4-2
「俺……ずっと考えていたんだ……」
言葉は音に包まれ、静かに相手へと伝えられた。
風切る草原の匂いが香る。あれ程の喧噪が嘘だったかの様に、静謐へと返った戦場が固唾を飲んで青年の言葉を待つ。
その青年の下に倒れるのは、命の灯火が消えた屍の類。紅き血に染まった鎧は砕け、破壊された肉体から止めどなく流れ出る液体が大地を濡らしている。
そこに混じらんと流れ落ちるのは、瞳より流れ出た水。
引き締まった筋肉を誇示した肉体の上半身は露出され、その鍛え上げられた美からは想像も出来ない様な、悲しき雫だった。
「俺が……何をしたいのか……それが分からなくて……ずっと……」
だが言葉の弱さとは裏腹に、まるで戦いを欲しているかの様にその指先は痙攣を繰り返していた。
「戦って……殺して……傷付いて……」
涙を流した前髪に隠された顔に、笑みが零れ落ちる。喜びは欲望への葛藤であり、すぐにでもそれを貪り食らおうとしているのが高まりつつある狂喜の闘気から容易に感じ取れた。
流れる雲の棚引きたる空。陽月の終わり、もうすぐ夏になる季節に大地へと降り注ぐ陽光に映し出された青年の姿は、ただ一人、その場にいる者達の中で浮いている。鎧甲冑を着た大勢の兵士の目の前、次々と抜き放たれる刃の鞘走りする音が時間と共に数を増やしていく。
対して、何の武器も持たない青年は、まるで全員の抜刀を待っているかの様に、指先の痙攣と発する言葉を除けば微動だにせず静かだった。
「でも……今、やっと分かったぜ……」
両拳が、強く握られた。
次いで両腕の筋肉が強張りを見せる。
瞳を閉じたまま、その左拳を眼前へ。右腕は負傷しているのか、包帯が巻かれていた。
「俺が……この身を賭してやらなければならない最後の壁は……」
閉じられた瞳が開く。
獣の様な眼孔は、真っ直ぐに兵士達へと向けられ、そして威圧する。
「我が眼前に立ちはだかる汝等を、倒す事だという事を」
俺がその場へ辿り着いた時、既に手遅れだった。
万の数を超える大軍を前に、臆する事無くその眼前に立ちはだかるリーヴァンスは、既に戦闘状態。如何様にしても、その圧倒的な数の差の戦の始まりを止める事は出来そうに無い。勿論、それが出来るとは思ってはいなかったが、まだ事態が起こっていないのと起こっているのとでは全く意味が違う。
諦めて、俺は暫く傍観する事に決め込んだ。
「誰よりも強くある為に……求める何かを手に入れる為に……この限りある魂で俺が救える者を守り、心に宿る刃にて倒れ死し者達の業を背負う」
一歩。
その一歩をリーヴァンスの足が踏み出した時、言い様のない恐怖という緊張の糸に耐えられなくなったのか、兵士の中の一人が思わず後退さっていた。
そしてそれを否定しようと、その後で逆に前へと踏み出した一歩が、戦いの始まりを告げる。
「闘い続ける力の意味を……俺の前に倒れ逝く者達の意味を……その全てが無駄でない事を、俺は誓う。そして証明してやる」
統率された部隊の中から綻びた歪みは、そのまま他の兵士達の不安へと入り込み、彼等の足を前へと押し出す。
一人が二人に、二人が三人に。命令無き前進行為は、止まる事無く全体へと広がり、ゆっくりとした前進から次第に歩調を加速させ、全軍を突撃させる。
最初の鬨の声を上げたのは誰だったのだろうか。
気が付くと、統率も何もありはしない、ただ目の前に立ちはだかる驚異を取り除かんばかりに突進する人の群だけがそこには存在した。
「いざ、尋常に勝負!」
力ある言葉は、衝撃と共に兵士の一群を殴り吹き飛ばした。いったい何処からその言葉を仕入れてきたのかは知らないが、それは戦闘の開始を切る言葉としては的を射ている。その開始早々に繰り出された第一手、魔の拳撃は兵士一人の胴を強撃し、その身体を後方へと勢い良く弾き飛ばす。吸収しきれなかった剛撃は衝撃と共に荒風を呼び、円上に展開。その衝圧に鎧甲冑が破砕される様は、見ていて本当に驚異だった。
臆する者達を待たずして、リーヴァンスは跳躍。その腕には一人の兵士の頭が握られている。いったい何をするのかと想像し始めたところ、リーヴァンスはそれを兵士の群の一角に投擲した。まるで隕石が落ちてきたかの様に、勢い良く大地へと衝突した人玉は、陥没とその衝撃により正面からそれを受けた兵士の命を軽々と奪う。巻き込まれた者は良くて重傷だろう。
その人間離れした投擲力に驚く暇も無く、空より恐怖の脚撃が叩き込まれる。薙払われた三つの頭部から脳漿と血糊が破壊された兜の金属片と共に飛沫く。即死だ。先の人が隕石のごとく地面を襲う様に意識を奪われていた兵士は、自分が死した事すら認識出来ないままに頭部を失い崩れ落ちる。その屍を乗り越えて勇気ある若者が剣を振り下ろす。だが、完全に恐怖には打ち勝てなかったのか、それは検討違いの方向に凶器を振るい、仲間である筈の男の肩へと食い込んだ。しまったと思った時にはもう遅く、次の瞬間には両者を平等にリーヴァンスは屠っていた。
殺戮劇はまだ始まったばかり。例え圧倒的な数の差があったとしても、この様な雑兵を幾ら投入したところで、数日間にも及ぶ持久戦でもしない限り、リーヴァンスの首を取る事は出来ないだろう。
頭上より振り下ろされてきた刃を、片手で白羽取りを成し遂げ、握力でその刃を破壊する。持っている武器を失った男は咄嗟に剣を離してその場から逃れようとするが、落下する壊れた剣をキャッチしたリーヴァンスはその男目掛けて投げつける。背後より喉に剣の柄の一撃を食らった男は、喉より突き出していた柄の尖端を見て、何を思っただろうか。絶命する迄の間、悲鳴を上げる事も出来ず、そのままゆっくりと横たわっていった。彼の敵を討とうとした男もまた、目的を果たせないままに拳撃を胸へと食らい、死の風穴をその身に生む。あり得ない場所から見えたリーヴァンスの姿に、血ですぐに埋もれた風穴の向こうでは戦闘意欲を失った男が目を丸くしていた。
構わず背後からの袈裟斬りを躱し、リーヴァンスはその腕を掴む。その膂力で肉と骨を潰して砕いた後、そんまま掴んだ腕を振るって男を横合いに投げる。男を受け止めた兵士達は、その次に襲ってきた脚撃に前進を大後退へと変えられ、同時にその蹴りの衝撃圧により身に付けていた鎧甲冑を破砕されていた。硬い鎧甲冑が破砕されるのだから、その中身が無事である事はまず無いだろう。吹き飛ばされた後、彼等が二度と立ち上がる事は遂に無かった。
こうまでも物理的な残虐行為を繰り広げられるものなのだろうか。悪魔と呼ぶには、あまりにも芸が無い。鬼神と呼ぶべきだろうか。
そのリーヴァンスと言えば、黒瞳に赤き炎を映して笑みを浮かべている。周囲一体を兵士が完全に包囲している中、リーヴァンスだけは泰然としてその戦いを楽しんでいる様だった。
再び跳躍した身体は、事前に空中へと殴り飛ばしていた五人の兵士の身体を次々とキャッチしては投擲し、隕石の雨を降らす。絶叫の声が次々と上がる中、愚かにも中衛に位置していた弓部隊の一部が空を飛ぶ鬼神目掛けて弓射を開始する。そのほとんどが狙いを外し、物理的法則に従って隕石に続いて矢の雨を降らす。逃げ惑う前衛の兵士達の気持ちを知らずしてか、矢の量はリーヴァンスが着地する迄の間、時間と共に多くなっていった。しかし命中精度の低かったそれは、例えリーヴァンスの身をその軌跡上にのせたとしても、突き刺さる事は無い。ことごとくがリーヴァンスの手に吸い込まれ、その全ては投擲により100%の確率で兵士達の脳を貫いていた。いったいどちらの味方をしているのか、目を疑う光景だっただろう。
二度目の飛翔を終え、真空刃を生みだした凶器の旋風脚を生みだしてから着地したのは、主のいなくなった馬の上だった。この場にあって騎乗している兵士は少なく、恐らく部隊長格の馬だろう。リーヴァンスは騎乗では無く着地という芸を以てして鞍の上に立つ。
そして馬の首を蹴り上げ、馬を暴走させた。
器用にもその暴れ走る馬の上で見事なバランス感覚を疲労したリーヴァンスは、波乗りの様に馬を操って周囲の兵士達を薙払っていく。恐らくただ乗っているだけなのだが、手綱を手に持って兵士達を蹴散らす様はどこか操っている様に見えてしまう。
そのリーヴァンス目掛けて、再度弓部隊が射的を開始する。
流石にそのあまりに不安定な状態で矢を躱し続けるのは難しいと感じたのか、リーヴァンスは鞍を蹴ってあっさりと水平方向の空中へと逃げる。蹴りというなの着地で兵士の顔面へと降り立ったリーヴァンスが、奇声と共に大地を攻撃。その強大な威力に耐えきれなかった大地は周囲に人為的な地震を引き起こし、陥没した。同時に砂埃が空中へと舞ったところに血の彩りが混じる。重みが増した砂埃はすぐに大地へと戻るが、しかしそうではない砂埃は風に乗って兵士達の目を襲う。
それを意図して行った事なのかは分からないが、次の刹那、リーヴァンスの姿が霞んで伸び消えていた。
移動速度があまりに速すぎるせいで、残像が視界に残るからだ。
その移動経路の砂が直線上に舞い散りリーヴァンスの存在を教えるが、真正面にいた者達には察知出来る筈もなく、気が付いた時には通り過ぎるリーヴァンスに弾き飛ばされていたというのがほどんどだった。
喧噪が、突然にそこで一端事切れる。
凄まじい速度で遙か先にまで直線上に道を創り上げたリーヴァンスが、その先で立ちつくす。
その彼の下へと続く道を、しかし進んで通ろうと言う者は一人もいなかった。




