六話
剣の全てが名のあるものとはいかない。ストックはおよそ千。それだけの数に一々お金をかけるのは難しい。
とはいえ、剣は剣だ。金属で象られた頑丈な物である。容易に肉を斬り裂き、骨まで断つことができるそれらは、名剣でなくとも強力な武器だった。
だから人の身ではこの数をどうこうするなんて不可能なはずだった。異能には異能で対抗しなくてはならない。それは原理や理屈とかは抜きに、普遍的な常識のはずなのだ。
剣の群れを異能抜きに防ぐ。ありえない。伏見の攻撃は彼の異能を見るためのものでもあり、防げないのならそれで終わりにすることができる。様子見の必殺。力量を確かめる。
斎藤が動いた。
とは言っても異能を使うための準備ではなく、手のひらを真っ直ぐに立たせ、それを構えた。俗に言う手刀の形である。
伏見はそれを鼻で笑った。まさか、と思う。まさかそんなもので私の剣をどうにかできるとでも思っているわけはない。もし、そうだとしたら……。伏見は肩を落とした。残念だ。滑稽にも映る。あれだけの大口を叩いて、ただ勘違いしているだけなのか。
伏見は決着を確信した。剣がめためたに彼を斬り裂いて、それで終いだ。
その予想はすぐに裏切られることになる。
一足先に彼に到達した剣。その一本が、彼の手刀で叩き割られた。剣の刀身の、側面を器用に叩きつける。切り取るように弧を描く彼の手は的確に剣を捉えた。
一度だけでない。彼に向けて放った十の剣が、いとも簡単に地に堕ちる。砕けて二度と使い物にならない残骸が彼の辺りに散らばった。それを成した斎藤は息の一つも乱さすに、次の波を静かに待っている。
目を見開いた。伏見は驚き口も塞がらず、声にならない声を呼吸音と共に吐き出した。
「……え?」
ようやく絞り出した声は、間抜けに周囲に響き渡る。
それを意にも介さない斎藤は、これで終わりじゃないだろう、とだけ言って、手刀を彼女に向けた。
殺気はない。本気にもしていない。彼の言う通り遊ばれている。勘違いしていたのは彼女の方だった。
実力を見られていたのは伏見だ。斎藤の目に、伏見の全てが映し出される。計られている。ようやく彼女は理解した。
最初から、上にいたのは彼の方で、伏見は下から必死に声を上げていただけなのだと。
頭に血が昇る。羞恥を飛び越えて怒りが先行した。騎士団に向かって、六位に向かって、この『千剣』に向かって、なんて目を向けているんだ。彼女の中の何かが切れた。舐められていることが我慢できなかった。
「こ、これで終わりなわけ、ないでしょうがッ!!」
背後に三十の剣を召喚する。さっきの三倍。そして彼女自身も手にした剣を頼りに、斎藤に駆ける。
斉射する。綺麗に並んで剣を一点に向かって発射した。一度に三十。対処に間に合うはずもない。でも、多分きっと、この男は何食わぬ顔で防ぎきるだろう。伏見はそれがわかってしまって、イライラと歯軋りをした。だからそこに自分も加わる。そうして少しでも届き得れば、傷さえつければ、少しは気が晴れる。その達観したような顔を叩き潰せれば死んでもいい。
「ハァッ!!」
右手の剣が斎藤の胴を薙ごうと振られる。当然のように手刀でもって潰されたその攻撃は、三十の剣の波をぶつけるための布石に過ぎない。
同時に、剣が襲った。吹き荒れる風のように、疾風となった剣の群れが斎藤を押し潰す。
しかしそれでも、届かない。
伏見は見えなかった。斎藤が何をしたのか、目で追えなかった。気づいたら三十あった剣の悉くが堕ちていた。金属のカケラが散らばった。最後の一欠片が彼女の頬を切る。つぅ、と伝う血の感触にやっと意識を取り戻す。
そっと、彼女のもう片方の剣の刀身を斎藤は握った。
「まだ、やるのか?」
声と同時に握りつぶした。バラバラと地に転がった金属と同じように、彼女の心も砕けた。
膝をつけた。首を垂れる。その姿を見て斎藤は踵を返した。かける言葉なんてない。『千剣』の伏見つかさはここで負けたのだ。後に残るのはそれだけだった。
「お前も存外に容赦がないな」
王斎が斎藤にそう言った。苦笑している。
「そう思うか?」
「いや、容赦がないのは別に悪いことではない。まあ、今まで人と付き合ったことのない我の考えなど、決して正しいものとは言えぬが」
「……そうか。俺としては甘いぐらいだったんだが。彼女は騎士団だ。本来ならば俺の標的ではない。容赦を捨てるべき相手は他にいる」
本心からだ。幾ら彼でも立ち塞がる全てを斬り捨てるような男ではない。彼の生き方は少なくない障害を生む。でもそれは本来ならば敵でない者達だ。目的のためなら仕方がない。戦わなくていいのなら、できればそうしたい。容赦も情けもかける。
斎藤は歩みを進めた。王斎は充分一人でどうにかなるだろう。彼にはカリスマがある。勝手に人は付いてくる。シン・秋葉原のこの街で生きていくには問題ない。
斎藤はふと、伏見の様子が気になって振り向いた。あの様子では当分動けそうにない。大丈夫か、と声をかけるつもりはなかった。でも何故だか妙な予感を覚えて振り返ったのだ。
伏見つかさが立っていた。
目は血走り、歯をむき出しに睨んでいる。
砕けた心を掻き集めた。丁寧に拾う必要はない。あの男を死んでも見返してやるという思いだけ手に取れればそれで良い。そうして彼女はギリギリで立っていた。
斎藤はその様子に右の眉を上げ、感心と面倒が入り混じったような困った顔を見せた。
「もういいだろう。お前の異能では勝てない。今のお前では俺の足元にも届き得ない。お前もわかっているはずだ。だから、もういいだろう?」
宥めるような声で言った。斎藤はそれが伏見の神経を逆撫でていることに気づかない。
グイッと彼女は足を踏み込んだ。身体の左右に召喚された剣が間を空けず放たれた。
簡単に破られる。二本の剣が散らばった。
「私だって、わかってるわよ。でも、だからこそ、ここであんたに舐められたまま何もしないわけにはいかないのよッ!! 私は騎士団六位、『千剣』の伏見つかさ! 『千剣』をとくと見なさい!」
腕を広げた。同時に、無数の剣が展開された。斎藤の周囲をぐるりとおびただしい数の剣が包囲している。切っ先は狂いなく全て斎藤へと向けられていた。
その数、およそ数百。千には届かないまでも、斎藤の視界を埋め尽くすその群れは、千剣の名に相応しい。
血が鼻から垂れた。伏見は持ち得る全てをここに捧げた。立っているのもやっと。意識は今にも飛びそうで、息も絶え絶えに言葉を紡いだ。
「あんたでも、この数は難しいでしょ? ははっ、もう躊躇うつもりはないわ。殺すつもりで、一斉に、あんたに飛ばすの。神様に祈りでも捧げた方が良いんじゃない?」
少し驚いた顔を見せた斎藤は、それでもかぶりを振って答えた。
「必要ない」
「このッ!!」
「お前は強い。俺よりも歳下で、それでこれだけのことができる。誇っていい。でも、足りないんだ。数が足りないのではない。力が、俺を圧倒できる力が足りない。今はまだ、俺には勝てない」
「言わせておけば! そんな余裕なんて今すぐに崩れ去るわ! この私の、千剣で!」
頭上高くに上げた腕を、大きく振り下ろした。
剣が走る。空を切って斎藤を襲う。肉を斬り骨を断つ剣の群れが命を狩らんと放たれた。
「だから、数では勝てないんだ」
彼の手刀が、一本目の剣を砕いた。
剣の残骸。地に這う金属の欠片。荒れ狂う剣の嵐は止んだ。
斎藤玲司はその中心地で立っていた。傷一つない綺麗な身体で、静かに佇んでいた。
「こ、これでもっ……、届かない……の」
そう最後に無念を吐き出して、伏見は倒れた。意識の糸が切れた。体力も精神も限界だった。伏見にも頰が少し切れた程度の傷しかなかったが、もう当分は起き上がれないだろう。
「お前なら剣の展開よりも早く女を叩けたはずだ。どうしてしなかった」
王斎の疑問も最もだ。それを斎藤はそれではダメだ、と否定した。
「全てを受け止めないと、そうして全てを破らないと、でないと相手は諦めてくれない。俺は騎士団とやり合うつもりはないんだ。遺恨はここで断ち切っておきたかった。これ以上俺とやり合う意思をなくすぐらいに完全に勝利を収めなければ、また同じことになる」
「ふむ。そういうものか。だが、それも人によると思うがな。それでもまた挑む人間なんて幾らでもいそうなものだ」
「……そうではないことを祈るよ」
心からそう思った。
「王斎。お前はこの先どうするんだ」
今まで王斎は一人で生きてきた。これからもそうしようと思えばできるだろう。
しかし、彼には転機が訪れた。別の道が提示された。それは今までの全てを否定する道ではあるが、それもいい、と王斎は思った。
「考える。だが、我とて同じ轍を踏むような愚かさは持ち合わせていない。このままではお前には勝てない。ならばどうするかを考える。考えた結果、一人でなくなるというのなら、いずれまたお前と会うこともあるだろう」
「今度は客として来てくれ。萌え萌えワンダーマートというコンビニだ。探せば見つかる。俺は基本そこにいる」
「なるほど。覚えておこう。……迷惑をかけた。世話になったな」
「いや、いいさ。気にするな」
今度こそ本当に、我様教の一連の事件は幕を閉じた。
零番地区はまたいつも通りの静けさを取り戻し、シン・秋葉原の火種は一つ取り除かれた。
けれど、斎藤にはまだやるべきことがあった。
「そろそろ時間だ。バイトが始まる」
斎藤玲司は、どこまでいってもバイトリーダーなのだった。