9年前 2月④
その日発生した竜巻が、イノリたちの乗った船を巻き込んだニュースは瞬く間に広がり、島中騒然となった。
連絡を受けたミユキの両親は、現状確認のためそれぞれ学校と役場へ向かった。
留守番を言いつけられたミユキは部屋で遊んでいたが、お腹が空いてリビングへ降りた。
「あれ?コウキは?」
そこで初めて弟の不在を知った。
「コーキ、どこー?お昼ごはん食べようよー」
家の中は静まり返っている。
(お庭かな)
「コウちゃん、いるー?」
庭や家の周りを探したが、いない。
(どうしよう、パパもママもいないし…)
言い様のない不安に襲われる。
ふるふると首を振って不安を振り払う。
(私が、探さなくっちゃ)
鞄に水筒とお昼用のサンドイッチを入れて家を出た。
コウキが1人で行けるのは、近所の公園か、ヒロの家か、寺くらいだった。公園にはいなかった。ヒロが引っ越した今、残る候補は一つしかない。
寺へ向かう間、ミユキは今朝コウキにサッカーの練習に誘われたことを思い出していた。どうせヒロに会う前に少しでも上達したいのだろうと思い、イベントに呼ばれなかったのが面白くない彼女は同行しなかった。
(きっと、まだ裏山で練習してるんだ。もしかしたら、マサちゃんと遊んでるのかも)
それなら、お寺でお昼ごはんを食べてるかもしれない。お腹の空いたミユキは、サンドイッチを先に食べてしまおうかと思い一度立ち止まったが、ちゃんと確認してからにしようと思い直し再び歩き始めた。
寺には誰もいなかった。本堂にも離れの方にも人の気配がない。ミユキの両親と同様に、事故の様子を見に行ったのかもしれない。だが彼女は、一応裏山まで確認することにした。
「コウちゃーん、コーキー」
名前を呼びながら道を進むが返事はない。
(ここにもいない)
諦めて踵を返した瞬間、視界の端に何かが目に留まった。
「ボール…?」
コウキが先日まで使っていたものだった。確かヨシマサに譲ったはずだ。不審に思って近づこうとして、ハッとした。住職の言葉を思い出したのだ。
『いいかい、ミユキちゃん。おじさんは、君たちは危険だと言われたらちゃんと約束を守ってむやみに近づくようなことはしない子たちだと思ってる。だけど、ミユキちゃんは一番お姉さんだから、もう少し詳しく話しておこうと思うんだ』
裏山は、一本道がまっすぐ伸びており、その脇は少し高さのある藪が生えている。だがしばらく進むと少し開けた所がある。
『君たちが行っていいのは、そこまでだ。そこから先は決して行ってはいけない。それと』
そこには小さな祠がある。そこから崖の方にも決して行ってはならない。これは、こどもたち全員がきつく言い含められていることだ。
『どうして祠より先が危険なのかも、ミユキちゃんには説明しておこうと思う。祠から先は細い山道になっていて、迷子になりやすいし、道が悪くてケガもしやすい。それと祠の向こう側はね、崖になっているんだ。その下には川が流れている。雨がたくさん降ると水が増えたりもするんだ。だから、崖の辺りは少し地盤が弱いんだ』
『じばんって何?』
『えーと、つまりね、小さい子どもが少し歩いただけでも、地面が崩れて下に落ちちゃうかもしれないんだ。わかるかい?』
『うん、わかるよ』
『そうか、良かった。だから、裏山に行っても構わないけど、奥までは行かないでくれるかな』
そう言われてから、自分はもちろん、他の子どもたちが奥へ行かないように、よく注意してきた。
「─ほこら、どこ?」
いつもの場所にあるはずの祠が無かった。注意深く見回すと、少し離れた所の雑草に隠れた、壊れた祠を見つけた。なぜそんな風になっているかはわからなかったが、遊んでいいのはやはりここまでであることはわかった。
(じゃあ、やっぱりこの先はあぶないんだ。でも…)
ボールはその危ないところに転がっている。どうしてそこにあるのか確かめたくて、住職の話を思い起こした。
『でも、もし間違えて奥に行っちゃったらどうしたらいい?』
『うーん、あってほしくない状況だけど…そうだなぁ、もし、万が一、行ってしまった時は、自分が歩いてきたところを辿って戻って欲しい。来た道なら比較的安全なはずだからね。もし来た道がわからなかったら…』
そう言って住職が教えてくれたのは、手や足、木の枝などを使って地面の強度を確認しながらゆっくり戻ることだった。
『だけど、基本は大人が探しに来るまでじっとしててほしいな。その場から動かないのが最善だから』
(確かめながらなら、行ってみても大丈夫かな)
だめなことだとはわかっていたが、あってはならない場所にボールがあるという事実が、ミユキの心に警報を鳴らしていた。
太めの枝を探し、手足を使って地面を確認しながら一歩ずつ慎重に進む。すると、ボールの数メートル手前に穴があるのに気がついた。
危険を見つけた以上、さすがにミユキもそれ以上は進めなかった。それでも、何か手がかりがないか、観察は続けた。見る限り、ボールは崖ギリギリのところに留まっている。ボールの手前、穴を囲う様に2本の太い根が這っていた。つまり、おそらくはその根の間に細い根が張り、枯葉などがそれを覆い、さも地面かあるかの様な状態になっていたのだろう。その根幹である木は、崖ギリギリに生えており、いつ崩れ落ちてもおかしくなさそうだった。
穴の詳細を知りたいミユキは、その場で這いつくばった。穴の下は明るく、下まで通じているようだ。穴を通して奥に微かに川が見えた。更に目を凝らす。
「…!」
彼女は目を見張り、心臓はズクンと鈍い音をたてて激しく動悸した。何か、人の手のようなものが見える。
未曾有の事態にミユキはパニックになった。今だかつてない危機感をおぼえ、震えながら、慎重にもと来た道を戻った。それから、全速力で境内に戻った。
(コウちゃん…なの?ううん、もしちがくても、誰かおとなに言わないと…)
だけど、どこに行って、誰に何て言ったらいいのだろうか。
途方にくれた彼女の足が向かったのは炊事場の勝手口だった。鍵は開いていた。よろよろと進み、あがり框に座り込んだ。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう…)
鼓動がうるさくて考えられない。全身が燃える様に熱い。
(誰か、助けて…)




