1章 ボーイ・ミーツ・ウルフガール(17)
「「ありがとう」って伝えておいて」
彼女は笑っていた。泣きそうになりながらも、これで私は満足することができたと。そう思うような顔をしていた。けれど、悲しみは消せなかったのだろう。涙を流し、ボロボロになりながらもにこやかな笑顔を醸し出していた。彼女の容姿を見ると、本当にただの幼気な少女以外の何者でもないように見える。だが、彼女の正体は妖。恨みこそすれど、同情なんてできない。妖は人間に害を齎し、人から怖がられる存在なのだから。
明治は多少の罪悪感に苛まれながらも、彼女のところをあとにした。
17
さっきまで降っていた小雨も上がり、雲もすっかり無くなった。今日は何の因果か真ん丸のお月様が夜道を照らしていた。そんな晴れ晴れとしている空模様とは別に三日月は嫌な予感をしていた。明治と話してしばらく虚空を見つめていたが、そろそろ部屋に戻ろうと思い至った。またあの貴族達にイヤミを言われるのは嫌だったものの、そろそろ戻らないと不自然がられる。そして外から寮に戻る最中、木陰に見えるはずの無い姿があった。
「お、おい、リンなんでこんなところに! ......って、な!?」
慌てて後ろを振り向く。そこには真っ裸の狼女が居た。着ていた服は近くに大事そうに畳んでいた。
「最後までどうしようもないやつじゃなお前ー!」
そう言いながら、近くにあった石を投げられ、後頭部に思いっきり当たった。ひょっとしたら瘤が出来てるかもしれないが、それはどうでもいい。問題なのは
「な、なんでリンがこんなところに? それにこんな格好って......」
明治との言い合いを知らない三日月は愚直にもそんなことを言う。すると、申し訳無さそうに
「明治にバレてしまってな。今から帰らないといけない」
「そ、そうなんだ」
明治が仮令、話が通じたとしても妖にこんな温情をかけるようなお人好しではないことを三日月は知っている。だから僕の思いを汲み取ってくれたのか。それともやはりこの妖への恩義が残ってて無下にできないのかは知らないが、殺さないでくれたのだろう。本当はこれで良かったのかもしれない。だが、三日月という男は想像以上にバカだったようで。
「本当にそ、それでいいの?」
「いきなり何を言い出す」
語気を荒めてリンはそう返す。
「だ、だって、恢島と会ったとき、す、凄くな、懐いてたというか、だからさ、そんなんで帰っていいのかって」
「何を言ってる」
さらに語気を荒めてリンはそう返す。
「元々、私は妖で、お前たちは人間だ。どうして仲良くなんかできる」
「じ、じゃあなんで! 恢島から離れないの! いや、それよりもどうしてあの時僕らを助けたんだ!」
「それは...…」
「僕、取り合って見るよ! 明治と。もしかしたら、それで考えを改めてくれるのかもしれな......」
「何を話してるのかしら?」
突然、遠くの方から聞き馴染みのある声がした。さてここで現状を整理してみよう。今は真夜中、そんな時に隠れるようにして木陰に全裸で佇んでいる幼気な少女、そしてその近くにいくら後ろ向いてると言ってもその少女と何かを話していた三日月。この状態では誤解を招かない方が無理なことだった。
「い、いや、あ、あの、これは、な、なんて、いうか、そ、その......」
彼の口から言い訳が出る前にしばきあげられた。
「大丈夫? リンちゃん?」
「触らないでくれ」
榎戀が今まで聞いたこともないような、そんな怒気を孕んだ低い声で彼女の手を拒絶した。
「どうしたの? まさか、こいつに何かされたの?」
「そ、そんなことしてな...…」
「黙れ。 ここから立ち去ってくれ」
「そんな口の聞き方しちゃ行けないよ! 何があったのか教えて欲しいだけなんだけど」
リンが吐き捨てるようにそのようなことを言ったのに対抗し、榎戀は少し怒ったような顔をしてそう返す。
「何も言うことはない」
俯くようにしてそんな科白を言う。
「いい加減にして! さっきからリンちゃんおかしいよ! そんな顔して何を隠してるの!」
「何も隠してなんかない!」
「隠す」という言葉に過剰なまでに反応し、思わず反論してしまう。
「ねぇ、リンちゃん。ずっと気になってたんだけどさ、本当は記憶なんか失ってないんでしょ?」
榎戀がどんどんリンとの距離を詰めながら、彼女は自身の穿った見方を告白する。嘘がバレてしまい、リンは思わずたじろいでしまう。
「い、嫌、来ないで......」
さっきまでの高慢な態度に打って変わって急に怯えだす。そんなリンの豹変っぷりに戸惑いを隠せない榎戀だったが、変わらず距離を縮める。榎戀が彼女の手を取ろうとした時、リンは思わず、その手を強い力で振り払ってしまう。「あっ......」という短き後悔の音が口から鳴り、再び俯くリン。そんな一瞬の隙きを見逃すことなく榎戀はリンを木陰から引っ張り出す。そう、木陰の外に、そう、月明かりが照らされている道に。
「え? う、うわぁ! な、何? この手はって、リン......ちゃん?」
抱きしめるようにリンを手繰り寄せた榎戀はびっくりした。一瞬、榎戀の躰が木に代わって影にはなったものの、自分の肩にかかってる人間のものとは思えないリンの手を見てしまったからだ。可愛らしい悲鳴を上げた榎戀とは対照的にリンは全く可愛らしくない。「可憐」とは似ても似つかない、「か」の字もない、そんな姿へと変貌していた。