01:侵入少女と聖女
絢爛豪華な王宮の通路を、少女は颯爽と歩いていた。
まるでここが己の住まいかのように。周囲を見回す事も行先を確認する事も無く、壁に掛けられた絵画や飾られる生花がどれだけ美しくても一瞥すらしない。
その堂々とした歩みは、誰が見ても少女がこの場に初めて立ち入ったとは思うまい。
王宮勤めのメイドや給仕達と擦れ違うが、彼等は少女を「聖女様」「アマネ様」と呼び慕い、少女が応じると頭を下げて去っていく。この姿もやはり堂に入っており、少女をこの場に居て違和感のない存在に見せていた。
(誰も私を疑ってない、首尾良く侵入できた)
そう、少女は心の中で呟いた。
誰もが自分を『聖女』だと思っている。
この王宮に住む規格外な力を持つ聖女。ある日突如として現れた彼女は黒髪と黒い瞳というこの世界では有り得ない見目を持ち、この世界には無い知識や技術を齎した。彼女の功績はまさに『聖女』と呼ぶにふさわしい。
だが聖女の活躍も今日で終わりだ。
誰もが気付かないうちに聖女は攫われ、そして聖女と瓜二つの存在が入れ替わる。
(……私と)
ちらと見た鏡に映るのは、黒髪と黒い瞳を持つ聖女の顔。
容姿も、背格好も、歩く様も、仕草も、なにもかも完璧に、この身は聖女そのものだ。
「……そのために生きてるんだ、だから、そうしないと」
抑揚のない小さな声で囁くように呟きながら、少女は目当ての一室に辿り着くと周囲を窺った。
与えられた情報によると、夜遅いこの時間帯、ここいら周辺は人の行き来が少なくなる。現にひとの気配は無く、耳を澄ましても話し声や足音は聞こえてこない。
王宮周辺は当然だが昼夜問わず警備が張られている。夜間でも警備は巡回し、屋内にも有事の際に駆け付けられるように常に監視の目が張り巡らされている。ここに来るまでにも何度も警備の騎士達と擦れ違った。
だが聖女の私室周辺になると別だ。
王宮奥地にあるこの場所には警備は常在しておらず、巡回も他の場所に比べて少ない。特に深夜ならば尚更。
つまり、王宮奥にまで入り込めば部屋に侵入するのは存外無理な話ではないのだ。
もっとも、その『王宮奥にまで入り込む』という事が普通ならば難しいのだが。
黒いローブのフードを目深に被り、そっと扉に手を掛ける。
部屋の鍵が掛けられていない事は知っている。油断か慢心か、もしくは元居た世界とやらではあまり自室に鍵を掛けない習慣だったのか、聖女はあまり自室に施錠する事はないという。
今もまさに、ゆっくりとノブを回して押し開けば扉が静かに開いた。
室内に居るのは一人の女性。背を向けているため顔は分からないが、長く艶のある黒髪を見れば一目で彼女が誰だかわかる。
聖女アマネと呼ばれている彼女はしばらく侵入者に気付かずにいたが、ドレッサーの鏡に人影が映ると息を呑んで勢いよく振り返り……、
次の瞬間、少女の視界が一瞬にしてぐるりと回った。
「……へ?」
と、少女の口から間の抜けた声が漏れる。黒く長い髪が不自然にふわりと浮くのが見えた。
その声に続いて響いた衝突音は少女の体が床に叩きつけられた音だ。
視界が数度瞬いたのちに天井が視界に映り込む。反射的に起き上がろうとするもずしと体に重みが加わり、今度は床が眼前に迫ってきた。
衝撃で揺らぐ意識の中、倒されたのだと一寸遅れて理解した。
投げ飛ばされ、起き上がろうとしたところを伸し掛かられたのだ。背中に伝わる重みは聖女のアマネが座っているのだろう。振り返ろうにもフードが邪魔をして背後が見えず、フードを捲ろうにも背中に乗るアマネの足が腕を踏んで押さえつけている。
「くっ……」
「まさか部屋にまで入られるなんて思わなかったからビックリしちゃった。でもこれも私の美貌が悪いのよね。まさか侵入させるほどに私に魅了されるひとが出てしまうなんて……」
「え、いや、違う……」
「だけどさすがに乙女の部屋に侵入するのは駄目だわ。というわけで、そんな不埒な輩はさくっと捕縛を」
話しながらアマネの手が少女が纏うローブのフードに触れる。
だがフードを捲る直前、バタバタと騒々しい足音が聞こえてきた。
「おい、今の音はなんだ!」
「アマネ、大丈夫かい!?」
部屋に飛び込んできたのは二人の青年。
彼等は室内の様子を見るやぎょっとした驚きの表情を浮かべており、その表情はどことなく似ているところがある。
そんな彼等の登場に、少女はローブを掴まれたままそちらへと視線をやった。
「ア、アマネ、そいつは……?」
「私の美しさに誘われて部屋に迷い込んできたみたい。この美貌だから仕方ないとはいえ、さすがに部屋に入ってくるのはいただけないからね。とっ捕まえて処分をしようと思って」
「お前、さらっと自画自賛を」
「ひとまず侵入者のご尊顔の公開! はい二人共、拍手!」
大袈裟な言葉と共に――もちろん誰も拍手はしない――、アマネがローブのフードをぐいと引っ張ってきた。
碌に抗う事も出来ず少女の顔が晒され、フードの中に隠していた黒い髪がはらりと落ちた。
せめてもの抵抗と少女が顔を覗き込んでくるアマネを睨みつれば、彼女は黒い瞳を丸くさせ、「そんな……」と掠れた声で呟いた。
だが自分と瓜二つの顔がフードから現れたのだから言葉を失うのも仕方ない。
間近に見るアマネの顔は、元より瓜二つだと分かっていた少女でさえまるで鏡を見ているかのような錯覚を覚えるのだ。知らされていない本人には驚愕を通り越して恐怖かもしれない。
現に、二人の青年も目の前の光景に理解が追い付いていないのか驚愕を隠し切れずに立ち止まっている。
そんな張り詰めた沈黙の中、最初に動いたのは少女のフードを掴んでいたアマネだ。パサリとフードを落とすと、今度はその手で少女の頬に触れてきた。
アマネの手は震えている。彼女はまじまじと少女の顔を見てきたかと思えば、ゆっくりと口を開いた。
誰かと問うのか、
それとも恐怖の言葉を口にするのか。
そう少女が考えていると、驚愕の色だったアマネの表情がパァと音がしそうな程に明るくなった。
「なんて可愛いの……、私の愛しい妹!!」
歓喜の声に、誰もが一瞬言葉を失い……、
「はぁ??」
と、思わず声をあげた。
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