亡国の騎士
なぜ自分がこんな目に。
そう思わなかった日はなかった。
国は滅び、家族は死に絶え、友人も同僚も悉くがその胸に刃を突きつけられた。セピア色の記憶は血で彩られ、残ったのは炎が点滅する焼野原だけだ。
俺の関係者の中で唯一生き残ったのが俺だというのだから笑える話だ。憎まれっ子世に憚ると言うが、まさか本当に自分が憚ることになるとは思わなかった。
しかし生き残ってしまったものは仕方がない。例えこの世のすべての人民に恨まれようとも、死んでしまってはもう生き返れないのだから。その件に関しては俺だけが不幸なわけではない。それを嘆くことはあれど、憤ることはすまい。リベリアが我らが祖国に進行してきたことにはそれなりの事情があり、虐殺に及んだことにもそれなりの理由がある。誰も悪くない。もしくは誰もが悪い。だからこそ、恨みはどこかに置いてきた。
ただ、自分が騎士と言う職業を選んだことに関しては、一切の弁解の余地がない。
なぜ農民ではなかったのか。父は農民として生計を立てていたではないか。
なぜ商人ではなかったのか。大成した友人に共に商売をしようと持ち掛けられたではないか。
なぜ文官ではなかったのか。武官よりも文官よりの性格をしているとよく言われていたではないか。
全ての問いに一応の答えを返すことは出来るが、それは酷く幼稚な理由であり堅実さなど欠片もない。そんな考えで突っ走ってしまった俺は救いようもない阿呆である。
しかし、その程度の後悔ならばそこらの犬にでも食わせてやればよろしい。実際、お前は先ほど一族郎党皆殺しにされたことさえそうして見せたではないか。そう言う声が聞こえてくる。なるほど、道理だ。もしも俺が国の崩壊と共に騎士と言う職業を辞めていたのなら、その言葉の通りにしていたのだろう。
だが、現実は違う。
俺は国に使える騎士でありながら、今や国に仕えてはいない。であれば騎士ではないのか、と言われればそうではない。
俺は今、その国の残滓に仕えている。
要するに俺の後悔は過去形なのではない、現在進行形なのだ。いくら俺の割り切る能力が群を抜いていたとしても、今なお積もり続ける後悔の塵を絶えず吐き捨てることなどできるはずもない。鍛錬の疲労を鍛錬中に回復しろと言っているようなものだ。
俺は思う。
なぜ、俺は騎士などと言う仕事についてしまったのか。
悪名高き虐殺姫などに仕えることになってしまったのか、と。
姫の朝は早い。
朝起きると寝台より出でて、宿の庭に佇む。
その手に握るは一振りの木剣。その身に纏うは町娘のごとき装束なれど、御身より溢れ出る気迫まさしく王族。木剣はさながら金で形作られた剣の如く黄金色に輝き、血統の加護を主張している。
ヴァレイシア王族の加護が一、絶対王剣。
その剣に絶てぬものはなく、すなわち其れ防御不能の奥義。
光の剣としか形容しようがないその剣を姫が振るえば、風すら悲鳴を上げながら両断される。すべての魔法、すべての加護、すべての事象を一刀に伏す一撃。
惜しむらくは、その使い手たる姫の腰がこの上なく引けていることだろうか。
「・・・ううううう、これ、本当にどうすればいいの?私に当たっても切れちゃうって不良品過ぎるよぉ。お父さんたちどうしてこんなもの振れてたの・・・?」
ついに足までも小鹿のように震わせはじめ、黄金の長髪と潤ませた碧眼を持つ表情が庇護欲をそそる。今年で十五になるフレイア姫は、俺の方を見て救援を求める視線を送る。
「ネクロぉ・・・本当にやらなくちゃダメなの?」
「・・・絶対王剣を使えるようになりたいと言ったのは、姫のはずですが」
昨日の夜のことだ。
いったい何をとち狂ったのか。この運動神経皆無のお姫様はいきなりこの俺に言いなされたのだ。
『私に、絶対王剣の使い方を教えて』
いや、何言ってんだ。本気でそう言いたくなったが、なんとか耐えた。
絶対王剣は王族、とりわけヴァレイシア王族にしか使えないからこその絶対王剣なのだ。そんな剣を王族ではない俺が教えるなどできるはずがない。そういったのだが、姫は涙を目に溜めながら訴えたのだ。
『このまま自分の力を使いこなせないままなのは嫌!』
そこまで言われてしまっては、俺も反論するわけにはいかなかった。事実姫は足手まといだったし、絶対王剣が使えるようになれば戦力の大幅な増加に繋がる。
今となってはそう思った俺をぶん殴ってやりたい。
「姫、諦めましょう」
「え、でも始めてからまだ三十分しか」
「三十分も震えて何もしないような人間に剣は振るえませんし、そもそもあなたの絶対王剣は目立ちすぎる」
俺たちは今、逃亡者なのだ。
我が国を滅ぼしたリベリア王国は執念深く、目の前のフレイア姫を探している。その手は他国まで達しており、俺たちは言うなれば世界指名手配されている状態だ。
そんな中、黄金の絶対王剣を使うなど、飢えたライオンの前に骨付き肉を放り投げる様なものだ。俺も絶対王剣を見たのが初めてだったので失念していた。ここまで強烈な光を放つ剣だとは思っていなかった。今は明朝、まだ誰も起きてこないような明るさであるにもかかわらず、まるでこの周りだけ正午のような明るさだ。見ているだけでも目が潰れる。
「・・・はい」
姫は項垂れながら返事をした。それと共に加護が霧散し、絶対王剣はただの木剣へと戻っていく。周囲を照らしていた光も霧散し、元の薄暗い空間に戻る。
それを確認してから、俺は柏手を打って結界を破壊した。半径十メートルほどの円球に亀裂が入り、バキン、という音と共に砕け散っていく。
周囲から見て、俺たちは今の今まで仲睦まじく会話をしている二人に見えたはずだ。要するにそういった効果を持つ結界だった。
幻術の結界。結界の中でも中位の難易度を誇るものだ。これが出来れば、戦車結界師に任命されるだけの実力はあると見做される。まあ、これのほかにも堅固の結界、反転の結界、緩衝の結界が使えなければ一人前とは言えないのだが、それは良いだろう。
「・・・ネクロは本当に芸達者、だね。それもあなたの加護?」
「これは純然たる努力の結果ですよ。それに、いくら私の加護が悪趣味でも、実力がなくちゃどうにもなりません」
「そういえば、ネクロの加護についてしっかりと訊いたことはなかったよね。どういうものなの?」
「申し訳ありませんが、私の加護について誰かに話すつもりはありません」
ましてや虐殺姫などに教える義理はない。
続く言葉は言わないことにした。何をされるか分かったものではない。そして、何をさせられるかわかったものではない。
フレイア姫は頬を膨らませて不服を露わにしていたが、やがて俺に背を向けて「つまんない」と呟いた。
だから、その時の顔を俺は見ることが出来なかった。
この国、デュ・ラントは随分と穏やかな国だ。
まず、気候が穏やかだ。強烈な雨が降るわけでもなく、強烈な晴れが続くわけでもない。適度に入れ替わる雨と晴れが、この国の植物を育て、その植物たちを食べる動物を育てる。王族がよくバカンスに来るという南東部の海岸の景観もまた素晴らしい。この国に飢えるものは出ないと嘯く商人も居る。それらすべてがこの国が『繁栄の王国』と呼ばれる所以なのだろう。
事実、食べ物の値段はほかの国に比べて随分と安い。資金調達が難しい俺たちからしてみれば、これはとても助かる。
「・・・ネクロ、あのリンゴが食べたいんだけど」
「ダメだ。何度も言っているだろう。俺たちにそんなものを買っている余裕はないんだ」
「・・・なら、あれはどう?あのパスタ、とか。ここはパスタ発祥の地だし」
「だからダメだ。俺だってパスタは食いたいが、あれは値段が高い」
だというのに、フレイア姫は自分の欲求に忠実だった。今まで生きてきた中で節約と言う言葉をどこかに忘れて来たのではないかと思えるほどに、その振る舞いは実に王族らしかった。
しかし、忘れてはならないのが、こいつはもはや亡国の姫なのであって、もはや王族ではないということだ。
自らの国を攻め落とされ、敗北し、惨めに泥水を啜りながら生きてきた身だ。己が国の国民を殺され、王族としての責務も果たせずに逃げた敗残者。
そんなフレイア姫には、もはや王族らしいふるまいをする権利も義務も存在しない。
「カレン。俺たちの最終目的地はどこだ?」
フレイア姫の眼を見て、偽名を呼んだ。フレイア姫はフードの下で上品に笑うと、俺に返答した。
「ザムーサ。じゃなかった?ここらへんじゃダメなの?」
「ダメなんだよ。良くも悪くもお前は有名過ぎる」
ザムーサとは、このデュ・ラントから船で行くことが出来る島国だ。一時期は交易の心臓と呼ばれるほど繁栄していたが、新大陸との交易が途方もない利益を生み出すということがわかってからは一転、さびれた国になったと聞いている。
しかし、そこは俺たちの育ったベルンとはまた違う、乾燥地帯を中心としたジェタフ文化と呼ばれるものが流入しており、二つの文化圏が重なる貴重な場所となっている。そんな混沌とした国なだけあり、そこに入り乱れる人種も様々だという。そのくせ自立精神が高く、他国からの干渉は受けないという絶対不干渉主義を掲げている。あくまでもどの国とも対等な付き合いをするという名目だが、それが今の俺たちにとっては都合が良い。
「あそこに行けば、リベリアもそうそう手を出すことは出来ない。まあ、奴さんもそれはわかっているだろうから簡単にはいかないだろうけどな」
俺はともかく、カレンは目深のフードを被っている。これでは自分で怪しいと言っているようなものだが、仕方がない。王族の加護のおかげでこの女には幻術の類をかけることが出来ず、かつらを買おうにも俺たちの懐事情ではそれすら厳しい。髪色を変えても翌日には元の金髪に戻っているのだから王族の加護と言うものは凄まじい。
しかし、これでは見つけてくれと言っているようなものだ。事実、リベリアからの刺客とは幾度となく戦闘になった。
「ヴァレイシア王国第三王女フレイア!」
ちょうど、今のように。
俺は声がした方向に目を向けると、そこには二十歳過ぎの男が立っていた。若干薄汚れた格好をしていることから、リベリアから長距離を移動してきた刺客だと判断する。目の下に出来た隈と、理性を完全に消し去ったような憤怒の表情が印象的だ。
フレイア姫はその男の方に目を向けてから、すぐに俺に目配せした。
「殺しなさい」
「御意」
いつもとは比べ物にならないほど冷たい声で、比べ物にならないほど鋭い口調で、フレイア姫は俺に命令する。俺もまた、先ほどのような砕けた口調ではなく、簡潔で武骨な答えを返す。
刺客はフレイア姫に右手を翳し、そこから炎の玉を生み出した。
触れれば皮膚は確実に爛れるだろう。いくら王族の加護を持っていたとしても、フレイア姫は普通の少女に過ぎない。無防備な状態で魔法を受ければその結果は一般人と大差ない。
だからこそ、俺はその炎を短剣で切り裂いた。もちろん破魔の付与をかけている剣だ。これで魔法を切り裂けばその魔法は効力を失う。
相手もそれで勝負がつくとは思っていなかったのだろう。今度は五本の指から熱線を放った。空気が焼ける音と共に、その五本の線は俺に向かってくる。
だが、俺が何の対策も取っていないわけがない。
なぜ態々この俺が、魔法で防がずに破魔の魔法を付与するという二度手間をしてまで剣で魔法を切り裂いたのか、新たな魔法を紡ぐ時間を稼いだのか、この相手はわかっていなかったらしい。
その五本の熱線は俺の鼻先まで来ると、はじかれたように元の筋道を辿っていく。
すなわち、その男の身体へと。
反射の結界。ある一定以下の威力の魔法を反射する結界術。
それが効力を発揮したと思った瞬間には既に、男の身体には五本の穴が開いていた。幸いにも、傷口は空いた瞬間に熱で塞がったらしい。それが頭に当たってさえいなければ、まだ命を繋げていたのかもしれないのに。
頭と心臓、肝臓と膵臓、最後に股間を貫かれた男はうめき声一つ上げずに倒れた。頭だけを避けたところで人間としては終わりだったとはいえ、一つくらいは避ける気概を見せてほしかったものだ。
「きゃあっ!」
そこで、後ろにいたフレイア姫の叫び声が聞こえた。可愛らしい声だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
後ろを振り返れば、そこにはフレイア姫を抱えて逃げようとしている男たちが居た。風体からしてごろつきだ。俗にいう人さらいという奴だろうか。俺が指を少し動かそうとすると、そのうちの一人がフレイア姫にナイフを突きつけて下卑た笑みを浮かべた。
「おっと、動くなよ兄ちゃん。動けばあんたの主の首が飛ぶぜ」
ナイフを揺らめかせるその動作は、俺が当事者だからなのか、とても醜悪に見える。見たところ、フレイア姫が金になるということを予め知っていて、チャンスがあれば浚おうと思っていた連中だろう。ハイエナのような連中だが、そいつらに裏を取られた俺がどうこう言える立場にはない。
指名手配されているフレイア姫は、リベリアの官吏に渡せばそれなりの金になる。言ってしまえば一生暮らせる程度の金だ。真っ当な連中でも捕まえようと思うのだから、こいつらのように日常的に犯罪行為に手を染めている連中からしてみれば良いカモだろう。
「姫、どうしますか?」
しかし、俺は慌てていなかった。
なにせ、俺が戦闘を始めてから優に一秒以上が経過している。
姫が体勢を整えて、加護を発動させるには十分な時間だ。
「殺しなさい。私は見ていることにします」
フレイア姫は表情を一切変えることなく、俺に命令する。その命令に驚いたのは俺ではなく、ナイフを突きつけている人さらいだろう。
「てめえ、この状況わかってんの・・・か?」
しかし、人さらいはようやく気付いたらしい。
自分の持っているナイフの刃が、既に亡くなっているということに。
単純な話だ。
ヴァレイシア王族の加護が一、『破壊の盾』
己の身体に悪意を持って触れたものを破壊する。それは実態があるものに限定されるが、ごろつきを相手にするなら十分すぎる。
フレイア姫は戦士としての才能はないらしく、王族の加護を発動するには若干のタイムラグが必要になるが、きちんと時間を与えられれば生半可な戦士では太刀打ちできないほどの能力は持っている。
そして、人質が居なくなったごろつきたちの命運は既に尽きている。
「て、てめえら!逃げろ!こいつらやべえ!」
俺は、小さく、哀れみを込めて呟いた。
「それは、襲う前に調べておくべきだったな」
大方、フレイア姫の様子を見て蝶よ花よと育てられたと思っていたのだろう。町をみてはしゃいでいる姿からは、とても戦うようには見えない。それに王族の加護は国のトップシークレットだ。知らなくても無理はない。
しかし、きちんと調べてから襲ってほしかった。
人を見かけで判断することほど恐ろしいことは存在しないのだから。
『・・・私を、助けてくれるの?』
『・・・頼まれたからな』
あの時はただ、可憐な少女としか思わなかった。
けれど実態は違った。
ごろつきたちの首をすべて切り落とし、通行人たちが悉く失せた大通りで、俺とフレイア姫は死んだ男たちを見ていた。
「・・・ねえネクロ。このごろつきたちはともかくとして、最初の男って怒ってたよね」
「はい」
「ということは、もしかして、私のミスなのかな」
「・・・そのようですね」
ミス、と呼べるものなのであれば、そうなのだろう。
その行為が良いものなのか悪いものは置いておいて、フレイア姫の目的からしてみればそれはミスだったということだ。
「アヴウェルかしら、それともリーム?この男の顔つきからして山岳系の気がするからスピノ?」
「スピノのようです」
「そうなんだ。なら、スピノの人たちがミスしたのね」
憂うような声を出すフレイア姫に、俺の体の芯は冷え切っていた。
これは恐怖だ。自分の理解できない者に対する恐怖。それが今俺の身体を襲っている。
「ほんと、残念だわ。町をすべて殺すことも出来ないなんて」
五千人以上の非戦闘民を虐殺した虐殺姫は、過去を後悔するように、唯々財布を落としてしまったとでも言いたげなトーンで、人を殺した事実を口にする。
「そうだネクロ。ザムーサに着いたらしばらくはそこで暮らすのでしょう?だったら、少し試したいことがあるのだけれど」
「・・・なんですか?」
俺が嫌な予感をひしひしと感じながら聞けば、フレイア姫は花が咲く様な笑顔で微笑んだ。
「革命でも、起こしてみない?」
この女は、つくづく訳が分からない。
「・・・はい、わかりました」
そして、そんな女に仕えている自分も、とことん分からない。
『あなたの為に生きよう』
騎士の誓いは破れない。
何よりも尊いものだ。俺は確かにこの人に救われた。だから、騎士としてなら、この人のために生きようと思ったことに後悔はない。
ただ、騎士という職業を選んだことに。
亡国の騎士と言う存在になってしまったことには、後悔の念は絶えない。