3年A組魔王の時間【導入編】
現実は小説よりも奇なり。
この言葉を生み出した人を、僕は本当に偉大だと思う。現実はまさにそのとおりだったとも。聞いたとしても笑わないで欲しい。これから話すのは、僕が高校3年生のときに体験した、とある事件の話。
ごくありふれることの出来なかった、そんな1クラス分の物語だから。
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その日の記憶は、思い返す限り、僕の隣の不良少女が人を探す声で始まる。染めた金髪を熱心にみつあみしながら、彼女は目だけで教室をぐるりと見回し、言った。
「あれ、今日の日直オオタじゃない?」
「オタちゃん今日休みだよ〜」
彼女は人気者なので、ちょっと喋っただけでどこからか返事が返ってくる。僕はつられて太田ダイの席を見た。現在、始業5分前。机には本日欠席の立て札が置かれている。太田ダイの友人、手先の器用な作田さんのお手製だろう。割としっかりした作りの立て札に、僕はちょっといいなと思ってしまう。食玩やカプセルトイのミニチュアを見たときと同じ気持ちだ。
「マジ?次誰よ、センセー来ちゃうよ〜」
金髪_千反田りくが怠そうに言う。担任は誰かのミスを連帯責任にするのが大好きな四十がらみのオッサン先生である。千反田さんは恨めしそうに太田の席を見た。
そのときだ。
「心配ご無用!」
ガラガラバシャンと音を立てて教室の引き戸を開け、教壇へ躍り出る小柄な影がある。焦げ茶色のツインテールが御旗の如く揺れ、ただ者ではなさそうな空気を演出した。彼女はその手にある学級日誌を印籠の如く掲げ、横顔にかかる髪をハラッと耳の後ろへ弾く。
民草のためならエンヤコラ、川端りずむの登場だ。
「太田さんの次は私よ。こうなると思って、先に学級日誌を貰いにいったの」
「動きがウルサイ。まじダルいわ…アンタ」
川端りずむのテンションに気力が萎えた千反田さんは、髪を編む手を止め、ぐったりと椅子に背中を預けた。
「作ちゃん髪の毛やってぇ」
「いまミニチュア・アンコール・ワット作ってるから無理」
「じゃアンタでいいや。お願い」
「ええ…」
ええ…と声を上げながらも、僕は千反田さんのみつあみの続きを編ませて頂いた。私事ながら、僕に妹がいるのは公然の事実である。それを知って千反田さんは僕にヘアアレンジを頼んだのだろう。
「ちょ、妹いる割に下手くそすぎじゃん?」
「僕の妹は毎朝自分で髪の毛やるんだよ」
「先に言えし」
ふわふわとゆるく編まれた髪を見つめ、千反田さんはそれをくるくると纏めだした。全身に仕込んであるらしい髪留めの中からパッチン留め(僕は正式名称を知らない)を取り出し、無残なみつあみをゆるふわお団子へと生まれ変わらせる。
「自分でやったほうが早かったわ」
「お役に立てませんで…」
「ホントね」
お叱りを受けている間に、担任がカツカツと現れた。ネクタイの色だけが日替わりの、いつも通り細身のブラックスーツ。べっ甲の四角い眼鏡、きちんと撫でつけた髪から整髪料が香るその教師は、まるで広辞苑の擬人化のようだ。見ているだけで肩がこる。
「号令」
深夜の空気よりも重たい声で短く命令され、川端りずむがキリッと顔を引き締めた。
「起立!」
全員が椅子を鳴らして立ち上がる。衣擦れと椅子の摩擦が合わさって、ザッと漫画みたいな音が立った。
「礼!」
僕らが礼をすることはなかった。川端りずむの号令が掛かった途端、驚くほどの睡魔に襲われたからだ。頭からさっと血が引いて、倦怠感が昇ってくる。貧血だと思っているうちに、僕を含めた35名が意識を失った。