十二話
その発言が聞こえた瞬間その卓ではうをあああああああという雄たけびにも似た黄色い叫びが轟く。
「まって、胡桃ちゃん、こんなのでいいの?! やめた方がいいよ! ダメ、絶対!!」
「永佳、俺を麻薬みたいにいうのはやめてくれよ……」
だが、永佳だけではない。俺のことを悪く言うやつは。
「そうよ、冬咲さん。こんな甲斐性なし見た目だけなんだから。性格もひん曲がっててひねくれてて、本当にお世話をするだけでも大変なにょよ!?」
「舞ちゃん、噛むくらい焦りながら暴言吐くのやめてよ……」
「そうだよ、私たちも保証する。まじでともっちは顔だけだからやめた方がいいよ」
ウワバミ椎奈先輩まで……。
俺は悲しい。なにもコメントできない、心情描写が出来ないくらい悲しいよ。
だが、そんな俺をディスりまくるやつらの意見などいざ知らず、冬咲胡桃は俺の方を赤らめた顔でじっと見つめてくる。
「いいんです。三条先輩を助ける姿もかっこよかったですし、顔もカッコいいし。といいますかすべてが好みなので、もう今すぐ付き合えるなら付き合いたいです……」
冬咲胡桃はそういうと、恥ずかしがるふりをしながら顔を両手で覆う。
終わった……。
これは外堀を埋められて気付いたら付き合わされてるやつだ……。
「で、灯貴君どうするの、こんなかわいい後輩からいきなり告白されて、付き合う? 付き合っちゃう?」
ほら、こうやって先輩たちは面白がる。
せめてもの悪あがきだけでもして何とかこの場を収めたい……。
「い、いや待って。冬咲さん、俺のことよくわかってないだろうし、俺も冬咲さんのことよく知らないから」
「センパイ、冬咲じゃなくて、胡桃って呼んでください♪ それに、私知ってます」
え、待て。何を知ってるっていうんだ?
俺と君との間にあったことなんて、あのことくらいしか俺には思いつかないぞ……。
それだけは言っちゃだめだぞ、この場でそれを言ったら俺はきっと死ぬ、今日。
冬咲胡桃は俺がこうやって焦っているところを見て、とてつもなく可愛い笑顔を浮かべる。
「性格とか全部受け入れられます。とにかく、私自身が灯貴センパイに遺伝子で恋しちゃってるってことを知ってます」
知ってますの後にハートマークがいくつくっついてるのかもわからないくらいのテンションで冬咲胡桃は核爆弾を投下してくる。
その言葉を聞いた瞬間、騒がしかったこの卓は一気にしらーっと場の空気が静まり返る。
あのことを言われるんじゃないかと冷や冷やはしたが、俺にとっては死を意味するその言葉が吐かれたわけじゃないことに少し安堵をする。
だが、それでも、その発言が核爆弾であることには変わりない。
最初にその沈黙を破ったのはウワバミ美子先輩だ。
「わっははっはは!! 遺伝子レベルの恋だって!! こりゃ一本取られた! 灯貴君はこれ付き合わなきゃだめだわ!!」
先輩たちは冬咲胡桃の爆弾発言に対して爆笑し始める。
あ、だめだ逃げよう。
口をあんぐり開けている永佳やわなわな震える舞ちゃんを置いて、俺は、
「と、といれ」
という弱々しい声だけしか出てこず、それでも立ち上がり、逃走を図る。
だが、この行動すらも彼女の織り込み済みだったと知ったのは本当にトイレに行き、トイレから出てきたときだった。
冬咲胡桃はトイレに行くふりをして俺を待ち伏せしていたのだ。
男女共用のトイレだからこそ待っていても不自然じゃない。上に、冬咲胡桃は俺をトイレに押し込みなおす。
「う、うふふ……。やっと、また会えましたね、お兄さん。いえ、灯貴くん?」
「ま、まて。ってか、なんでうちの大学にいるんだよ?!」
「それはたまたまです。名前聞きそびれてしまって勿体ないな、また会えないかなって思ってたら、まさか大学の先輩だったなんて。やっぱり、これは運命なの……」
そう冬咲胡桃が神妙な表情をして言うと、俺に突然抱き着いてくる。
そのとき、鼻をくすぐる甘い香りが俺の理性という理性を破壊してこようとしてくる。
なにせ、遺伝子レベルの恋と彼女がいうように、おそらく俺にとっても恋愛感情をまだ抱いていなくても遺伝子レベルでこの子のことをいいと思っている。理性がなければ、このまま子作りコースまっしぐらだ。
だが、俺には理性がある。永佳が来てからその意識はどっかに消え去っていたが、俺はドラマのような恋をしたいのであって、身体の関係から始まる恋なんて求めていない。
だから、耐えろ、俺の理性。
「ちょ、ちょっと待って」
「今更ですよ、一緒にホテルに行った仲じゃないですか。あ、あと諭吉さん多かったので後でお返しますね。それとも今から抜け出してそのお金でまた行っちゃいます? ラブホテルに……」
冬咲胡桃はとろんとした表情で俺を見つめてくる。
俺もとろんとした表情で彼女を見つめそうに、なるだけだ!!
ちがう!!
「本当に待ってくれ。そのときのことは俺も記憶にないんだ、安易にそういうことしてすまない、でも俺には小さい時からずっと好きだった奴がいるんだ!!」
俺のその発言に冬咲胡桃は少しむっとしたような表情を見せつつ、
「私にあんなことしておいて、そんなこと言いますか?」
と顔を近づけてくる。
俺の下半身に自分自身で恨みつつ、それでも俺はあの時のことをなかったことにして、永佳と付き合いたい。だからこそ、冬咲胡桃との邂逅は手痛すぎる。どうにか交渉して、なかったことにしてもらえないだろうか。
「申し訳ないけど、本当に記憶がないんだよ、許してくれ……」
「ふーん、じゃあ、その記憶を呼び戻すために灯貴くんの息子さんに直接聞いてみましょうか」
俺の取って付けたような謝罪は意味をなさず、俺のジーンズの社会の窓付近に冬咲胡桃の手が伸びてくる。
な、南無三!!
しかしそのとき、トイレの扉はゴンゴンと大きなノックが聞こえてくる。
「春原くん、大丈夫かしら?」
あぁ、舞スイートエンジェル。
冬咲胡桃はそのノックの音に対して顔を歪ませながら舌打ちをする。
なんか、やばい物をみた様な気がする。
冬咲胡桃は俺の元を離れ、俺を力づくで反転させる。
俺は冬咲胡桃の意図を読み取り、トイレに顔をうずめ、自分の口に指を突っ込む。
別に吐き気があるわけじゃないからこそ、無理やりこうするしかない。
冬咲胡桃はトイレの鍵を開けると、舞ちゃんの声が聞こえてくる。
無残にもアルコールのせいで吐き出したわけじゃないその汚物を流し、俺は立ち上がる。
「ははは、いきなり飛ばしすぎちゃったかなぁ」
と悪びれない様子を演技してみる。
それを聞いた冬咲胡桃は上ずったような甘ったるい声で、
「三条先輩、灯貴センパイが気持ち悪そうにしていたので、介護してましたぁ」
という。
「そう、ありがとう。冬咲さん、あとは私がお世話をしておくから、あなたは戻っていなさい」
「はーい」
傍から見れば介護役の交代の一幕にも見えるが、冬咲胡桃が舞ちゃんの後ろ姿をにらむ表情を俺は見逃さなかった。
そして、冬咲胡桃は発声をしていないが、
「邪魔しやがって」
というような声が聞こえてくるように口パクで文句を言っていた、というか俺には空耳でもそういう風に聞こえたように思う。
こわ、すぎる。
女ってこわい!!!
「しょうがないんだから、春原くんは。大丈夫?」
「あぁ、舞ちゃん、ありがとう。もう大丈夫だ……」
舞ちゃんが来てくれなかったら俺はどうなっていたのだろう、と少し身震いをしながらトイレから出る。
俺は先ほどいた席に戻らず、マックスの近くで残りの時間はブルブルと身体を震わせながら飲み会に参加したのであった。