十六話
友禅夜々が消えた。秋葉原学園には当然の如く現れない。風邪でも他の病気や怪我でもなく、その真相を知るのは沖影美浜ただ一人だった。
あの男に昏倒させられて、その後目を覚ました時にはもう彼の姿はなく、友禅もその場から消えていた。無力感だけが彼女の心を埋め尽くす。なにもできなかったという後悔で自分自身を責めつけた。
「沖影さん。ちょっとよろしいかしら?」
暗く沈む彼女に声をかけたのは、生徒会長東雲あやめだった。
遠くから見ても圧倒されるような、学生らしからぬ気品を備えた少女である。細く切れ長の目は、本人にその意図がなくとも相手を威圧してしまう。
秋葉原学園最強、雷を操る異能を持った東雲が突然自分に話しかけてきたことに沖影は驚いた。
「うえっ!? せ、生徒会長!?」
「同じ学年なんだし、そう畏まることもないわよ。あやめでいいわ。それより貴方に友禅夜々という子について聞きたいことがあるの」
東雲の顔つきは平時より幾ばくか険しい。あまり表情を変える姿を見たことがない沖影である。生徒会長のその様子を珍しく思った。つまりは彼女の表情を変えさせるような出来事が起こっていて、それが友禅の消失に関連しているのだ。
「あの、夜々は今日は休みです」
「知ってるわ。知ってるから貴方に聞いてるの」
東雲が何処か焦っている風にも沖影は感じた。
「単刀直入に聞くわ。貴方、友禅夜々がどうして休んでいるのか、いや、何が彼女の身に起こっているのか知ってる?」
視線が沖影の瞳を貫いた。その眼光に少したじろぐ。沖影の怪しい素ぶりは東雲の追求を進めさせた。
「その様子は知ってるみたいね。なら、いったいどうなっているのか教えてくれない?」
「……連れ去られたの」
沖影のその言葉に東雲は目つきを険しくさせた。
「連れ去られた? 誰に?」
「わからない。見たこともないような人。赤い髪に、黒いスーツの、見ているだけで心臓を素手で撫でられているような、悍ましい男と夜々は話していて、そしてそのまま……」
どうしてそれを止めなかったのか、とは東雲も口に出せなかった。止めたはずだ。何故ならそれを話しながら目の前の少女はこんなにも苦しそうな顔をしている。止めたくて止めたくて、けれどそれは叶わなかったに違いなかった。このクラスの生徒に暴漢相手に立ち向かえなんて、そんな期待はしてはいけない。
「どんな話をしていたのか覚えてる?」
東雲の質問に沖影は全部が全部聞こえたわけではないけど、と前置きして答えた。
「強くなりたいなら、やめるな。って言ってた。夜々はやめるって言って関係を切ろうとしてたみたいなんだけど、それを強引に男が続けようとして、拒絶した夜々を男は首を絞めて連れ去った。私はそれを止めようとしたけど、でも……」
「力及ばず、か。仕方ないわ。だって貴方の異能は戦闘向きじゃないんでしょう? ならそう自分を責めることはない」
「責めるよ! もっと早くそこから出てたらあんなことにならなかったかもって、あらかじめ警察を呼んでればあんなことにならずにすんだかもって! バカだった。そんなことになるなんて想像もできなかった私がバカだったよ。う、ううっ……」
東雲は黙って沖影の叫びを聞いていた。
彼女には生まれた頃から力があった。雷を自在に操る極めて強力な異能が。だから力がない人の気持ちはあまりよくわからなかったが、誰かを助け出せないというのはこういうことなんだな、という気持ちは感じ取れた。悲しみに暮れる沖影の肩に触れた。彼女なりに慰めようとしたが、言葉は出てこなかった。ただ静かに沖影の涙が止まるのを待った。
東雲あやめが沖影美浜を訪ねたのは友禅夜々という少女が学園を無断で休んだからではない。そんなことは幾らでもあるし、一々それで動いていてはいられない。
秋葉原学園を最近騒がす、異能の急成長という事案。これまでに友禅を含め四人の生徒が何の脈絡もなく、日に日にその異能を進化させていた。
ありえないはずだ。異能の成長というのは極めて限定的な現象である。天才と呼ばれる人間が、尋常でない心血を注ぐかそれに匹敵するほどの強い意思でそれを可能にする。
東雲あやめは異能の成長を経験していない。訓練により精度などは上昇するが、それがその異能の扱いに慣れているからであり、異能自体は強くなってはいないのだ。成長、いわば異能の進化は上達だとかそういうレベルを遥かに凌駕し、その性質すらも時に変化させる。
友禅夜々という少女は先日までは花数本の成長を促す程度であったという。だが急に花壇一面にまでその異能の効果は及ばせた。扱いが上手くなるという問題でなく、異能自体が強化されているのだ。
経験のない東雲には詳しくはわからない。だが、それでも秋葉原学園の、それこそあまり才能のないクラスの人間が連続してその成長を遂げるというのは信じられないことであった。
一人だけならまだ可能性は少ないとはいえ、なくはないだろう。しかし、四人の人間が連鎖的にそれを成したというのは、そこに何らかの疑惑を持って然るべきであった。そしてその四人の全てが、学園から姿を消したのだとしら。東雲は生徒会長の看板を引っさげて、生徒の安全のために調査を開始した。
東雲は友禅夜々という少女が拉致されたという場所まで来ていた。目立たない路地である。人通りも少なそうだった。夜になればそれこそ無人の、犯罪者にとって格好の場所となるに違いない。
だがそんな場所に人がいた。男である。短い髪に、文字Tシャツを着た男であった。胸には「温故知新」と書いてあった。そのあまりのダサさに東雲は一瞬眉をあげるが、それよりも、とその男に近寄った。
「そこで何をしてるのかしら?」
「……人を待っているんだ」
怪しすぎた。
怪しすぎるが、それにしては堂々としていた。文句は言わせないといった強引さがあった。そこで立ったまま腕を組んで、じっと虚空を睨みつけている。
東雲は踏み込んだ質問をした。
「それは赤髪の男じゃないの?」
その言葉で、初めて怪しい男は東雲の方を向いた。
「知っているのか?」
ビンゴね、と心の中で呟いた。彼がその関係者であるというのは想像に難くない。実行犯でないにしても、赤髪の男について何か知っていることは明らかだった。
「私も探しているの」と東雲は言った。
「何故だ?」
「捕まえるために、よ。私の学校の生徒が少しお世話になったみたいだから」
「……そうか」
男は東雲に向けていた視線をもとに戻して、小さく息を吐いた。
「一つだけ言っておいてやろう。その男を追うのをやめるんだ」
男の言葉には怯ませるような重みがあった。警告である。しかしだからと首を縦に振れないのが東雲だった。
「それはできないわ。やられたまま泣き寝入りなんて、そんなことできない。私の異能はそういう輩を倒すためにあるのよ」
男はそれでも警告を重ねた。
「ダメだ。あの男と関わったらロクなことにならない。今すぐ、やめるんだ」
「イヤ」
頑なに諦めようとしない東雲に痺れを切らしたのか、男は決して動かなかったそこからもそりと動いた。
「本当に、諦めるつもりはないのか?」
「ええ」
「……そうか。なら、仕方ないな」
東雲はその瞬間、目の前の男から今まで感じたこともないほどの重圧を覚えた。身体全体がその一瞬、強張って動かなかった。やられる、と生まれて初めて恐怖した。遅れて異能を発動しようとした時には、彼の姿はそこからなく、気づいたら自分の身体が前に倒れていた。
地面が寸前まで迫った。激突の直前に急に浮いた感覚がして、誰かに身体を支えられたと思った時には意識は闇の中に沈んでいた。
斎藤玲司は名前も知らない少女を脇に抱え、鳥羽のもとに電話をかけた。
「おい、今すぐ来てくれ。女を一人眠らせてしまった」
『あ? それでお前を捕まえればいいのか?』
「つまらない冗談を言っている暇があるならこの女を早く預かってくれ。このままだといらん犠牲が出るぞ」
『ああ、うん? 何を言ってるかわかんねーけどよ。とりあえずそっちに人を寄越せばいいんだな?』
「俺たちと同じ男を追っているみたいなんだ。放っておくとまた追いかねない。事が収まるまでお前らが見張っていろ」
騎士団を便利係のように斎藤は言うが、鳥羽はなるほど、と言ってそれに快諾した。
「ここにアイツがいたのは本当みたいだな」
鳥羽からは目的の男についての目撃情報が逐一斎藤に届けられていた。ここもその場所の一つである。
既に騎士団の総力をあげての捜査になっていた。正確には斎藤を補助している。少なくとも鳥羽はそのつもりだ。部下には知らせてはいない。斎藤のその実力を知る者は少ない。下手にそれを伝えるより個人的に斎藤に協力した方が何かと楽だった。ただ昔の知り合いとだけ言って斎藤の存在を伝えただけである。
『まだまだ目撃情報は入って来てる。こっちはお前と違って一人じゃないんだ。そういうのは任せろ』
「助かるよ」
そう言って斎藤は通話を切った。
この少女が何者かはわからないが、ここにあの男を探しに来たということは、ここで何かがあったということだ。学校の生徒、と言っていた。彼女の知り合いか何かがあの男の毒牙にかかったのだろう。手遅れになるまいにそれごと助けださなければならない。
変わっていない。と斎藤は毒づいた。
あれから、六年前から何一つ変わらない。神出鬼没で、いつだって周りを引っ掻き回す。そうして異能大戦を引き起こしたのだ。
ミスター・メイカー。人の皮を被った悪魔。
どうしてここに戻ってきたのか、斎藤にはわからなかった。
「玲司、このあたりにはもういないみたい。ぬいぐるみ達を散らばらせて探ってみたんだけど、それらしい影はないわ」
そう言いながら向こうの角から現れたのは黒いゴスロリドレスを着込んだ少女。
黒沼華曜は斎藤が女を抱えていることに気づくと、ああまた面倒なことを、というような顔をした。
「一朝一夕に見つけられるとも思っていない。だがそう時間が残されているわけでもない。さっさと次の場所に行くぞ」
「その女の子についてはなんか言うことないの」
指差して黒沼は問いただすが、斎藤はそれを無視して抱えた少女を道路の脇にそっと寝かせた。
「……まあいいわ。じゃあさっさと行きましょうか」
「ああ」
頷いて歩き出す斎藤の後ろを黒沼はついて行く。
始めは連れて行く気もなかった斎藤だが、黒沼がついて行くと言って聞かなかったのだ。半ば無理やりでもあったが、こうして案外役に立っているのだからこれ以上何も言うことはできなかった。
ついこの前に敵対していたことなんて感じさせず、昔からそうであったように二人で歩いていた。