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十一話

 


  黒沼の視界に悪魔が映った。実際彼女にはその姿が悪魔そのものに見えてならなかった。そしてそれが自分を射殺すような眼光と共に向かってくるのが見えて、必死にぬいぐるみをそれに差し向けた。

  それが現れた周囲にも数百にも及ぶぬいぐるみがいた。それの最初の一撃で少し数を減らしたが、それでもまだ数えきれないほどいた。彼らを群がらせる。数で押し潰す。轢き殺して、今幻視した悪魔を亡き者にしようと黒沼は焦った。


  そしてその全てが瞬きの間には吹き飛ばされていた。


  腕を振るうだけで、人並み以上の力を持ったぬいぐるみがまるで紙屑のように放り出される。蹴りの一撃でバラバラに破壊され、嵐のような暴力がぬいぐるみの群れの中にいた。そしてそれは元凶である黒沼を巻き込もうと徐々に近づいてきていた。


  「いったい、なんなのよ……!」


  「お嬢ちゃんは俺を厄介だと危険視してたらしいが、真に警戒すべきはあの男さ。最強の男と言って過言じゃない。俺は今までにアイツほどの人間は見たことないね」


  「そんな馬鹿なことがあっていいわけない! ここまできてあんな奴一人に!」


  「ここまで……? 勘違いしてるようだけど、お嬢ちゃんは一歩も進んじゃいない。シン・秋葉原をどうにかしようなんて、到底無理なのさ。俺が許さないし、アイツも敵に回す。そうなったら終わりだ」


  「ふざけないで! まだまだ私の子供達は大量に!」


  「アイツを仕留めるには、数じゃダメなんだ」


  歩いていた。そのぬいぐるみの群れを物ともせずに、一直線に黒沼の方へと向かっていた。その一歩一歩が彼女にとっては死の宣告に聞こえる。まだ全体の三割も削れていないはずなのに、彼が近づく度に脈拍が早まり、呼吸は浅く、頭に血が上らない。


  どうしてこんなにも恐れているのか、と黒沼は思う。


  悪魔に見えた。一瞬のことではあったが、人であるはずのそれが恐怖を纏い終焉を囁く異形の化け物に見えてしまった。それは彼を絶対的強者であると脳が判断してしまったことに他ならない。


  「止まって!止まって! 誰でもいい、誰かそいつを止めて!!」


  黒沼の悲痛な叫びは零番地区に虚しく響いた。主人の命令を忠実に実行する彼らでも、一人の人間の歩みさえ止められない。


  「止まれ!止まれ!止まれ止まれ止まれ止まれえええええ!!」


  気づけばもう近くにいた。その悪魔と見紛う男の輪郭がはっきりと見てとれた。細身の男ではあるが、それは皮と骨ばかりというわけではなく、どちらかといえば筋肉質な男であった。


  斎藤の筋肉は強固に束ねられている。細い筋肉でもそれから発せられるパワーは常人を遥かに凌駕し、何倍もの体格差をものともしない膂力を彼に与えた。繊維の密度が違う。それでいてしなやかに動いた。異能は持たないが、尋常でない身体の構造が彼を超人にしていた。


  無意識に後ずさる。黒沼は恐怖に顔を固め、瞳の奥を滲ませた。こんな序盤で終わってしまうのか、と思う。こんな簡単に、こんな容易く私の子供達が死んでしまうのか、と嘆く。でももう遅かった。彼がこの街にいる時点で、彼女の敗北は決まっていたのだ。


  いつのまにか頰を伝っていた雫が、抱えられたぬいぐるみに落ちて染みた。そのぬいぐるみの黒い瞳が、月の光で輝いた。


  「そろそろ諦めろ。お前では俺に勝てない」

 

  「ひっ……!」


  斎藤は手を伸ばした。もうすぐそこに黒沼はいた。しかしその手が届くことはなく、何かに弾かれた。


  ぬいぐるみだった。彼女に抱えられた人型の小さなぬいぐるみが動いた。黒沼の腕から飛び出すとみるみると大きくなり、斎藤の背と変わらないほどの姿へと変貌した。


  大事な主人を守ろうと、斎藤の前に立ち塞がった。


  「ちょっと、私はそんなの、……あなたを失ったら私はもう!」


  それは他と比べて形が歪で、ところどころほつれていて、何度も縫い直したのかツギハギが目立った。ボロボロの身体で、それでも自分を愛してくれていた主人のために脅威を前にして怯まない。


  そのぬいぐるみは、黒沼が生まれて初めて作ったぬいぐるみだった。







 


 


  黒沼華曜も元からここまで捻くれた性格ではなかった。親に愛されて育ち、彼女もまた親を愛していた。

  彼女の八歳の誕生日には裁縫道具が親から送られた。それで彼女はぬいぐるみを親と一緒に時間作った。たった一つができあがるだけでも長い時間をかけて、完成したそれも良い出来であるとは言えなかったけれど、それでも彼女は嬉しくて出来上がった彼と離れなかった。

  二つ目が出来上がる前に、彼女の親は死んだ。


  六年前、世界では大規模な戦争が起きていた。世界中で異能者が各地を荒らし回る大乱だ。その戦争は異能大戦と呼ばれ、数多くの犠牲者を出した。

  異能都市シン・秋葉原もその戦場の一つだった。彼女の親が管理していた地区は一際被害が大きく、彼女を残して殆どの人間が死んだ。彼女の両親さえも。

  親に必死に隠されて生き延びた彼女は、それを境に変わってしまった。


  戦争のない世界を目指した。そのためには人間がいらなかった。自分と、自分の愛するぬいぐるみだけで世界を満たそうとした。

  そしてそれを実行するには犠牲が必要だった。彼女は自分を苦しめたはずの争いを行おうとしていた。もう彼女は冷静な判断が出来なかった。根本を間違えた。

  それを指摘する人間が誰もいなかったのが、彼女の捻くれた欲望を肥大させた。


  捻れ曲がった愛情を毛糸で包んだ。彼女を笑顔にするためのぬいぐるみは、人を害する兵器と成り果てた。

 

  それでもひたすらに愛をぬいぐるみに注ぎこんだ。最初のぬいぐるみは両親の形見であった。それが今、彼女を助けようと自ら死地に飛び込んだ。


  「邪魔だ。お前もわかっているだろう。これはどうしようもないことだ。お前の主がこの街にしたことは、許されることではない」


  冷徹に斎藤はそう言った。再び握られた拳に躊躇はない。

  返事はなかった。斎藤もぬいぐるみに返事を期待はしていなかった。


  ぬいぐるみは距離を詰めた。今まで戦ってきたそれらとは違う、気を抜けば見失ってしまいそうな速度で、それは斎藤に向かった。

  そのぬいぐるみの拳を斎藤は黙って受け止めた。パワーもスピードも段違いに強力だ。だが、彼には届かない。

  脇腹に向けて繰り出された蹴りを斎藤は掴んで止めた。そしてそのままぬいぐるみを持ち上げて、地面に叩きつける。毛糸で出来た身体に効いているかはわからなかったが、追撃で腹部を思い切り踏みつけた。


  「もうダメ! これ以上は、これ以上は!」


  「静かにしろ。お前がこのぬいぐるみにどんな思い入れがあるかは知らないが、だからと手を緩めるつもりはない」


  仰向きで押さえつけられたぬいぐるみは、その体勢からはありえないはずの勢いで蹴りを放った。足を退かし、宙に跳んで斎藤は回避して、そのまま勢いよくぬいぐるみを踏み潰す。中のワタが破れた身体から出ていた。それを気に留めることもなく、拳を叩き込んだ。


  もう動くこともない、と黒沼の方へ向かおうとした彼の足になにかがしがみついた。

  ぬいぐるみである。原型も留めていないような姿で、けれど主人を守ろうと斎藤を命がけで食い止めようとしていた。


  「お前が本当に止めるべきなのは俺なのか? 違うはずだ。お前が止めなければならなかったのは、お前の主のはずだ。それとも止めようとしても、止めれなかったのか。どちらにせよ、もう遅い」


  頭部を掴んで、黒沼の方へと放り投げた。


  「きゃっ!」


  ぬいぐるみを受け止めることもできず、黒沼はそれと一緒に転がった。

  転んだ彼女の足元で倒れたまま動かないぬいぐるみの頭部を踏み抜いて、斎藤は彼女に迫った。


  「なんで泣いているんだ。今回お前が起こした騒ぎで、いったいどれほど街が壊された? それをわかって、それでもお前は自分かわいさに泣くのか」


  「な、泣いてない! 泣いてるのは、その子が、その子が……!」


  「……愛していながら、そうやって泣くほど大切なものを持ちながら、どうしてこんな勝手なことができるんだ。世界はお前だけのものじゃない。争いは必ず大切なものを失わせる。お前はわかっていたはずだ」


  斎藤はそう言って彼女から離れた。彼女の心が折れると同時に、一斉に活動を停止したぬいぐるみの山にいた鳥羽のもとに向かった。







  「どうしたんだ鳥羽。お前が苦戦するなんて珍しい」


  「アホ、苦戦なんかしてねーよ。まあ、相性は最悪だったけど。最近ずっと異能に頼りきりだったから、腕が落ちちまって」


  鳥羽は腰の鞘に刀を戻して、ぱんぱんと手を払った。


  「で、あのお嬢ちゃんはどうすんだ?」


  顎でくいっと黒沼の方向を指した。

  斎藤はふるふると首を振った。


  「お前に任せる。もうどうにかしようとも思わないだろう。それに俺は基本的に女子供には強く出れないんだ」


  その言葉に鳥羽は笑った。


  「お前も冗談を言うんだな。いいぜ、お前がそう言うんならお嬢ちゃんはこっちで預からせてもらう。と言っても……」


  チラリ、と黒沼を一瞥して鳥羽は言った。

 

  「子供だからな。ちょっと難しいことになるが、ま、大丈夫だろ」


  「一概に罰を与えればいいというわけでもない。しかし反省したからといって許されるわけでもない。そこらへんの匙加減は俺にはわからない。……あれはまだ子供だ。やり直せるかもしれない。少なくとも、根っこから腐っているわけではなさそうだ」


  環境がある。生まれきっての悪党も中にはいるが、殆どは厳しい環境や孤独が人を盲目にさせる。

  斎藤は倒すことしかできない。その後をどうするか、までは考えてもわからない。それは全て騎士団に任せていた。今回もだ。結局のところ、彼は力で解決できること以上のことはできない。


  「おい、どこ行くんだよ」

  背を向けて歩き出した斎藤に、鳥羽は声をかけた。

 

  「まだバイトの時間だ」


  振り返りもせずそれだけ言って、斎藤は去った。


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