03 じっと見るなら俺にして?
呆けたギルド長をさらっと無視して、ランがアルダさんに近くの手頃な宿を聞き、「また明日顔を出します」と言ってギルドを後にした。
いつの間にか日が暮れ始めていて、アルダさんに紹介された宿にランを連れて行ったら、なぜかその宿に一緒に泊まることになっていた。受付で教えられた部屋の扉を開けると、奥に小さな台みたいなものを間に挟んで寝台が二つ並び、その手前、扉の前にはテーブルがひとつと椅子がふたつあった。
「思ったよりも日が暮れるのが早いな……慣れるまで時間がかかりそうだなぁ」
「その分早く寝ればいいだけだよ」
ツバサが姿を現した。神様みたいなあの綺麗な人の姿になっている。ツバサが姿を現すと部屋の中が一気に明るくなった。まるで昼間のようだ。
──ツバサが何かしたのかな。
「さっきみたあのうろ、気に入っちゃった。家を建てるならあのうろのそばがいい!」
「シアの家の?」
「そう。あのうろ、すごくイイ!」
「翼って狭いとこ好きだよなぁ」
「妙に落ち着くの」
「シア?」
思わずじっとツバサを見てしまっていた。その綺麗な人と目が合う。
──うわぁ……。
「シア? じっと見るなら俺にして?」
──なんでじっと見るならラン?
思わず首をかしげる。
「まあ、追々ね。さて。ご飯にしようか。今日は何にしようかな」
「私、マカロンがいい」
「翼はマカロンね。俺たちは……シア、何か食べたいものある?」
「……なんでもいいの?」
「なんでもいいよ」
「あの…ね、あの……お肉、食べてみたい」
「肉かぁ。じゃあ、ステーキにするか」
ランが鞄の中から、まずは椅子が一つ出てきた。続いてじゅうじゅうと音が出ている肉の塊がのったお皿のようなものを出した。食欲を誘うおいしそうな匂いが部屋に充満する。ツバが溢れる。続けて白パン、スープ、生の野菜、色とりどりのころんとした丸いものが、見たこともないような綺麗な器に入って、次々と鞄から出てくる。最後にスプーンと先がつんつんとがったもの、小さなナイフみたいなものを取り出して、テーブルに並べる。
──あの鞄……なんだろう?
「ん? ああ、この鞄? 俺の最高傑作。何でも鞄。何でも欲しい物が出てくる鞄だよ。他の人には内緒ね」
「本当、名付けのセンス皆無よね、あなたたち親子って」
「分かりやすくていいだろ」
欲しい物が出てくる鞄。そんな鞄があるのだろうか。初めて見た。きっと高価な物なんだろう。絶対に誰にも言わない。ぎゅっと口を引き結ぶと、ランが笑った。
「他の人には使えないから、万が一の場合も大丈夫なんだけどね」
「ねえ、食べていい?」
ツバサがころんとした丸いものをひとつ摘まんで、口に放り込もうとしている。あれは食べ物なのか。初めて見た。じっと見ていたら、「ひとつだけよ」と言って、ツバサにひとつ口に放り込まれた。
さくっとして甘くてほわっと解けて、あっという間になくなった。
──すごく甘い! すごくおいしい!
初めて食べる味と食感。前にアルダさんに貰った飴よりも甘くておいしい。口に残った甘さを舌でなぞりながらうっとりする。
「はあぁぁぁ……シア、その顔は外でしちゃダメだからね」
どんな顔をしていたのだろうか。外でしちゃダメな顔だったようだ。気をつけよう。
「あんまり可愛い顔は俺の前以外ではしないでね」
──可愛い顔? ダメな顔じゃないの?
外でしちゃいけない可愛い顔って何だろう。可愛いは小さいじゃないのだろうか。
「ほら、食べるよ」
──どうしよう。
食べ方が分からない。スプーンは知ってるけど、こんなに細くてぴかぴかな銀貨みないな色のは見たことがない。触ってもいいのだろうか。
「ああ。うーんと、これがスプーン。これがフォーク。これがナイフね。こうやってフォークで抑えながらナイフで肉を切って、一口ずつ食べるんだよ。お肉がのっているお皿は熱いから気をつけてね」
言われたとおり、フォークで抑えてナイフで切ろうとするも、何度やっても上手く切れない。いつの間にか後ろからランが両腕を回し、それぞれの手に添えてフォークとナイフを操ってくれる。
「そんなに力まなくてもいいんだよ。すっとナイフを入れる感じで……はい、食べてごらん」
フォークに突き刺さった肉を口に含むと、じゅわっと汁が口の中に溢れる。
──おいしい! これがお肉。初めて食べた。ずっとずっと食べてみたかった。
「おいしいでしょ。泣かなくていいから、ゆっくりよく噛んで食べるんだよ」
また泣いていたみたいだ。勝手に涙が出てくる。
お肉は噛んでも噛んでもおいしくって、もったいなくてなかなか飲み込めない。でも目の前にはまだまだお肉がある! 思い切ってごくっと飲み込む。
すっとナイフを入れるような感じで……ランの言うとおりにナイフを入れると、今度はちゃんと切れた。
──んー。おいしい。おいしい。
「シア、お肉ばかりじゃなくてちゃんと野菜も食べなさい」
ツバサに小さく切られた生の野菜が入っている器を差し出される。
「ナイフとフォークを一旦置くときは、こんな感じ」
両方とも手に持った形のまま、お皿の上に乗せておけばいいのか。ランの真似をしてツバサに差し出された器を両手で受け取る。つるつるとして少しひんやりした綺麗な器。初めて触った。
そっとテーブルの空いている場所において、思わず首をかしげる。
──これ、どうやって食べるんだろう?
「サラダはフォークで食べるといいよ。フォークはさっきと違って右手で持っていいよ。シア右利きでしょ」
そう言ってランがサラダを食べて見せてくれる。同じように食べると、ぱりぱりとした味の濃い野菜、かかっている汁は色んな味がして、口に入れた途端びっくりした。こんなにぱりぱりとした野菜は食べたことがない。噛むとぱりぱりしゃきしゃきと音が鳴る。
──面白い。
「シア、音が鳴って面白いのは分かるけど、食べるときは口を閉じて食べなさい」
ツバサに言われ、慌てて口を閉じる。口を閉じて食べると今度は音が頭に響いて、それも面白かった。
「はい、じゃ、次はスープね」
「スープはスプーンで手前からすくって飲めばいいよ」
スープは知ってるけど、手前からすくうのは知らない。やってみれば特に難しくはなかった。口に含めばまったりとして、なめらかで、体がほかっと温まる。これもおいしい。夢中ですくっていると、ツバサが器を傾けてくれた。
「残り少なくなってきたら、こうして少し傾けて飲めばいいから」
ランが同じようにスープを飲んでいたようで、同じくらいの量になっていた。最後まで飲むと、再びお肉に取りかかる。
──お肉おいしい! 一番おいしい。
「シアはお肉が好きなんだね。明日は別のお肉料理にしようね」
──明日もお肉が食べられるの? いいの? いいの?
「嬉しそうだね。お肉くらいいくらでも食べさせてあげるよ」
「ありがと!」
「どういたしまして。ほら。最後までちゃんと食べて。お腹いっぱいなら残してもいいからね」
結局、お肉とスープだけは全部食べた。白パンは一口も食べられず、サラダはほとんど残してしまい、ランが代わりに食べてくれた。ツバサにちゃんと野菜も食べるよう、渋い顔で言われた。気をつけよう。
お腹がいっぱいになったからか、それによって心が一杯になったからか、なんだか眠い。
「眠そうだね、シア。もう寝る?」
こくんと頷く。
「あー、でもこの寝台は……。ベッド出そうかなぁ。でもあれ仕舞うとき面倒なんだよなぁ。……今日は寝袋でいいか」
ベッドはお貴族様が使うものだ。あの寝袋はベッドではないのか。
ランが鞄から寝袋を二つ出した。絶対に二つも寝袋が入っていた大きさじゃない。あの鞄の中はどうなっているのだろうか。
「シア、おいで」
呼ばれてランのそばまで行くと、なんだか急に口の中がさっぱりした。首をかしげると、「浄化したんだよ」と言われ、体中がさっぱりしていることに気付く。
──すごい。これが魔法。
「そのうちシアにも教えてあげるよ」
私も魔法なんて使えるのだろうか。目を見開いてじっとランを見る。
「シアも魔法を使えるよ」
ランが何でもないことのように言う。
──すごい。私も魔法を使えるんだ!
「ほら、寝袋に入って」
靴と靴下を脱ぎ、もぞもそと寝袋に入ると、頭を撫でられ「おやすみ」と言われた。
ひくひくと鼻が動く。いい匂いがする。おいしい匂いだ。
──昨日食べたお肉、おいしかったなぁ。生きててよかったなぁ。
「シア、にやにやしてないで起きなさいな」
綺麗な人の声だ。目を開けると綺麗な顔が目の前にあった。
「翼! 顔が近い!」
「なにさ。別に取らないよ」
「取られてたまるか。俺のだ!」
「小さい男」
「はっ! 小さくて結構」
「ランもロルと一緒だね」
「兄貴ほどじゃない」
「ラン、兄もいるの?」
「おはよう、シア。兄貴もいるんだよ」
ランとツバサのやりとりを聞きながら、寝袋から出て、靴を履いて、ランの近くに行くと、また浄化されたようだだ。
「もしかしてシア、魔力の感覚が分かる?」
「今浄化したこと?」
「そっか。分かるんだね」
「分かるといい事ある?」
「魔法が早く覚えられると思うよ」
──すごい。本当に魔法を覚えられるんだ。
魔法を覚えたら、たくさん稼いで、たくさんお肉を食べられるようになるだろうか。そうなったらいい。お肉がたくさん食べられるようになりたい。
「朝はサンドイッチにしたよ。このベーコンサンドとハムサンドがお肉のサンドイッチだよ」
昨日のとは違う。昨日のは白パンを横に半分に切って具が挟まっていたけど、これは白パンを薄く切って具が挟んである。形も三角だ。昨日のはパニーノって言ってたから、これがサンドイッチなのだろうか。
持ち手の付いたカップには、土色のスープが入っている。
一口で食べられるほどの大きさに切られた色んな種類の果実が、小さめの器にこんもりと入っていた。果実はお貴族様の食べ物だ。時々森になる果実を見つけて食べるのが、それまでの一番の幸せだった。
揃ってテーブルにつくと、ランが「いただきます」と呟いた。首をかしげてランを見る。
──いただきますって何だろう?
「ああ。いただきますって、ご飯を食べるときの挨拶かな。お袋の故郷の言葉なんだ」
お袋……お母さん。ランにはちゃんと親も兄妹もいる。なんだか胸がぎゅっとなった。その胸の痛みに目をそらし、教えて貰ったばかりの言葉を呟く。
「いただきます」
「好きなものを好きなだけ食べるといいよ」
ランがサンドイッチをいくつか自分のお皿に取り食べ始める。同じようにお肉のサンドイッチをいくつか取り、一口囓ると、昨日のお肉とはまた違うお肉の味がした。これもおいしい。さっきランがベーコンサンドだと言っていた。もうひとつがハムサンド。それはベーコンサンドよりさっぱりとした味だった。これもおいしい。お肉には色んな味があることを初めて知った。まだ知らないお肉の味があるのだろうか。
スープは昨日とは違ってさらさらとしている、色んな味のするスープだ。
「それはコンソメスープだよ」
「コンソメ?」
「そう。お肉や野菜を煮込んで作るんだったかな」
──お肉のスープ!
言われてみればよく焼けたお肉の色をしている。お肉のスープ。素敵なスープだ。
「シアは本当お肉が好きだね」
思いっきり頷いた。お肉より勝るものはない。
「ちゃんと野菜も食べなさいよ」
「ツバサはご飯食べないの?」
「私は甘い物しか食べないの。私は甘いもので出来てるの!」
「……シア、それ嘘だから。騙されちゃダメだよ」
ツバサが「ちっ!」て舌打ちした。でも甘い物しか食べないのは本当のようだ。昨日もあのころんとした丸くて甘いものしか食べてない。あれがツバサのご飯なんだろう。
十分にお肉のサンドイッチとお肉のスープを堪能した後、色とりどりの果実のうち、真っ赤な果実を口に含むと、その果汁が口の中に溢れて、うっかり口の端から零れた。すかさずツバサに綺麗な布で拭かれ、「気をつけなさい」と少し呆れたような顔で言われた。気を付けよう。
こんな瑞々しい果実は初めて食べた。森で食べたことのある果実はもっと水分が少なくて、味もこんなにしっかりしていなかった。
今度は零さないよう注意しながら、オレンジ色の果実を少し上を向いて口に含む。噛むとじゅわっと果汁が溢れる。さすがお貴族様の食べ物だ。天上の飲み物と同じ味だ。
「それがオレンジ。昨日のオレンジジュースはそれを搾ったものだよ。さっき食べたのが苺、これがキウイで、これが林檎だよ」
ランに言われるがまま次々と口に運ぶ。キウイはイチゴと同じ食感だ。口に中でむにっと潰れる。リンゴはしゃきしゃきとした堅い食感。噛めば噛むほど果汁が出てくる。お肉みたいだ。
──んー。どれもこれも天上の味!
「シアは果物も好きなんだね」
果物……果実のことだろうか。お肉と比べられないほど好きだ。いや、まだ少しお肉が勝っている。やっぱりお肉に勝るものはない。