二話
『昨晩、シン・秋葉原のコンビニ、「萌え萌えワンダーマート」で器物破損を行なった容疑で一人の男性が逮捕されました。その男性は「あっちが先に手を出してきた」と主張しておりますが、店内の防犯カメラの記録からその男性が嘘の供述をしていることが明らかになっています。容疑者の男性は新興宗教「我様教」の信者でもあり……』
静かな空間に、掠れたラジオの音が流れていた。洗面台の冷たい水で顔を洗い、時間をかけて丁寧に歯を磨き、バイトリーダー斎藤玲司は身支度を整えた。
シン・秋葉原は異能力者の街だ。人智を超えた異質な能力を宿した人間が集まる街。そんな都市で問題が起こらないわけがなく、毎日のように事件が発生し、異能力が飛び交う。
そんなシン・秋葉原の無法者を取り締まるのは警察だけでは手が足りないし、力も足りない。そこで発足したのがこの都市の自治団体『騎士団』だった。
異能力者を取り締まる異能力者集団。力には力で制裁を加える彼らの存在は犯罪の大きな抑止力にもなった。
だがゼロにはならない。異能力者の多くは、その異能というアイデンティティに溺れ、自身を過信するものだ。騎士団なんかに、と思っているものも少なくない。そうした連中は騎士団の有無に関わらず犯罪を起こし街を荒らす。
騎士団の人間は多くない。だから彼らがいて尚、手が届かない犯罪がどうしてもあった。
斎藤玲司はバイトリーダーである。つまり「萌え萌えワンダーマート」を犯罪の手から守るために、シン・秋葉原を平和にしなければならない。
一人でシン・秋葉原の闇と、立ち向かわなければならないのだ。
バイトの時間にはまだ時間があった。
今この都市の平和を害している「我様教」を、斎藤は潰さねばならぬ義務があった。
俺がバイトリーダーでいる限り、萌え萌えワンダーマートならびにシン・秋葉原で暴れてもらっちゃ困る、と斎藤は思う。
よし、と鏡で自らの格好を確認して、ラジオを止めて部屋を出た。
向かう先は我様教の総本部。今までチマチマと支部を壊してきたが、そんな面倒なことはもうやめだ。心臓を握りつぶせば、他も止まる。
斎藤は総本部の場所はわからなかったが、とりあえず歩き出した。
わからなくても、どうにかなるだろう。
何故なら彼はバイトリーダーだからだ。
「吐きなさいったら吐きなさい! 本部はどこよ!早く言え!」
「わ、わかりましたああ! 零番地区でさぁ! そこにありやす、そんな大きくはないけど、我様教って書いてある建物があるんすよぉ。お願いしやす、あれだけは、あれだけはやめて……」
「情報ありがとう。お望み通り、喰らわせてやるわよッ!」
小柄な少女は、自分より大きな大人の男性の首を掴んでいた手を離すと、その男の金玉を蹴り上げてその場を後にした。
男の周りには他の犠牲者が死屍累々と倒れ伏している。全員が全員、股間を抑えて苦しそうに悶えていた。
騎士団序列六位、『千剣』の伏見つかさ。この少女は騎士団の一員として我様教を追っているのだ。
序列六位とは、騎士団で上から六番目に強い人間であるということだ。バケモノ揃いの騎士団で、まだ成人もしていない彼女がこれだけの地位にいるのは、それだけ彼女の異常性を顕著に示していた。
「ちっ、よりによって零番のとこなんて。一回団長に連絡いれないと」
伏見は携帯を取り出して、『クソ野郎』の名前に電話をかけた。
ワンコールもしないうちに電話は通じた。
「あー、もしもしー? ちょっと零番に行かなきゃなんない。そうそうアレアレ。いやそれじゃねーよ! 死ね! 当分、外歩けねぇツラにしてやろうか!」
仮にも上司とも言うべき存在にまくし立てるように怒り叫んだ後、伏見は抑えきれない衝動をなんとかして静めるように携帯の通話を切った。もう少し興奮していたらそのまま携帯を壊してしまいそうな勢いである。
「あのクソ団長ぉ。ただでさえこんなチンケな仕事でイライラしてんのに、電話越しでセクハラかましてきやがって。八つ裂きにしても割に合わないわ」
愚痴愚痴と、イライラを吐き出すように呟きながら彼女は零番地区へ向かって歩き始めた。彼女にとって不運なことに、今日は相棒の子は別件で出かけている。そっちの子の異能は伏見と違って移動に向いていたので目的地まではすぐだったが、今回は徒歩で向かわなければならない。
この場所から零番地区まではそう遠く離れてはいないが、それなりの時間はかかる。それも彼女のイライラを増させる原因にもなっていた。
歩きながら、彼女は考える。最近の我様教の状況についてだ。
一つ大きな謎があった。近頃、我様教は騎士団の手ではない何者かによって幾つもの支部が潰されていた。
騎士団が踏み込もうとした時には、既に荒らされた後。嵐にでも襲われたかのような惨状が広がっている。そんな事が何度もあった。
誰が何故やったのか、全てが不明。我様教の過激な活動は多くの敵を生んだ。そのせいで犯人が絞り込めないのだ。
首を捻る。単独犯とは思えない。我様教は規模が小さく、シン・秋葉原内でしか存在していないが、それでも一つの拠点を一人で潰せるような代物ではない。騎士団のメンバーであれば別だが、それに匹敵するほど腕の立つ人物であれば有名でないわけがない。
複数犯にしても動きが早すぎる。
たった数日で我様教の半分以上が潰れた。慎重に動いていた騎士団を嘲笑うかのように、躊躇なく踏み潰していったのだ。
考えてもますます謎が深まる。伏見つかさはあまり頭が良いわけではなかった。脳筋という言葉がぴったりと当てはまるような人間である。本人はそれを否定するが、本拠地に堂々と単身乗り込んで、異能の力で力づくで解決なんてことは彼女にとっては日常茶飯事。頭を使うというのが苦手な彼女にとっては、やはり武力が何よりなのだ。それを脳筋と呼ばずになんと呼ぶのかという話だが、単純に言ってしまえば彼女は馬鹿だった。
うん、と彼女は一人で頷いた。
とりあえず、我様教とかいうのを潰して考えよう。
潰したころにはそんな謎なんて忘れてしまっているのが、伏見つかさという女だ。
伏見つかさが我様教の本拠地に到着したのは二十分後のことだった。こんな朝っぱらから乗り込んで暴れてもいいのか、と考えるだけの脳はあったが、最終的に考えるのが面倒になった彼女が中に入ろうとした時、一人の男とすれ違った。
長身痩躯の、短髪の若い男性。恐ろしく服のセンスがダサい。だがシン・秋葉原の人間の殆どがコスプレ衣装や少し常識と外れたセンスをしているので彼のそれはあまり目立ってはいないが、とにかくそれらの人間とは違ったベクトルでセンスがズレていた。
短パンに文字Tシャツなんて今時いない。四字熟語が更にシュールさを醸し出している。それが『明鏡止水』の四文字であれば尚のこと。
引き攣る顔を隠して、伏見はその男に問いかけた。
「ねえあなた、ここの関係者の方?」
「俺のことか? だったら違うな。少し用があって寄っただけだが、今はもうこの場所に用はない。二度とここに来ることはないだろう」
「そう。その用事っていうのが気になるんだけど」
「気になるのなら中に入ってみるといい。すぐにわかる。……もういいか? バイトの時間までには終わらせないといけないんだ」
そう言って男は鬱陶しそうに会話を切ると、何処かへと行ってしまった。
不思議な男である。今まで感じた何でもない独特なナニカを纏って、それを隠すことを寸分もしないような男なのに、掴めない。
確かにそこに彼がいるはずなのに、伏見にはその全容を理解することができなかった。
これでも伏見は未成年ながらも一般以上の経験を積んできたはずである。騎士団として、色々な人間と関わってきた。頭は回らないが、それ故に彼女をここまで生き永らえさせてきた直感は、彼を危険な人物であると判断しなかったのに、何かやらかしそうな雰囲気を感じさせた。
団長のそれに近い。しかし、根本的な部分で異なっている。
頭を振って、伏見は答えの出そうにない思考をやめた。
今重要なのは我様教にお灸を据えることだ。完全に潰すか、酌量の余地を与えるかはその場にいる騎士団の人間によりけりだが、彼女は慈悲を持ち合わせてはいなかった。
許しを与えに来たのではない、裁きに彼女は来たのだ。どうして見逃してくれようか、という考えが伏見にはある。
扉を開ける。安っぽいそれは、ふとすれば彼女の手でも壊せてしまいそうだ。脳筋ではあるが、怪力ではない彼女は思い立ったそれを他所においやって、先に進んだ。
「ま、また……ッ! くそっ、やられた! さっきの男がそうか!」
彼女は我様教本部の、一際大きく広い部屋で苛立ちと共にそう叫んだ。
部屋は大きく荒らされていた。床に倒れ臥す十数人の男達。どれもが白目を向けて気絶している。壁や床は大きく砕け、苛烈な戦闘の様子を感じさせた。
我様教本部は、既に壊滅していた。