相続空き家の3,000万円特別控除を使えないかな? (その3)
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体は架空であり、実在のものとは関係ありません。
一通り説明を終えた茜は僕に言った。
「実勢価格が相続税評価額よりも高い場合(ケース1)は、売却した後に相続すると税額が3,640万円。だけど、相続した後に売却したら税額は2,130万円。だから相続する前に売ったらダメ。だよね?」
「そうだね」
「逆に、実勢価格が相続税評価額よりも低い場合(ケース2)は、売却した後に相続すると税額が20万円。相続した後に売却したら税額は630万円。だから、相続する前に売った方がいい。だよね?」
「そうだね」
「つまり、実勢価格が相続税評価額より高い不動産を持っている人は、相続する前に売らない。都市部に不動産を持っている場合は、このケースになると思う」
「そうだろうね。都市部の不動産は相続税評価額の方が低いから」
※場所によって差があります。都心の土地の場合、実勢価格は路線価(税法上の評価額)の数倍になるケースもあります。
「逆に、実勢価格が相続税評価額よりも低い不動産を持っている人、つまり地方の不動産を持っている人は、先に売却した方が相続税は減る。だから、相続前に不動産を売りたいよね?」
「そういうことになるね」
「地方の不動産の場合、『相続空き家の3,000万円特別控除』が使えても、使えなくても、相続前に不動産を売るのが基本的に正解」
「たしかに……」
茜は話を続けた。
「さらに、現状は、相続した不動産を売却した場合は『相続空き家の3,000万円特別控除』が使える。だから、ケース1の税額の差はもっと大きい」
「『相続空き家の3,000万円特別控除』を前倒ししたら、ケース1の差は縮まるんじゃないの?」
「あまり変わらないと思うよ」
茜はそういうと僕にグラフ(図表10)を見せた。
【図表10:売却価格による税額の比較】
※売却価格を2,500万円ごとに計算しているため、グラフの形状が正確ではありません。
「『相続空き家の3,000万円特別控除』を前倒しできた場合を計算すると、ケース1の場合は譲渡所得税1,500万円が、1,050万円に下がる」
「450万円も得するじゃない!」
※計算過程は以下の通りです。
譲渡所得=売却価格-取得費-控除額=2億円-1億円-3,000万円=7,000万円
譲渡所得税額=7,000万円×15%=1,050万円
「まあ、下がるね。この場合のケース1の相続税は2,230万円(計算過程は省略)。だから、税額合計は3,280万円(=2,230万円+1,050万円)になる」
「税額合計は3,640万円から3,280万円に下がるから……360万円税金が安くなってる」
「そうね。でも、元々相続してから売却する場合は『相続空き家の3,000万円特別控除』が使えるでしょ。税額合計は1,680万円(630万円+1,050万円)なんだ。前倒しできたとしても相続前に売却しない方が税金は安くなる」
「そう……だね」
自信がなくなってきた僕は茜に質問する。
「『相続空き家の3,000万円特別控除』を前倒しする意味はないと思う?」
「全くないわけじゃない。ケース2で取得費が低くて譲渡所得が発生する場合には意味がある」
「ふーん。どれくらいの対象者になると思う?」
「まず、相続税の支払いが必要なのが全体の10%くらいでしょ」
「そうだね」
※国税庁が公表している『令和3年分 相続税の申告事績の概要』によれば、2021(令和3)年度の相続税の課税割合は9.3%です。
「そのうち、実勢価格が相続税評価額よりも低い場合で、取得費が低くて譲渡所得が発生する場合。そういう人は前倒ししたら得するね」
【図表11:前倒しで得する人】
「ほとんどいなくない?」
「そうね。取得費500万、相続税評価額1億円、実勢価格7,000万円の場合は、税金が400万円くらい安くなるよ」
「ぐぬぅぅぅ……ピンポイントすぎる……ダメじゃん」
僕は茜の話を聞いて悟った。
スーパーコンピューター垓でシミュレーションするまでもなく、『相続空き家の3,000万円特別控除』を前倒ししても、何の効果もないだろう。
「ダメ元でシミュレーションしてみる?」と茜が提案したのだが、僕は「別にいい」と断った。
そしたら、「志賀みたいなバカな奴が引っかかるかもしれないしさー」と茜に言われた。実に屈辱的だ。
落ち込んでいたら、新居室長が僕の横に座ってきて優しく話しかけられた。
「私と志賀くんの家は、私が死ぬまで売ったらダメよ!」
「はあ……」
「だって、都市部の不動産は相続した方がいいらしいし……それに、二人の思い出が詰まってるから……」
新居室長は僕を優しいまなざしで見ている。
そのまなざしは、僕を心配しているのか、それとも、弱った獲物を狩ろうとする捕食者の目なのか……僕には判別がつかない。
とにかく、空き家問題の解決までの道のりは長そうだ。




