一話
「十八円のお釣りとなります。レシートは、あ、わかりました。ありがとうございました」
無駄のない対応だ。と斎藤玲司は数百度目の自画自賛をする。コンビニのバイトリーダーとして、店内では幾分か地位の高い彼ではあったが、だからと言ってその仕事が誰からにも褒められるということはない。そもそも当たり前の仕事なのだから褒めるも何もないのだが。
だから自分で褒めてあげるのだ。自分は褒められて育つ人間だと彼は思っていた。
深夜のコンビニバイトは眠気との戦いである。が、問題がないわけではない。むしろ問題が起きた場合の危険性及び深刻度は日中のそれの比ではなく、だいたいはおおごとに発展する。
彼はそれら問題の解決、鎮静化が得意であった。
斎藤は欠伸を噛み締めて、その影響で瞳に滲んだ涙を手の甲で拭う。今日は眠い。ここ数日あまり満足に寝れていなかったせいだ。そしてこういう時こそ何か変な事件が起きるのだ、と経験則が警鐘を鳴らす。
間もなく、それは起きた。
開くのを待てばいいものを、わざわざ自動ドアを破壊して一人の男が飛び込んできた。
その音に隣にいた同僚の若い女性バイトが驚く。彼女はまだ新人だ。こうしたイベントと遭遇するのは初めてだった。悲鳴をあげそうになるその口を斎藤は片手で覆い、人差し指立てたもう片方の手を口元へ持っていった。
「静かに」
斎藤玲司はこのコンビニのバイトリーダーである。こうした荒事にも慣れたもので、平静のままに男の出方を待った。
黒い服装に身を包み、顔もわからない。辛うじて身体つきから男であることはわかるが、それ以上の情報はその格好からは得られない。だがその男の目的がこのコンビニではなく、斎藤にあることはすぐにわかった。
「斎藤玲司ィ、わかるよなぁ? 同胞の報復よォ。この前のてめえの俺たちへの襲撃、忘れたとは言わせねーぜ?」
男は手のひらを斎藤へ向かった突き出した。
その瞬間、まるでマッチに火をつけたかのような小さな炎がその手に現れると、右手全体を覆うような巨大な火の塊へと即座に形を変えた。
原理も何もない、種も仕掛けもない魔法の類い。
斎藤は見慣れたそれを一瞥した。
「炎を操る異能力。そういえばあの時、一人逃げた奴がいたと思っていたが……、それがお前か」
「逃げ出しただと……? 違うぜ、アレは逃げたんじゃねえ。ちょっとその、用があってだな」
「……。まあ、どうしてあそこからいなくなったかの理由なんてどうでもいい。ただ、アレを見てまだ俺とやり合おうって思えるのは中々できることじゃない」
見下す。斎藤玲司は、炎をその手に宿す男を相手にしても一つの焦りも見せない。何故ならば彼はこのコンビニのバイトリーダーだからだ。
バイトリーダーたる者、後輩の前で格好悪い姿を見せることはできない。それに彼はバイトリーダーとしての実力も兼ね備えていた。
こんな不逞の輩、屁でもなければ恐れるほどでもない。
「あんだけ好き勝手やられて引き下がれるかよ! 俺だって我様教の敬虔な信徒。右頬を殴られたら、ぶっ殺す!」
「ただの馬鹿か。力の差も理解できないまま戦うんじゃない。幾らお前がこの先強くなろうと、俺には勝てない。何故ならこの俺、斎藤玲司は……、このコンビニのバイトリーダーだからな」
全ては三十年前、秋葉原の中心にいた当時二十歳の無職の三人の青年達から始まった。
その中の一人が、彼の愛するアニメ『マジカル魔女っ子マリリン』の劇中のセリフである、とあるフレーズを街中で叫んだ。
「プリティーマジカル!ルンルン、マリリン!」
その言葉と共に空に掲げられた手のひらから、突如正体不明のエネルギーがビームとして射出。極大のそれは頭上の薄い雲に穴を開けた。
幸い死者や怪我人は出なかったものの、空めがけて放たれていなかったとしたら多くの被害が出ていたことは間違いない。その事件は「秋葉原ビーム事件」として日本だけでなく世界中を騒がせた。
そしてそれと時を同じくして、世界中で異質な力に目覚めた人間が現れ始めた。
ある者は自在に炎を操り、またある者は空を飛んでみせた。
異能力と呼称されたそれらの能力の内容は非常に多岐に渡り、瞬間移動から、絶対に決まった時間に起きることができる能力まで、幅広い数々の異能力が確認された。
世界は変わった。
たった三十年で、まるで別の世界にでもなったかのように変わってしまった。
日本の秋葉原は異能力者が何故か引き合うように集まり始め、新都市シン・秋葉原へと成長した。
オタクの聖地から異能力者の聖地へと変わり、東京都内でも随一の規模にまで発展し、その影響力は最早一つの都市の域を超え、シン・秋葉原だけで独立した一つの国とまで呼ばれ始めたのだ。
超巨大異能都市、シン・秋葉原。
その都市内部に多数あるコンビニ店舗の一つでバイトリーダーを務める男、斎藤玲司には多くのあだ名がつけられている。
『迅雷のレジ打ち』。『鬼の非正規雇用員』。『天職がバイト』などなど。
数えきれないほどの呼び名の中でも、シン・秋葉原の誰もが一度は聞いたことのある呼び名がある。
多くの人々は彼をこう呼ぶのだ。
『最強のバイトリーダー』と。