8月3日②
市場は活気に溢れていた。
さっきまでの孤独を夢と錯覚しそうになる。あまりの差に目眩がしそうになりつつ、その騒々しさに安心した。早速、クロのご飯の材料と、夕飯に使えそうなものを探す。
「あ、アサリか…パスタとか食べたいかも」
(でも下処理?とかやり方分かんないな…調べればわかるかな)
商品を手にしようとすると、
「その隣の方がいいよ」
と声がした。振り向くと、イノリが満杯のカゴを持って立っていた。
「おはよっ」
とイノリはにっこり笑って、「こっちのアサリの方が元気だよ~」と別のアサリのパックを取りヒロに渡した。
「お、おはよ。早いね」
「ヒロも早いね~香織さんのお使い?」
「あ、いや、早く目が覚めちゃって、クロのご飯の材料とか見ようと思って」
「えっクロのお世話してるの!どうりで見かけない訳だ~仲良くなったんだねぇ」
イノリは嬉しそうに笑った。
「イノリも買い出し?…すごい量だけど」
その細い腕のどこにそんな力があるのかと思う程の大荷物だった。
「うん、おじいちゃんたちはお客さんの朝ごはんの支度で忙しいから、朝の買い出しは私が当番なんだ~」
「お客さん?」
「うん、おじいちゃん民宿やってるの。お祭り前でほぼ満室だから忙しいんだよ~」
「そうなんだ、俺も明日、お寺に祭の手伝いに行くことに…あれ」
少し離れた所にリエがいた。目立つ髪を1つに結んで野菜を見ている。
「リエ~おっはよー!」イノリの高い声は周囲のざわめきを抜けてリエに届いた。リエが気づいてこちらに向かうのと同時に、背後から声がした。
「ヒロ、イノリ、おはよう」
振り返るとコウキとリエがいた。
「え!あ、おはよう」
「2人ともおっはよ~珍しいね、こんな時間に」
「今日、フグ袋の日だから。観光客も増えてるし、朝イチ行って確保しようって。お一人様ひとつだから、家族総出だよ」
コウキが苦笑しながら答える。
「ふぐぶくろ?」
思わず聞き返すと、イノリが説明してくれた。市場で過去に一度出したフグ入りの福袋が好評で、それから月に一回海鮮や関連食品の詰合せを数量限定で販売している。結構いいものが入っていて、人気らしい。フグが入っているのは冬だけだが、年中フグ袋と呼ばれているとのこと。
フグ袋を持ったミユキは、一昨日の暗い雰囲気とは違い、纏う空気は柔らかそうに見えた。
「ミユキ、この前と感じ違うね」
とコウキに耳打ちすると、
「あぁ、まだ半分寝てるから無防備なんだよ。確かに外でほとんど見せない、レアだね」
とニヤリと笑って答えた。
「お、おはよ!」
リエが合流した。
「おはよ。リエも珍しいんじゃない?こんな早朝に」
とコウキが応える。
「明日からの祭りの準備の差し入れ作り、お母さんが張り切ってて…」
リエは顔を赤らめながら答える。
(?)
「うちにくれたごはんも美味しかった。リエの母さん、料理上手いんだな」
「リエ、ヒロのとこ行ったの?」
とコウキが尋ねると
「いやっヒロじゃなくて香織ちゃんにね!?仕事忙しいみたいだからって…ヒロに会いに行った訳じゃないから!」
必死で弁解するリエを見て、もしかして、と気づく。
(おぉ…なんていうか…女子だな。)
身内みたいな感覚だったリエの恋する乙女状態を見るのは、なんともむず痒く居たたまれない。
イノリが時計を一瞥し
「みんなに会えてすっごく嬉しいんだけど、もう行かなきゃ、またね!」
と慌ただしくレジの方へ去っていった。
(あれを持って走れるのか…)
「僕らもそろそろ行かなきゃ。ヒロ、今日は何か予定あるの?」
「あ…ないけど、明日は祭りの手伝い?にお寺に行くよ」
「そうか…じゃあ僕も明日はお寺さん行こうかな。それじゃ、また明日」
「うん、また」
去り際ミユキも会釈したので、思わず会釈し返す。
「ミユちゃん、こ、コウキ、またね」
自分といる時よりワントーン高い声のリエを横目で見る。
「…何よ」
「んー、いや、別に。」
「…ムカつく」
「それにしてもイノリは夏休みなのに朝早くからおじいちゃんの手伝いなんて、えらいんだな」
「夏休みじゃなくてほぼ毎日だよ」
「え」
「イノリは学校行ってないし」
「え!?」
「あ、あー…そうか。あの頃にはヒロもういないか」
「?」
「…イノリのご両親は9年前に事故で亡くなってるの。それからずっとおじいさんの家に住んでんのよ」
「…!!」
「通信制?はやってるみたいだけど、いつもは民宿とか、漁の手伝いしてるみたい。だから普段私たちもあんまり会わなくなっちゃったんだけど…なんか、あんたが来てからは、よく会うかも」
「…俺、みんなのこと全然知らないんだな…」
「そりゃあ、出てってからのが長いし、やっぱアレのせいで変わったことは多いから」
「…」
「…いる間ぐらいなら遊んであげるわよ」
「うん、ありがとう…でも今日は寝不足だから帰るよ」
「~~~っ、夕方また差し入れ行くと思う。リクエストあれば今なら間に合うかもね」
「まじか、このままだとざる蕎麦ざるうどん素麺のループになりそうだったんだ、助かる。え~と、肉、肉がいい。ハンバーグとか」
「まぁ聞くだけ聞いとく」
そう言ってリエは雑踏に戻って行った。
イノリに勧められたアサリの他に、手頃な値段の刺身と切り身を買って帰り、クロのご飯仕度に入る。
じゃがいもとにんじんを擦り、魚の切り身と共に煮込む。火が通ったらご飯と混ぜ、鰹節をたっぷりかけてクロへ出した。クロが気に入ったようで、胸を撫で下ろす。
残りに玉ねぎとニンニクをすりおろし、トマト缶とコンソメを入れてひと煮立ちさせて、人間用のスープを作った。
「おはよ。なんかいー匂いがすんね…」
香織が起きてきた。
「スープ作ったけど、飲む?ちょっとニンニク入ってるけど」
「飲む。誰にも会わないし、スタミナつけたい」
香織がトーストと目玉焼きを作り、初めて一緒に朝食を取った。
「ん…スープ美味しい。ヒロ、料理結構やるんだね」
「両親共働きだから、小腹空いた時は自分でちょっと作ったりしてる。でもガスとか包丁をひとりで使ってよくなったのは高校生になってからだから、あんまレパートリーないけど」
「景さんたちも忙しそうだもんね」
「俺が高校生になったから、今まで断ってた長期出張とかもする様になったみたい。二人で時期被るのは想定外だったみたいだけど。」
「高校生とは言え一週間以上1人にするのは心配でしょ。祭もあるし、いい時に来たと思うよ」
「うん。そのままじいちゃんたちの所に行けるしね」
「だからさ。仕事もあとちょっとだから…ヒロと一緒に帰るために、頑張るわ。ほんと悪いけど、お昼は適当にお願いね。夕ご飯は作れると思うから」
「あ、リエが今日も差し入れ持ってくるかもって。あと、アサリ買ったんだけど、なんかパスタ作っていい?」
「うわ~申し訳ないけど助かるぅ。アサリ、砂抜きわかる?」
「調べてやってみる」
「頼もしい~なんかあったらいつでも声かけていいからね」
「ん」
スープを飲みながら、OKサインを作ってみせた。