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九話

 

  一振りでビルをも粉砕する重さを伴うその腕は、毛糸であることを忘れるほどに強力な力を形成する。生身の人間であれば、その身体は一撃のもとに粉々に潰されていただろう。それが普通で、当たり前のことだった。


  しかしバイトリーダーは普通ではなかった。


  周囲の誰もが口を抑え惨劇を予想したが、結果は違った。飛び散るはずの肉片は確認できず、もうもうとする煙に阻まれてはいるが、その中から聞こえた一つの声が彼の生存を確かにした。


  「愛嬌のある姿をして、えげつないな。幾ら姿形がどうであれ、許されることではないが」


  煙が晴れる。

  片手で止めていた。毛ほども堪えたような様子も見せず、むしろ余裕のある声で怒りを静かに語った。

 

  斎藤の決して太いとは言えない腕が、その数倍もあろうかという腕から放たれた拳を受け止める異様な光景に、周りは息を呑んだ。

 

  ぬいぐるみが雄叫びを挙げた。くぐもったような、人ならぬ異質の音を何処にあるのかもわからない声帯から放ち、もう片方の腕で殴りつけた。

  だがそれも意味はない。結果は同じだ。斎藤は同じように、相対的に小さく細く見える腕で受け止めた。

 

  焦る。ぬいぐるみの感情機構はどのように働いて、そもそも存在しているのかも怪しいが、明らかに怒りと焦燥が混じった、今の現実が信じられないような挙動を見せ、再度雄叫びに体を震わせた。

  力で押し切るつもりであった。今のはほんの些細なまぐれに違いないとしたのか、再度叩きつけるように腕を天高く構えるとそのまま狂った動作で斎藤へとラッシュをかました。

  毎秒数発の速度で、腕の残像が視認できるほどの猛烈な勢いで挽き肉にせんと乱暴に殴打する。そこに何の技術もなかったが、圧倒的なパワーはそれだけで凶器になり得た。人を殺すだけならば過剰すぎる暴力を、ぬいぐるみは一人の人間に振るった。

  地面が割れる。捲れた瓦礫が野次馬にまで届いた。強烈だった。今度はもう、と人々は嘆きを口にした。視界はまたもや煙に覆われた。

 

  それでも、斎藤玲司には足りなかった。


  夜の冷たい風が煙を遠くへと運んだ。長い間繰り広げられたその一連の暴力の跡に、まだ人影は立っていた。


  「そう焦るな。どうせもうお前にはこれを終わらせる権利なんてないんだ。俺がここに来た瞬間に、全て俺が握ってる」


  所々服は破れているが、その肉体に一つの傷もなかった。

 

  「まあそれも、ほんの一瞬の話だ」


  気づいた時にはぬいぐるみの目の前に斎藤は迫っていて、そしてその一切の慈悲も持ち合わせていない拳が、毛糸でできたぬいぐるみの頭部を貫いた。








  終わった、と人々は歓喜の声を挙げた。

  この正体不明の化け物もようやく沈黙したのだ、と安堵した。所詮ただの玩具よ、と過ぎ去った熱をもう忘れたように冗談を口にする者もいた。斎藤はただ一人その中で、拭いきれない違和感を覚えていた。


  嫌な予感は往々にしてよく当たるものだ。それを証明するように、頭部を失い仰向けに転がったぬいぐるみの腹部が不自然な膨らみをみせた。


  「離れろッ!」と斎藤が騒ぐ彼らに忠告するより先に、中から湧いた。


  数十の群れ。その全てが異なった容姿のぬいぐるみ。当たり前のように動き回るそれらは、手当たり次第に辺りを荒らした。勿論、遠巻きに見守っていた人々も例外でなく、その目標に数えられる。とにかく速かった。走って逃げてもすぐに追いつかれる。


  大きさはそれほどでもない。一メートルか、それよりも下だろう。だが数が厄介だ。斎藤一人であればそれほどのものではないが、他に人がいるせいでその脅威は増していた。


  「面倒なことを!」


  地面を蹴って、瞬時に三体のぬいぐるみを叩き落とした。でもまだ足りない。早く彼らを何処かへと避難させておくべきだったか、と後悔する。ナメていた。まさかここまで執拗に攻められるとは思っていなかった。

  腕に取り付いた一体のぬいぐるみが鋭利な牙を突き立てる。それが肉に届くより早くその身体を剥ぎ取って、地面へと叩きつけた。とにかく面倒だった。来るなら全て自分の方へと来てくれ、と斎藤は思った。矢鱈に色々な方向へと散るものだからやりづらくて仕方がない。


  遂に取り零した一体が逃げ遅れた人間に迫った。そしてその反対方向で、同じくそれが起こった。急いで片方を救うが、もう一つは間に合いそうになかった。


  「しまった……!」


  嘆いてももう遅い。ぬいぐるみは牙を、爪を突き立てんと飛びかかり、その寸前で、……一本の剣に貫かれた。

  それでも機能を停止せずもがくそれに、もう一本と剣が突き刺さる。完全に停止したぬいぐるみを拾って、一人の少女が斎藤に声をかけた。


  「ここまでありがとう。貴方に感謝する日が来るなんて、思ってもみなかったわ」


  「……感謝するのは俺の方だ。騎士団」


  背後に無数の剣を携えたその少女は騎士団六位、『千剣』の伏見つかさだった。









  夜は一層静まる世界に、騎士団団長、鳥羽重郷は面倒を予見した。とはいえ、その面倒を片すために彼はここに来たのだ。

  この影なき街、零番地区に。

  時計塔の冷めた音だけが、この静かな世界で際立って聞こえた。平時ならば気にもならないような微かな音でも、鳥羽の耳は鋭敏に感じ取った。


  「そこにいるんだろう」と闇に声をかける。


  「あら、外見に比べて余程敏感なのね」


  「よく言うぜ」


  暗闇より姿を現したのは一人の女の子だった。少女にしては幼く、幼女と言うには育っている。その曖昧な線引きの上で、どちらとも当てはまらない蠱惑的な笑みを浮かべてその童女は立っていた。


  ゴスロリなドレスに身を包み、黒が映えるその衣装は夜に溶け込み境界線をあやふやにさせる。まさに零番地区と一体とも言えるような奇妙な感覚を鳥羽は覚えたが、それも彼にとってはどうでもいいことであった。


  「嬢ちゃんだろ、この騒ぎ起こしたの。零番地区管理者、黒沼華曜」


  「ええ、そうよ」


  あっさりと、黒沼華曜と呼ばれた彼女は罪を認めた。

 

  「はぁ、聞くまでもなかったか。そもそもこの街で、ぬいぐるみなんて操るのは嬢ちゃんしかいないしな。ま、新たな異能が次々と生まれるシン・秋葉原で『お前しかできない』なんてのは通用しないが」


  「私の異能がわかるの?」


  騎士団には異能の情報がある。その情報はこの街での捜査を確立させるには必要不可欠な情報である。如何様にも犯罪への使い道が考えられる異能という力は、隠されたままでは騎士団とも言えど追跡が困難になるケースは多い。

  その難題を解決させたのは、騎士団に所属する一人の女性だった。


  序列外、団長補佐の女性。その異能の力は近い範囲の異能の情報を読み取るという規格外のものである。その特異な能力を鳥羽に見初められたのだ。


  「バカお前、零番地区の管理者なんて怪しい奴を調べないはずねーだろ。もうとっくに見てるぜ嬢ちゃんのこと。かなり前に一人の女がお前を訪ねたはずだ。それでもうバッチリよ」


  「そういえばそうだったかしら。顔を合わすようなことはしていないつもりだったけれど、貴方のところには随分と有能な部下がいるようね」


  「有能すぎて困ってんだ。何故かって、俺が無能でよ。これ以外に関しちゃてんでダメだ。まー怒られるんだわこれが」


  鳥羽は腰に挿してある刀を指で叩いてそう言った。


  「その部下は可哀想な人ね。あなたのような無能に仕えて、その生を無駄に消費するのだから」


  「何も言えねーなオイ。これでも頑張ってるつもりなんだけどよ。ま、机仕事は無能なぶん、こうやって現場で仕事してチャラにしてんだ。てことで、大人しく捕まってくれるとありがたい」


  「何を戯けたこと。遊びは私みたいな子供の仕事でしょ? 大人は私の遊びに付き合って、滑稽に踊ればいいの」


  「言うと思った」


  一歩、踏み出す。その丁度今まで鳥羽がいた場所に、影が襲った。ぬいぐるみである。獅子を催したそのぬいぐるみは、気の抜けるような可愛らしさをその身に宿すが、同時に地面を一撃で砕くほどの狂気を宿していた。


  「やけに可愛いな。嬢ちゃん、いい趣味してるぜ」


  「そう、ありがと。でもそんな喋ってる暇なんてあるのかしら」


  襲いかかる獅子のぬいぐるみ。そのスピードも、迫力も本物のそれ以上であった。鳥羽はそれでも刀を抜かず、立ったまま言った。


  「それじゃあ届かないって」


  その爪が鳥羽を刻む寸前に、それは見えざる力に地面へと縫いつけられ、ぬいぐるみの全体が押し潰された。


  手も触れずに、一切の動きもなしに、獅子を無力化させたのだ。


  「それが貴方の異能ってわけね。聞いてはいたけど、初めて見たわ。思っていたよりも、凄いわね」


  「そりゃどうも」


  騎士団一位、『団長』鳥羽重郷。


  その異能は、重力を操る。


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