来るなら事前に言ってほしかった(前編)
「よし、今日はここまで」
夜の九時頃、俺は机を離れて、部屋に置いてある座布団に横になった。
座布団は王国製ではなく、日本の部屋から持ってきたものである。
こっちはやわらかいクッションのものがあまりないのだ。
ちなみに地震で本棚が倒れてきても下敷きにならない場所で寝ている。
ダンボールが三箱積んである隣だ。これならさすがにすぐに倒れてはこないだろう。
大河川にはさまれてる街なので、水害のほうが怖い気もするけど。
俺は今、幸せな疑問と向き合っていた。
なぜか、兼業になってからのほうが執筆ペースが上がっているのだ。
ペースだけではなく、実際の生産量も専業時代より伸びている。
王国用のライトノベルだけでなく、編集の上杉さんとの新作も書いているのだが、まったく問題なく両立できていた。
兼業作家のほうが時間をマメに管理しないといけないから、効率的に生活する――これは間違いないだろう。しかし、それだけではない気がする。
というか、原因はだいたいわかっている。
ネット環境がないからだな……。
ツイッターやLINE、他愛ないメールのやり取りなどをすべて排除すると夜の時間が異様に長くなったのだ。
これが酒飲みなら居酒屋などに繰り出しているかもしれないが、俺はほとんど飲まない上に家飲み派だった(同業者に誘われた時とかは除く)。
結果、夜は本を読むか、本を書くか、の二択になっている。
「ネット断ちって本当に意味があったんだな」
しかし、このネット断ちも多少の問題はあった。
「…………」
俺はおもむろに立ち上がると、ダンボールを一つずつどけた。
そして、底のダンボールを開封する。
新書や専門書など比較的小難しい系統の資料が出てくるが、それをまた床に出す。
肌色率が極端に高くて、だいたい定価千円ほどの本が出てきた。
いわゆるエロ漫画である。
あと、エロ同人もさらに底にはある。
おそらく法的にまずい。
日本人の俺が日本のものを輸入するのは問題ないが、ガチでエロいものを王国の税関のような場所が見つけた場合は持ち込み不可になるらしいのだ。
つまり、これはご禁制の品だ。
だが、二十五歳の男にとって、これは必須アイテムである。
これがネット環境のある場所なら、いくらでもエロい情報にアクセスできる。
性的なことに関してなら、ネットの海は広くて深いのだ。
まったく健全なワードでイメージ検索したらなぜか卑猥な画像が出てきた、そんな経験をした人はおそらく多いと思う。
あんな感じでネット世界にはその手の情報があふれているのだ。
それが使えない以上、このダンボールの底は絶対に崩されてはいけない牙城である。
底だけに建造物の基礎に当たる部分とすら言っていい。
教師の俺にとっては、とくに重要だ。
なぜか?
生徒に変な気持ちを抱いてしまうわけにはいかないからだ。
恋愛感情だけでもダメだ。それさえ公平な授業を行う妨げになる。
教師として、えこひいきはいけない。
すべての生徒に平等に接するべきだ。
それに問題を起こしたら、今後の王国と日本の文化交流にまで影響が出る。
なので感情が昂ぶる前に適切な処理を行う必要があるのだ。
いわば、俺は異国の異なる文化を教える賢者である。
真の賢者はいつだって賢者モードであるべきなのだ!
誰にも言えないけど、俺は間違ったこと言ってないと思う。
俺は立派な教師であり続けるために、ここで違法行為も続けるっっっ!
――とんとん、とんとん。
ドアが叩かれている。
いったい何だ?
この王都だと果物売りなどが訪問販売をしていたりするのだが、夜九時に来ることはないだろう。
予想はついていたが、声ですぐにわかった。
「チカラ先生、いらっしゃいますか? シーナです」
シーナさん、どうしてこんな時間に……。
しかも、男の一人暮らしだぞ……。
「ずっと倉庫で漫画を読んでるだけというのもアレなんで、こっちにもお邪魔しようかなーと。いませんかー?」
ああ、倉庫のほうには通ってたんだな……。
とはいえだ。
ごくりと生唾を飲んだ。
夜に年頃の女性が訪ねてくる――俺の人生において初めての事態が起こっている。
落ち着け。こ、ここは紳士的な態度で応対するのだ。
これまでどおりの、なごやかな空気を演出するのだ。
幸い、部屋はそんなに散らかっていない。物件はボロいけど、それはシーナさんも知ってることだから問題はない。が――
エロ漫画が出ている。
これは論外っ!
こんなものが散らかってたら血のついたナイフを握り締めて俺は犯人じゃないと言ってるぐらい、説得力がない。
「チカラ先生、チカラさーん? いないんですか?」
「うああっ! すいません、洗い物中なんです! 三十秒だけ待ってください!」
言いながら、俺はすぐさまエロ漫画を箱に押し込んだ。
これは時間との戦いであると同時に自分との戦いでもある。
さらにそのダンボールを部屋の隅にどけて、その上にほかのダンボールをどんどん載せていく。
いかにも’引越しで一応持ってきてはみたものの、まったく使う気がないものが入ってる感’をアピール。
ここまでわずか二十七秒。王国新記録かもしれない。
しかし、まだ油断は禁物だ。
ここでやたらと楽しげにドアを開けにいったり、妙に焦ってドアを開けにいったりしたら、不自然だ。
これまで仕事をしてましたという雰囲気で。
ドアをゆっくり開いた。
当たり前だがシーナさんがいた。
「こんばんは~、夜にいきなり押しかけちゃってごめんなさいね」
にこやかにシーナさんが答える。
服装は勤務明けなのか、騎士装束に近いもの。
向こうも普通の印象だ。
俺のほうも普通を装っていて、よかった。
「ちょっと、チカラ先生の部屋のほうにも来たくなっちゃいまして」
これは脈アリの予感だ。
「もしかして、ご迷惑でしたか?」
「ウェルカムです。どうぞ、どうぞ!」




