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七話

 

  シン・秋葉原の一画、静寂なる零番地区にはその管理者のみが住んでいる。

  綺麗に整備された街並みには人の気配はない。乱立するビルや道路に置かれた信号機は何の意味も持たない。ただそこにあるだけで、それ以上の価値はなかった。

  薄気味悪い空気が停留する。時が止まったような錯覚さえ覚える。そこにいるのは脛に傷を持つものだけで、そういった連中は外には姿を現さない。

  影なき街。それがこの零番地区の奇異な雰囲気を作り出していた。


  中央部の時計塔。時を刻む音がこの街に響き渡る。特別大きな音を出してもいないのに、それを阻むもののいないここで唯一の音が零番地区全体に伝わる。


  そこには一人の少女がいた。時計塔の最上階。少女趣味をこれでもかと体現したような部屋に、椅子に腰掛けて足をぶらぶらとさせ、机に肘をついて頬杖をしている。


  もう片方の手でギュッと抱えられた人形は、まるで生きているかのような綺麗な黒い瞳を携えている。実際はオニキスの宝石を削り加工しただけのものではあるが、今にもぐるりと目を動かして少女を見つめようとしているような奇妙な雰囲気を持つ。


  その瞳と同じく、艶のある黒の長髪を左右で結んだ少女は、溜息を吐いた。


  「騒がしかったわ。ここは私の街なのに」


  彼女は眉をひそめた。


  零番地区。ここを管理しているのは何を隠そうこの少女だった。まだ年端もいかない子供である。見た目は小学生とでも通じるような可愛らしい外見をして、それに見合わないほど不機嫌に声を漏らした。


  「あの世捨て人みたいな男の人は一筋縄ではいかなそうだったから手を出さなかったけど、だからってなんでもしていいってわけじゃないのよね。あくまでもここは私のもの。今まで見逃してあげてたんだから、感謝して欲しいぐらい」


  腕に自然と力が篭る。身体と腕に締めつけられる人形に気づいて、彼女はその力を解いた。


  「ごめんなさい。痛かった? ちょっとイライラとしててね。本当にごめん。だからもう少ししたら、そのイライラの種も取り除く。待ってて」


  今度は優しく抱きしめるように、人形を抱えた。


  さあ、準備をしようか。と少女は席を立った。何事も準備は必要だ。遊ぶのにも、玩具を揃えなければならない。彼女は鼻歌を歌いながら部屋の扉を開けた。


  「さあて、なにで遊びましょうね」


  倉庫の役割を果たすその部屋には、少女趣味を上から押し潰すような、禍々しい狂気が詰まっていた。


 



 

 

 


  「おーい。こんなとこで寝てたら風邪引くぜ」


  パチパチと無遠慮に頰を叩く誰かの手の感触に伏見は目を覚ました。

  隣には煙草を吸いながら、二十代後半の男が座っている。精悍な顔つきなのに、ほったらかされた無精髭が不潔さを物語る。


  いや、そんな曖昧な情報しか出てこないわけはない。その男は正真正銘彼女の上司で、そして騎士団のトップ。


  騎士団団長、鳥羽重郷その人だった。


  「だ、だだだ団長! どうしてこんなところに!」


  ようやくハッキリとした意識が、彼女の思考を掻き乱す。焦っていた。上司に見せられるような格好ではない。なんてたって無様に負けた結果の気絶姿である。言い訳もできない。


  「こんなところに、って。つかさちゃんが俺んとこに報告してきたからじゃんか。零番に行くってよ。忘れたのか」


  「あ、そういえば」


  「おいおい、しっかりしてくれよ。俺がこうやって出向いてやってんだ。そんな調子じゃ困るぜ」


  苦笑しながら鳥羽は言った。

  伏見のお馬鹿加減はよく知ったものだ。零番に入る前に報告してきたのも奇跡に近い。散々言い含めておいたからではあるが、ようやっと成果が出たか、と鳥羽は嘆息した。


  「で、負けちまったか、つかさちゃん」


  「ち、ちが、負けてなんて……、いえ、はい、負けました。完敗です。手も足も出ませんでした」


  項垂れながら素直にそう言った伏見に、鳥羽は驚いた。


  「つかさちゃんが負けを認めるなんて、相当派手にやられたみたいだな。いつもなら『負けてません』の一点張りだからよ。ちょっと驚いちまったぜ」


  その割には伏見の身体の傷はない。少し頰は切れているが、そんなものは傷のうちに入らない。なのに倒れていた。それが鳥羽は気になった。


  「アレは、負けですよ。何の言い訳も、何の屁理屈もできません。私の全てを出し切って、それでも足元にも及ばなかった。届かなかったんです。私の剣が。何の異能かもわからない。ただ理屈のつけられない力の前に、砕けました。力を使い果たして、それで私は……」


  「そんなにヤバかったのか。うーん、我様教はそうヤバめの案件でもなさそうだったんだが」


  首をひねる。我様教のことは鳥羽も詳しく知っている。教祖不明の新興宗教。やっていることはテロリストと変わらない。異能の力でシン・秋葉原を騒がす低俗な輩だ。全て知って、伏見ならいけると任せたのは彼だった。


  「それとは関係ありません。団長も知っているでしょう。私たちより先に、我様教の支部が何者かに襲撃されていたこと」


  「ああ、知ってる。誰がやってるのかもだいたい検討はついてるが、……まさか、会ったのか?」


  「ええ。それで、この有り様ですよ。団長だって知っているなら、少しぐらいは教えてくれても!」


  鳥羽に詰め寄る。伏見は怒っていた。あの男は団長を知っていた。それは団長もあの男を知っているということになる。どこまで知っているかはわからない。けれど騎士団について話すぐらいなのだから、それ相応にわかり合っているはずだ。

  けれど団長は予め伏見に何も言わなかった。

 

  「ばったり会うなんて思ってもなかったんだ。伏見より先に片付けちまうか、それか騎士団が動いているのを察して別の事をやるかのどっちかだとばかり。まあ、今言ってもしょうがないか。謝るよ。こうも上手いこと遭遇するなんてな」


  「ぜんっぜん! 上手くない! 思い出しただけでイライラしてくる。私の仕事を散々掻き乱して、それで挙句の果てには、ムキーっ! やってられないっつーの!!」


  奇声をあげる伏見を、鳥羽は人ごとのように笑った。実際彼にとって人ごとであった。

  煙草の煙を大きく吐いて、それを地面に擦り付けて火を消した。


  「なあ、つかさちゃん。そいつについて知りたい?」


  「知りたいですよ! 一体なんなんですかあの人!」


  「はは、その気持ちもわかるぜ。俺も最初はそうだった。何が何だかわからない。ただただ強すぎる。昔、って言ってもほんの五年前。騎士団を作る少し前だ。その時、初めてそいつに会って、初めて負けた」


  「だ、団長が?」


  伏見は驚きを隠せない。

  鳥羽重郷は伏見にとって最強の代名詞だった。負ける姿は見たこともない。苦戦する姿も見たことがない。何もかもを圧倒する、騎士団最強にして、シン・秋葉原の頂点。そうとばかり思っていた。

  その団長が負けた。その事実は彼女に大きな衝撃を与えた。


  「お前と同じだ。完敗だった。意味がわからない力の前に何もできなかった。ひたすら強かった。でも俺は負けたけどな、不思議と気持ちが良かったんだ。なんていうか、まあ、つかさちゃんにもいずれわかる時が来るかもしれないけどよ、ああ、負けたんだ、って素直に受け取れて、それに怒りも恨みも何もなかった。少しだけ悔しかったけど、それは全然嫌な感情じゃなかったんだ。純粋に俺を磨いてくれる砥石のような悔しさだった。引きずらなかったよ俺は。お前はどうだ?」


  当時を思い出してか、鳥羽の顔には笑顔が浮かんでいた。新しい煙草を取り出して、それを咥える。


  「多分、引きずります。でもそれはしょうがないですよ。だってあんな、あんな舐めた態度で!結局、あの男は私に指一本触れずに。誰だってあんなことされたら、引きずりますよ!」


  「相当に鬱陶しかったみたいだなアイツも。アイツはいつだって理由があって戦っている。つかさちゃんとは理由がなかったんだろう。だから戦う気もなかった。それがつかさちゃんにはそう映った」


  「知りませんよそんなこと。実際私は、相手にもされなかった。悔しいし、怒れるし、恨みだってあって当然です」


  「ま、そこらへんを何とかするのは俺じゃないしな。自分で考えて、折り合いつけるんだ。じゃないと益々馬鹿になっちまう」


  「ば、馬鹿じゃないですよ! これでも色々考えて……」


  伏見の言葉にハイハイ、と適当に返事をして、鳥羽は立ち上がった。


  「斎藤玲司だ」


  「え?」


  いきなり出された名前に伏見はキョトンとした顔をした。


  「つかさちゃんが戦った相手の名前だ。斎藤玲司。萌え萌えワンダーマートっつうコンビニのバイトリーダーをやってる。再戦希望はそこに送りゃいい。取り扱ってくれるかは、祈れ」


  それにしても、と鳥羽は思う。

  零番地区。嫌な場所だ。この空気は鳥羽も嫌いだった。管理者はこの事件に何も手を出してこなかった。それが妙に嫌な予感を抱かせる。すぐ後にでも、もっと大きな事件が起きそうな風を感じる。静かさなんて、何を孕んでいるかわからないものだ。こうした静寂の中に、狂気を織り交ぜられるのが一番面倒だった。


  鳥羽は煙を吐き出す。

  それは時計塔の時を刻む音と共に、空に溶けた。

 

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