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いままさに、拳を振るおうとしていたリーヴァンスの左肩が、剣の洗礼を受け血飛沫をあげた。
『神の盾』の魔法障壁を消滅させられたという事実を前にしても全く動じる事無く、冷静に状況を察してドーガが、その一瞬に出来た隙をついてリーヴァンスの左肩に剣を突き刺したのだ。重量級の盾の横から突き出た、盾の巨大さとはつりあわないごく普通の長剣。刃の彩りと輝きから、恐らく素材は純銀だろう。装飾はあまり施されてはおらず、その存在感は『神の盾』の前では薄いと言わざるをえない。それに加えて、ドーガ防御戦闘術が組み合わされば、リーヴァンスのちっぽけな脳味噌の中にはその剣の存在などどこにも入る余地は無いだろう。
アリティア共和国が最強の騎士〈神剣の盾〉バス・ファード・エル・ドーガ。白銀の刃を『神の盾』の影に隠し賜うその身には、幾百万の魂を守る栄誉ある神国守護騎士の長たる義務を御枷られている。次代を継ぐべき真騎士に恵まれず、齢八十を超えて猶、御身を血舞う戦に投じ、荒ぶる諸国から必死で神国を守護防国してきた堅固なる盾。真の騎士とは、血を流す事を恐れず、国や民を守る為の揺るぎない魂を持つ者でなければならない。彼の騎士は、紛う事無き真の騎士である。
「奢るな、若造。貴殿の力、確かに驚愕に値する。だがこの程度では、儂は倒せん。我が『神の盾』を破る事は不可能だ。だが、貴殿の力は認めるとしよう。過去に、この魔法障壁を破った者はそれほどおらん。〈紫の陰〉、〈赤い雷神〉、槍匠〈草原の狼〉――」
瞬間、リーヴァンスの表情が思い当たる節があるのか、微かに揺れた。
それに気づく事無く、ドーガは言葉を告げる。
「我がもし彼の者達と出会っていなければ、あるいはその一撃、食ろうていたかもしれぬな。だがやはり、儂に勝つには貴殿はまだまだ未熟」
そこまで言って、ドーガは剣を引き抜いた。
支えの一つ、血塗られた白銀の刃を失ったリーヴァンスの身体が、微かな呻きと共にバランスを崩す。
「楽しかったぞ、〈混沌の鬼人〉リー。もう会う事もあるまい。潔く死ね」
刹那、『神の盾』に填っていた六つの宝玉のうち、三つが輝いて光刃を煌めかせた。
これだけ接近した状態では、如何な〈混沌の鬼人〉と言えど、完全に回避する事は出来ない――未来たる運命をほぼ定められた傷付きし牙。攻撃するにも、もはや遅い。
「疾く行け、『輝剣』! 混沌に魅入られし悪しき鬼人の命を貫き射よ!」
力ある言葉が、輝く光刃の速度に遅れて俺の元へと伝えられた。
「陸!」
刹那、力強き意志を持つ数字が衝撃に混じる。
しかし、俺の瞳がとらえたのは、剣の形をした光り輝く三本のレーザーが大地を焼き、遙か彼方へと消えていく映像だけだった。その光刃の始点は、『神の盾』に填められた六つの宝玉の内、白青赤の色を持つ宝玉。恐らくは、それぞれ【聖】【水】【火】の属性を司っている宝玉だ。よく見れば、三本の光刃も微かにその色を帯びている。
光の刃は、自らの軌道上にある全てを削り消し去っていっていた。
だが、その軌道上にリーヴァンスの姿は無い。
そのリーヴァンスの姿を探して瞳を走らせた時、そこに『神の盾』の魔法障壁をも砕く猛獣の拳が現れた。
「漆!」
ドーガに出来た事といえば、咄嗟に不完全な魔法障壁を生じさせて、自らは勘に任せて回避する事だけだった。
強烈な一撃を浴びたドーガの身体は、先ほど迄の五撃の間の静動と比べると、凄まじい勢いで動いていた。そこに亀裂を生み砕けた魔法障壁の一部が襲いかかる。振り返りながらも盾で防御する事を忘れなかったドーガは、その状態でも冷静な判断を失わないのか、鬼人の姿を瞳にとらえた瞬間に数手先を読み、そして隙を探す。
闘士リーヴァンスの右腕は、最後の七撃目を撃った時には、既に使い物にならなくなっていた。俺がその七撃目が最後だと思ったのは、以前リーヴァンスがベオルブと戦った時の言葉を思い出したからだ。
だがリーヴァンスの負傷部はそれだけではない。
左肩の傷よりももっと厄介な三つの傷穴が、リーヴァンスの身にクッキリと生み出されていた。
右肩よりやや首に近い部分を半円に削り取られた傷穴、左脇腹に空いた空洞傷、そして右膝の一部に光刃の痛々しい傷跡が残っている。意識を保っている事さえ不思議な程に、リーヴァンスの身は傷付いていた。流れた血の量は、普通の人間が死に至るだけの分量は軽く超えているだろう。ショック死してもおかしくない状態だ。
だが、その身であってもリーヴァンスの瞳には尚、狂喜に彩られた狂戦士の彩りが輝いている。
それすらもドーガの精神を揺さぶる事は出来ないのだろうか。七撃目の衝撃で兜を落としていた老騎士の表情には、騎士としての顔が浮かんでいた。だが、冷酷無情な機械に似た眼差しからは、あの熱き言葉は全く感じさせない。まるで別人の様な印象を俺は受けた。
そのドーガの無情な一撃を、すんでの所で血に彩られた野獣は躱す。だがその動きは今までと比べると格段に遅い。浅く肉を斬り裂いた刃が再び血を啜る。赤い飛沫が飛び散る中、剣の軌道は更なる血を求めて変化に富む。リーヴァンスも必死に躱すが、年齢にしては恐ろしく鋭いドーガの剣技に頭はついていけても身体がついていけず、重傷の身に裂傷の追加注文を余儀なくされていた。
そしてついに、速度の衰えたリーヴァンスの防御の隙間を突いて、ドーガの長剣が再び肉内へと突き入った。
重々しい苦痛の声を殺したリーヴァンスの身体が動きを止める。その腰より突き出た血塗られた元銀色の刃は、すぐさま九十度回転させられ、肉を抉り、横へと斬り抜ける。
それでも、リーヴァンスは倒れない。
重傷身のリーヴァンスに与えられたダメージは、本人の脳にはほとんど伝えられなかったのだろう。ただでさえ死んでもおかしくない傷を負っているのだ。今更どれほどのダメージを与えたところで、大した差は無い。
崩れ落ちそうになる身体を刹那の間に足で食い止め、この一瞬に出来たドーガの隙を好機として、鬼人の拳が恐怖を叩き込む。
ドーガは素早く間合いを詰め、カウンターの盾撃を防御の意味も込めて撃ち込んだ。
衝撃は、魔法障壁と拳のぶつかりあいではなく、『神の盾』本体との衝突によって引き起こされた。あの身で、いったいどこにそんな力を生み出せるのか。タイミング良くカウンターとして出された盾撃に、絶好のアタックポイントで攻撃を繰り出す事が出来なかったにも関わらず、その威力は凄まじかった。
ほとんど衰えぬ攻撃力に、さしものドーガも防御した盾ごと後退させられる。だが、それも予想の範囲内なのか、難無くその身体は静止する。しかしその傍らを、何かが駆け上がった。
空中での、旋風脚だ。
重荷の身体から繰り出された一撃目をドーガは盾で受け止める。魔法障壁は無い。攻撃に邪魔だからなのだろうか。血を降らせながら第二撃目が撃ち込まれるのを冷静に裁きながら、次なる三撃目の隙を伺うドーガの瞳が鬼人の瞳とぶつかり合う。相対した瞳同士の彩りは全く異なってはいるが、その中にある闘争本能は確かにドーガの眼にも輝いていた。三撃目の隙をつく事を断念したドーガの頭上を通り過ぎ、空中背面蹴りが四撃目が背後よりドーガの後頭部を襲う。老練の身体が微かに揺れ動き、紙一重でそれを躱す。ドーガはそのまま後方に回転し、刃を宙に走らせた。踏み込みの音が大きく響き、そして繰り出した斬撃は、闘士の太股を深く斬り裂く。流石にリーヴァンスも第五撃目の脚撃を繰り出す訳にはいかず、微妙に回転がかった身体を持ち前の運動能力でしならせ体勢を整え――失敗して無様に背中から地面に叩きつけられた。
「往生際が悪い奴だ」
転がる様に逃げて追撃の刃を回避したリーヴァンスに、ドーガが俺と同じ感想を述べる。好ましい事ではないが、負けるときはスッキリと負けて欲しいものだ。これだけ劣性にも関わらず、いつまでもがいていてもどうにもならない事ぐらい、あの頭で理解出来ないのだろうか。
「往生際の悪い奴だな」
その様子を見ていた俺の傍らに、ようやく追いついてきたベオルブの巨体がぬっと現れた。いったいどこで遊んできたのか、その身体には些か焦げ痕がついていたが、すこぶる元気な様だ。その頭の上には、ネイが立っている。あの巨体の上に立っているのだから、かなり景色が良いだろうな。それをベオルブは全く気にした風無く――もう既に諦めているのだろうが――腕を組んで遠くのリーヴァンス達を眺めていた。
ちなみに、二人とも俺と同じ様に目が良いらしく、戦場から遠く離れていても十分に観る事が可能である。耳の方についてはそうでは無いので、会話は俺にしかたぶん聞こえていない筈だ。
「さっさと殺られてくれれば、こっちも楽で良いんだが……」
どうやら、そうはいかない様だった
背後から大軍の戦気が迫ってきている。言う迄も無く、フェブリゾ皇国の軍隊だ。俺が町を出る時には既に斥候が町の中に入り征圧を開始していた。町の警備隊は早々に撃破され、町の主要な建物を掌握、徴収して戒厳令を布き、本体が素通りする主要道の活路を開くのを迅速に行っていたのを遠目で見たのを覚えている。かなり慣れた行動だった。流石は侵略国として名高い皇国と言ったところか。
その皇国軍の本体が目指しているのは、言うまでもなくユメリアの街を守護しようとしていたアリティア軍の軍隊である。
つまり、リーヴァンスが足止めをしたドーガ率いる神国守護騎士団だ。
こうなると、リーヴァンスの仕事はもうほとんど全て終了したと言って良いだろう。撤退の時期だ。速やかにこの場を離れ、両軍の激突に巻き込まれない様にしなければならない。
だが、あの馬鹿の頭には、どうやらまだ闘いの事だけしか浮かんでいない様だ。背後から迫る大軍の戦気に気づいていない訳では無い筈だが、目の前に立ちはだかる最強の盾たるアリティア共和国が最強の騎士〈神剣の盾〉バス・ファード・エル・ドーガという男を前にして、リーヴァンスの頭にはやはりこの男と闘いたいという戦闘欲しか浮かんでこないのだろう。いや、もしかすると、皇国とも一戦交えたいとも思っているのかもしれないな。
ともかく、あの男の身体を無理矢理引きずってでも早々に此処から撤退しなければ、悪くて俺達までもが巻き添えにされてしまいかねない。
賞金首にされ指名手配されるのは、あの男一人だけで十分だ。
「む……!?」
ようやくドーガも気付いたのか、視線を俺達の方に――正確にいえば、俺達の背後から迫る皇国の大軍がいる方向に向けた。
その一瞬の隙をついて、鬼人の咆哮が攻撃を告げる。殺人の威力を秘めた気配が横殴りにドーガの身に襲いかかった。本能がそれを察知したのだろうか、ドーガは全くそちらの方に顔を向ける事無く、軽々と拳を躱す。全快しているリーヴァンスの攻撃であればそんな事では躱せはしなかっただろうが、今のリーヴァンスの身は重傷で恐ろしくその速度は落ちている。それでも失われない闘争心には賛嘆するに値するが、それ以前に馬鹿だと誉め殺しておくとしよう。
ドーガはリーヴァンスの相手をするのに飽きたのか、そこで暫くやめていた魔法障壁を発生させ、その余波でリーヴァンスの身を吹き飛ばす。
「遅かったか――よもや、たった一人で我が軍を足止めしにくる者がいるとは、思いもよらなかったわ!」
これ以上リーヴァンスにつき合っていられないという意志表示か、ドーガは剣を鞘へと収めた。




