02 笑った顔がすごく可愛い
「シア、大丈夫だから目を開けてごらん」
恐る恐る目を開けると、見たこともない景色が目の前に広がっていた。あらゆるものが小さく見えた。そびえて見えたたくさんの木々や、その先に見える王都までもが小さく見える。
森の上に浮かび上がった、魔物みたいな魔物じゃないものの背から、ゆっくりと周りを眺めると、随分と森の奥に入っていたことが分かる。きっとあの大きな木がうろのある木だ。
「あの大きな木の下」
「……あの木の下にシアの家があるんだね」
魔物じゃないものがぱさっと一度だけ翼をはためかせると、あっという間に大きな木の上にいた。魔物じゃないものの背は風を受けることも無く、揺れることもなく、一貫して安定している。
ゆっくりと魔物じゃないものが下に降りていくと、あのうろが見えた。
──間違えてなくてよかった。
「……シアの家?」
魔物じゃないものが地に下り立ち、後ろに跨がっていた人がその背からひらりと降り、降りたその人の腕に抱きかかえられるようにして魔物じゃないものから降ろされると、男の人が困ったようにそう聞いてきた。
こくんとひとつだけ頷く。
「あー、うん、何となく分かった。あー…どうしようかなぁ。とりあえずさっき森の向こうに見えた街って?」
「王都、です」
「行ったことある?」
「もともとそこにいた、です。ここを見つけて、ここで寝るようになるまで、です。今はギルドに通ってる、です」
「ああ、そうか、ギルドか。俺も登録できるかな?」
「丸い石の上に手を置くと、色々分かって、十二歳から登録できる、です」
「色々って?」
「歳とか、性別とか、多分名前とか、その人に関することが全部分かるって言ってた、です」
「なるほどね。じゃさ、俺をギルドに連れてって?」
こくんとひとつ頷けば、魔物じゃないものの背にまた乗せられた。今度は飛ばずに歩いて行くようだ。
「これは翼って名前だからね」
「ツバサ?」
「そう。俺はランでいいからね」
「ラン、様」
「様はいらない」
「でも五文字……」
「ああ、平民だと二文字だって言ってたよね、五文字だと?」
「王族か、上流貴族、です」
「なるほど……じゃ、アレクシアの名前も隠しておいた方がいい?」
こくんとひとつ頷く。平民が五文字を名乗ると間違いなく首が飛ぶ。
「じゃ、アレクシアの名前はシアで、俺はランってことにしておくか。翼もギルドに登録する?」
「いい。二文字にするとツバになるから嫌!」
ツバサの言葉にラン……は声を上げて笑っている。
──本当に様はいらないのかな。
「ラン……は、王族? です?」
「あー、うん、そうだな、王族ではあるな。でも内緒だよ。あとですは要らないから。普通に話していいよ」
「内緒……だから、様はいらない?」
「そういうこと」
「ぅんー…」
「どうした?」
「お貴族様は嫌なヤツって思ってた」
「ああ、エルもそんな事言ってたな……」
「エル?」
「妹」
「妹? ……名前は、やっぱり五文字?」
「いや、エルネスティーヌだから、六文字か? 七文字になるのか?」
「……神様!?」
「いや。絶対に違う。俺のいたところでは、名前の文字数は自由だったんだよ」
そんなところあるのだろうか。初めて知った。学校でもそんな事言ってなかったような気がする。
いつも平民の学校の窓の下に座って、窓の中から聞こえてくる授業を盗み聞いていた。貧しい家の子や、裏路地の子たちは大抵そうやって言葉などを覚えた。学校の大人たちも見て見ぬふりをしてくれる。見て見ぬふりをしてくれない平民の子たちに、時々追いかけられることもあったけど。
王都の端が見えてきたところで、ツバサから降りると、ツバサの姿がぶれて人になった。
「これが人型の翼。覚えておいて」
そうランが言うと、ツバサは消えた。
「今はこの魔石に宿っているんだ。でも会話は聞こえるから悪口言うとあとで報復食らうよ」
ランが自分の耳の付いた綺麗な石を指して言う。ツバサは神様みたいに綺麗な人だった。王族みたいなきらきらとした色の髪に同じ色の目だった。
──あんな綺麗な人、初めて見た。
「ほら、口閉じて。契りしものはみんな美形なんだよ」
渋い顔でそう言うランだって、薄い茶色の髪に青い目の綺麗な人だ。ツバサが人じゃないみたいに綺麗だとしたら、ランはちゃんと人として綺麗だ。
──格好いいってこういう感じかな。
「ほら、しっかり歩いて、って、その靴歩きにくそうだね。うーんと、はいこれ」
ランが鞄をごそごそしていると、中から靴が出てきた。どこからどう見ても上等な靴だ。こんな立派な靴はお金のある平民だって履いてない。
「履いてみて。サイズは合ってると思うんだけど」
じっとランの顔を見ていると、ランが屈んで靴を履かせようとしてくれる。慌てて今はいている靴を脱ぎ捨てる。
「あー、靴下も欲しいな。靴履く前にこれ履いてみて。靴が当たって痛くならないから」
靴下なんて、お貴族様のものだ。履いてもいいのだろうか。
「ほら、足上げて」
そう言って靴下を履かせようとするので、慌ててその場に座り込み、渡された靴下を履いた。履く前に一瞬、足が綺麗になったような気がしたが、気のせいかも知れない。靴下はするするとした肌触りで足を滑り、ぴったりと足の形に収まった。
──すごい。ぴったり。
靴下の上から上等すぎる靴を履けば、ランがぎゅっと靴に付いている紐を結んでくれた。これも足にぴったりだった。初めてぴったりな靴を履く。立ち上がり、足を踏みならしても靴が足に貼り付いているかのようだ。
「気に入った?」
ランを見ればどうしてか嬉しそうな顔をしている。
「うん!ありがと!」
ランが頭をわしゃわしゃと撫でてくる。初めて頭を撫でられた。
「シアは笑っている方がいいよ。笑った顔がすごく可愛い」
言われた意味が分からず、ぽかんとしてしまう。
──可愛いってなに? 可愛いは小さいってことだ。笑った顔が小さいって何だろ?
「ほら行くよ。この靴どうする?」
「貰ったから……持って行く」
「ふーん。じゃ、貸して。鞄に入れておいてあげる」
お姉さんに貰った靴を渡すと、鞄に入れてくれた。
──あの鞄、寝袋も入っているのに靴も入るんだ……。
てくてく歩く。ぴったりな靴だとこんなにも歩きやすいものだということを初めて知った。どこまでも歩いて行けそうだ。嬉しくていつもより早足になる。ぴったりな靴のことばかり考えながら歩いていたら、いつの間にか王都の端に着いていた。
「王都って割には街壁も門もないんだな」
「街壁や門はお貴族様の暮らす区域の入り口にある」
「……なるほど」
「ギルドは、こっち」
ランが周りを見渡しながら、後をついてくる。なんだか難しい顔をしている。王族のランから見たら、この辺りは顔をしかめるような場所だろう。なるべく早足でギルドまでを歩く。
ランの身なりからだろう、周りの注目を浴びている。それにランが気付いたであろう瞬間、なぜか周りからの視線がなくなった。
──今の、なんだろう?
「ここ?」
こくんとひとつ頷く。
王都のギルドは、大通りに面したなんてことない普通の建物だ。ギルドの標札を掲げていなければ、ここがギルドだなんて分からない。実際初めてギルドに登録しようとしたとき、どこにあるかがわからなくて、散々探し回った挙げ句、目の前にあったときはなんだか腹立たしかった。もう少し分かりやすい見た目にして欲しい。
ドアを開けて中に入ると、お姉さんが慌てたように立ち上がり、受付カウンターの向こうから身を乗り出して声を掛けてくる。
「あなた、昨日戻ってこなかったから心配したのよ。大丈夫だったの?」
こくんとひとつ頷けば、ふうっと息を吐きながらお姉さんは椅子に座った。
「よかった。依頼は明日までだけど、どうだった?」
「依頼って?」
ランにポケットに入れていた札を見せ、依頼書が張り出されている場所に連れて行き、その内容を教えると、鞄から依頼品を取り出し、札と一緒にカウンターに置いた。
「あら。ちょっと待ってって。今換金するわ」
お姉さんが奥に行っている間にランの袖を引っ張れば、ランが「しーっ」と言って指を一本唇に添えた。
「はい。なかなか状態がよかったから、少し上乗せしといたわ。あの薬草、なかなか見つからないのよ。よく見つけたわねぇ。この依頼は期限はあるけど違約金はないから、依頼が出たら受けるだけ受けて、見つかったら換金するといいわ」
こくこくと頷きながらお金を受け取る。ランにお金を渡そうとすると、首を横に振られた。ひとまずポケットにそれを入れる。
──あっ、ランの登録……。
「で、こちらのお兄さんは? 初めてよね」
「はい。登録をお願いできますか」
「じゃ、この上に手を置いて」
何も言わずとも、お姉さんがランに話しかけてくれた。ランがあの丸い石の上に手を置くと、お姉さんが目を見開いた。
「あなた……。奥で登録することになるけどいいかしら」
お姉さんが声をひそめるようにランに言う。何が分かったのだろうか。
「……彼女も一緒でいいですか?」
「構わないわ」
お姉さんが奥の部屋に案内してくれた。初めてカウンターの奥に入る。寝泊まりできる大部屋はカウンターの反対側なので、カウンターより先に入っていく人を見たこともない。だからだろうか、少しだけギルドの中がざわついた。
「ここで少し待っていて、ギルド長を連れてくるわ。あなた、……魔法師よね」
びっくりした。魔法師って、あの魔法師だろうか。お貴族様より偉い、あの魔法師様?
「魔法師がどう言うものか正確には分かりませんが、魔法を使うことは出来ます」
「分かったわ。少し待っていて」
さっきお姉さんがびっくりしてたのは、あの石に魔法師って出たからだろうか。
お姉さんが出ていった後、直ぐに大人の男の人がお姉さんと一緒に入ってきた。座るよう言われて、ランと並んで座ると、それは柔らかい椅子だった。おしりがふわんとする。こんなに柔らかい、おまけに横に長い椅子、初めて座った。
「ここのギルド長のダリルだ。これは俺の娘でアルダ」
お姉さんはアルダさんというのか。おまけにギルド長の娘さん。しかもお貴族様だったのかと驚く。
「あー、三文字だけどお貴族様ではないわよ。父がギルド長になったから改名して三文字になっていいるだけ。体裁ってヤツらしいわよ」
「私は、ランです。彼女はシア」
「あら、名前を付けて貰ったの?」
お姉さんの言葉にこくんとひとつ頷けば、「よかったわね」と笑ってくれた。後で登録の書き換えをするから、帰りに受付に寄るよう言われる。
「魔法を使えるなら、この部屋に防音の結界を張れるか?」
「張りましたよ」
「は? 手も動かさず言葉も発さずに?」
「ええ」
「本当に張れているのか?……うそだろ! 張れてる! しかも何だこれ! 見たことないほど強固だぞ!」
ギルド長の訝しむ声の後に続いたのは、驚きの声だった。
「ダリルさんは魔力が使えるんですか?」
「魔力? 魔法のことか? いや、理解出来るだけだ。理解出来ても使えなかったから、魔法師にはなれなかった」
「なるほど。魔法は使えないけど魔力は見えるし理解も出来る」
「そうだ。あいつらよりもその点だけは優れてはいたんだがな」
「その言い方だと、あまり魔法師を良く思っていないようですね」
ギルド長が渋い顔になる。だが、平民に魔法師を良く思っている人など滅多にいない。
「それで、魔法師が何の冗談でギルドに登録したいと?」
「そうですね……。私はとてもとても、信じられないほど、とてつもないほどの辺境から来たものですから、この国における魔法師というものがどういう存在かが分からないのですが……。魔法師だとギルドに登録出来ないのですか?」
「いや、出来ないわけじゃない。だが、門の先に行けば、貴族以上の暮らしが出来るんだ、わざわざその手前で生きていく必要もないだろう」
「出来ればその手前で生きていきたいのですが」
「は?」
「ですので、登録したいのですが」
「はあ? お前、アホなのか?」
「アホではありませんが、どうもお貴族様って面倒くさそうな気がするんですよね」
「いや、確かにあいつらは面倒どころか厄介だが……」
「ではお願いします」
「変わってるな、お前。アルダ、予備の石を……」
アルダさんがギルド長の前にずいっとあの丸い石を押しつける。
「やけに用意がいいな」
「だってこの子に無料で名前を付けるような人よ」
「は? 無料で付けたのか?」
「そうよね? どう考えてもこの子、名前料なんて持ってないもの」
名前を付けて貰うのにお金がかかるのだろうか。
「名前を付けるのにお金がかかるんですか?」
ランも同じことを思ったようだ。
「ああ。名前は魂に刻みつけるだろう? それは魔法師じゃなきゃ出来ないからな」
「は? ダリルさんも出来ますよ」
「なんだと! 本当か!?」
ギルド長が目を見開いて身を乗り出している。……ツバが飛んできた。すかさずあの透明な膜みたいなもので遮られた。一瞬魔物の滴り落ちる血までも思い出しそうになり、慌てて思考を切り替える。よく見ればランの周りにもあるような気がする。
──この膜なんだろう……。
「ええ、特に難しくないですし、たいした魔力も使いませんよ」
「そうなのか? どういうことだ?」
「本当にどういうことなんでしょうね。ここでは名前がなくても不便はないのでしょうか?」
呆れたようなランの物言いに、ギルド長が渋い顔になる。
「そうだな。ただ生きていくだけなら何ともないが……。例えばギルドに登録したとする。どれほど腕が良くても名前がないと星は付かない」
「星とは、ランク…階級のことですか?」
「そうだ。星は全部で五つ。星の種類は大中小の三つ。最高ランクが大の星五つ。最低ランクが小の星ひとつだ。それ以下は星ナシと呼ばれる。ランクによって依頼料が変わるし、受けられる依頼も変わる」
「名前料とはどれほどですか?」
「金貨一枚だな」
金貨一枚……。名前を付けて貰うのにそんな大金がかかるのか。名前付けて貰ったけど金貨一枚なんて持ってない。
──どうしよう。返した方がいいかな。返せるのかな、名前。
隣に座るランの袖口をくいっと引いて、聞いてみる。
「名前、返せる?」
「ん? ……ああ、お金なんていらないよ。シアの名前は俺からの贈り物」
「贈り物?」
ランが笑いながら頷いて、頭を撫でてくれた。頭を撫でられるのは気持ちがいい。こころがほかっとなる。
「ここでの金貨一枚は、どのくらいの価値になりますか?」
ランがギルド長に向き直り話し始める。頭を撫でていた手がなくなった。なんだか頭が寒い。
「そうだな、平民でも商人や職人なんかの稼ぐヤツのって言葉が付くが、飲まず食わずで一年溜め込んだら金貨一枚だな。ギルドに登録しているようなヤツは二年かかる」
「なるほど。馬鹿馬鹿しいですね」
「ああ。馬鹿馬鹿しいことだ」
「名前を勝手に付けると罰せられるとか?」
「いや、それは聞いたことがない。そもそも魔法師以外出来ないことだ、勝手に付けるもないんだろうが……。本当に俺でも名付けが出来るのか?」
「ええ。おそらくアルダさんも出来ると思いますよ」
「本当!?」
ギルド長の隣に座ってたアルダさんが、目を見開いて身を乗り出している。親子って似るんだな。
「ひとまず登録するか。この石の上に手を乗せてくれ」
ランが丸い石の上に手を乗せる。
「おい。これがお前の器の大きさか? これだけか? そんなわけないだろう!」
「……ではもう少し出しますか」
「おい! ……お前、器の大きさを変えられるのか?」
「正しくは魔力をどれだけ抑えているか、解放するか、ですね。おそらく魔力を抑えれば抑えるほど、そこに表示される器は小さくなりますし、解放すればするほど大きくなると思います」
「最大まで解放すると……」
「その石が壊れます」
「……お前。何者だ?」
「えーっと、なんて言ったっけ? ……魔法の伝道師、だったかな?」
「は?」
「魔法の使い方を教えに来ました」
そう言ってランは、にやっと笑った。それはなんだかとっても胡散臭い顔だった。