毒盃を渡されて5年後に念話が届いた
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転生にもいろんなパターンがあるが、私が喰らったのはその中でも最悪の部類だった。
「オラ、ちゃんと歩かんか!」
突然の罵声にハッとしたのが、この世界で目覚めた最初である。正確には、それまでの18年間の、アメリア・レジナ・ウイングハート=ド・ラ・バウストーンとしての記憶はあった。
アメリア・レジナはブリュネットの女傑だ。骨格はがっしりと鼻は隆起し、筋肉の支える素晴らしい肉体美を持つ。美しい紺碧の眼は闘気を燃やす。ハスキーな声で檄を飛ばし、戦場を駆ける。
その婚約者ガストン・ホセ・ゴルド・シャインスパーク=シャトーは、赤毛翠眼の豪傑である。何もかもがゴツい。声は割れ鐘のごとき悪声で、乙女の夢とは程遠い。ドンと構えた大将軍だ。
ことが起きたのは、秋も深い戦勝祝いの宴だ。ガストンに渡された盃に口をつけた途端に意識が途切れたのである。綱を引く男の浴びせかける罵声によって、意識が戻った。同時に前世の記憶まで戻った。
記憶といっても、殆どは朧げだ。その中で、何故か死ぬ直前のことだけハッキリと覚えている。この世界での死を目前にして、前世の死が呼び起こされたのだろう。
私は、大学一年生だった。日本は東京の片隅で、家族と呑気に暮らしていたのだ。その日はお元日で、風邪をひいて頭痛と鼻詰まりに苦しんでいた。外にも出られず、友達から薦められたソシャゲの説明を読んでいた。そこへ、弟がお雑煮を作ったと言ってきた。
「姉ちゃん食べてみてよ!うまく出来てたら彼女に作ってあげるんだー」
初カノに浮かれた弟を微笑ましく思いながら、雑煮碗を受け取った。
「いいなー。姉ちゃんなんか、受験で自然消滅だよ」
半ば羨望のやけ食いで、かなりの大口をあける。しかし弟のお雑煮は、様々が生で期限切れでカビ入りだった。頭痛と鼻詰まりで気がつくのが遅れたのが悔やまれる。悪気のなかった弟が青くなったのにはウケた。人間、極限状態では笑うそうだ。
そして、劇物雑煮を思わず吐き出したのに、意識が朦朧としてきた。何かしらアレルゲンがあったのかもしれない。最後の記憶は、然りに話しかけてくる救急隊員らしき人達だ。
そうこうするうちに、暗転してハイ転生。憑依型転移ではなくて、魂が別世界に転生したパターンである。身体の持ち主は、初めから私だ。
(あーあ、これ、死ぬ前に説明読んでたやつだわ)
死ぬ直前の夢だろうが、マジモンの転生だろうが、そこはどちらでも良い。
(言語とか文化とか全く考慮して無い感じのなっがい名前、するっとは読めないから何回も読んじゃったんだよね)
何回も読んで覚えてしまった。だから記憶が蘇ってすぐに理解できたのだ。これは国盗りゲームであり、同盟の他に婚姻外交も遊べる本格派という触れ込みだった。アメリア・レジナは小国の姫であり、いくつかあるスタート国家の将として選べるキャラだった。
(婚姻外交失敗処刑エンドかぁ)
朧気な記憶を辿れば、私が日本で死んだ頃には、web小説で婚約破棄処刑ループざまぁなるものが流行っていたのだ。その愛好家層を取り入れるつもりだったのだろう。
(楽しくないなあ。特に自分の現実になると)
処刑ループ恋愛とか人質婚からの大逆転とかを喜ぶ人で、国盗りゲームやってるケースを私は殆ど知らない。
「婚姻外交だってー。処刑エンドからの2周目とか!リアルタイムリープ、逆行転生ってやつじゃないですかー?」
「あんた変わってるよね」
「酷いこと言うねえ。いいからやってみ?」
「えー。まだ始めてもないのに推す?」
「国盗りなんか始めてだよ。一緒にやって教えてよ」
「いいけどさあ」
とりあえずざっと評判を調べたら、困惑しているユーザーの声が出るわ出るわ。
内政パートは通常以外に恋愛内政というモードがある。恋愛内政パートでは、武骨な国盗りのイラストと声で恋愛ゲームやらされる。
イケメンスパイと恋愛してそいつの祖国を盗ることも可能に見える。しかし、内政パートは自由入力による会話式を採用。采配も自由入力なので、初心者にはリスクしかない。
恋愛内政では、命令項目に辿り着く前の会話を数回分に分けられる。次の短い対話に進むまでの必要ゲージの為に待たされる。課金アイテムもあるらしいが、そこまでする気もない。
何回か会話をして、やっとどの項目に幾らかけるとか、誰を何処に送るとか、指示が出来る。しかもそれも、一章に一項目ずつ。
国が整う前に攻め滅ばされること、100%!他国が人間だろうがAIだろうが、恋愛内政国家は滅ぶ。
(現実なら、いちいち単純作業だのガチャだのしなくていいから、こんな記憶は今の人生に何の影響も無いけどね)
チラ見せとやらで分かっているのは、以下の数項目だけである。年齢はゲームスタート時点のものだ。
拠点名 バウストーン王国
将軍 アメリア・レジナ・ウイングハート=ド・ラ・バウストーン(17)
国力 中の上 中原の武国 初心者にお薦め
拠点名 シャトー辺境国
将軍 ガストン・ホセ・ゴルド・シャインスパーク=シャトー(19)
国力 上の中 山岳国家連盟の盟主 初心者にお薦め
リアルで生きていく上では情報が足りない。創作物転生アドバンテージ、まるで無し。地図もなんとなく位置関係がわかるだけの一枚絵の記憶しかない。
しかし、どちらも国家元首の子供が将軍とは。とんだ脳筋国家である。まてよ?現実的に考えてみよう。脳筋国家の将軍だとすれば、逆境からの脱出は武力で成功するのではないか?
恐らく今は、婚約者が毒杯で弱らせたアメリア・レジナを見せしめに処刑するところだ。細かい成り行きは全くわからない。まずは力押しで生き延びる。しかる後に情報収集だ。
アメリア・レジナが備えた極上の毒耐性により、気絶させる程度の毒など既に抜けている。処刑場の貴賓観覧席で羽根扇を広げる王妃は、私が倒れた宴席と同じ服装のままだ。
(太陽の位置もあまり動いてないな。即決裁判で処刑を決めたか)
貴賓席にガストンがいない。見にも来ないのか。
この国の極刑は四方から槍で突かれたのち、首を切られて晒されるというなんとも凄惨なもの。これはアメリア・レジナとしての記憶が教えてくれた。
だが、処刑場はオープンエリアだ。一方だけ観覧席が設けられてはいるが、壁もなければ柵もない。槍衾さえ切り抜ければ逃亡の目はある。野次馬から馬を奪い最短距離で国境を越える。自国バウストーンに戻るのは上手くない。
そもそも婚姻外交に送り出された挙句の失敗だ。バウストーンにとっても、アメリア・レジナなど廃棄対象である。今は他国に潜伏して商人から情報を得る。よし。この手でいこう。幸いアメリア・レジナは武人である。用心棒でもしていれば、生活には困らない。情報も入ってくる。
武人の靴には、国ごとにはっきりと区別できるバックルがついている。そして、この靴を履いていれば男と見做される。そこで私は、逃亡時に武人の靴を手に入れることにした。
私は腰に荒縄を巻き付けられている。その端は私を引き立ててゆく男が握っていた。両手首は体の前で輪っかのような木製の手枷で抑えられていた。手枷どうしは鉄鎖で繋がっている。
(木製ならいける!)
私は一国の将であるアメリア・レジナの身体能力に賭けた。たわんだ荒縄はそのままにして、男との距離を一気に詰める。固定されているのは手首だけだ。手枷ごと振り上げる。
同時に縄の長さが許す範囲で跳躍する。肩と肘を思い切り大きく動かして、グーに握りしめた拳の根元、手首を抑える木製の手枷で、縄を握る男の脳天を強打する。手枷が軋む。
「わっ!なんだ!」
よろめき慌てて、振り向きざまに男が喚く。私は息吐く暇も与えず、こちらに向けた男の顔を打つ。地に降りる前に両手で男の肩を掴み、身体の向きを変えて男の腹に膝を入れる。私を追い立てていた男が目を剥いて倒れる。奇襲は大成功である。
私は荒縄の端を拾って、全力で走り出す。処刑場の兵士たちが駆け寄ってくる。これ幸いと鉄の胸当てやら籠手やらに手枷を打ちつけ、ヒビを入れて行く。ついに砕け、手が自由になった。
壊した手枷を投げ捨てて走りながら、素早く腰の縄を解く。縄を武器として人混みを駆け抜ける。貴人の従者らしき下級の武人が、逞しい馬の番をしていた。なんと幸運なことだろう。
馬番を引き倒し、気絶させる。靴を脱がす時間はない。奪った馬に馬番を放り上げ、被さるように押さえつけながら馬を走らせる。
追っ手を振り切った川辺で、馬番の靴を奪い履き替えた。服装も取り替えた。アメリア・レジナとしての18年が、躊躇うことなく手荒な真似を実行させる。
私は掠奪した丈夫な馬を駆って街を抜ける。それから天然の要塞である岩山を、風のように駈け下る。そのまま岩だらけの荒地を走る。奇妙に捻れた木々を横目に、小石と枯草を蹴散らして進む。川を越えれば隣国だ。
だが、油断はできない。まだ山岳国家連盟に所属する同盟国の境界内である。なるべく人影のまばらな国境付近をゆく。小国の連なり故、まる1日でふたつ目の国も抜ける。
国境が川だったので、水には困らない。馬は岸辺の草をはむ。同盟国のバックルがついた靴を穿いているので、たまに見かける地元民からは怪しまれない。平穏な旅路だ。
川辺の草が豊かになった。草の間には色鮮やかな花まで見える。紅葉した木々が枝を揺らす。やがて草木は森を作り、上り斜面に変化する。道なき道は、山岳国家連盟という地域連盟の境界から抜け出し外界へと導く。
木々の間から、数人の汚らしい親爺が出てきた。山賊だ。
「身ぐるみおいてけ」
「ちっ、しけてやがんな」
「馬はまあまあだな」
何がまあまあなものか。運良く持久力のある良い馬が手に入ったというのに。手放すことはできないな。悪いが逃げさせて貰おう。
この世界なら、戦禍を逃れて落ちぶれた元武人というのもいるに違いない。盗賊は勘弁だが、流れ者の武巧者くらいなら設定として悪くない。
山賊から長剣や鉈でも奪っていくか?いや、アメリア・レジナの武術スタイルは、しなやかな肉体のバネを活かしたトリッキーな立体アクションだ。これもゲーム知識とは関係がない。現実のアメリア・レジナ、すなわち私自身が体得した戦闘スタイルなのである。
リーチが短く小回りが利く短剣で速攻のほうがよいかもな。後ろにいる奴らが良さそうなのを持ってるぞ。何本か予備に貰って行こう。
「あっ、てめえ、何しやがる!」
私は馬を操り山賊を蹴散らす。
そんなふうに逃亡して間もなく、祖国バウストーン王国がシャトー辺境国に併合されたのだと知った。私はどうやら、ガストン将軍毒殺犯として処刑されたことになっている。祖国はその報復で滅びたという筋書きだ。
(あの人も毒盃を呑まされたのか?私の服毒については、犯人の自作自演という見立てなのだろう。初めから仕組まれていたんだな)
シャトー辺境国の現王妃は、強国の姫である。この姫を娶るために、ガストン将軍の母である前王妃は毒殺されたと噂されていた。そして現王妃は最近男児を産んでいたのだ。
お定まりの宮廷陰謀劇である。悪辣なやつらだ。しかし人民には善政を敷き、国民からは何の不満も出ていない。今更玉座を奪還すれば、私は独立の英雄ではなく単なる逆賊だ。
ガストンには気の毒だが、叛逆のリスクを犯すほどの親しさはなかった。婚約者として折り目正しく、誠実な付き合いであった。将軍どうしなので、共に鍛錬もし、時には意見を戦わせることもあった。
(思えば、充実した日々ではあったな)
当時は、あまりに自然な間柄だったので気が付かなかった。私たちは、とても信頼し合っていたのだ。
(あの人は、無骨な赤毛の大男だけど精悍な顔立ちで頼もしかった)
亡き人の面影が淡く蘇る。私の心が思いがけなく跳ねた。
(え?そんな)
ニッカリ笑うと尖った犬歯がはみ出して真っ白に光る。あの笑顔が好きだった。大胆な作戦、的確な指示、思い切りの良い突撃。遠くにチラリと見えるだけで、底しれぬ安心感に包まれた。
(ああ、私、あの人が好きだったんだ)
部下には優しい兄貴分。政敵には真っ向対峙するふてぶてしさ。祝杯に毒を仕込まれるという失態を犯す、詰めの甘さ。あの人、本当は国家元首には向かなかったのかも。
(そんなところが可愛かった)
豪胆なくせに生真面目で、軍事国家の大将軍のくせに細やかな紳士で。婚姻までは、と婚約者なのに手も握らず。時には目を逸らして頬を染め。
(なんだ、あの人も)
気がつくと側にいてくれた。戦場で危機が迫れば、互いに駆けつけた。背中合わせで血路を切り開くことも度々あった。
(愛し合っていたんだ。私たち)
合点がゆくと、不思議なことに涙は流れなかった。
(あの人は、きっと復讐なんか望まない。生き血を啜り合う覇者の地獄に舞い戻ったら、きっとガストンは悲しむ。私が心配であの世に旅立てないかも)
悔しくて、悲しい。だが、生きていてくれとガストンに言われているようで、ゆったりと落ち着いた気持ちになったのだ。
それから5年。私はもう23歳だ。生きていれば、ガストンは25歳。さぞかし立派な男になっていたことだろう。記憶の中のわが婚約者ガストンは、少し幼さの残る青年だった。幼さを抜いた姿を想像すると、25歳のガストンは頼もしく雄々しい。
(生きていたら、恋のライバルが多くて大変だったかも知れないなあ)
流離の憂いもなんのその、私は今、楽しく根無草をやっている。もう武人のバックルは身につけていない。女性の姿は相手が油断するので好都合だ。中には言い寄ってくる者もいたが、心を動かされる相手とは出逢わなかった。
思えば、今生では、ガストンと死に別れてから恋をしたことがない。前世で初めての恋人と自然消滅したのと合わせても、人を恋愛的な意味で好きになったことが2回だけ。恋をしてもいいけれど、しなくてもそれなりに楽しくやっている。
今年もあの日がやってきた。ガストンが継母王妃の罠にはまり、毒盃に倒れた日。彼は豪傑だったから、毒の苦しさを表に出さなかった。私の意識が途切れた時、目の端に映った彼は、堂々と背筋を伸ばしていた気がする。
(目を瞑っていたかも?)
彼は、猛毒に耐えていたのだ。
(なんと気高い男だろう)
この日が来るたび、私は彼との愛を思い出す。けして華やかな恋ではなかった。政略結婚で繋がれた色気のない縁。それが静かに心を寄せ合い、いつしか確かなものとなっていた。あまりにも穏やかで、彼の死を耳にするまで、自覚すらしていなかった。
(もうあんな人には出会えないな)
彼が無念の死を遂げた遠い空に哀悼を贈る。
その時、旅路の山辺にごうと秋風が立つ。私の心がざわついた。
(違う。違うんだ)
私の胸には、あの人がいる。今でも、温かく見守ってくれている。苦しい時には、あの人の笑顔で乗り越える。寂しい時には、あの人のダミ声が微笑みを誘う。
(恋をしてないなんて嘘)
今でもまだ、あまりにも自然だったから。
(今でも、これからも、私にはあの人しかいない)
私は今でも、ガストンを愛していた。きっと、また死んで生まれ変わっても。
(次の世で現地の恋人はできないな。私には、あの人がいるから)
また、すとんと腑に落ちた。見上げる空は晴れ渡り、実りの秋の太陽が燦然と輝く。まるで、マントを翻して岩山に仁王立ちをするガストンのようだ。
周囲に人の気配は無い。この大きな空を、あの人の隣で見上げることができたなら。長閑な山野の風景を、共に見渡していられたら。
私の口から、思わず愛しさがこぼれ出る。
「トニー、私の太陽」
「アミー!会いたい!」
私の独り言に答える声がした。嗄れた声と直線的な物言い。幻の中ですら、甘く蕩けはしないのか。ちょっと不服に思う。
「幻の中でくらい、優しく愛を囁いてよ」
「いや!」
幻聴のガストンは、バッサリと斬り捨てる。
「はあ?」
「おい、怒るな。会えたらいくらでも気持ちを伝えてやる!」
私の想い出からの妄想が酷いな。変にリアルだ。
「なあ、聞いてるか?念話が切れたか?なんか言えよ」
念話か。そんな魔法があったなあ。私もガストンも魔法使いじゃない。この世界には魔法使いがいるが、私たちは物理特化だ。隠しパラメーターとして、私には超絶毒耐性があるが。
そういえば、ガストンの隠しパラメーターは何だったのかな?それが念話?前世で死ぬ前に見た情報を、記憶の中に探る。
「おーいー!アメリア・レジナぁ!」
「ちょっと黙っててよ、幻聴!」
「いや、幻聴じゃねえから。念話だから」
ああもう、私の頭の中にしか存在しないくせに、ガストンそのものだな。ちょっとは待て。
(そうだ!不死特性!!)
ガストンには不死特性が備わっており、殺すことができない。
(私と出会ってからは死んでないから忘れてた)
あれ?でもなんで毒殺?みんなガストンの不死を忘れてた?
「トニー、本当にあなたなの?」
とりあえず、念話に答えてみる。
「そうだよ!」
「毒殺されたって噂だけど」
「不死身なんだよ!」
「なんで逃げたり反撃したりしなかったの?」
「一回死ぬんだよ!」
「え?一回死ぬ?」
「生き返んのさ!」
「あ、そうなの」
「そうだよ!死んでる間に、魔封じの堅牢に囚われたんだよ!自分じゃ出られねぇ!」
被害者が何故牢に?
「え?なんで?なんで牢に?」
「お前が俺を殺したことになって、死体扱いで反対勢力に投獄っていうか、閉じ込められた!」
「トニーが不死身なの、みんな忘れてた?」
「近い連中しか知らねえ!」
あ、そうなのか。身内が敵なのね。
「わかったから、怒鳴らないでくれる?」
「あ、悪ぃ」
私たちは、とりあえず落ち着いた。
しかし、ひとつの疑問が残る。
「でも、待って?トニー魔法が使えるの?」
「使えねえよ。魔封じの堅牢は、魔法でも物理でも破れねぇ。魔法使い専用の牢じゃあねえよ。教えたよな?」
「え、でも念話って魔法でしょ」
「気合で届けた!褒めろ」
「うん、すごい。でも、魔法」
「5年かけて、念話は気合で身につけた」
「また気合」
私はぽかんとした。ガストンは、ひたすら私に話しかけていたらしい。頭の中で。そうしたら5年後とうとう通じてしまったのだ。
「ガストンと私の直属部隊はどうなったか解る?」
「いや」
「そう。解らないの」
「すまん」
「そうじゃないよ。私も遠国にいるから解らなくて」
「ちょっと待ってろ」
「え」
念話?念話を使うの?もしみんなが寝返ってたらどうすんの?見張りが増えるんじゃないの?救出の難易度が上がっちゃう。
私が逃げたことは知られてるんだし、たぶん追っ手はかかってる。私は仲間を集めたり修行したりのそぶりがないから、泳がされてるだけだろうし。念話が使えることは秘密のほうが良くない?
私がやきもきしていると、再びガストンの念話が届く。
「だめだ。心を閉ざしてる奴には届かない」
「てことは?」
「殆ど全滅だ。弾かれる感覚がした奴は寝返ってる」
「そう」
「でも、何人かは味方が残ってる」
「念話が繋がったのね?」
「繋がった」
良かった。シャトー辺境国に潜入したら、その人たちを頼って魔封じの堅牢に行こう。でもそのあと、どうしよう。ガストンはどうしたいんだろうか。
「トニー、逃げられたら何をしたいの?」
「まずは抱きしめたい」
「そうじゃなくて!」
私は照れ臭くて大きな声を出す。手を繋ごうとすらしなかった婚約者が、抱きしめたいだなんて。
「生きててくれたから」
続いて届いたガストンの言葉に、私はハッとする。そうか。ガストンは、私がどうなったのか知らなかったのだ。
「毒耐性は知ってても、あれは即死の猛毒と必殺の呪いが両方かかっていたから、ほんとに心配だった」
「えっ?私、呪い耐性なんてないよ?」
「俺の愛が通じたんだな!」
「は?」
意味不明である。
「俺が死ぬ時、お前が椅子から崩れ落ちるのが見えてなあ。ぜっってぇ死なさん!て気合入れたんだ」
「気合」
もはや、万能の気合である。この人、気合だけで世界征服とか出来るんじゃないの。
「俺の愛を思い知ったか」
「ああ。うん。それはいいんだけど、トニーは山岳国家連盟の盟主になりたい?」
「まあな!」
「なんで?盟主になって何するの?」
「なんでって、アミー」
ガストンは心外だという声を出す。念話だが。
「荒地の連中が飢えないようにしてやりてぇし、助けてくれる川辺の連中は洪水から守ってやりてぇ。1人や一国じゃ無理だ」
「今もそこそこ上手くいってるみたいだけど」
現シャトー辺境国は、善政を敷いている。周りの国々もまあまあ平和だ。
「上手くいってる時だけさ。山賊もいるし、貧民もいる。火事や洪水はそこに住んでるやつが自力で対処する。泥棒は自分達貴族がやられなきゃほっとく」
「国民に不満はないって聞いてたけど」
「国民?貴族のことか?ここ数年、あちこち攻めてくから下々のもんから召し上げる税は上がってんだろ」
シャトー辺境国は軍政国家である。階級制度は厳格だ。だがシャトー辺境軍は、下のものを虐げることはしない、誇り高い組織だったはずだ。
「そんな」
「アミー、手伝ってくれるよな?」
恋も国もどうでもよいと気ままに5年を過ごした私。恋どころか愛を抱いて生きてきたと気がついてしまった今。国のことも、改めて考えるべきだろうか。
「それはそれとしてだ」
「まだ他に何かあるの?」
「アミー」
「うん」
「すぐ会いたい!」
そりゃまあ、生きていると分かったからには。愛に気づいたからには。私だって、できることならすぐに会いたい。
「早く来てくれ!アミーなら開けられるだろ?この牢屋だって楽勝だよな?」
「開け方はまだ覚えてるけど」
魔封じの堅牢。これは、王族のみが知る正しい手順を経て始めて開かれる。食事は魔法転送装置で食器もなく一方的に送られてくる。水周りは不便なく魔法で整えられている。牢というより幽閉施設だ。
「そっちに行くまでだいぶかかるよ」
「ん?アミー今どこ?」
「緩衝地帯」
「へ?」
ガストンが間の抜けた声を出す。念話で。
「へって、遠国にいるって言ったよね?」
「いや、てっきり兵を集めて潜伏しているものかと」
ガストンの念話に不審が混じる。緩衝地帯は、どの国にも属さない地域だ。そこに国はない。だが、争いに疲れた者たちが身を寄せ合って暮らしている。
「悪いけど、私、戻るつもりはなかったよ。最初はトニーに裏切られたと思ってたし、そのあとはトニーも殺されたって噂を聞いたし」
「アミー?まさか、いいやつが出来たのか?」
ガストンの念話には、悲痛な響きが宿った。早合点して絶望しないうちに説明しなくちゃ。
「違うって。トニーが生きていたことにびっくりして、今はまだ国のことは解らない」
「アミー、死んだと思ったとき、復讐も考えなかったのか?」
「トニーなら、ただ生き抜けって、危険な場所に戻るな、って言うような気がしたから」
「アミー」
ガストンは戸惑うように私の名前を呼ぶ。
「なに?」
「いや、そうだな。ごめん。悪かった。確かに俺、ほんとに死んでたらアミーには復讐なんか忘れて幸せに生きて欲しいかもな」
「でしょ?」
「ああ!アミー、流石だな。俺のことよく分かってやがる」
「へへっ」
念話に沈黙が落ちる。私は、ガストンの八重歯がキラリと光っているように感じた。何だろう。満ち足りる。
しばらくして、ガストンがまた念話を寄越した。
「なあ」
「なに?」
「天下とるか」
なんとも軽々しい言葉である。
「えっ、どうしたの。いきなり」
ガストンはいま、自力では抜け出せない牢の中だ。そして牢の外は敵だらけである。
「同盟国にも念話が通じるやつがいた」
「うん」
「アミーが兵をあげるなら、俺を盟主と認めるそうだ」
ん?へんな条件だな?
「お前が緩衝地帯にいると聞いて、その意味が分かったよ」
ああ、戦乱に疲れて隠遁した人間を、再び表舞台に引きずり出せるだけの力があるのか見たいんだな。だけど。
「いや私、確かにもう国盗りには興味なかったけど、商人の用心棒とかやってるし。平和な隠遁者じゃないよ」
「はーあ、アミーらしい生き方だなあ」
「そう?」
「だったらさ、俺の、用心棒にならねぇか?大義なんかより、そっちの方が気楽でアミー向きだろ?」
「まあ、それなら?いいかも?」
念話の向こうが喜びに輝くのを感じる。私は思わずドキドキして赤くなる。
「アミー、俺の隣にはお前がいてくれなくちゃな」
「ありがとう」
「俺は世界の隅々まで、誰もが呑気に笑ってられる国を作りたい」
「またずいぶんと壮大な」
忘れそうだったが、ここは国盗りゲームの世界である。将軍キャラなら天下を狙って当然だ。それが彼らのアイデンティティである。私の場合は、前世の記憶が戻ってしまったから、天下取りへと突き動かされる熱情は薄れてしまっていたが。
「アミーが嫌なら、そこは気にすんな。アミーはただ、俺の隣で俺を護ってくれ。俺はアミーを護るから」
「いや、世界征服したがる人を気にしないの無理でしょ」
「征服?何言ってんだアミー。国家連盟の加盟国を増やすだけだぞ?」
「盟主にはなるんでしょ?」
「そりゃそうだが」
「私でなくても」
なんだか事が大きすぎて、こんな野望を持つ人と並び立つ自信がなくなった。
「アミー、お願いだ。俺が迷ったり曲がったりしたときは、今までみてぇに一番近くで正して欲しい」
「1年婚約してて、5年死んだと思ってただけなんだけど」
随分と過大評価されている。
「1年婚約してて、俺にはお前が必要だって分かった。離れるなんて想像もしていなかったぜ」
「離れたね」
「自分の意志じゃねえだろ!」
「殺されかかったからね」
「それに同盟国のやつら、お前が充分兵をあげられるって思ってるぜ?」
大人しくしてた筈なんだけどなあ。私は思いを巡らせる。
「うーん、せいぜいゴロツキの寄せ集めかなあ」
「だったらそれでいい。形だけ整えて牢を開けにこい。そのあとはそれから考える。今はとにかくお前に逢いたい」
「そんな集団、情報漏れるでしょ。どうしたの?トニー、そんな甘くて大丈夫?」
「ごめん、ちょっと、念話が通じて嬉しすぎた」
まあ、仕方ないか。だが、やはり世界統一までの気力はないかなあ。
「うーん。世界を狙うのはちょっと重いかなあ」
「そうか。今更か。国内の仲間との念話で知ったけど、アミーが俺を殺したことになって、バウストーン王国は報復されたってな」
「それはもういいんだけど」
「いや、良くないだろ」
「まだ追っ手はいそうだけどね。それも別に大丈夫だし」
「大丈夫じゃねえよ。今すぐこっち来い!1人でいいから!心配だよ。そんなに呑気で」
ガストンの雰囲気が変わる。私の危機感の無さに焦っているのだ。そういえばそうだなあ。確かに、ガストンが生きてる以上、何かの拍子で挙兵すると誤解されたら、全力で潰されるだろう。その時、ガストンの手を振り払った後で、実際には助けてくれる仲間すらいなかったら?
でも、それでガストンの手を取るのは、なんだか利用するみたいで嫌だなあ。
「はあ」
私の沈黙を拒絶と取ったのか、ガストンが諦めのため息をつく。
「心変わりしなかっただけで満足しなきゃな」
「え、なに?」
「いいよ。分かった。アミーは平和に生きてくれ。いつか俺をすっかり忘れたら、誰か平和な奴を見つけてそいつと幸せになればいいさ」
ガストンの念話は、本心のようだった。やけくそでも怒りでもなく、ただ悲しみと優しさに満ちていた。私は、ガストンの愛に打たれた。
「トニー」
「何だよ。別れの言葉なら聞かねえぞ。ああは言ったけど、お前がいつか戻ってくれると夢くらい見させてくれよ」
「何言い出すの」
「俺にはお前しかいねぇからな」
この人、私を手放したら一生独り身でいそうだ。
「あのさ」
「何だよ?」
「会ったらいくらでも気持ちを伝えてくれるんだよね?」
「え?ああ、そんなこと言ったな」
「抱きしめてくれるんでしょ?」
「いやまあ、言ったけど」
ガストンは、すっかり意気消沈している。
「今は兵なんか持ってないけどさ、他国で出来た用心棒仲間のツテがあるんだよね」
「いいよ、慰めてくれなくて、もう」
「凄腕暗殺者とか、情報収集のプロ集団とか、傭兵とかをかき集めることくらい、もしかしたら出来るかも?」
「だから、もういいって」
「ちょっと待っててよ」
「いや、待つけど」
「言ったこと、忘れないでよ?」
「言ったこと?」
「ちょっと!気持ちを伝えてくれて、抱きしめてくれるんでしょ!言ったでしょ。私だけしか居ないって」
「悪かった。罪悪感なんか持つな」
罪悪感?
確かにそれもある。
だが、それだけではなかった。
いやむしろ。
「馬鹿だなっ!嬉しいんだよ!」
「へ?」
「そこまで思われて、嬉しいんだよ!応えたいの。トニーの気持ちに!」
私は叫ぶ。もう誰に聞かれたっていい。はたから見ればひとりで叫ぶ気が変な女だが、そんなの、気にしない。
「山岳国家連盟が盟主、シャトー辺境国が正統なるお世継ぎ、常勝の名将、わが背、わが君、わが太陽!ガストン・ホセ・ゴルド・シャインスパーク=シャトーどの!」
「は、はい」
ガストンがたじろぐのが分かる。
「半年だ!半年待って」
「半年」
「トニーが5年もかけて、気合で念話を覚えたんだもの」
「え、うん」
「私も気合でなんとかするよ」
「ああ、できるよ」
ガストンは、ただ呆然と受け答えをしている。私は構わず続ける。
「私もね」
「うん」
「トニーじゃないと駄目なんだ」
「うん、えっ?えっ!」
ガストンの念話に生気が戻る。
「覇道の世界に戻るのは、やっぱり怖いし面倒だけど」
「あー、面倒なのかよ。まあ、そうだろうな。アミーそういう奴だよな」
ガストンが含み笑いをしている。ちょっとときめく。可愛いな。ガストンもいま、私のこと可愛いなって思ってるんだろう。今なら解る。
「やっぱり隣にいたいもの」
「いてくれ」
「うん、いる」
私たちは念話を通じてはにかむ。
「じゃ、半年後に」
私は気を引き締めて宣言した。
「はあっ?えっ、おい、それまで念話も無しっ?」
「半年後、必ず会いに行くからね」
「こら、返事しろ」
「何に?」
「念話はありだよな?」
私は笑い出す。
「もう、お前なあ。振り回すなよ」
ガストンが脱力している。向こうは敵の真ん中で、魔封じの堅牢に入っているのだ。緊張感の無い奴だ。なんと言っても不死身だからね。ガストンに時間はいくらでもあるのだ。文字通り。気がかりは私の愛を得られるかどうかだけ。
「こっちだって念話で連絡取り合いたいけど、私は使えないから。そっちから念話を送って。対応出来ない時もあるとは思うけどね」
「いやいや、お前さあ」
ガストンが何やら不服そうだ。
「アミーよう」
「なに、トニー」
「そんくらい、気合で何とかしろよ」
うん。
それはちょっと、難しいかな。
半年後、案の定気合で念話はなんともならなかった。しかし、なかなかの世界組織を取り込んだ私は、大挙して魔封じの堅牢を襲った。見張りの兵など軽く捻る。秘密の手順を踏んで牢を開けると、赤毛の巨人が瞳を緑に輝かせて走り寄ってきた。
5年半も閉じ込められていた人とは思われない筋肉で、私は思い切り抱きしめられた。不死身の体質はこんなところにも現れているのか。死んでない時には、常にベストコンディション。
「好きだ、愛してる、会いたかった、キスしたい、早く結婚したい」
「待って、待って、待って」
約束を守ってくれたのは解るのだが。
「みんな見てる!」
「じゃあ、さっさとシャトー辺境国を取り返してふたりきりになろう!」
目的の主眼が入れ替わってませんかね?
「よしっ!いま念話で確認したけど、魔法使いがゲートを開いてくれるそうだ」
「ん?」
「あれ?言ったろ?国内の兵をかなり集めたって」
「魔法使いまでいるの?」
「いる。さあ、みんな入れ」
なんと、ガストン配下の魔法使いは、牢の食事送りつけシステムに干渉して双方向質量無制限にしていた。私たちは、牢に繋がった魔法の門を通る。こちらから、王妃と現世継ぎの将軍である王妃の息子がいる部屋に直接乗り込む。
部屋に乗り込むと、そこには現王もいた。
「さて、償って貰おうか?」
ガストンは王者の風格を見せて父と対峙する。
そうなのだ。この王は、ガストンが毒を飲まされて牢に繋がれるのをよしとしたのだ。
やはり、前王妃は殺されたのだろう。
「若造が」
現王妃の祖国は強国だった。だがそれは5年前の話。
国盗りゲームで勢力図が5年も同じと思うなよ。
斜陽国家を傘下に納めるのなど、半年あれば充分だ。
ガストンがニタリと笑う。
「悪いなあ、親父。王妃の祖国はアメリア・レジナが貰ったよ?まだ知らないなんて、間抜けすぎるぜ!」
「世迷言を」
「さて、さよならだ!」
私は、現代日本人の記憶が蘇ってしまった。しかしこちらの記憶もある。過ごした年月は、既にこちらの方が長い。愛し合う人もいる。半年、ガストンの愛に応えるために動き回った。今ではすっかり、前世の感覚は夢の彼方に消えてしまった。
ガストンは、まず父である現王を屠る。国益の為としてガストンの母を殺した男だ。それから、自分と自分が愛する私を廃そうとした継母を斬り殺し、遺恨を残しそうな腹違いの弟の首を打つ。
ここは、戦乱の世。
国盗りゲームの真っ只中だ。
私はこの日、愛する覇王と並び立つ、比翼連理の伴侶となった。