4-3
「――この道の先にいる者に、《神の剣を持つ国》が怯えているのか――」
言葉は、風と共に伝えられる。
老練を思わせる嗄れた鈍い響き、心に響いてくる様な深い色を持った問い掛け。
「嘆かわしい事だ――いつからこの国は、そんな腑抜けが剣を持つようになったか」
苦痛に呻く兵士達の意識すら奪う重みある語りに、兵士達の顔に僅かな希望の光が灯される。
言葉は力となり、心に注がれ戦意を再びその身に宿す。彼等の前に立ちはだかる修羅の闘気に恐怖し震え上がるのを、その声は彼等の背後より呪文の一節の様に唱えられ、魂を揺さぶり打ち消していった。
勇気と言う名の言葉を与え、巨大な盾を持った騎士がこの戦いに降臨する。
「私は君をこの戦が始まる前より見ていた――だが、分からない。貴公が犯す殺戮にいったいどんな意味があるというのだ」
騎士が、問う。
「答えよ、狂喜(凶器)持つ獣よ。死が傍らにある戦の地に現れ、己が欲する者の魂の数と、修羅となりその業を背負ってまで汝が心に刃を持つ理由を――」
「五月蠅ぇな」
刹那、返す言葉は剣となりて――振るわれた拳は幾つもの命と時を奪い、騎士へと届けられた。
恐ろしい程の驚異なる威力。球上に展開した衝撃派は、ただその一撃で瓦礫が砂塵へと化す程に脅威を与える。
これまでとは比べものにならない程の拳撃だった。
吹き飛ばされる兵士の群は宙へと舞い、轟音と共に鼓膜を破る。即死出来た者は幸運だっただろう。その余圧をまともに受けた者のほとんどが全身を襲う強大なダメージに声にならない悲鳴を上げたが、それは肉体的な苦痛のみで死を与えるものではない。振動圧に内臓が震え、骨が軋み、眼球が潰され――だが、生命を破壊する迄には至っていない。
苦痛のみが彼等の身に訪れていた。
だがその中にあって、全く微動だにしていない一団がいる。
鬼神の拳が捉えた強大な盾を持った騎士。
及び、その騎士の背後に控え、宝玉と煌びやか装飾が施された盾を眼前に構えて防御した重装の騎士団。
彼等はリーヴァンスの一撃が引き起こした衝撃派になんらダメージを受けた様子なく、泰然として立っていた。
「――良い一撃だ。そして、強力(凶力)だな」
だがその彼等よりも驚くべき事は、手に持った強大な盾でリーヴァンスが放った左腕の一閃を、完全に防いだ団長格の騎士だろうか。白黒赤青緑茶、六種の宝玉が六芒星配置された麗美なる大盾は僅かに発光したと思った瞬間、その中心へと向かったリーヴァンスの拳は、その威力を存分に発揮する事無く、攻撃を終えていた。
「だが、この『神の盾』の前では全くの無力。如何に強力な攻撃といえど、人の力で神が創りし強固な盾を破壊する事は敵わぬ」
俺は――受け継がれた記憶の中で聞いた事がある。
今より遙か昔、約6000年の時を遡った時代に『聖魔戦争』と呼ばれる「【聖】なる神族」と「【魔】なる眷族」とが、この大地を舞台として戦いを繰り広げた戦争が起こった。二つの月を破壊し、一つの大地をこの世から消し去ったその戦いは、別名『月破壊の戦い』と呼ばれ、今でも吟遊詩人が語る伝説の一つに数えられている。結局、その戦いの決着は遂に着く事が無かったという。
その『聖魔戦争』終結後に、彼等がこの大地に残した聖器の一つに、『神の盾』と称される強固なる盾があった。"物理的、魔導的、そのどちらの如何なる剣も『神の盾』の前には一切の無力"という言葉と共に、広く世界に知られている伝説の盾である。その真偽は定かでは無いが、実在する伝説として俺が見るのはこれが初めてだった。
「へぇ……だったら、俺がこの牙を振る理由がまた一つ出来たな。その"絶対"を凌駕する――この飢えた欲望を満たす為に、俺は禍き牙持つ鬼人と化す」
だが、リーヴァンスの笑みに揺らぎは無かった。むしろ、身体の高揚は更に高まっている。未だ傷一つ付かぬ身にべっとりと付いた血水が、リーヴァンスの身体より発する熱により異常な速度で乾いていく。獣の様な鋭い瞳が映す騎士を真っ向から見据え、一度は子が親に叱られて五月蠅いと風に邪険にあしらったが、思い直して言葉を返す唇に浮かぶ綻びは、目の前の騎士に対する挑戦状と見て申し分なかった。
「愚かな――人である限り、鬼人であろうと魔人であろうと、我が『神の盾』の前では屈するのみ。国を守る為に闘う《神の剣を持つ国》の騎士に敗北は無い」
「神だから……人だから……そんな言葉は聞き飽きてるんだ」
その瞬間、騎士の姿を見ている様で、リーヴァンスの瞳は何処か遠くを見ている様だった。
「何も出来ない事を別の何かの所為にする――それって違うだろ。何も出来ないのは自分の所為だ。他の何でもねぇ。弱いから――弱いままの自分を受け入れているから、何も出来ないんだ」
リーヴァンスの過去にいったい何があったのかは知らないが、伝えられた言葉の音色は静かな悲しみを帯びて心に響いてくる。だが、その悲しみは此処では無用の長物だ。戦場はいつも命を奪う場所であり、そこから生まれる多くの悲しみの価値に差がある筈がない。
「――ならば、その為に人の命を軽々しく奪うのか? 貴公はそれをする事により、いったいどれだけの者が苦しむのか――考えた事は無いのか?」
「生死の結果に興味はねぇ。悲しみや怒りを背負う覚悟は出来ている。後は、何の為に闘い、価値へと繋げるか――」
その価値を、リーヴァンスはあの少女に見出したという事か。
絶望を瞳に焼き付け、一度も外の世界へと出た事の無いだろう背徳の人生を送る一人の少女。果たして、彼女が人として扱われているのか――それとも物として扱われているのか。答えは、考えるべくも無いだろう。
だがその為に幾千もの命を奪うというのはどうだろうか。彼等に罪が無いと言えば嘘になるだろうが、しかし命の価値は誰であろうと同じである。俺にしても、原型すら止めずにただの肉片と化してしまった血の海に沈む兵士にしても、その魂の重みは等しくて平等。生きている世界は違ったとしても、それは絶対なる真理だと俺は思っている。
しかし、今リーヴァンスがしている事は、彼女の命を救う為にではない。彼女の命は、例えこの戦争がどちらの勝利に終わったとしても、変わらずこの世に止まる。救おうとしているのは彼女の人生だが、それが真の意味で救いになるのかは、また別問題だろう。更なる不幸が彼女の身に降りかかる可能性も決して低くない。そんなものの為に、リーヴァンスはこの戦場で多くの命を奪っているという事か。
「認めろよ。どんなに正当化しても――幾ら考えたって、戦争する事に意味はねぇ。戦争は人の命でただ勝ち負けを決めるものだ」
それによって幸福を得る者はほんの一握りの者しかいない。そして、不幸を与えられる者の数は、比較するのが馬鹿々々しくなる程多いだろう。
「戦争は――ただの人殺しだ。決して肯定出来る事じゃねぇ」
そこで、次の言葉を口に出す前に、リーヴァンスは一息を入れた。




