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十二話 零番地区編 完

 

  「……で、どうしてお前がここにいるんだ」


  「私にだってわからないわ。あの男が貴方のところに行きなさいって言うから来たの。望んでここにいるわけない」


  「何考えてるんだ、あいつは」


  コンビニのカウンターを挟んで、斎藤の目の前には先日の少女がいた。あいも変わらず夜に溶け込むような黒を基調としたゴシックドレスは、しかしコンビニの照明に照らされた店内ではかえって目立つ。カウンターに頬杖を突きながら、愚痴るように彼女はそこにいた。


  「貴方のもとで勉強しなさい、だって。こんな街の隅のコンビニで働くような人に教えてもらうことはないと思うけど、私は罪人、償うためなら何だってするわ」


  彼女の瞳はあの日の夜のように歪み濁ってはいなかった。片手に持っているぬいぐるみは今まで以上にツギハギが増えて醜い姿になってはいるが、大切そうに抱きかかえられたそれは、彼女の純粋な愛情を感じさせる。


  「じゃあとりあえずそこを退いてくれないか。邪魔なんだ。ここはレジであって談笑の場ではない。奥にでも引っ込んでおいてくれ。天凱が面倒を見てくれるだろう」


  「ちょっと! べつに面倒を見られるほど落ちぶれてはないわ! これでも十四歳よ。身体の方は少し成長しないけど、心はとっくに成熟してるの!」


  「どの口が言うんだ。成熟した人間はお前みたいに街を破壊しようなんて思わない。そういうことをするのは押し並べて未熟な人間だと決まっている」


  黒沼はその言葉に、それを言われたらどうにもできない、というような顔をみせた。


  「わかった、わかったって。本当に反省してるわ。本当に本当よ。街を直すためのお金は全て私が払った。こうして騎士団の言う通りに動いてるし、もうあんなことは絶対にしない!」


  「……お金を払ったから許されるわけではない。が、お前はまだ子供だ。大人と違う。特別扱いもされる。それに感謝するんだ」


  「……私がもし大人だったとしたら、どうなってたの?」


  こわごわと、斎藤の顔色を伺いながら彼女は尋ねた。

 

  「俺がお前を一生動けない身体にして、牢獄にぶち込んでいた」


  一切の同情も乗せず、ただ冷徹に斎藤はそう答えた。事実彼女はそうされるだけの罪を犯した。奇跡的に死人は出なかった。だがシン・秋葉原の街を破壊し、多くの人を混乱と恐怖に陥れたことは変わらない。

  あの夜、彼女という存在は大きな害であった。誰かが止めなければ人を殺していただろう。その意味で、彼女はこうして自由でなくとも外で息を吸えるのは幸運だった。


  逡巡もなく断言した斎藤の姿に、彼女はあの時に恐怖が垣間見えた。この男は街を守るためならばどんなことも迷わず実行するだけの力も胆力もある。震える身体を、ぬいぐるみと共にギュッと抱きしめた。

 

  「貴方はまだ私を許してはいないわよね?」


  斎藤の顔を見れなかった。どんな目で自分を見られているのか、怖くて知りたくもなかった。視線を感じる。その瞳に、幾らかの慈悲が含まれていることを願った。


  「お前は何を言っているんだ」と、斎藤は言った。


  目を瞑る。この先に聞こえる彼の声を、黒沼は震える身体で待った。


  「……もう同じ過ちは繰り返さないのだろう? なのに、何故俺を怖がる必要がある」


  百通り以上に想像していた最悪の返答の、そのどれとも違う彼の言葉に驚きで彼女は目を開けた。顔を上げる。彼と視線が合った。

  期待していた慈悲の感情は見えなかった。けれど以前のような怒りを含んだような色はなかった。ただ一人の個人として、斎藤は彼女を見ていた。


  「反省している。そしてそれを行動に移して、お前は変わろうとしている。ならば俺がこれ以上言うことはない。もう、この街の住人だ」


  むしろ、と彼は続けた。


  「これからは、俺はお前の味方だ。お前が困っていたら駆けつけて助けてやる。独りで悩む必要もない。俺が一緒に悩んでやろう。まあ、バイトの時間以外は……。……それでもまだ、俺が怖いか?」


  黒沼は自分でもわけがわからないうちに、両目から涙が頬を伝ったことに気づいて、慌ててそれを袖で拭った。

  安心した。何故だかとても心地よい場所に訪れたような、救われた気持ちになった。もう独りじゃないんだと思った。


  今までずっとぬいぐるみと共に過ごしてきた。丁寧に毛糸を編み込んで、空虚な中身を愛で満たそうと注ぎ込んだ。

  いつしか彼女の心から愛は枯れていた。それでも彼女は虚ろなナニカを愛として、ぬいぐるみに詰め込んだ。そうすることしかできなかった。

  彼女には、彼女に愛を注いでくれる存在が必要だった。一方的な愛情のやりとりは、循環することなく自身を枯れさせてしまう。

 

  斎藤は、罪を犯した彼女に暖かな気持ちを与えた。愛とは呼べないカタチだが、それでも長い間人の温もりに触れていなかった彼女には十分だった。


  「怖くない」と彼女は言った。


  「全然、怖くなんかない」


  「……そうか」


  斎藤はそれだけ言って黙ってしまった。どうしたらいいのかわからなくて、ただ彼女の心の行く先を眺めた。

  拭っても拭っても溢れる涙を、黒沼は止めることはできなかった。

  ようやく彼女は、親と、一つのぬいぐるみと共に過ごした幸せな日々に近づいた気がした。



 




 


 

 

 

  「団長。どうして黒沼華曜をあの男のもとに?」


  一人の女性が、鳥羽の執務室で彼にそう尋ねた。

  スラリとした女だった。女性にしては高めの背と、黒縁の眼鏡が特徴的な女である。理知的な輝きを瞳に宿していて、厳格さを感じさせた。


  「どうしてって言われてもな。騎士団は保育所じゃないだろう。子供の面倒を見るのは誰も得意じゃなかった気がするが」


  「彼女はあの夜の事件の犯人ですよ。子供だからといって、簡単に外に出すなんて……」


  「自由にしたつもりはないさ。でも子供には罪を償う猶予を与えてもいいはずだ。一生牢屋にぶち込んでおくにも、彼女は惜しい才能を持ってる。力の向かう先を間違えなければ、いずれはこの街のためになる。先を見据えるんだ、青葉ちゃん。俺はいつだって犯罪者をより多く捕まえるために動いているんだぜ?」


  彼女は彼のその言葉に息を吐いた。

  序列外、団長補佐、青山青葉。極めて近い範囲の異能を読み取る異能を持った人間である。その情報収集能力と、高い知能から騎士団の雑務を一手に引き受けるやり手でもあった。彼女がいなければ騎士団はここまで合法的な集団になっていなかっただろう。


  「……彼女を侮り、苦戦していた人の言える台詞ではないと思います」


  「うるせえ。結果オーライだから良いんだよ。長引いたおかげで玲司の力を教え込むことが出来た。だからそれでチャラ。この話は終了。よし、てきとうにここらへんの書類を片付けてくれ。勿論俺名義でな」


  「ダメです。団長が勝手に黒沼華曜の処遇を決定したんです。だからその関連の書類も全て団長の手でやってください」


  「それマジ? いやいや、嘘だと言ってくれよ青葉ちゃーん」


  顔が引き攣る鳥羽を青山は知らんぷりを決め込んだ。

  団長の好き勝手な行動には彼女も随分と悩まされてきたのだ。幾ら理由があるとはいえ、報告もなしに毎度勝手に決められて、それに振り回されるのは腹がたつ。今度という今度は許すつもりはなかった。

 

  回れ右をして、彼に背を向け部屋を出ようとする。その背中を追って鳥羽は追いかけるが、彼の目前で扉を無慈悲に閉じられた。


  そのあとには、彼が部屋で泣きながら書類を書く姿だけがあったという。








 


  零番地区は、いつも通り時計塔の音だけが響いている。静かな空間は、さもすれば人の心を狂わすほどに孤独を与えた。

  一人、狂気が消えた。シン・秋葉原を蝕む存在は、その孤独を癒してくれる存在を見つけた。代わりに零番地区には破壊の跡だけが残った。

  でもそれも、いつのまにか癒えているだろう。

  ここを管理していたのは黒沼華曜だが、こうも発展した姿にしたのは彼女ではなかった。そもそも彼女には時計塔だけで完結した世界を作っていた。それ以外は知ったことではなかった。

  誰かがこの風景を作ったのだ。人一人の姿もない、空っぽの街の姿を。


  それが誰であるか、それを知る者はここにはいなかった。そこにある住処に、彼らはただ身をひそめるだけだった。


  あの夜から一日経った。

  もう破壊の跡は、消えていた。

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