団塊タイムカプセル~19歳の幻影
昭和42年5月28日(日曜日)
模試3回目は、英語450番、国語650番くらい。そして数学は相かわらず平均以下。頭が悪いのだ。数学に生きろ。今はちょっと整理のつかない状態にある。でも英語は400番台にのったし、先週やったものは200番台間違いない。6月中に100番以内に入りたい。国語は古文で駄目だったけれど、600番台というのは現国が満点に近いからだ。僕の実力として英語より国語の方ができるはずだから、これも6月中に100番台に入らなければいけない。しかし、500人が僕と同じように頑張っているのだから、よほど能率よく勉強していかなければ合格ラインにはとどかない。もし、T君が代ゼミにいたら、数学は満点だろうし、英語も僕より上のはずだ。今はマイペースを守るしかない。僕には大きな目標があるのだ。
5月31日(水曜日)
今日の模試は難しかった。数学はもちろんのこと国語も難しかった。文学史の弱点を暴露した。それでも英語は喰い下がった。東大文Ⅲが第一志望だが、ICUもやるだろうから、英語は伸ばさなければいけない。今日もアメリカ映画を見たがあまり聞き取れなかった。単語を知らないからだろう。しかし豆単ははかどらない。紀伊国屋の英語のコーナーであさったりもした。やはり英文をたくさん読んで単語を覚えていかなければいけない。
5月も終った。温かくなってくると日増しに元の無気力に戻っていくみたいだ。数学も成果があらわれないし、英語もわからないところばかりだし、古文はできないしで、いやになっているのだ。
6月2日(金曜日)
「僕は誰?」19回目の誕生日を迎えた今日、一人でいるとき(いつも一人だが)ふとそう思った。生まれたときも死ぬときも一人。BC1500年、殷の時代の王は、自分の死とともに何百人もの殉葬をおこなった。死後の世界でも孤独から逃れようとした話。それはともかく僕の孤独に注目してくれよ。
人の一生なんて短いものだ。『ドクトルジバゴ』の感動がよみがえる。ロシア革命の時代に生きて、波乱に満ちた生涯を送り、あっけなく死んでいく。雪原をよたよた歩くところは『アラビアのロレンス』の砂漠のシーンにもあった。ジバゴは詩人だからロシアの自然や季節が70ミリスクリーンに美しく描写されていたし、氷でガラスのようになっている別荘のなかの幻想的な映像はロマノフ王朝の宮殿を象徴しているようだった。
6月7日(水曜日)
パレスチナで戦争が起きた。イスラエル一国がアラブの連合軍と戦っている。戦争は中東ばかりじゃない。アメリカ人は大学を出てベトナム人を殺しに行くのだ。人間はいつになったら戦争をやめるのだろう。人間が戦争兵器でこなごなになる。それを新聞には172機撃墜なんて出るのだ。その中にいた人間のことを忘れてしまったのか。赤ん坊の誕生を待ち望んでいた兵士が、恋人を故郷に残してきた兵士が、突然飛んできた火の玉に焼き殺されてしまう。たくさんの人間が殺され地球が破壊されていく。
高二の10月、Wさんの手紙。
「……それからもう一つ。“ユダヤ人”の弁明をしなきゃネ。よくも悪口言ったな。パレスチナ紛争よりはまだベトナム戦争の方がましでしょうか?私ははんたい。ユダヤ人とアラブ人の戦いっていうのは、民族、国家、宗教のための戦いであり、彼ら自らの戦いだと思うんだけれど、ちがう? 一方、ベトナムの方はどうだい。民衆達ばかり犠牲にして、遠いところからわざわざやってきて、共産侵略に対する自衛だかなんだかしらないけれど戦争。ベトナム人のための戦いが、彼らを苦しめるだけなどという戦争って最低だと思う。でもパレスチナの方もいったいどうなるのかしら。うまく解決することは不可能みたいな気がします。でも私は彼らを信じます。ところで、「パレスチナ紛争は映画に出来ない」って書いてありましたけど、『Exodus』(日本語だと『栄光への脱出』)この映画の題名知ってるんじゃない?イスラエル建国の話も映画になったんです。ユダヤ人だけが選民であるというユダヤ教は、他の民族に敵がい心を起させるかもしれないけれど、ユダヤ人であるイエス・キリストを崇めるキリスト教徒が、なぜあんなにひどくユダヤ人を嫌うのかわかりません。アイ思うにユダヤ人って温和で忍耐強い人達みたい。なかにはもちろんケチもいるでしょうけど。Jewって引いたことある?「ユダヤ人 《転義》強欲な高利貸 奸商 守銭奴 だます ごまかす」いくらなんでもひどいと思わない?思エ!でも確かに他民族をうけいれなさすぎる所があるかもしれません。『シャロームイスラエル』の本の時にも書きましたが、私はイスラエルが大好きなんです。さて長々と書いてしまいましたけれど読んでくれた?「アーア 興味ネエや」だって?でもユダヤ人の悪口をほのめかしたんだから仕方ない。……」
その前の手紙で僕は、ベトナム戦争は植民地から民族を解放するための戦いだが、パレスチナの方は、アラブ人の土地に後からユダヤ人が入って来てイスラエルを建国したゆえに発生したみにくい民族紛争だというようなことを書いたのだと思う。今ではどちらの地域も大国の代理戦争みたいになってしまった。今の僕にはパレスチナ問題もベトナム戦争も憂うつな暗い気分にさせる。
6月13日(火曜日)
神苑へ行って弁当を食べ、数学の復習をした。日射が強かったのですぐやめた。代ゼミでやっと234番をとった僕が、どうして来年、東大を受けることが出来るというのか。Wさんはどうやって東大に合格することが出来たのだろう。東大を落ちたNさんでさえ今の僕の水準からはるか高いところにいたのだ。数学は零点。古文はまるでだめ。明日は模擬試験だぞ。僕のうぬぼれもペチャンコになってしまうのだ。僕の心は本当に不安定だ。東大への目標を力強く確信できたかと思えば、今日は絶望しているという具合だ。僕がやらなくちゃいけないことは目標に少しでも近づくこと。初志を胸に刻みつけておくことだ。
6月21日(水曜日)
今日の試験は英語がいい線行ったかもしれない。あとはダメ。国語はこの前100番とったけれど今度は千何番となるだろう。夏休みは8週間ある。その間に数学が出来るようにしておかなければ絶望的だろう。理社科も相当深い知識が必要だ。東大の試験問題を購入した。むずかしい。数学はたぶん試験のときは時間が足りなくなるだろう。相当頭がさえていなくては。
夢を見た。Nさんの顔がはっきり見えた。未だに夢で彼女を見るなんて変な気持ちだ。
6月24日(土曜日)
授業に身が入らない。暑くなってきて調子がおかしくなっているに違いない。
世の中にはいろんな奴がいるということ。国語のとき前に座っていた男と女、というより野郎とメスと書いてもけなしたりないくらいのブスカップル。そういえばいつもあの大教室でかたまっている二組。髪の長い女の方はまあまあとして、男の方はいかにも女好きの顔をしていて見られたもんじゃない。もう一組の女のほうの横っ面ときたらなっちゃいない。女なら何でもいいという男の気が知れない。ここにはWさんやNさんにとうてい近づくことのできない下等な人間がうじゃうじゃいる。僕だってこんな場所にいる人間なのだ。「人間はみな平等」なんかじゃない。愛憎の激しいこんな僕もやっぱりみにくい人種の一人だ。高く、潔く、雄大で、正統たちだけがいる世界で笑っていられるには東大に入り人格そのものも変える必要がある。
7月5日(水曜日)
今日は280円を使って紀伊国屋ホールと新東地下で映画を見た。
『マンハッタンの哀愁』はフランス映画だった。孤独、愛、嫉妬。男が女から「その女の人きれいなの?」と聞かれるシーンがある。男は答える。「感動的だ」
『気狂いピエロ』の中ごろのシーンに、フェルディナンとマリアンヌが薄ぼんやりした満月の出ている南仏の海岸で野宿しながらその月物語をする。フェルディナンが言う。「君の脚、君の胸は、僕を感動させる」
以前僕は映画を作りたいと思ったことがある。映画とは何でしょう……one word emotion!
明日は『雨月物語』に行こうかな。
今、ちょっと勉強する気力がなくなっている。やることはいっぱいあるのにどこをやったらいいのかわからない。立教ぐらいなら入れるさ。
7月11日(火曜日)
僕は見た。たしかに、はっきりと。あの少女が微笑を浮かべ僕にサヨナラの挨拶をしている。彼女は美人だ。きれいな長い髪をしている。代ゼミは人であふれているのに、今までいろいろなところで一緒になり、僕にとって不思議なつながりを感じさせる人だった。
昼は二号館で自習していた。『The little prince』を読んだりしていた。そこにLL教室で一緒のあの少女も入ってきた。彼女は一番前の席に座り、あの古代風に束ねた髪を結び直してから一人で勉強を始めた。
語学センターのLL授業が終って、初めての「free convasation」で僕の頭はぼんやりしていたのだが、横断歩道で信号を待っている間に、彼女も出て来て一緒にいた女の子と大きな笑い声をあげた。白っぽい薄手のサマーセーターそして今日は真っ赤なスカート。彼女の一番は上代の女性みたいな長い髪を束ねている髪形。彼女の脚は案外太くて荒っぽい傷があるのは高校卒業したてのまだ子供みたい。だが容貌は和風美人だ。
電車が代々木駅のホームに入ってくるのを改札口前の道路から見上げた。僕はその電車に乗ろうと階段を駆け上がり、後ろから二つ目のドアに飛び込んだ。ドア近くは混んでいたので座席の方に入った。そのとき、赤いスカート、紺色の髪リボンの彼女が、三つ目のドアの横に立っているのがわかった。彼女はすこし怒っているような真剣な顔をしていた。新宿駅で人がたくさん降りた。僕の立っている前の座席が三人分くらい空いた。僕はそのまま立っていたかったけれど仕方なく座った。そして彼女までも急いでやってきて座った。いつも座席が空いていれば座るのだろうか?彼女と僕の間に一人座ったので僕には彼女の白くて丸っこい腕と赤いスカートしか見えない。電車が高田馬場駅に着いた。僕はゆっくりと立ち上がった。そしてドア近くで彼女を一度見るため座席の方を向いた。彼女は僕を見上げて微笑んでいた。その美しい顔がさよならをするように僕に笑いかけていた。たとえそれが彼女の気まぐれだったとしても僕はうれしかった。
サンテックスは言った。
「そのバラは、他の何千というバラと少しも変わっていない。でも、もしあなたがそのバラの世話をしたとき、そのバラはあなたにとってなくてはならないものになり、そのバラにとってもあなたは何千という人間とはちがう欠かせない人間になる。そのときはじめてあなたとそのバラはお互いを必要とする関係になる。そうしてそのバラは世界中でたった一つの特別なものになる」。
だけどあと4日で夏休みに入ってしまう。
7月23日(土曜日)
夏休みの勉強計画もまず一週間が終った。やって、やって、ただそれだけで一週間が過ぎてしまった。とにかくすごい勢いだった。内容的にはそれほど進歩したとは思えない。むしろ混迷状態に入ってしまった。この調子で残りの計画をやり遂げなくてはいけない。勉強だけに熱中していたらオアシスの水が欲しくなった。とにかく今日はバテてそれで日記を書き始めた次第。明日は答案を受け取りに行き、帰りにアートシアターに行くつもり。ゴダールを見る。
8月4日(金曜日)
長い長い夏。本当にばてて来たんじゃないか?小田実の長文読解ゼミは人が多いし、中身もあまり役に立たない。
あの少女の後ろに座った。袖に丸い穴が開いているサマーセーターが可愛い。見なれない友だちと一緒だった。勉強に入った。彼女が友だちに何か言ったら友だちが僕のほうを振り返った。
「やめて、やめて」
と彼女が小さな声で友だちに言った。
「お友だちですかだって」
と友だちに言って二人でくすくす笑っていた。
「びっくりしちゃった」
だとさ。この教室が始まった一週間前、僕は彼女に声をかけて大失敗したのだ。
僕の行動もヘンだったけれど、あの少女も不思議だ。そういうわけで今日もヘンな日だった。
8月5日(土曜日)
英語。どんな文章でもすらすら読解できたらなあ。数学も古文も生物も僕にはものすごく負担だ。しかしどうしてもがんばらなくちゃあ。そして二学期には英語は一橋科で首位。国語は全体で一番。そして数学は名を載せるくらいにしなくちゃあ。社会二科目は常時名を載せなくちゃ。
彼女はいつもと同じ席に座っていた。僕も三つぐらい後ろのいつもと同じような席に座った。9月までしばらく会えない。教室の外で二日目に並んでいるとき、前にいるやつが言ってた言葉。「でも、昨日のひとは良かったな。あの穴のあいてるひと」。彼女は確かにすばらしい。あの雰囲気が男を喜ばせるのかもしれない。彼女が秋になってまた素敵な服装をしてくる日。とにかく秋だ。今年の秋は僕にとってもっとも重要な季節になるのだ。
どこかで三日続けて盆踊りをやっている。遠くでやっているはずなのにレコードをガンガン鳴らして聞こえてくる。もうとっくに若さを失ったバアさんやジイさんばかり集まって、「ヨメヲミタ ヨメヲミタ コリャコリャ」なんて歌詞に合わせて踊ってるはずだ。大人たちは自分のことで頭がいっぱいだ。他人のことなどおかまいなしに平気で生きている。
世界には、戦争、暴力、憎悪がはびこっている。人間たちは今の生活に汲々としている。この世の中で高い理想を持ち続けられる人間が今いったい何人いるのだろう。交通公害キャンペーンだの、国民のための政治だの、顔をいっそう醜くゆがめて叫ぶ偽善者たち。みんな時代の毒気に侵されてしまった。地球はぼろぼろ。そのまわりは黄色い不潔なガス。おれもペシミストの一人というわけか。
8月12日(日曜日)
ああ まったく最低だ 気狂いピエロ 勝手にしやがれ もう無理だ もうこれ以上詰め込む脳みそは残ってないよ 東京とおんなじ 過密ダイヤで超ラッシュ 人 人 人と書いて ヒ ヒ ヒと読める きっと狂った人間たちが大勢集まっているからそう読むようになったんだろう
無力感は真夏のせいか。狂った夏。おれが憬れてきたものは何だったのだろう。それを得られたとしてそこに何があるのだろう。おれは安易な逃避を続け至高の愛などとつぶやいていたのだ。もっと狂うがいい。孤独はとうにご承知さ。わーい花火。きゃあきれい。
8月14日(火曜日)
朝日新聞日曜版に、浜田知明の戦争体験が載っていた。それを切り取ってから、『15年戦争』を読み始めた。東大法学部在学中に学徒動員され、回天の搭乗員となり、訓練中に事故死した人の記録だった。二十余年の歳月が過ぎて太平洋戦争の出版物はたくさんある。戦後に生まれ十九歳になった僕はそれを読み、優秀な若者たちが不条理にもその短い命を奪われていった時代を想像し、いたたまれない気持ちになる。そしてそういう自分のことを考えてみる。僕は浜田知明の談話を読んだときWさんのことを思い出していた。『紫電改のタカ』の物語に出てくる信子に僕は感動したことがある。Wさんは東大文科三類の一年生。僕は受験に失敗した代ゼミの500番。彼女の足許にも及ばないようなつまらない人間なのだ。彼女だからこそ東大に入ったことに意味があるのだ。無力感でいっぱいだ。東大なんてとても無理だと考えてしまう。僕は中学まではマルバツ式の勉強で秀才だと言われ注目株だったけれど、高校になってやたらこみ入った勉強には対応できなかった。で浪人と化した今、何とかやってみようとここまで来た。僕は正しい道を歩いているのだろうか。
9月9日(土曜日)
いよいよ二学期は始まる。今日は代々木に教科書を買いに行った。選択試験も無事通った。日記帳に学習計画を書いたことはなかったが今日はそれをしておく。
月曜日は午後4時半まで世界史を受けるつもりだから、勉強は夕食後ということになる。まず30分ぐらいで勝浦数学の復習をする。その後、数学の予習。微積分のところ。それから現国の予習を一応することにして、以上で10時頃。もう一時間は英文解釈としよう。
火曜日はLLと生物を受けてくる。帰宅は午後5時半ぐらいだから夕食まで一時間。これは英作文語句集をやろう。もう三十分はしばらく『Useful English』。夕食後は数Ⅰ図形を9時まで。それからLLの復習。これは夕食前にやってしまってもいい。眠るまでの一時間は古文をやろう。または漢文、現国をやる。
水曜日は校内模試で午後からは空き。本屋へ行く場合とそうでない場合がある。一応午後は理社科にとっておく。世界史、日本史は応用。生物はサブノート中心。夕食後は予習。英作文と英文解釈を一時間ずつ。寝る前の一時間は数学図形を当分続ける。それからゼミで模試のおさらいをやってくること。
木曜日の帰宅は午後5時半。夕食前に英作文語句集と『Useful English』。夕食後は数学の予習、数Ⅱの座標、これも自力でアタック。英文法の予習をやって、残り一時間は英文解釈。こちらは月曜日のセミナーではなく、長文読解としよう。
金曜日はLLを終えて午後5時半帰宅。英語のバラで夕食。その後は予習。数学は順列・組合せから。苦手なところで級数などが続くところでもあるから慎重に毎週繰り返すこと。英文解釈の予習の後、『大数』の研究を続けよう。やりたくない日は国語に代替する。しかしそんなこと言ってられない。
土曜日は午前で切りあげにした。漢文をとらずにそうするのだから漢文の問題集を一時間。そのあとは理社科。これは水曜と同じやり方。夜は月曜の予習にプラスもう二時間。すなわち12時まで英語と国語。金曜の夕食前はLLの復習を忘れずに。結局英作文語句集は月曜から木曜までと日曜に特集としゃれこもう。
日曜日、午前中二時間は数Ⅰ、数ⅡBを進める。それとラジオ聴講。午後は理社科。特に月・火に行われる試験科目を問題集中心で。夜は英数国を一時間づつ。数学は『大数』」のための時間。英語は英作文、英文法。国語は「現代国語の新研究」。
以上が僕の一週間です。代々木での昼休み時間、次の講座の待ち時間は主に英語をやろう。前期の経験から一日一科目に集中するのがいい。電車の中、これはあまり能率が上らないので、行きは読書。帰りは英単語とする。ちょっと眠っておいてから始める。
さあ、あさってからだ。とにかく自分の境遇を忘れないことだ。そしてまず東大一筋に頑張ってみることだ。
9月12日(火曜日)
朝のラウンド。新所沢駅からの始発電車でいつも僕の前に座る女子高生の三人。就職先がデパートに決まったらしい。そのうちの一人は目白学園の酒井和歌子に匹敵する美人。肌がきれいで背も高い。
代々木のラウンド。今日のLL授業はずばずばとアンサーして他に先んじて好調なスタート。精神的なものと思われる足の震えが無ければさぞいい気分になっていられただろう。ミセス・ロウが「寒いのかしら」と冷房の噴き出し口を見ていた。狭いガラス教室に詰め込まれていたら体が硬くなってきたのだ。行きの電車の中でも、帰りの空いた電車でも、混んでくると脂汗みたいになって座っているヒザが震えた。前に立っている人には貧乏ゆすりでもしているのかと見られたかもしれない。
しかし今日のLLの見事さは、夏の間の効果が早々に出てきたものだろう。10月にはいろんな試験がやってくる。力を抜かずに毎日やって行こう。
9月13日(水曜日)
英語検定の2級を受けることにした。一次は10月末、二次は12月だから合格が期待できる。今日の試験の感じでは発音と英作文はまだまだ。良くて80点くらいだ。今日のはみんな易しい問題だったから90点以上は取っておきたい。T君から借りた研数の英語くらい難しい問題を代ゼミも出さなくちゃだめだ。
あの少女といつも一緒にいる友だちが教室から出て行くと入れ違いに本人が現れた。遅めの到着だ。僕のまわりの男どもみな何かに操られるように彼女が席に座るのを見ていた。しばらくして友だちが戻ってきて二人で並んで座った。彼女の長い髪は一学期のように結んでいないのでよけい目を引く。中野の時間、一番前に座っている二人は、「You are beutiful あなたは美人ですね。You are beutiful あなた方は美人ですね」などと言われてしまった。おまけに、「いいんだよ下を向かなくても、なにも」などと言われ、とうとう皆がゲラゲラ笑い出す始末で話しにならない。僕はしらけてしまった。
教室で昼飯を食べていたら、新高の赤坂君が来てだべりんぐ。そのうちあの二人が現れ、もう一人の友だちと三人であちらもだべりんぐ。その別の友だちもなかなか美人だった。
どうもくだらなさ過ぎる。今はこの一年間で最低のときだ。あるいは今が一番苦しいときかもしれない。WさんやNさんだったら中野にあんなこと言わせないだろう。人格を疑われるような講師など雇わないほうがいい。
9月15日(金曜日)
今日は老人の日。去年のこの日も曇っていやな日だったように覚えているのだけれど、台風が過ぎた後も風が吹きまくっている。だが、秋晴れの日の強風にはまた別の思い出がある。おとつい中井駅に降りた。陸橋の上は風が吹き荒れていた。台風24号が近づいていた。あの環6に巨大な陸橋ができていた。明るい色のペンキで塗ってあるその新しい陸橋は向こう側の歩道につながっている。向こう側にはWさんの家があった。彼女が暮らした家。落一小学校に通った家。あそこの停留所からバスに乗り、また都電に乗り、お茶中まで通った場所。何度も僕はその方向を見上げた。Wさんはその高みにいて東大を実現してしまった。今度は僕がそこへのぼって行こうとしている。そして失敗するだろう。何回やっても。
9月16日(Saturday)
I have taken a cold,a little.I went to buy a medicine in the store of Sintokorozawa Seiyu yesterday.But I have not cared of it completly.Today in lesson of Yoyogi seminar,I kept laying a handkerchief on my nose.I was suffered from that but it reminded me of memories. It is fine and slight sweet one.My friend ,W was suffered from cold as I was today.Our teacher Miss Yomo told her that she would be easy if she lays a handkerchief on her nose.I,who sit in the neighbor seat of her’s,heard that conversation.then,today I remembered W and our primary school age.It’s fine and pretty memory.
In these days,she goes to The University of Tokyo but I don’t do so.I am a prep-school student.But,though this condition of mine,I won’t beatn down.I’ll stady hard as long as I live.
9月19日(火曜日)
風呂からあがってずいぶん長いこと明日着ていく服装にこだわっていた。色気ばっかり出て来てこれは成績にひびくこと間違いなし。もう夜9時になってしまう。まじめにやれよ。
駄目なところはまったく駄目。わかるところはよおくわかる。どっちが僕の力なのだろう。もう秋になる。秋が来てそしてすぐ冬になる。本当にこの1年は早い。
明治神宮の芝生の木陰でミツバチ?と一緒に弁当を喰った。戻ってきてLLセンターに入ったら、もう階段のところまで人がいっぱい。いつも一緒のカップルがいてとたんに不愉快な気分になる。上の方にあの少女と友だちのクロ子ちゃん(南国っぽい顔だから)がいるのをすぐ見つけた。彼女は真面目な顔をして階段の下あたりまで見まわして急いでまた身を隠した。大変いいカンジ。男たちが会話している。「あの人は?」「今日はすこし遅かったみたいだけどな」「とにかくすごい美人」。
教室のチェンジのとき、こちらのほうが早く終り、廊下にぎっしり詰まって待っていた。あの少女が僕の横にぴったり。とにかくこうやって時間をさいて彼女のことを書くのだから何とかしなくてはいけない。しかしこれ以上深入りすれば成績は下がるだろう。いつも悲しがって勉強だけが気休めだった頃に比べ緊張感は欠けていくだろう。だけど彼女のことを忘れちゃえと言ってもむずかしい。少しでもいいから彼女とちゃんとコミュニケートできたらと思う。名前さえ知らないなんて本当にナンセンスだ。
明日は二回目の模試。一回目は駄目だったから今度こそ名を出さなくてはいけない。英語、国語、数学も、とにかくやるだけやってみろ。
9月20日(水曜日)
英語はやたらと難しかった。どうもそのショックで国語も調子悪かった。数学は全部答えがあっていた。驚き。ともかく英語がこのところさえない。英作文も、解釈も、発音も、調子悪い。あいかわらず500番だなんてまっぴらだ。単語だ。豆単丸暗記だ。現国も早く調子を上げよう。何してるのだ。代々木のやつらなんかみんな抜かしてしまえ。来週は世界史。散々やったはずなのにすっかり忘れてしまった。日本史は一応勝利をおさめたのだから。中国史。西欧史。
9月22日(金曜日)
世界史は絶望的。月曜が運動会とかで日曜日にその授業をやるため、試験もその日になった。夏休みにはいちばん世界史をやったつもりなのにすっかり忘れてしまっている。やっぱりサブノートを自分で作って整理していかなければ駄目らしい。でも今さらもう遅い。さ来週の日曜日は駿台の模試を受けるつもりなので、運動会だなんてくだらないものに行ってられない。俺は代々木のつまらない人間とはちがうのだ。
LLが始まる前、階段上の踊場にいた。彼女はしばらく見えないところにいたらしいがやがて上まで上がって来た。二学期が始まってから彼女にちゃんと顔を向けたことがない。まったく僕は冗漫だ。僕の考えていることを伝えてみようとしたことがあるか?しかし予備校ではそれをするにはあまりにもこっけいに思える。名まえも知らないのだからなあ。
クロ子ちゃんが勉強している横で彼女のほうは寝ていた。長い髪の先がこちらに向いていた。あの二人は目立つ。ほかのやつらがしゃべっていた。「かわいい」「趣味じゃない」「服装とかいいよ」「足が太いから」。
10月3日(火曜日)
紀伊国屋をぶらついて『理想』を買った。250円は高い。変革期の思想という特集で世界史に役立ちそうなので買った。今月の末に英検がある。こちらも800円出しているのだからいいかげんには出来ない。「あんな資格、簡単だったよ」と僕の口から言えないものかねえ。
今日は代ゼミ生活始まって以来、最も早い到着をした。304には4、5人しかいなかった。いつも彼女たちが座る席に座った。みんなが入ってきて席がうまっていくが、数学の自習をしていたので、まわりの世界のことはわからなかった。ただ彼女が僕の横には来ないこととあまり遠くへは行かないことを願っていた。赤坂君が来た。貸したテキストの会話を少しだけして彼は去った。彼の様子にいつもと違うよそ行きのカンジがしてなんとなく不思議に思った。彼を見送っていたら入れ違いにクロ子ちゃんが後ろの席に入ってきた。そのとき僕は赤坂君のよそ行きの理由がわかったのだ。あの人はいつの間にか僕の後ろに座っていたのだ。これにはまいった。まさか真後ろに座られるなどとは考えてもいなかった。そして彼女は笑い声をたてながらクロ子ちゃんと話し始めた。クロ子ちゃんの声は低い。体つきからすればうなずける。いっぽう彼女の声は高い。これはまったくの女の声。いい声してる。今日は見られる立場となってしまい、とうとう最後まで彼女を見ることが出来なかった。
10月4日(水曜日)
今日も早々にご到着。彼女が登校して来たのはずい分経ってからだった。しかし彼女の美少女ぶりはきまっている。こんなことはあまり書きたくないけど着物を着ればまったくの日本美人というカンジ。いまは生き生きと彼女の笑顔が目の前ではね回っている。彼女が愛きょうを示すようになったのは僕のせいだ。最初の彼女の印象は静のたぐいだった。その彼女にしつこく男が近づいている。いや僕ではなく、僕と同じブ男で女たらしで頭のほうはさっぱりのヤツ。今まで恋人気どりで付きまとっていた女の子と決裂して、その目の前で今度は彼女に声をかけている。ヤロウにしたら必死なのだろうが僕がいる限りあいつには無理だ。イロオトコ、カネトアタマハナカリケリ。今年理Ⅲに入った宮下君が昔僕にそう言った。
10月7日(土曜日)
たるんで来たみたいだ。日曜の模試はどうしようかな。どうも代ゼミの試験は傾向が違うみたいだ。7月からさして良くなってもいないだろうし、これといって仕上げたものもないし、今回はお休みということにするか。
大江健三郎は「何が何でも、入らないけん」と書いたそうだ。僕の読書量は比べものにならない。しかしあれほど読んでいてあの程度の文章なら、僕などまったく将来性はない。勉強しなくっちゃ。
忘れようとしても、気づかないようにしても、Nさんの思い出が僕をおびやかし続ける。たった一人の人がいればそれでいい。しかし僕はその人を失った。愛し、敗れた僕。春の夜に遠くの夜景を見ながら復活を祈ったときから、時間は過ぎ去り、今はもう秋になってしまった。僕は別の人間になれただろうか。僕は逃避しようとしたわけではない。無為な陶酔に浸っていたわけでもない。僕は真面目に生きてきたつもりだ。だが僕は何を残したのだろうか。どうすることも出来ない無力感。僕の生涯も、もう終わりが来たようだ。とてもこれ以上生きられない。誰もが孤独で、そして誰ともつながることが出来ないのだ。僕とNさんあまりに違いすぎた。
10月9日(月曜日)
佐藤首相の南ベトナム訪問に反対して、8日、羽田空港で反代々木系が警察とぶつかった。京大生一人が死亡ということで安保以来の大騒動になっている。高田馬場駅で買った「ジャパンタイムズ」と「毎日新聞」を教室の後ろで読んだ。
体重50kg、身長170cm、頬はこけ、視力はすでに0.1に定着した。数年使用したシェーファーの万年筆はペン先が欠け、その字は生来の小心を表わす。いつも自我の意識から離れられないくだらないやつ。
明日は体育の日で休み。勉強しなくちゃ。あさってはマルバツ式試験。昨日の公開模試さぼっちゃたけれど、つまらない問題だったらしい。次は11月4日。今度は行くけれど、総合点で急上昇を期す。もう10月も三分の一が過ぎた。
10月17日(火曜日)
彼女の名前、Kさん。小樽潮陵高校。先週の土曜、彼女が指差していた箇所にはまさしく彼女の名前が載っていた。国語で73点。その前の日本史は80点をとって名前を出している。頑張らなくっちゃあ。僕は東京の新高出身だったのだ。
302で赤坂君と話していたら、あのヤロウが偶然にも現れやがった。ニコニコ笑っていた僕の顔が不機嫌になったので、赤坂君は僕の変化を悟ったらしい。彼まで急に黙り込んでしまった。あのなれなれしい野郎はでっかい声で、「ここでいいの?」などとKさんにつきまとっていた。何のためか、Kさんの後ろに束ねた髪を引っ張ってから教室を出て行った。僕は硬化していたが何もしなかった。彼女も同じだった。
10月22日(日曜日)
毎年、日本シリーズが始まるころは秋晴れの日が続く。もしかしたら来年の春まで雨は降らないかもしれない。天気のほうはそれでいいかもしれないが僕の後半は変わらなければいけない。今の僕はふらふらと日を重ねているだけだ。もう4カ月しかない。ともかくその日は来てしまう。いまだ完成した実力にはほど遠い。自分に対する自分の確信が得られていない。僕という人間はたった10カ月間でさえ自分の意志を貫き通すことが出来なかったのだ。やらなくてはいけないことは山ほどある。だが逃避の習慣がすっかり僕を無気力にしてしまった。あの長い夏休みの間に僕は目標を失ってしまったのかもしれない。
Nさんは学校での威張ったカンジと違って二人でいるときは優しいひとだった。今はそう思う。彼女自身も学校での自分と家での自分は違うと言っていた。彼女はもう僕にとってただ懐かしいだけの存在に変わってしまった。彼女がいま僕の前に現れたらきっと奇異な気持ちがするだろう。ICUを受けるのはやめようと思う。
吉田茂が亡くなった。昭和の元老がまた一人去っていく。そうして新しい時代がやって来るのだろう。
10月24日(火曜日)
ここ2、3日ようやく調子が出てきたように思う。スタートは寒々とした朝の電車のなかの勉強に始まる。浪人生という現実はこれ以上わき目することを許さない。
ブースルームで。上着をとって赤い半そでセーター。その赤色もくだらない色じゃなくてものすごくきれいな赤。横顔が目に入る。形のよい鼻。きれいな肌。左の腕にはゴージャスな時計をはめている。手首のまわりを回転するゆるいリングのやつ。後ろに三人くらいうるさい女たちがいて彼女が振り返ったときその目は三人を通り越して僕を見た。なぜなら僕が彼女を見ていたから。
304で。消しゴムを持っていないらしくて(以前は100円のやつを持っていた)、クロ子ちゃんのちっぽけな砂消しを借りていた。何度も何度も借りていた。僕の視界の先にある横顔がそのうち笑っているみたいになってきたとき、クロコチャンが「なあに」と聞いた。彼女があわてて「なんでもない」と答えた。彼女のご自慢の髪。近頃は編んでくるのだが一日に一回はばらばらにしてしまう。
7月。一学期も終りかけていた山手線のなかの出来事がなつかしい。せっかくあのとき急に近づいたと思ったのに夏休みが入って間が空いてしまった。
掲示板の前で人ごみを避けて立っている。僕は下を向いたまま通り過ぎた。おうど色のスーツに白い透き通ったストッキングの脚を前に投げ出していた。
モノ鉛筆をにぎってKさんは勉強している。たくさんの人間たちが醜く笑っているときにも彼女は笑っていなかった。彼女は動かない。彼女は真偽が理解できるようだった。彼女には行動する力さえある。彼女は喜びを素直に外に表わすことができる。それが出来ない人間のなんと多いことか。ニタニタ笑う人間のなんと多いことか。彼女は見られることを欲しない。彼女は下劣なものを避けることが出来る。それを寄せ付けないことが出来る。僕は彼女に教えられる。
先に出たKさんと友だちがラセン階段の途中で立ち話しをしている前を通った。彼女が僕を見ている。僕はサヨナラも言えない人間なのだ。彼女に笑いかける余裕さえない人間なのだ。
10月25日(水曜日)
次の日曜日に英検は迫った。まあ何とかなると思うけど。志望校の欄に東大文Ⅲと書いたが、こちらはどうも夢まぼろしのたぐいのようだ。予備校で二倍の科目数に増やしたのだから英語も国語もさえない得点である。数学はようやく平均あたりまで上がってきた。12月25・26日の文試が節目となるはずだ。来週は選択形式。11月3日は模試。何とか3月3日までには力をつけたい。
今日もあの野郎が現れた。朝も休み時間も平和な僕たちの304教室に現れた。まわりのみんなも嘲笑していた。僕はKさんたちがかわいそうだった。彼女たちは何も出来ないのだ。あの野郎は平気で他人の時間を乱す迷惑男だ。最早いろきちがいという言葉では足りない。「待ってたんだよ。おいでよ」。そんなことを言った。「問題集もって来なかった」などとモグモグ言ってやっと出て行った。日本史の試験のときもいた。でっかい声で話していた。満座のなかで恥をかいても平気なヤロウだ。
僕にとって美しく思えるのはNさんとWさんだけだ。胸ポケットの定期入れに、Nさんの書いた紙片と、Wさんの写真が入れてある。それと僕の血液型。すべては来年三月の大学入試のために……。
10月29日(日曜日)
台風39号が前触れの強風を送り込んで来た。「あの人、好き?」と聞かれたKさんが、「きらい!」と答えていた。そう言っている二人が何か約束してしまって後になってどうしようなどと顔をしかめている。まったく情けないけど僕の知ったことじゃない。僕は高みの見物というわけだ。これからどうなっていくのかたいへんおもしろい。あの男のことだからヘドが出るくらい図々しいにちがいない。つまらない奴に目をつけられたものだ。
今日の英検、リラックスして受けられた。大学生が多かった。受かるだろうけれどやはり内容は完ぺきとは言えない。
11月1日(水曜日)
相かわらずばっちりした点もとれずにとうとう11月が来た。国語の80。英語は7つもまちがえて62。数学は25。その2つの正解もあてずっぽうというからひどいものだ。きっとまた900番てなことになる。
語学センターの出口でKさんの足を踏んだ。クロ子ちゃんと二人で次の時間どうするか決めようとしていた。急に彼女が後ろに少し足を出したのだと思う。おもいきり彼女のカカトを踏んづけた。思わず「アッ!ゴメンナサイ」と言ってしまった。そうしたら彼女が大きな声で「イタアイ」と言った。僕は恥ずかしくてたまらなかった。僕は彼女の足が好きだ。彼女の身長は僕より低いがちょうど良い。着ている服のセンスがいい。たしかに以前僕と彼女は接近したはずだが言葉を交わすことも出来ないままでいる。なんだかとうてい縁のない人に思える。そして二度と逢うことのないまま別の世界に去って行く。彼女もまたつかの間の幻影。
11月3日(金曜日)
第4回公開模試。田町駅から都電通りを渡り小路を歩く頃から、僕の胸はあのときの思い出でいっぱいになった。コースを外れてあの日ふたりで探した校舎のあたりを歩いてみた。ほんとうに懐かしく感じた。忘れていたことまで思い出せるようだった。靴音が響く大学の薄暗い廊下を歩いて、あの日、Nさんが折鶴を渡した廊下を探した。
……「折り鶴よ」……「ワタベさんにしかあげたことないのよ」
輝く額と白いあごをすこし上げて、黒い大きな目をクリクリさせて、僕と話していたNさん。僕を感動させ勇気づけくれたNさん。僕は慶大合格を願ったが電報は来なかった。その後Nさんはすっかり他人のような冷たさを見せた。
受験間近の僕の部屋に浮いていた二羽のオリヅル。目を覚ますと僕の目に最初に飛び込んできた金色と銀色のオリヅル。すべてが終ったとき古い火鉢のなかでブシブシといぶしながら燃やしてしまった。灰の上に残った燃えかすも火ばしでこなごなにくだいてしまった。
そしてまたあの季節がやってくる。Nさんはもう現れることもなく、オリヅルは僕の手から飛び去った。僕はあの頃の思い出のほとんどを忘れてしまいたった一人の戦いを続けている。
11月11日(土曜日)
寒波到来とかで北向きのこの部屋はいと寒し。
昨日買ったソ連50年史『ロシア革命の道』を半分ぐらいまで読んだ。4日前が1917年からちょうど50年目だったわけだ。1939年の独ソ不可侵条約。1941年ドイツ侵攻。1956年の第20回党大会でのフルシチョフ秘密報告。世界史に役立てるつもりで読んだがあまり役に立たない。世界史はおもしろいけれどすぐ忘れる。中国史などはまるで砂漠だ。『シルクロード』はいっこうに紀伊国屋に入ってこない。
国語が46番で名前が出た。漢文には失敗していたのでもうけものという感じ。英語は悪かった。理社科はあくせくしたおかげでよくなってきた。数学に“解けるグセ”がつけば相当自信になる。東大文Ⅲは玉砕作戦で行くとしても、早稲田政経くらいは受からなければいけない。後4カ月頑張れ。
11月12日(日曜日)
由比忠之進、佐藤首相に抗議してガソリン焼身自殺。
Kさんはあの男がいるため教室のうしろで授業を受けている。いやな男だからナア。まったく見ただけでムシズが走るような図体で何のとりえもないくせに好き勝手なことをやっている。しかし僕もあの男もKさんにとってはあんがい同じなのかもしれない。ともだち三人でケラケラ笑っているところを僕が見ているとKさんだけ急に笑うのをやめてしまう。何を意味するのか皆目わからない。
11月18日(土曜日)
11月の公開模試が返却された。いやその悪いこと。英語は平均以下だった。これはいったいどういうことなのか。数学は相かわらず偏差値48などとやっている。国語は全力を出し切り77を獲得。それでも310何番。悲しいネエ。英語や数学は上がる見込みあるのだろうか。今年はまだ40日余残っている。あと2回の試験。数学、英語、国語、理社科、あくまで東大の試験で抜きん出ればよいので、予備校の試験がさえないからといってショボくれることはない。
高田馬場でT君とひょっこり会ったら無理やり試験問題を貸してくれた。9月、10月の俺はまったくたるんでいた。しかし続けるしかない。3月11日に井の頭線の電車の窓から見たあの門のなか、僕は受けることすら出来なかった。そして慶大にも落ちた。僕と交わってきた者たちが自分との戦いをしているとき僕は傍観者でしかなかった。何としても汚名を挽回したい。
このペンは本当に書きにくい。月曜日に新しいシェーファーを買いに行こう。
11月20日(月曜日)
最近登校が遅くなってしまった。朝は寒いから起きるのが辛いのだ。休もう休もうと思いながら無欠勤を続けている。しっかりしなくっちゃあ。たくさんの無為な時間を費やしてしまった。夏までの調子なら今頃どんどん成果をあげているはずなのだ。夏休み前の自分を振り返ってみると、おとぎ話の主人公を見ているような気持ちになる。あのころの僕は目標を持ちひたすら無心に生きていた。
新しいシェーファーの書き心地は?まったく同じ型のペンである。2,500円は学生には手ごろ。プラチナとかパーカーとかパイロットといった同じ値段のものも調べて見れば良かったのだが、どうもシェーファーのファンになっちゃって。太字のつもりだがそんなに太くない。使っているうちに摩滅して来て書きやすくなり、そしてゆがんでしまうというわけか。こちらは古い万年筆。いやに書き易い。なんだか馬鹿らしい。いいさ両方使うから。
Kさんとは久しく合えなかったが、今日の午後はLL教室でうしろ姿を見て302でうしろ姿を見た。混んでいたから受けずに帰って来てしまった。今日2,500円使ってしまったので、当分身なりのほうには手が廻らない。東大、東外大を落ちたら大学に行くのはやめようと思う。18万も出す私立には絶対行かない。洋服も買えず、粗食に堪えて、この家でイライラ、ピリピリしながら生きていくのなんかまっぴらごめんだ。トラック運転手になっても本は読めるし創作も出来る。
11月22日(水曜日)
英語は好調。先週あたりから70台以上というところだ。しかし皆もそのくらいは上がっているのかもしれない。まあ100番台というところか。国語もあんがい出来た。漢文の出来は相変わらずだが。12月3日の英検二次試験、12月25日、26日の文試の結果を見ながら本番に向けて調子を上げよう。とにかく今日の英語は最善のコンディションで全力を出し切ったもので是非上位の成績であってほしい。
11月23日(木曜日)
気分転換をかねて突然甲府に出かけた。父親の代わりに届けに行ったのだ。中央本線で行きは特急、帰りは急行。帰りの空いていた車内で食べた弁当はうまかった。駅弁があんなにうまいものとは知らなかった。甲府の山々は紅葉や常緑樹の配色がきれいだった。空も晴れていた。中央高速道路が大月まで敷かれるらしくて工事中だった。あの山々の中を抜けて通る美しいハイウエイを車で走ったらいかすだろうなあ。都内は絶対走らない。死ぬだけだ。僕はやっぱりトラックの運転手にはならない。存在だけが自分の価値というのでは情けない。どうしても大学4年間の経験を僕も持たなければいけないのだ。
沖縄返還運動もこれで静まって行くのだろう。民族の怒り、オキナワは我らのものなどと歌っていた国鉄職員グループは愚かな凡人たちだ。もちろん沖縄返還は早く実現したほうがいい。しかし、泥沼化するベトナムで侵略者と同じ容貌を持つようになってしまったアメリカが、日本にも自由世界の防衛を突きつけてくる。人間の自由が奪われるような戦争がまた起きるとでもいうのか。ソ連や中共が人類の敵とはいったい何のことだ。日本は確かにこれから発展していくのだろう。国力は増大し、アジアの指導者、世界の大国へと成長して行くのだろう。しかしそのとき日本は平和国家のお手本になっているのだろうか。桎梏=fetters(名)fetter(動)
11月24日(金曜日)
今日も遅刻。
あの嫌いな野郎が、昔の女とKさんの友だちの二人を両脇において座っていたので203に引っ越した。暗い寒々としたその教室で英文法を聞き次の時間また戻った。とうとう英文法を二度聞いてしまった。さっきの三人に代わって今度はKさんがちゃんと座っていた。今日は黒みがかったセンスの良いセーター。あの長い髪は編んでもいなかったし結んでもいなかった。横顔は断然すごい。まわりの皆もその美しさを認めざるを得ない。しかし講座の途中で黒板のところから長谷川が「Oh,beautiful!」とKさんに叫んだので、僕は文句を言ってしまった。講師は気まずそうにKさんに謝罪した。僕が抗議したとき彼女はびっくりしていた。耳も頬も真っ赤になっていた。こっちだって恥ずかしい。やっぱりおとなしく授業を聞いていればよかった。昼休みにKさんの横顔を見ながらクロ子ちゃんが少しニヤニヤしていた。
赤坂君が来た。すごい服を着ていた。ヒッピーみたいな格好になっていた。調子にのった彼は『ルナ』という名のたばこをすすめた。二人で廊下に出て大喜びで吸った。長椅子に座ってプアアと吐き出していたら、Kさんと友だちが通った。僕はたばこの灰を灰皿に落とすしぐさをしてカッコつけた。赤坂君の家は地下鉄新高円寺駅近くの歯医者さんだ。新高のとき、ときどき新宿三丁目駅から一緒に帰った。彼は跡継ぎを期待されているから必ず歯学部に合格しないといけない。最近の赤坂君は二浪覚悟の雰囲気になってきた。僕だって彼の成績とたいして変らない。これで東大を受けるつもりになっているのだからあほらしい。
ああ、ここが自由の世界だったらなあ。今の僕たちは恋愛も許されない。Kさんの写真が欲しいと思う。LL教室を逃げ出したクロ子ちゃんとちがって彼女はスパニオラのクラスに出ていた。今日は誰も知らない単語をアンサーしていた。アンサーのときなんかは高い声になる。誰か似ている声があれば例えられるのだが、リーディングの前には必ず咳ばらいをする。「ウゥン!」というふうに。Compassのスペルはまちがっていた。まあ僕のようなわけにはいかないだろう。彼女はなかなか正確に答えを言う。おとなしそうに見えるが積極的なところがある。あの7月の山手線の電車のときは素晴らしかった。今日もなんとなくあのときの雰囲気に近かったけれど、お互いにobstacleがあるから自制してあたりまえと僕は考えてしまう。Kさんもきっと同じなのだろう。
LL教室を出るとき通路の黒い大きなガラスの前でKさんが帰りの身支度をしていた。後ろを通る僕の姿がガラスに写ると彼女は手を止めた。彼女はガラスのなかの僕を見送っていた。
11月29日(水曜日)
昨日は9時頃寝てしまった。早朝起床を期したが駄目だった。寝る前にI君に葉書を出した。そのせいで教付高の夢を見た。HRでI君が議長で、そのクラスには美しく聡明な女の人もいた。僕は客人扱い。風呂に入る前に見た東映任侠映画のシーンにあった衝立越しの会話が夢の中で僕とその女の人との会話になっていた。HRでなにか教室が行き詰まり、僕が実に見事な言葉を使って提案したら教付高のみんなが絶賛しその後は二人の楽しい語らい。今まで見た夢のなかで最高の出来だった。ものすごく長いロマンチックな夢のなかのその女の人はもちろんKさんだった。
朝、いつもと同じ席に座った。試験が終わって振り返ったら斜め後ろにKさんがいた。僕はそのことに安心していた。
ヒアリングルームではKさんと友だちがいったん前に座ろうとしたが、ガヤガヤ話しながら後ろにやって来て、僕の真後ろのブースでどちらが奥に入るかで、Kさんが「じゃんけん、じゃんけん」などと言っているうちに、友だちが先に座ってしまった。彼女は自嘲的にまだ「じゃんけん……」とか言っていたので笑ったら、彼女が小さく咳ばらいをした。KさんはICUも志望校らしい。
11月30日(木曜日)
11月もおしまい。本当に早い。1時限目は302で国文法を聞いた。終わると早めに教室を出て304へ。外でたくさん人が待っていたので奥まで入り込んで行って驚いた。その中に一人だけ女の子。僕は階段のところまで戻って来てしまった。それでゆっくり観察することが出来た。Kさんは青い色のオーバーを着て下を向いてブーツの足元を見ていた。ブーツの先でリズムをとるようにぶらぶらさせている。そのうちひとりでニヤニヤし始めた彼女はすばらしかった。いったい何を考えていたのだろう。まわりの男たちは皆彼女を見ていた。前の授業が終わり、僕は彼女を後ろから見える席に座りたかったので、教室の後ろの入口から入ろうとしたが、混んでいたので一番前の席に座ると、彼女は僕の後ろに座った。テキストが遅れているせいで講師はあまりあてたりしなかった。読売ニュースのカメラが僕たちを写した。僕の後ろで小さな声でアンサーしていた彼女。笑い声をあげていた彼女。授業が終わると彼女はもういなかった。Kさんは話し方がうまいし茶目っ気もある。彼女は楽しい人なのだ。僕は彼女が好きだ。あの顔も、あの髪形も、あの服装も。
12月1日(金曜日)
明日とりあえず入試要綱を取りにICUに行く。Nさんと逢うだろうか。またあの笑みを浮かべて、あの目で、あの声で、僕と話してくれたら最高だと思う。たとえそうでなくても、今の僕はしっかりと自分の目標を持ち、3日の英検も、文試も、1月の特考も、駿台の試験も、東大の一次試験にも挑んでみせる。
12月2日(土曜日)
たとえどんなに大切な宝物でもそれを失ったしまうといつまでも覚えていることは困難なのかもしれないが、いま進む僕の道はNさんに報いるため選んだものだ。彼女のために点を取り、彼女のために合格を目指してきた。たとえもう彼女が遠くに去ってしまっていても、決して彼女を忘れるようなことがあってはならない。
英語で10位をとった。僕の名前が英語でのっていることはものすごくうれしいが、数学は相変わらず悪い。国語も英語も完璧な自信はもっていない。
小雨のなかをICUに出向いた。構内に入るころには、代ゼミを出発してからずっとあった邪念がすっかり消え去り、目の前に自分の知らない新しい世界が現れるのを見た。女の人に話しかけられた。「Would you have a match?」だってさ。
12月3日(日曜日)
金曜日、Kさんは教室の前の入口から入って来た。そのときは少しまだ眠そうな顔つきだった。その後は友だちとはしゃいだ様子でしゃべっていた。
ICUは向いていない。願書に父親のポストや出身学校や年収だとかを書かなくてはいけない。貧乏人は入れてもらえないのか。この社宅の共同電話番号を書くなんて。池田勇人の暴言はまちがっていない。貧乏人は貧乏人らしく暮らせ。貧乏人の息子がいい服をほしがったり、ICUのキャンパスで革靴をはいて帰国子女たちと外国語で楽しく語らうなどチャンチャラおかしい。いまさらながら自分の滑稽さかげんに驚く。軽蔑さえしている親から金を出してもらおうという自分が情けない。僕にはもうこれ以上は無理だ。NやWに追いつこうという努力も僕には重荷すぎる。いつからこんなに差がついてしまったのだろう。家や生まれが僕の人生を決めてしまったのだろうか。みじめな運命から抜け出すことなどできるわけがない。やれやれここまで来てようやく気付くなんて。
12月9日(土曜日)
とうとう終わってしまった。ずいぶん早いと思う。なんとなく後味の悪い最終日だった。本を買い込んでしまった。この休み中に新しく手をつけなければいけないことはたいへんな量になる。これもあせりのあらわれだろうか。しかしやり遂げなくてはならない。数学、生物の遅れを取り戻すこと。英語の力を伸ばすこと。
最近聞く自己批判とはなんともおかしな言葉だ。self criticism でいいのかな。僕も19だ。見栄をはるのもほどほどにしてもっと自分自身にふさわしい生き方を養うこと。
12月10日(日曜日)
自由ということの重さ、民主主義体制の意義、これらが権力に踏みにじられたら。Freedum, the matter of consequence. Democracy, that significance. If they should be trumpled under foot; then, I won’t be able to afford to overlook.
何の理由もなく、何のためらいもなく、何の思慮もなく、横暴な手段で自分の頬が殴られることの悔しさ。人間性を無視されたときの悲しみ。人権や自由に対する悪らつな権力の行使を見逃すことは出来ない。なぜあの時代若者たちは戦争に行ったのだろう。あっけない命の喪失がむなしく思える。だが僕たちの時代にもそれとは種類は違うが同じ弱さがある。自由におぼれてしまう危険。規制に対する極度の反応。多くの人々は今の政治に歯がゆさを感じている。だが日常の生活のなかではほとんど関心を持たない。個人の幸福や利益の追求に追われている。予備校には有名大学を目指す学生たちが集まるが、将来の若い力を育てようとする場所などではない。社会に嫌われないよう自分から反省するのは必要なことだろうが、他人が強制する場面に出会ったとき怒りに似た嫌悪を感じた。
一日中家にこもる生活が始まった。この僕は人を避けることが多い。そのつもりがなくてもいつの間にか陰険な顔つきをしている。そんな僕にはね返ってくるものはhostile(敵意)のみだ。二学期も僕の成績は伸びなかった。本番まで数えるほどしかないこの冬休み中に、僕がやらなければいけないことは山ほどある。
12月12日(木曜日)
10位をとったと思ったらすぐまた3桁。たった一回の優良点より毎回上位にいることのほうが難しいことだし価値があるのだ。精神状態の反映か。殺伐とした環境で暮らすうちに思考力は減退し情緒は不安定になる。しかしこんな中で詩的に生きることのほうが困難だ。とにかく3学期はスタートの模試からこの学期にできなかった快挙を実現してみせなければいけない。幸い10位をとったことが僕の自信を大きくさせてくれる。日本史、世界史を僕の強力な武器として磨き上げよう。
12月16日(土曜日)
もう一週間ぐらい家にこもっている。一度も外に出ていない。その間、いつも通る世界では、国電ストによる遅延とか、通勤ラッシュとか、西武線の踏切事故とか騒々しい。
ICUは迷っている。落ちるのがあたりまえのような気がしてくる。ずい分と月日が経った今もNさんのことを思い続ける僕。時折、ICUはやめて早稲田の政経にしようかと考えることもあるのだけれど、しかしそれもNさんを意識してのことだ。あと二カ月で本番とは。Wさんのために東大を受ける。NさんのためにICUを受ける。自信なんかないのに。自分のPerseveranceに頼るしかない。
12月19日(火曜日)
今日はずい分寒いらしい。昼前には雪が降った。もうすぐクリスマスか。沖縄問題もようやく落ち着いてきて、騒がしかった1967年も暮れを迎えようとしている。来年、さ来年と、世の中はますます騒がしくなっていくだろう。70年。日本はどうなるのか。僕はどうなっているのか。どこの大学にいるのだ。
代々木で知ったKさんを想うこともある。小樽の少女は今ごろガリ勉かな。最高の受験者数といわれる来年の入試に、日本の北から南まで受験者が集ってきて、東大や早稲田を受けたりする。僕の力はいまどのくらいだろう。さしあたっては東大。そしてICUはどうしよう。まだ決心がつかない。もしICUに入れるようなことがあったとして僕は幸せだろうか。劣等感でめちゃめちゃにならないだろうか。最近なぜか自信を失った僕はどこへ行っても震えてしまうようになった。冬休み中の課題にこれの克服も入れておこう。
僕の失敗以来、すべてのものが僕のまわりからいなくなった。友人も、自負心も、その去りゆく様は実に見事なものだった。敗者となった僕のまわりには幻影だけが残りいまも浮遊し続ける。僕なりに前に向かって生きてきたけれど、僕の独善が同じ過ちをまた繰り返してしまわないかと不安になる。
12月26日(火曜日)
クリスマスが終り、いよいよ今年も暮れようとしている。やれやれと言いたいが、なんだか憂うつである。文試はベストを尽くしたけれどそれほど良くなかったみたいだ。力いまだ足らずといったところだ。次は代々木か、または新高の特考だが、それまでの十数日、もっと力を伸ばさないといけない。二日間の試験では、基礎力に欠点が出た。中学でやったようなことが書けないのだ。あるいは、一度解答を決めると疑問に思いながら頭がまわらず、そのままにしてしまうという処理のまずさ。やはり数学だ。相かわらず手探りの状態だ。
ICUを受けることにまだ迷っている。いったい僕の大学選択は何を基準にしているのだろうか。幻影を追いかけてもいいがそれが賢い生き方と言えるだろうか。東大だけ受けて、それで落ちたら働くことにするか? それとも駿台に行くか? そんなことを考え出す。とにかく今朝は憂うつだ。孤独の戦いにも限界が来たのだろうか。
12月29日(金曜日)
駄目だと思っていた英検二級に受かった。これでICUにもいくぶんか自信がついた。
師走の町を一日中歩いた。新宿スカラ座でボンド物を見たけれどおもしろくなかった。何にでも言えるが、回を重ねるとマンネリ化してくるようだ。浜三枝お姉さんの出番が少なかった。
紀伊国屋で出たばかりの『馬場辰猪』がおもしろそうで買ってしまった。これを買って考えたが、僕の社会認識や世界観もようやく明治初期の駆け出し期にたどりつけたらしいということ。とくに最近の政府のやることが気になる。今は最低の政治ではないだろうか。国民との対話に失敗し悪いイメージしかない佐藤政権は本当に情けない。核アレルギーだという国民批判の次は国家防衛思想の種まき。あげくのはては国民に馬鹿にされ、新聞で反佐藤キャンペーンのていたらくだ。
Kさんに似ている女優の写真を手に入れた。昨夜はそういうわけでKさんを思い浮かべながら眠りについた。だが、何たることか夢に現れたのはNさんだった。なつかしいその顔が昔どおりの笑顔を浮かべて話しかけてきたのだ。今では夢の中でしか逢えないN。彼女の今ごろの生活を想像して耐えられないほどの失望感に襲われる僕。だが今さら後へは引けない。もう2カ月しかない。ICU2月23・24日と29日、東大文Ⅲ3月3・4・5日と8・9・10日そして東外大ロシア語学科3月23日・29日。6カ月やってきたおかげで三校を受けられる。これだけでも僕の一年間は大きな進歩じゃないか。ましてK大に落ちた翌年に東大に合格した人間など稀であろう。どうしてもそれに挑まなければならない。
12月31日大晦日(日曜日)
今年最後の一日だがだれてきてしまった。気ばかりあせっていた夏の間も精神的に悪かったのだろうが、今のようではすべり込みアウトということになりかねない。12月3日の代々木の模試を受けなかったことも落ち込む理由だ。T君が賞を取ったのでなおさら後悔している。僕にもやれないことはないと思うだけに残念だ。成人の日に受ける駿台の模試で果たしてT君のとった総合順位を抜くことが出来るか。英・国・日・世で必勝を期し数学でなんとか50点を取りたい。数Ⅰの完璧化は未だ遠い。とにかく正月の活かし方如何で可能性が高くなる。
と、威勢を張ってみるもののフラフラと遊び過ごして一日暮れてしまった。T君のところに年賀状を出すため外に出た。空に星が出ている寒い夕方だった。
さあ昭和42年も終わりだ。僕としては早く年が明けたほうがいい。今年は今までの僕の人生で最低の年だった。不思議な一年間といった印象。そしてこの一年間の実感は来年のその日に初めて湧いてくるのだろう。僕の友人たちもそれぞれ感慨深い大晦日を迎えたことだろう。あと4時間20数分で新しい年が来る。
昭和43年元日(月曜日)
きれいに晴れた。電車や神社はにぎわっていることだろう。子供のころ家族みんなでめでたく祝った正月が懐かしい。いよいよ二十歳だ。政治への関心も増えてきた。怒りを言葉にしていかなければいけないのだが、その仕事は大学に入って早速取り掛からなくてはいけない。図書館で明治初期の政治史を調べたい。それらの研究成果を創作『救世観音』につなげたい。とにかく大声でわめいているだけではだめだ。半分以上読んだ『馬場辰猪』に次の一節がある。
「第一は因循政府なり。施政輿論に背馳し、人民政府を厭うも、之を救済するの策を為さず。苛酷の圧制もせず、自由も与へず。有司威権を貪り職禄を惜んで、互に猜疑を抱きながらも今日までは維持し得べし明日までは支撑すべしと思惟し、寸伸一躍敢て勇退する者もなく、又力を尽くして事務を勉励し其事に当る者もなく、政府は人民の怨府となり、漸々基礎微弱に至て敗滅す可きのみ」
1月2日(火曜日)
この戦いが始まったとき、僕にはたったひとつの願いしかなかった。またそれだけが僕の持ち物だった。不思議な色彩を帯びたあのときの出来事からそれほど月日は経っていない。ほとんどが失意のなかで僕は毎日を過ごしてきた。敗北した僕はあの頃のことに意義を見出すこともなくなった。僕はただNのことがなつかしい。あの笑いかた、あの話しかた、そのすべてが僕を夢中にさせた不思議な彼女。だが僕にはその資格などなかったのだ。僕にこびりついた貧しさはとうてい僕の願いをかなえることなどできはしなかったのだ。僕にはやり残したことがあるのだ。不敵な笑みを浮かべて見返してやること。
国防という言葉がまた現れ、佐藤政府は、核の恐怖は存在しないと言い、沖縄返還に向けて国民意識を高揚させようとしている。日本の国益のため米国の言いなりになる国家や国民に仕立て上げようとしている。僕が生きているこの国はいま人間無視の経済至上主義に陥っている。
「我々自身が現在においてもっている理解はなおきわめて不徹底の状態にある。および我々の今日の境遇は、かの強権を敵としうる境遇の不幸よりも不幸なものである。国家ちょう問題が我々の脳裡に入ってくるのは、ただそれが我々の個人的利益に関係するときだけである。……今日の我々青年がもっている内向的、自滅的傾向は、理想喪失の悲しむべき状態をきわめて明瞭に語っている。そうしてこれはじつに『時代閉塞』の結果なのである。」
なぜか啄木は時代の閉塞状況に気づいていた。僕もまた絶望的な暗い気持ちで正月を迎えている。予備校生、父親の給料を食いつぶすこと。しかしどうでもいい。まずは今年大学生になること。
1月6日(土曜日)
昼間、屋上の誰もいないところで英語の音読をしてから頭がかすみ、昼寝をしようかと思ったが、そのうち、ふと自分を試したくなり、あらためて東大の問題を取り出した。今までどおりに行けばすいすい解けるはずと考えながらやってみたが、マルよりバツのほうが多い。そればかりか日本史は半分も行かないのではと疑いだし、その時、ほんとうに初めて、自分は東大に入れないと思った。今日まで僕は、ただ自分は成功するという確信で戦って来た。しかしやはり勝利は僕の手にはやって来ない。そう気づいた。今までも自分の非力を悲観したことはあった。しかし、今日この日はほとんど実証的であり確信的だった。その後、僕はあほうのように数列を始めた。自分の不出来を確かめながら、ほとんど意識を失った頭で問題を解いた。
そんな時、僕のところに一通の年賀状が舞い込んだ。僕はこの一年をWさんのために生きてきたといえるか?No!東大に入ろうと突然走り出したのはこの人の後ろを追いかけようとしたからではなかったのか?Yes!新高で何度もくじけたとき、僕を奮い立たせてくれたのはこの人の手紙ではなかったのか?Yes!
ああ、だが僕の過ちだらけの青春は二度と取り返えすことができない。東大に入りたかった。今ここでどんなに奇跡を祈ってみても実現などしない。
生き続ける限り今のような苦悩は続くのだろうか。国家の重圧、人間であることの重苦しい苦悩。僕の前のこの厚い壁は幻覚にすぎないと考え、それに向かって手を振り立ち去ろうとしてみる。冗談はよしてくれとばかり笑い出してみる。その次の瞬間、この動かすことの出来ない現実に仰天して叫び声をあげる。僕はまだ自分の運命を決める戦いに勝ったことがないのだ。
日本史や生物のぶ厚い参考書の前では遠いゴールしか見えてこない。確実に覚えていけるのならやれるだろうがすぐ忘れてしまうのだ。英語もまだまだだと思う。国語など何も出来ていない。そして数学はやっぱり駄目。これでは去年と同じだ。去年と同じように僕は大学に入れないのか?それだけ絶望的なのだ。東大。Wさんに入れて僕には出来ないのは何故だ。いったいどこがまちがっていたのだろう。入りたい。Wさんの前に行きたい。GET HER EAR!
1月10日(水曜日)
初めて東大駒場の中に入った。古くて暗い建物。新しい建物はたいがい理科系の実験室だ。僕とほとんど年恰好の違わない東大生が歩いていた。殺伐としてそして巨大な機構の中へ毎日通うようになれるのだろうか。惨めな自分の敗北を知るため、この一年間、僕は暗い生活を送って来たのかもしれない。うすら寒い曇った日。出来るか出来ないかやってみるだけだ。
1月12日(金曜日)
久しぶりに代ゼミに出かけた。外はいやだ。出かけたくないが行かないことにはどうしようもない。午後は駿台にも行ったから、今はすっかり疲れてしまった。
四谷駅で上智に行ったFさんに出会った。彼女は大学生。僕は予備校生。Fさんはやさしい顔で笑いかけてきたけれど、僕は会釈だけしか出来なかった。
最も重要な模試が二つあさってに迫った。まとめる時間もなさそうだが、少しずつ蓄えた自分の力のすべてをぶつけてみよう。いよいよという感がする。
1月14日(日曜日)
疲れた。体の力を失ってぐったり。なんだかやたらと悲しい。無力感というのだろうか。これほどやっていてもぜんぜん届かないのだ。僕はいったいどうなるのか。僕の頭のなかはからっぽだ。ほんとうにどうしてこんなに出来ないのか。明日に望みなんか持てない。年賀状で励ましてくれたWさんに合わす顔がない。
試験。すぐ横にKさんがいた。試験が終わった教室を出ると、彼女は踊り場で友だちが出てくるのを待っていた。あのペールカラーのオーバーを着て壁に寄りかかり顔を伏せていた彼女は素敵だった。去年の夏、たった一言だけ言葉を交わした後は知らんぷりを続けてきたけれど、いやになりかけたICUをまた受ける気になったのはKさんの影響だった。一人ひとりが見知らぬ他人という空間で、彼女と一緒に同じ受験をするということが勇気を与えてくれたにちがいない。
1月16日(火曜日)
二日間続けて、数学に痛めつけられたせいか、今日あたり数学を見るのも嫌になっている。後一カ月半でどうやって力をつけていけることか。合格するにはどうしても三題は解けなくてはいけない。数学さえ出来れば文Ⅲは合格圏内なのにこれでは一次さえも危ない。
Todays lesson in LL center はうまく行った。積極的にやればよいのだ。英語はだいぶ聞き取る力がついて来た。ICUは楽しみながら受けたい。英検二級の力でどうだ。28日の最後の模試では何がなんでも総合80%を取らなければならない。T君と同じ成績を取りたい。
1月18日(木曜日)
家にもいたくない。代ゼミなどなおさら行きたくない。一日が無気力に過ぎていく。夕暮れどきを迎えると虚しさや寂しさのせいで今年も失敗と考えてしまう。崩壊寸前だ。先の見えない長い戦いのなかで燃え尽きてしまいそうだ。
Nさんのことを考えてイライラする。ICUなど受けてどうするというんだ。Nは今頃あの笑顔をまわりに振りまいているんだろう。あいつのことなど考える自分が本当にばからしくなってくる。Wさんなどはよその世界の遠く離れた存在でしかない。
原子力空母の佐世保寄港で三派系全学連と警官隊が衝突し、世間が騒然としていても僕はゲームみたいに思っているだけだ。
1月20日(土曜日)
文試291番だと大喜びしたものの今年はやさしかったのだと不安になってきた。今は結果を運んでくるはずの郵便配達の赤いオートバイの音を待っているだけ。今年になってからの結果で東大は困難と悟ったようだ。あれだけやって駄目とは。やっぱりそんなにやっていなかったのかもしれない。この一年、僕はたくさんの本を読んだ。それなのに東大入試には何の役にも立たなかった。わざわざ取ったLL教室や英語長文はICUに通用するだろうか。もう待ちくたびれた。去年の僕はどこかに行ってしまった。僕のなかから大事なものが次々と失われていってしまった。12月にとうとう英語で10番を取ったとき、Nに報いることができたとすごく誇らしかった。だが、年が明けた今思うと意味のないばかげた考えだとそんな気持ちになる。ハタチになる年がやって来たというのに僕は成長できないちっぽけなくだらない人間のままだ。苦しい一年は結局僕にとって何にもならなかった。
1月22日(月曜日)
日本人のくせに何とまた漢字の下手なことか。今日で内申書や身体検査を済ませた。明日はいよいよICUへ願書提出。
最近はいつも寝坊。文試の結果はそれほど良くなかった。文Ⅲを希望するなかで僕より上位に600人近くいる。文Ⅲは240人しか入れてくれない。要するに数学が悪いからだが、生物だって他の科目だって同じなのである。すっかりあきらめ始めている。仕方ないから受けるだけは受けてみようなどと変って来てしまった。もう40日もない。ICUの試験なんかすぐそこだ。もともと受けられもしないところにいた僕だ。少しでも完成させて東大にぶつかろう。数学、日本史、生物、頑張るんだ。
1月24日(水曜日)
1月も残り一週間しかない。代ゼミの建物の空調の音や館内放送を聞いていたら、予備校生活が始まった頃の真面目にやっていた自分を思い出した。今はまったく身が入らない。それどころか今までやってきたことをだんだん忘れてきてしまっている。英語は94点で名前がのっていたけれど不満。すでにやったことがあり覚えたはずのところをまちがえた。同じところを同じまちがいを繰り返すようではお話しにならない。国語もその力いまだ足らず。数学にいたっては一題も解けないのではないのだろうかと考えている。Wさんがやれたことが僕にはやはり不可能なのだ。プラス1年で追いつけると思ったけれどそれも駄目だった。あの子が入ったから僕も入ろうなどという幻想は他人が見たら笑止である。僕はそういうことを追いかけてきた。出来ないものは出来ないし、得られないものは得られない。
1月28日(日曜日)
「人間とは考えずに頑張ってきました」「一年間の戦いは実に有意義でした」とかテレビで言っていた予備校生。人間性をなくし独善のかたまりとなった存在。都会のじゃま者なのだ。
本当に取り返しのつかない失敗をしてしまったと思う。たとえ将来どんな成功をおさめても、この汚点を消し去ることはできないのだ。自分の過去に泥を塗り、未来を汚したも同然である。この後、この世界から抜け出しても、二度と思い出さないようにしよう。自分の履歴からこの一年間を抹殺しよう。
葉が落ちて枝だけの木々から、落葉の浮かぶ池の畔から、鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。Nさんと歩いた一年前の今頃。井の頭公園の冬の午後。動物たちがゆっくりと動いていた。彼女に再会しあのときのNさんを取り返したい。僕にはそれだけがすべての一年間だった。
どうしてもICUに合格しなければいけない。23日から本番が始まるけれど、早稲田は適当に合格する。問題はそれからだ。自信にあふれたI君やT君と対照的に僕は掛け声ばかり勇ましい。
2月7日(水曜日)
ICUの願書手続きを済まし、東大の準備をすべて終えた。早稲田、日大の願書は出さなかった。少々後ろめたいがもらった受験料はこの一年間の報酬として受け取っておく。その内申書を開けた。去年3月の通信簿のままだった。これじゃあK大合格は無理だった。ICUはもっと内申書を見るのではないのか?
カラマゾフでドフトエフスキーが書いた主題のひとつは善と悪の問題だった。神がいなければ人間は何をしてもよい。しかし俗人は神の存在を信じて悪をなさない。神に祈りをささげることで悩みや苦しみから救われようとする。
2月10日(土曜日)
町を歩けばミニにあたる。世界史は90点をとってようやく名前を出した。思い出せば最初の試験では10点にも満たないものであったがようやくここまで伸ばすことが出来た。世界史の魅力は大学に入っても僕を放さないだろう。英語は75点。三回の英語でだいたい80点近い成績をあげている。最後の試験で10位以内に入りたい。日本史はよくなかった。世界史への情熱くらいあればとっくに優秀な点を取っているはずだ。ここまで来たのだ。へこたれてはいけない。どの科目も急ピッチで仕上げなければいけない。自分自身との戦いだ。
2月11日(日曜日)
Wさんの夢を見た。一所懸命に彼女のきげんをとっている。ところが彼女は高級車に乗って自分で運転してどこかへ行ってしまった。嫌な夢だ。Wさんは東大だ。文Ⅲは5.3倍。これが二次で3倍になり、そして三人に二人が落ちるわけだ。東大で図書館に詰めっきりになるのがいいのか、ICUで数カ国語をやり特派員になるのがいいのか。とにかくあと4週間で大解放だ。あと二カ月で大学生。早く終わればと今日つくづく思う。
2月13日(火曜日)
出た!ICUの合格確率80%だそうだ。80%というのはどのくらいなのか。あたりまえに試験を受ければ、それで合格させてくれるのだろうか。僕は迷っていたがKさんがICUを受けることを知ってもう一度決心した。彼女とひょっこりICUの試験場で逢えたらいいと思った。Kさんが僕と一緒にICUに合格できればいいと思った。僕はICUに入れる。それはさぞ素晴らしいことだろう。でも学費は大丈夫なのか?やはり国立を狙うべきではないのか?一橋とか教大あたりを受ければもっと気持ちが楽になるかもしれない。50%が相も変らず続く東大を受ける僕はいったい何なのだろう。あの古ぼけたギュウギュウの校舎で一体何が得られるというのだろうか。東大文Ⅲを出てエロ小説家になるやつもいる。山谷で蒸発してしまうやつもいる。ああ、それに比べてICUはどうだ。広くて静かなキャンパスに教会があり白い校舎がある。ICUでの4年間に英語とロシア語をマスターして新聞社主催の弁論大会で優勝するのも大望だ。
今日はKさんにモーションかけてしまった。昨日あのいやな男の誘いをきっぱり断っていた彼女にはファイトがある。それがうれしくて、偶然102号教室に来た彼女に自然と微笑みかけてしまったのだ。
今日の黒っぽい服装の彼女はどうだった?わざわざ僕の後ろを通りながら彼女がなにかつぶやいた言葉は一体何?
2月14日(水曜日)
80%を信じていいのだろうか。「ゴウカクカクジツ」を信じていいのだろうか。早稲田と日大の金をちょろまかすことにした僕はいけない子だろうか。その受験料で今日7300円のコートを買ってしまったから5000円残すのみ。もしICUに落ちて早大などのことがばれたらいったいどうするつもりなのか?外大も合格できなかったら働きに出ることになる。それはいいけどそれまでがめんどくさい。
外大のキャンパスに派手で気をひく女がいて、まわりの4~5人の男たちをやり込めていた。そんなことが浪人生の僕にもよく伝わってきた。いいなあ早く大学生になりたい。そんな生活がこの4月から始まるのだ。英語とロシア語は自在にする。ICUに行くのはNのためではなく自分のためでありKさんと一緒にいたいという気持からだ。今は80%の真実を祈るだけ。
2月16日(金曜日)
昨晩から雪が降り出し、激しくなって今朝は30センチも積っていたそうだ。午後からLLに出かけた。スパニオラさんの教室も今日が最後だった。それにも無感動。僕の人生はそんなものばかりだ。予備校なんかに情を通わせるなと決めているからとうてい感動の余地はない。くだらない一年だった。何も出来ない一年だった。
ICUと東大と東外大受験だけに絞った。全部落ちたらどうするつもりだろう。どこかいい働き口でもあるか?でもいいさ。このくらいのことはへっちゃらだ。受験なんてつまらないものだ。堂々と落ちて敗北して働き人になればいいのだ。
東大準備はもう間に合わない。いやそうではなくもう十分だ。今年だめなら何度やっても駄目だろう。僕にはもう力が残っていない。ここまでがすべてで、これでおしまいだ。
2月17日(土曜日)
一番名前が出てほしくない人に、それも英語に優秀な点を取られてしまった。口惜しいがKさんバンザイとでも書いておく。もう試験は全部終わってしまっているのである。ICUに二人で一緒に合格しよう。ICUのロシア語は会話が主だ。これはすばらしい。残念なのは宗教でキリスト教の講座しかなく仏教史などは自分でやらなければいけないこと。図書館にさえ無いのは口惜しい。かどうかまだ知らない。とにかく僕にはすばらしすぎるくらいだ。是非入りたい。どうしても合格しなければ。ICUに失敗したら大学には行けないだろう。もう十分やったじゃないか。これからは自分の意志どおりにやらせてもらう。自分の好きな道を歩みたい。この1年僕は頑張った。僕は早大や日大なんかには入りたくないのだ。東大にも合格したい。北池先生とかT君とかの嘲笑を跳ね返すくらいの快挙をしてみたい。
2月20日(火曜日)
予備校の授業も今日で完結した。Kさんは白っぽいスーツを着ていた。小樽の香りがした。ICUでまた逢えるからいいだろう。世界史、日本史には全然手をつけなくなったし、数・生などはまるでやる気がしない。ICUに入学するのだ。読解力と聴解力は大丈夫だと思う。ただ内申書の悪い僕にはICUは合格できないという裏づけのある不安。面接はおとなしくしていよう。
2月21日(水曜日)
英語をしゃべる生活。自分のノートに英語を書き込む魅力。自由なキャンパス。その生活がこの新しいノートの中ごろから始まっているのだ。すべての借りを返し新しい大学生活が始まっているに違いない。代々木の祝賀会は4月6日だとか。ICUの入学式でKさんと再び顔を合わせることになる。英語読解力も聴覚試験もどんと来いだ。あさってが最初の試験。来週の今日一次の発表と二次の面接試験。6日にはとことこICUに合格書類を受け取りに行くわけだ。その同じ日に東大の一次試験発表もある。
東大には入れなかったけれど出世はしてみせる。高級な背広とオーバーをつけて新宿の街でルナでも吸っているだろうか。風も冷たくなんかないだろう。その頃は国際的な活動をして劣等感など感じない人間になっているからだ。
どうしてこんなまずい字しか書けないのだろう。
2月22日(木曜日)
試験を明日に迎えるご心境は?教養テストに対する自信は?どうもピンと来ない。
金喜老とかいう朝鮮人が、頭にきて、二人のチンピラを殺し、清水の山奥の旅館に人質10数名と立てこもっているらしい。新聞記者を集めてこんな真似はしないようにとか、世界一のお母さんとかごたくを並べ、ライフルやダイナマイトで警察に抵抗を続けている。
すっかりやる気をなくしてしまっているのに大学には行きたいという虫のいい願望。もう浪人生活は十分だ。ICUで大学生活を送ろう。明日や明後日の試験なんか小手先でやってやる。早く面接を済ませ早く3月5日が来ればいい。その日ICU合格の速達が飛び込むのだ。そして4月6日にはKさんと入学式に出席しているのだ。それで十分だ。
2月23日(金曜日)
疲れた。今日のではなく一年の疲れだ。目の前の壁の厚さに気力を失っている。 三鷹からバスで一緒になった白瀬君とICUに行った。帰りも一緒になった。Kさんは見かけなかった。代々木のLLで顔を知っている3人がいた。この静かな大学にあの気味悪い男も受けに来ていたのだ。そして明日も試験を受けなければいけないと思うと気力がなえていくばかりだ。白瀬君がNさんにあったと言った。僕も会っているかもしれないが向こうは避けていたに違いない。またICUがいやになった。東大。ああもう遅いんだ。こんな毎日からいいかげん逃げ出してしまいたい。
2月24日(土曜日)
今日で一次試験終了。二次の英語にはそれほど自信があるわけではないが、早大も日大も受けないからICUに落ちるとおしまいだ。今日、試験官が在校生のアンケートを紹介したがICUだけ受けた人が相当数いるらしい。受験料をネコババしたことについて罪の意識はあるが後悔など今さらしないでおこう。
昨夜はぐっすり眠ったが夢は見ていたようだ。長い長い夢だったがNさんは一度も出てこなかった。
日本は妾のようなものだ発言した倉石農相が辞任した。記者会見でこれからは一人の党員として憲法改正に取り組むと言っていた。米ソ中の対立が激しいから日本も侵略されないよう武装する必要があるという考え方。それで平和を実現することができるのだろうか。
3日余りたわ言を繰り返していた男がつかまった。刑事に取り押さえられ首だけ出してアップアップしているその顔は憐れだった。朝鮮人の協会は男の非難を始めた。その内容は最初に僕が思っていたことに近かった。僕はあんな正義漢ぶって善人の真似事をする男が自分の命を絶つなどできるはずないと思っていた。
大臣を辞任して怪気炎をあげる代議士。ICUを受けに来るあのイロキチガイ。殺人その他の重罪で逮捕された金喜老。みんなクズ人間に思える。だが僕は愚劣な悪を憎むと言いながらそこから飛翔することもできずかえって頽廃的になっていったのではないか。幻影に惑わされたままICUの甘美さに溺れてしまったのではないか。救いようのないナルシズム。
2月28日(水曜日)
一次発表。落ちてる方がおかしいくらいほとんどが受かっていた。とにかく僕も受かっていた。面接は45分もやる。あんまり話さないようにするつもり。あとは運を天に任せベストを尽くす。国鉄の順法闘争とかで電車が遅れるらしい。
今日ついにKさんと会った。ずいぶん遠くだったが彼女だとわかった。彼女もこちらを見ていた。なんだか他の女とはちがって見えた。彼女も受かったのだろうな。明日も会えるのだろうな。そして二人そろって合格しなくてはいけないのだ。4月からは彼女と話しができるようになればいい。どうしても合格したい。そしてKさんも合格してほしい。
3月2日(土曜日)
落ちたか、合格したか。今は余力を使い果たしすべては結果を待つのみ。I君やT君は東大に行き、僕はICUに行く。
ICUの試験はこれですべて終わった。6日の結果まで毎日待つのみ。明日は東大の試験。東大を受験する皆が同じ態度で臨むわけではない。僕にはもう東大への情熱はないのだから。この4月から僕はICUに通うことになるのだろう。試験の結果はたぶん合格ということになるのだと思う。去年のNの例だと5日に速達が届いてしまったそうだが僕もそういう光栄に浴したいところではある。ICU合格率80%が僕の夢の現実か。今は目を閉じるとKさんの姿が目に浮かぶ。
3月3日(日曜日)
今日は何の日でしょう?ああ桃の節句。それどころではない。東大の一次試験はちょっと調子よくできすぎた。数学は簡単で英語は少々難しい傾向の問題が出て僕には最適だった。長すぎた冬。春の到来はもうすぐそこに来ている。
3月5日(火曜日)
明日までには基大の結果がわかる。僕は合格していると思う。それほど難しいところではなかったというわけ。Kさんも合格しているはず。
さあて東大一次も受かるだろうから二次の準備も少しやっておかなくてはいけないだろうな。
アムール川河口にはニコラエフスクがある。社会主義のソ連もツァーリズムのロシアも歌の好きなロシア人の土地に変わりはない。ロシアの極東に樺太島があり海を隔てた南の方角に北海道の港町小樽。小樽の町に道立小樽潮陵高校がある。そこから一人の少女が東京に来た。4月から一緒にICUで学ぶ相手。北海道のきれいな少女。
3月6日(水曜日)
僕が落ちるということはどういうことなのだろう。入りたかったなあ。この日を思い続けて1年間頑張ってきたのにこんなに簡単に終わっちゃうなんて実にこっけいだ。もう涙も出ない。何かを始める気力も出ない。東大も無残に落ちるのだろう。受験勉強をずっと続けなければいけないらしい。また一年代々木に行くのかな。情けない話だなあ。Nさんもこれですっかり遠い人になってしまった。Kさんにも会えない。そしてWさんも。皆遠くへ行ってしまった。もうなにもかもおしまいだ。これから何をしたらいいのだろう。働きに出るか。落ちたのが嘘みたいだ。僕はいつまでこうなのだろう。いつまで不幸のままなのだろう。
3月7日(木曜日)
東大一次を通った。不吉にも僕の前後の番号はまたまたいなくっている。どうしていつもこうなのか。一次には受かるが二次には受かったためしがない。去年の新高でも一次に受かって二次で落ちたやつは多い。今年の僕もそのコースを歩むのだろうか。
I am not a stranger to sorrow. not a stranger to distress.
俺は神など信じない。何年でも悲しみと闘ってみせる。最後の最後まで千万分の一の可能性を追って、いつかきっとそれを勝ち取ってみせる。この不条理に怒りをもって立ち向かってやる。
3月12日(火曜日)
東大の試験も終わった。970名ほどの文Ⅲ受験者は皆自信のある者ばかりが挑戦したのだろう。そしてその中から370名が選抜される。去年Wさんがそうだったように三分の一のなかに入ればいいのだ。今日の試験場で両側の受験生を抜けば合格するのだ。僕の将来はそこから始まる。
20日になり、夕闇がせまる駒場に、今年も悲喜こもごもの姿が集まる。合格したらさぞすごいことになる。代々木の祝賀会には勇躍出かけ、Kさんとあらためて自己紹介し健闘をたたえ合う。3Dのクラス会にはニヤニヤ照れ笑いを浮かべながら顔を出し、そこではOさんやFさんの祝福を受けるだろうし、Nさんからは謝罪の言葉を聞くことになるのだ。東大ではWさんに逢える。
だがその日当然の結果僕は落ちている。
3月13日(水曜日)
受験準備をいつまで続ければ済むのだろう。ここ数日は小説ばかり読んでいる。長塚節の『土』や樋口一葉の『たけくらべ』は前にも読んだが感慨深いものがある。『土』のおつぎ。『たけくらべ』のみどり。それはKさんの姿と重なる。長塚節が描写する純朴で愛らしいおつぎはKさんそのもののイメージだ。みどりはまた別の一面なのだろう。Kさんには茶目っ気や都会的なスマートさがあった。
雑誌に載っていた三浦哲郎の『あおの断章』は純文学ではないだろうが小夜という登場人物が魅力的だった。奔放な田舎の少女の描写が素晴らしい。『風流仏』の悲恋を読まされてふと何か感じるものがあった。かなわぬ恋。かなわぬ夢。いまの僕が迷い込みもがき苦しむ現実の世界では『風流仏』のような奇跡は起きないし、おつぎや小夜は幻想の世界にしか存在しない。
3月21日(木曜日の朝)
夢が終わった。いま僕はものすごく静かな気持ちだ。やっぱり入れなかった。申し訳ないという気持ちはあるが絶望から立ち直る勇気が必要なのだ。僕は何も心配していない。僕にはこれ以上は無理だったのだから。T君にはおめでとうと言おう。
あとは東外大が残っているが、少ししかとらないのでまず落ちるだろう。東大受験のことをもう少し書いておきたかったが、来年再び挑戦するつもりなのですべてが終わってからにする。
そして僕を励まし続けたあの幻影も最早手の届かない遠いところへ消えて行った。僕はこれからずっと独りで生きていくのだ。
~エピローグ~
昭和44年の「6.15統一集会」に参加した僕は初めて街頭デモを経験した。
早稲田の本部前の大きなタテカンの前で3人の女の子たちが話していた。そのなかに白っぽいシャツとかなり短めなスカートで白いハイソックス姿の少女がいて僕は驚いた。その人は長い髪を頭の上で留めてこの日の装いに合わせていたので、僕は一瞬別の人かと迷ったが、予備校のときの顔を思い浮かべ、背格好からはっきりとKさんであることを確信した。
彼女は一人で横に走り誰かと打ち合わせのようなことをしていた。そして彼女がまた元の場所に戻りかけたとき、僕は夢中で声をかけた。
「あのォ、○○さんとおっしゃいませんか?」
「ええ!」
「予備校で一緒だったの知ってる?」
「知ってる!」
彼女は弾けるような笑顔で答え、僕を覚えていることを証明しようとして言った。
「あのォ、メガネかけてらっしゃって。今は……」
「今日はネ」
コンタクトに変えていた僕は適当な答えをした。彼女はうなずいた。
「どうしてここにいるんですか?」
と僕は聞いた。
「私、べ平連なの」
再会できたうれしさと不安が同時に湧いてきて僕は笑顔を作りながら離れようとした。
「どうして私の名前知ってるの?」
あっけなく去ろうとする僕に彼女は聞いた。
「ポン女(目白の日本女子大学)でしょ?」
と照れ隠しのように答えた。
僕はしばらくしてまた三人のところへ行き、
「よろしかったら女の人も多いから一緒にやりませんか?」
などと誘ってみたが、何か言われて、
「じゃあ、必要なかったね」
と無認識な自分を恥じながら「九共闘(9号館内の複数劇団が集まる全共闘系シンパ)」のみんなが集まっている場所へスゴスゴと戻った。
いつの間にか僕の後ろに彼女がいて、
「あのォ、何とおっしゃるんですか」
と聞かれたので、
「○○」
と、かなりの余裕を見せて僕は答えた。
その日その後のデモ集会のなかでKさんを見ることはなかった。長い大学受験にひけめを感じていた僕はそれ以上Kさんと話す勇気もなかった。しかしあの頃思ったようにKさんはある女優に似ていてものすごく綺麗だった。その人が「懐かしのコーナー」に出演して、突然目の前に名前のわからない人物が登場して、そして心からうれしそうに再会を喜んでくれた。その身振りもしゃべり方もあの頃一緒に過ごしたKさんそのままだった。
もう一度だけKさんの姿を見た。別の反戦集会の日、彼女はデモの隊列には加わらずに歩道の上を男を従えて歩いていた。その男は僕にそっくりだと思った。と言うより彼女の横にいるのは僕の分身だと思った。幻影に囚われ東大やICUを目指していたとき、どこかの岐路で、愚かな僕と離れて別の道を選んだもう一人の僕がそこにいるのだと思った。
(団塊タイムカプセル第二部 終わり)