、「入れ」と簡素な声が返ってきた。
低い声。幾分警戒の色が感じられるのは警備を担う役割からか。ゆっくりと扉を押し開いて中に入れば、机に向かい仕事をしていた彼が顔を上げてこちらを見た。
「なんだ、ステラか。どうした」
相変わらず声は低く、警戒を隠そうともしていない。むしろ警戒の色を強め、鋭い眼光で探るように睨みつけてきた。
言葉で訪問理由を尋ね、そして視線では嘘偽りを見逃すまいとしているのだ。
真正面からぶつけられる警戒心をステラはさして気にも留めず「仕事中に失礼」とだけ返しておいた。
「お姉ちゃんを見てないか? お姉ちゃんの部屋に行ったんだが姿がなくて……、うぅううう」
「強制で姉呼びさせられて不服なのは分かるが、いい加減慣れろ。唸るな」
「慣れなくてはと思う反面、慣れたら終わりだという気持ちもする……、うぅうう」
「まぁ、分からなくもないな。それで、アマネを探してるんだったか。あいつなら兄貴と遠乗に行ったぞ」
レナードの話を聞き、そういえば、とステラはアマネが乗馬好きだという事を思い出した。
愛馬を可愛がっており、時に自ら手綱を握って草原を駆ける。女性にしては珍しい趣味だが、その一面もまた聖女としての特別視の一因になっているという。
馬を走らせ黒髪を風に揺らす姿は凛々しく高貴さを感じさせる……、そんな賛辞が国民からあがるらしい。
それを踏まえ、入れ替わった際には怪しまれぬよう定期的に遠乗りに出るようにも言い渡されていた。
その際には護衛のため必ずサイラスかレナードが同行するのが決まりとなっているが、アマネが選ぶのはいつも……。
「置いていかれたのか、残念だったな」
ニヤと笑みを浮かべてステラが告げれば、レナードの眉間に皺が寄った。
警戒というより不服と言いたげな表情。「煽るな」と言い捨てる声色にもどことなく不機嫌そうな色が混ざっている。睨みつけてくる眼光はより鋭い。
だが彼は一度深く溜息を吐くと気持ちを切り替えたのか、「それで」と話を改めてしまった。
「どうしてアマネを探してるんだ?」
問われ、ステラは特に隠すことも無いと「これだ」と己の首元に手を添えた。
姉妹愛のネックレスこと首輪。今のところ名前の刻印やお洒落なチャームは回避出来ており、シンプルな鉄の塊である。
そんな首輪を軽く揺らせばカチャと金具が音をあげた。聖女の特殊技術ゆえなのか見た目に反して重さは感じず、苦しさも無い。平時は着けていることを忘れてしまうぐらいだ。
……だけど、
「なんだかさっきからこれが締まってる気がするんだ」
「締まってる? お前、まさか何か企んでるんじゃないだろうな」
「いや、誘拐を企てたり脱走しようとするともっと分かりやすく締まってくる。さすがに呼吸は出来るけど、不快に思うぐらいにはきつい。あぁ、でも、寝込みを襲おうとしたときは息が詰まるぐらいには締まった」
「誘拐だの脱走だの、挙げ句に寝込みを襲うだの、物騒な事をさらっと言うな」
「突然部屋に押しかけてきたかと思えば勝手にベッドに入り込んだ末に『お姉ちゃんが子守歌を謡ってあげる』なんて言い出して一分で鼾かいて寝られたら誰だって寝込みを襲いたくなる。他はともかく、あの時の私は悪くない」
「……気持ちは分かるが、そういう時は俺か兄貴を呼べ、部屋から引きずり出すぐらいはしてやる。それで、普段とは首輪の締め付けが違うのか?」
レナードの視線がステラの首元に向けられる。
平時は着けているのを忘れてしまいそうなほど軽く、それでいてアマネに危害を加えようとすると締まる、ステラにとっては忌々しいことこの上ない首輪。悔しいが防犯としての効果は抜群だ。
そんな首輪が一時間程前から徐々にきつくなってきていた。
最初は肌に触れているのを意識させる程度に、次第にその感覚が煩わしくなり、今は例えるならば首元の詰まったきつい服を着ているような感覚にまでなっていた。
息苦しいとまでは言わないが不快だ。そう説明している間にもまた僅かに首輪が締まった。
「なるほど、それであいつを探してたのか。だが一時間前に遠乗りにでたばっかりで直ぐには戻って来ないぞ。……ん?」
「まだ戻ってこないのか……。まったく、ひとの気も知らないで勝手なお姉ちゃんだ。……そんな、女って単語も駄目なのか。うぇ、またちょっと締まった」
首輪の性能と締め付けにステラが愚痴るが、対してレナードは何やら考えるように黙り込んでしまった。
彼の視線はいまだステラの首元に注がれている。警戒の色を宿して睨みつけていた表情が次第に引きつったものへと変わり、僅かに上擦った声で「おい」話しかけてきた。
「アマネの奴、遠乗りに出かけたが、その前に首輪の設定は変えて行ったんだろうな?」
「設定?」
「逃亡防止にアマネから離れたら締め付けるって言ってただろ。それは、アマネが自ら遠ざかった場合は無効なんだよな? 少なくとも今だけは無効になってるんだよな?」
嫌な予感がしているのか引きつった表情で尋ねてくるレナードに、ステラは首輪に触れたまましばらく考え……、
「さぁ?」
と答えた。
もっとも声を出そうとしたタイミングでまた首輪が締まったので「うぇ」という間の抜けた声になってしまったのだが。
その瞬間、レナードが勢いよく立ち上がり、そのままの勢いでステラを担ぐと部屋を飛び出していった。




