十四話
「よぉ、玲司。遊びに来てやったぜ」
深夜の萌え萌えワンダーマートに訪れたのは、特徴的な制服を纏った男。それが騎士団団長、鳥羽重郷であることは沖影にもすぐにわかった。
彼はメディアへの露出も多い。顔も名前もこの街ではよく知られている。何故なら彼はシン・秋葉原の治安を一挙に担う騎士団のトップなのだ。知らない人の方が少ない。重力を操るその異能には、沖影も少し憧れを持っていた。
それよりどうしてこんなところに、という驚きが先行した。沖影が小さく、えっ!? と叫ぶのも気にも留めず、斎藤は露骨に嫌そうな顔を見せた。
「鳥羽。何度も言うが、俺は仕事中なんだ」
「まあまあ、そう言いなさんな。見たところそんな客もいねーみたいだしよ。ちっとは喋らせろって」
「百歩譲ってそこでベラベラと話すのは良いだろう。だが何も買わずに出て行くのはやめてくれないか」
「残念。今日も財布持って来てないんだなー、これが」
「……お帰りいただこうか」
「冗談だ。財布持って来てないのは本当だけど、遊びに来たわけじゃない。お前に話しておきたいことがあるんだ」
斎藤は静かにその先を促した。
そんな二人の光景は、コンビニのバイトリーダーと、かたや騎士団の団長という形からは想像できない。沖影は横のカウンターで彼らをチラチラと眺めていた。
「そうだ、そういえばあの子。黒沼華曜はどうしてる?」
「どうも何も、おとなしいままだ。今は家で寝ていると思う。暗くなるまでは伊織が面倒を見ているが。……それが本題なのか?」
「いや違う。ただお前に彼女を預けた俺としてはどうなってんのか気になんの。キチンと更生して真っ当に生きてくれることを祈ってるぜ」
そう言ってポケットからタバコを取り出そうとした鳥羽に、斎藤は「ここは禁煙だ」と諌めた。ああ、そうだったそうだった、と鳥羽は笑いながらタバコの箱を戻した。
ヘビースモーカー、というほどではなかったが、習慣的に吸っているそれは半ば癖にまでなってしまう。鳥羽はもう何度も注意されているのに、気がつけば手が伸びてしまう自分を心の中で戒めた。けれど、またいつか同じことを繰り返す。それが中毒というものだ。
「……俺がタバコを吸うようになったのもアレからだ。本当に酷かった。ニコチンに頼らなければ静まらない感情の昂りが、怒りがどうにも忌々しく記憶に残ってる」
「鳥羽」
「ああわかってる。思い出したくもないんだろう? 玲司、その気持ちもよくわかる。けどな、そう忘れてばかりじゃいられなくなったんだ」
鳥羽が話がある、と言ったその瞬間から斎藤は予期していたのかもしれなかった。自然と拳に力が入った。鳥羽がタバコでしか抑えられなかった怒りを、斎藤はまだその腹のなかに抱えている。
彼の様子の変化に沖影は気づいた。いつもは感情を表に出さない先輩が、こうもわかりやすくその怒気を露わにしている。表情は冷静を装っているが、中は煮え立ち今にもそこを飛び出していきそうに見えた。
「アイツが、あの男が現れたのか」
斎藤の声が微かに震えている。鳥羽は斎藤のそれを見て、彼の怒りの深さを知った。鳥羽もやりきれない思いはあった。だがそれは斎藤のそれには遠く及ばないだろう。
「そういう情報を耳にしただけだよ。まだ決まったわけじゃない。でも多分、アタリだろうな」
「……そうか」
斎藤は目を閉じた。この時を、ずっとこの時を待っていたのだ。斎藤は積年、恨みを縛り秘めていた鎖を少しづつ解くように、静かに頷いた。
「ミスター・メイカー」
斎藤が出したその名前は沖影も聞いたことはあった。たしか、と記憶の引き出しを片っ端からこじ開ける。沖影がその名前を見つけるのと同時に、鳥羽は斎藤の呟きに応じた。
「六年前の悲劇を創り出した、異能大戦の黒幕」
彼はそう言って、その当時を思い出したのか苦しそうな顔を、片手で抑えた。
「悪魔のような男だ」
友禅夜々はバイトの時間だと言って帰った沖影と別れた後、一通り街で一人で遊び、ようやく帰路についていた。
もう辺りは真っ暗で、街灯の、人工の光のみが道を照らす。
暗闇は何もなくとも恐怖を与えた。普段なれば見えているはずのものが見えず、視界はその働きをなくし、身体全体で空間と接しているような、そんな感覚がどうにも心地悪かった。
沖影は悩んでいるように見えた。その悩みがどんなものであるかは、長い間共に過ごした友禅にはなんとなく想像がついたが、それはどうにもならないことだとも思っていた。
異能は既に定められているのだ。変えることはできないし、成長を望むにはあまりにも頼りなかった。
友禅の異能は植物の成長を促す。とは言っても、成長を促すだけでそれ以上のものにはできないし、異能を使うたびに無視できないほどの疲労が彼女の身に蓄積される。かつては花一本咲かせるだけで崩れ落ちるほどの疲れを彼女に与えたが、微量に成長しているのか、十本程度までならそれほど苦にはならない。それでも殆ど意味はないが。
はぁ、と友禅は息を吐いた。
私だって、どうにかできるならしたいよ、と彼女は思った。
でもそれは無理なことなのだ。望んでもどうにもできないことは、元から望まない方がいい。それはわかっていても、友禅はそう思わずにはいられなかった。
「あーあ、こうパパパっと、ズババっと強くなれたりはしないかなあ」
独り、彼女はそう呟いた。
言ったところで何か変わるわけではない。それに答える誰かがいるわけでもない。けれど、彼女の右側から声が聞こえた。
「んん〜? 何かお困りかね君ィ」
特徴的な声だった。不愉快な、心がそれを拒絶するような虚ろで実態の掴めないふざけた声なのに、どこか掴まれて離されない、そんな惹きつけられる性を持つ声。こんな夜中に声をかけてくる人間なんてロクでもないとわかっているのに、友禅はそちらを向いてしまった。
「どうしたんだい? オレは聞いてるんだ。何か困ってることはないのか、とね」
赤髪をオールバックに、にやけた表情を貼り付けたような不気味な男だった。黒いスーツが彼の身体をボヤけさせる。何処からどう見ても怪しいが、友禅は不思議と彼の調子に合わせていた。
「えっと、どちら様で?」
「オレ? オレのことなんかどうでもいいだろう。今は君のことを聞いているんだ。君の悩みを。オレはただ困っている人間を助けたくてね」
言葉が宙を滑っているような男である。ここまで信用のできない男はいまい。彼の真意が友禅には読めなかった。にやけ続けるツラが網膜に焼けついて、瞬きをして一瞬暗闇に包まれた間も視界に映り続けた。
「いや、あの……」
「ううん? 余程話したくないことなのか? なに遠慮するな、と言いたいが、まあ見ず知らずのオレにそう簡単に打ち明けろとも言わないよ。そうだな、こうしよう」
そう言って赤髪の男は手を差し出した。
「オレと握手をしよう。そうすれば君の悩みは解決する。どうだ、悪くない話だと思わないか? 大丈夫、オレは何もしないから。ただ握手するだけさ。それだけ」
笑顔で男はそう言った。
友禅は、だからそういう話じゃない、と喉まで出かかったが、結局それを口に出すことはなかった。握手するだけで悩みが解決するなんて、そんなバカな話があるもんか、と友禅は思ったが、どうにも無視できない。確かに彼はそう難しいことを言っているわけではないのだ。握手をするだけ。それだけで彼が納得して離れてくれるのなら安いものだった。
それに、友禅は彼の提案に魅力を感じてしまっていた。感覚の問題だった。それは幾ら理性や頭がどうこうと理屈をつけたところで説明できない場所で、その男の毛ほども信用性のない言葉に惹かれていた。
「ええっと、じゃあそれだけなら」
「うんうん。安心してくれ。本当に握手するだけさ。君の悩みは消えて、オレは困った人を助けることができて嬉しい気持ちになる。ウィンウィンの関係だ」
喋るたびに胡散臭くなる男であったが、友禅は彼の手に自分の手を重ねた。そしてその次の瞬間には、自分の身体の内側が熱された感覚に襲われ、その手を反射的に離した。
「あらら、いったいどうしたの」
「な、何をして……!?」
「何も」と男は肩を竦めた。
そんなはずはなかった。確かに友禅は男の手に触れた瞬間に、熱気を内側に感じたのだ。もうその熱は感じないが、得体の知れないものに触れたようで気味が悪かった。
「ところで、その、君の悩みの方はどうだい?」
何事もなかったように、男はそう言った。
「こんなんでどうにかなるわけないでしょ」
「そう、それは残念だ」
男はくるりと友禅が今が来た道を向いた。
「じゃあオレはもう帰るよ。あ、またオレと会いたくなったらこの時間にここに来るといい。待ってるよ」
「……は?」
男はそのまま何処かへと歩いて行ってしまった。
奇妙な男であった。あの手を触れた時の感覚はもうない。それきり何か身体がおかしくなるわけでもなかった。ただ、ひたすらに意味がわからない。
首を傾げながら、友禅はまた家に向かって歩き始めた。
友禅夜々の異能が劇的に進化していることに気づいたのは次の日。彼女は花壇に植えられた数百の種の全てを、一瞬にして花にまで成長させた。