3-6
男が、かなり不機嫌な顔に相変わらずの笑みを浮かべ、いきなり何も無い空間から現れた。
闇病院の屋上で連結された隣のビルに教会を持つ、アティシアにレーゼルと呼ばれた聖職者。服装は一応、聖職者らしき姿をしているが、その身体から放たれる気薄の存在感からは、とてもそうは思えない。どちらかといえば、隠密を得意とする暗殺者の類に近いだろう。
そのレーゼルを守る様に、虚ろな目でまるで人形の様にナイフを構えている子供達。
レーゼルが現れるとほぼ同時に、彼等の瞳の色が急に無くなり、人形の様に動き出した。その子供達の手に握られたナイフが、俺とネイの首に突き付けられている。アティシアも似た様な状況だった。それまで恐怖に泣きわめいたり、興奮して食い入るように戦闘を眺めていた色とりどりの双眸は、今は輝きを失い人形の様に感情を失っている。操られている様だ。
事を察したのか、リーヴァンスとベオルブが闘いを止め、跳躍し、ほとんどが崩壊してしまったこのビルの屋上に着地する。その瞳は、あれほど溶岩が煮えたぎる程に熱せられていたにも関わらず、凍れる吹雪の様に冷たく痛い。だが、闘いに高揚する感情よりかは、殺意の籠もったこちらの視線の方が余程人間らしかった。
その口が、ゆっくりと開いて言葉を紡ぎ出す。
「いったい、何のつも……」
「動かないでください」
レーゼルは笑みを絶やさないまま、ベオルブの言葉を遮った。主導権は自らにある事を確信している様だ。
平静を装っていたベオルブの唇が更に堅くなり、開いたままの口を閉じる。
「あなた方が動けば、彼女達の命が死神に浚われてしまいますよ。なに、心配しないでください。私は彼女達の命には興味がありません。素直にあなた方が動いてくれなければ、全ては何事もなく解決するのです」
「何が解決するんだ?」
問いたのは、リーヴァンスだ。そこで留まる事をしらず、更にリーヴァンスが言葉を続ける。
「興味が無いって事は、そいつらを殺す事に躊躇いは無いって言ってる事にもなるんだぜ。それに、万事巧く解決するのは、ここにいる全員がそうなのか? だったら、筋違いってもんだ。俺は、あんたを殺さなきゃ、何も解決しない。覚悟は出来てるんだろうな。俺も、そいつらの命に興味は無いぜ」
状況を理解していないのか。それとも、ただの馬鹿なのか。
だが、キッパリと見捨てると言ったリーヴァンスだったが、その顔には言葉に見合うだろう笑みが浮かんでいない。
レーゼルは、リーヴァンスと目が合うと、にやりと笑う。
「……威嚇をしているつもりの様ですが、嘘はいけませんよ、リーさん。貴方が先程感じた怒りという感情は、紛れもなく本物でした。彼がこの子を殴りつけた時、貴方はそれを理由に彼と闘う理由を得たと思っている様ですが、真実は違います。貴方は、闘いたいから闘ったのではなく、怒りを感じたからこそ心と躰が動いたのです。でなければ、お優しい貴方がこの子供達の目の前で、無理に理由をこじつけてまでも己の欲を満たそうとはしない筈です。この子供達の為にも」
静かに忍び寄るレーゼルの魔の手に、ネイは全く微動だにしない。彼女の方こそ自分の命に興味がないのか、傍観しているかの様に物事の成り行きをただ見守っている。
そのネイの姿を発見して、アティシアとリーヴァンスの眉が吊り上がる。やはり、二人はネイが死んだと思っていた様だ。その身体に掠り傷すらついていない事を発見すれば、その顔はどの様に歪むのだろうか。
ネイの能力を知っているベオルブだけは、むしろレーゼルの方を心配しているかの様に、複雑な表情をしていた。
「しかし、おかしいですね。何故、彼女は私の為に動いてくれないのでしょうか。これほど愛しているというのに」
レーゼルが忌々しげに言って、その手をネイの首に巻き付ける。
その行動に、リーヴァンスが微動した為、アティシアの首筋に一点の紅が生まれた。
「別に殺したりはしませんよ。私は子供を愛していますからね。ですが、彼女に限っては違いますよ。貴方が動いた分だけ、彼女の身体に子供達のナイフが突き入っていきます。もう少し、自分の行動に責任を持ってください。まぁ、私が押しつけている訳ですが」
言って、レーゼルが控えめに笑う。
「あんた、嫌な奴だな」
「同感ね」
無視して、レーゼルの腕がネイの身体を包み込む。端から見れば彼女を背後から優しく抱きしめている様に見えるだろうが、周りにいる子供達が全員ナイフを持って全周囲を警戒しているので、とてもその様には見えない。捕獲、と言った方がらしい。
そのレーゼルの瞳が、初めて俺の姿を発見した。
「ゴミがいますね。捨ててしまいましょう」
まるで俺が二人の抱擁の一時を邪魔しているお邪魔虫かの様に言って、レーゼルはネイの髪のベッドに埋もれていた俺を指先で掴み取り、恐ろしく力の籠もった動きで投げ捨てた。存外な扱いに、俺が抗議の声を上げる。が、どうせ聞こえてはいないだろう。自分の世界にどっぷりと浸っている為に。
その俺の身体をキャッチしたのは、レーゼルの腕に抱き羽交い締めにされていたのに、どうやって移動したのか、ご主人であるネイだった。いつの間にかレーゼルの腕の中から抜け出て、高速で飛翔する俺の目の前に現れ、その柔らかい手で優しくキャッチする。俺もそれに合わせて、垂直90度にネイの手の平に着地のポーズを取っていた。瞬時に重力の方向が元に戻り、それにあわせてネイの手も動く。
そして、ネイは何事も無かったかの様に平然とした顔をして、音も無く華麗に着地した。
「100点」
「いや、99点という所だな。決定的なものが嬢ちゃんには無い。美貌という……」
突然にネイの背後から現れたそいつは、しかし最後の言葉を言いきる事が出来なかった。再び、目にも止まらない速度で動いたネイの小さな拳が、失言を吐いた男の顔面を捉えたからだ。
呻いて、男は一歩ほど後ずさりする。
「だれ、おじさん」
何事も無かったようにネイが言う。人の顔を殴っていて、それは無いと俺は思う。
「御前は……」
「フンッ、また会ったな」
ネイの言葉を無視して、男はベオルブの反応に応える。どうやら二人は顔見知りの様だ。だが、互いが互いに発している気質からは、どう考えても二人が仲の良い関係には感じられない。単純に、更に状況をややこしくする敵と言っていいいだろう。
腰に剥き出しのツインソードを両腰からぶらさげ、その数と同じ翡翠の双眸が荒れ地と化している髪の下で輝かせている、攻撃的な顔立ちをした青年。雰囲気的には"おじさん"と称した方が相応しいが、ネイがそう呼んだ時、精神にダメージを受けたのか、頬に傷を垂らした顔に歪みを生じさせたので、恐らくまだ若いのだろう。その背中には、腰に下げているツインソードよりも少し大きな剣が背負われている。こちらの刃も、剥き出しだった。
「なんか、状況がややこしくなってるな。誰か、俺に分かりやすく説明してくれないか?」
ポリポリと頭をかいたリーヴァンスが、冗談な事を言う。いったい誰がそれをわざわざ説明してくれるというのだろう。
俺が把握している状況だけを説明するなら、少なくともリーヴァンスに味方はいない。というよりも、わざわざ味方だった筈のベオルブを怒りに身を任せて敵に回したのだから、自業自得だ。
俺のネイは、中立を保つだろう。まぁ、たぶん攻撃してくるものは五月蠅いと言わんばかりに排除するとは思うけど。
そのネイと行動を共にしているベオルブは、今現れたばかりの変な男と敵対している様だ。男は、とても友好的な奴には見えないので、此処にいる全員の敵と言って良い。同じく、レーゼルも全員の敵だろう。その手駒である人質の価値を持った戦闘人形化した子供達は、ネイもリーヴァンスもベオルブも恐らく手を出す事は出来ない。最も有利な状況にあるのが、レーゼルと言える。次に有利なのが、全くそれに興味の無い変な男だ。
最後に、奇妙な医者アティシア。人質としてレーゼルにその命を握られているが、その表情には余裕が見える。何か隠していると見ていいだろう。ただし、俺の予想ではその手の内をここで空かす様な事はしないと思う。
これが、ざっと適当に説明した現在の勢力情報だ。
ちなみに、俺は論外。ネイの味方でもあるけど。
「何やら騒いでいると思って覗いていれば、小僧のいきなりの歓迎。普通なら簡単にかわせるんだが、ビックリしたぜ。何せ、突然目の前に人が現れるんだからな。少し避け損なっちまったよ」
頬についた傷を指で救い、男はその血を嘗める。
どうやら、先のリーヴァンスの拳風撃はこの男を狙ったものの様だ。その軌道上に、偶然レーゼルが居合わせた。これは運が悪いというしかないだろう。
レーゼルは、やはりというか、眉間にシワを寄せている。
「それで、いったい何をしに出てきたんだ? 観客は観客らしく、大人しく遠くから震えながら見ていろよ」
「つれない事を言うなよ。俺と御前の仲だろ? なぁ、ツェーン」
瞬間、ベオルブの気質に変化が生じていた。
警戒から完全戦闘態勢へと変わった闘気は、レーゼルとリーヴァンスの事はキッパリ忘れて男へと全て向けられる。恐ろしい量の威圧だった。それを向けられている相手、男の側に俺とネイはいたために、その余波を真正面から浴び、全身が金縛りにあったかの様に俺は硬直して動けなくなる。何もしていないのに、ただそこにいるだけで全身から大量の汗が噴き出ていた。
その俺を気遣ってくれたのか、ネイがその場から音もなく離れる。俺の様に動けなくなってしまう事は無かったようだが、しかし顔には明らかに不快な色が浮かんでいた。
「自己紹介がまだだったな。部外者もいる様だが……まぁ後で殺せば良いだけか」
まるでどうでも良い様に言って、男はツェーンと称したベオルブに向かってツインソードの切っ先を向ける。
「ズィーベン、それが俺の素体名だ」
その言葉は、殺意を持ってベオルブの背後から伝えられた。
突き出された長剣は、背に背負っていた筈の刃。ツインソードを腰にぶらさげたまま繰り出された刺突は、しかしそれを読んでいたのか、ベオルブが咄嗟に横へと跳んだ為に空を突く。そこに、真正面へと現れたズィーベンのツインソードが襲う。背後にいた筈のズィーベンはいつのまにか消えていた。まるで初めから存在していなかったかの様に。
クロスされた刃がベオルブの腕を捉え、血を大気へと飛沫かせる。鉄の味を含むその玉を一滴、口内でキャッチし、横へと逃げたベオルブを一本の刃が追う。それが上方へと軌道を変えたのは、下から跳んできた瓦礫の石つぶてによる攻撃だ。鈍い響音を与えた投擲は、地面を強く踏んだ際に空中へと踊っていた石を蹴り上げたもの。そのまま最短距離を通って、ベオルブの左脚がズィーベンを水平に襲う。リーヴァンスと闘ってきた時よりも鋭く速い。だがそれをズィーベンは視線も向けず、無謀にも右腕一本だけで応える。まさか受け止めるのかと思った矢先、向かい来る蹴りをまるで棒高跳びの様にズィーベンは背面に飛び越えた。まるで早送りされているかの様な動きは、しかしほんの一瞬の攻防。高速に見えたベオルブの蹴りは、しかしズィーベンにとっては大した速度には感じていない様だった。
返された踵の猛襲に、ズィーベンは刃を走らせる。しかしベオルブは、躊躇い無く蹴りの速度を全く落とさない。研ぎ澄まされた銀沢が肉を捉える。それが深く肉を求めるよりも早く、踵がズィーベンの頭部へと達した。
ズィーベンの双眸が、一瞬世界の輝きを忘れる。再び世界の風景を瞳に映した時、既にズィーベンの身体は頭部に引きずられて宙を飛んでいた。それでも、ベオルブの脚に食らいついていたツインソードの片割れの事は念頭にあった様で、瞬時に腕を動かす。血を啜りながら、凄い速度で弧が描かれる。
だがその手応えの低さに、ズィーベンは恍惚に目を細め、舌打つ。現実と想像の間にまだ幾分かの開きがあるのか、ズィーベンの顔に満足している笑みは浮かんでいない。
ベオルブは、ズィーベンとは違い、自分が誰と闘っているのかをよく理解している様だった。己の能力に過信せず、また敵の能力も過小に評価していない。油断の出来ない性格らしく、その双眸にはズィーベンの一挙手一投足を見据えていた。
その二人の因縁めいた戦闘とは別に、どうやらもう一つの闘いが始まりを迎えつつある様だ。
一瞬の隙を付いて逃げ出していたアティシアに、人質を失ったレーゼルがリーヴァンスへとゆっくりと子供達を前進させる。子供の手には少し大きすぎるナイフを持った彼等は、レーゼルの命令に逆らう事が出来ない。果たして、自分がいったい何をしているのかを彼等が理解しているのかは分からないが、非常になりきれないリーヴァンスは彼等に手を出す訳にもいかず、非常に苛ついていた。
そのリーヴァンスの瞳の中で、レーゼルがゆっくりと後ろに歩みさがる。彼自身の戦闘能力が如何なるものかは分からないが、それを疲労する気はないらしい。数人の操り人形で四方を固めながら、この場から早々に立ち去ろうとしていた。
「まったく、予想外の出来事というものは次々と襲ってくるのですね。しかも、私の都合を無視して。どうやら、今度こそ貴方ともお別れの様です、リーさん」
別れの挨拶を投げかけられ、リーヴァンスの苛立ちが更に募る。
「言いたい事はそれだけか?」
「そうですね……今日は、はい、と言っておく事に致しましょう。いずれ、またお会い出来ると信じていますので」
涼しい顔をしてレーゼルは言う。いったい何処に彼とリーヴァンスが再び出逢うという根拠があるのだろうか。是非とも、その辺りの事を追求してみたいが、言葉を話せない俺にはちょっと無理な事である。
「だったら、無理をしてでも引き留めなきゃならねぇな。もうちょっと、俺と一緒に楽しもうぜ」
「いえいえ、もう十分に私は楽しませていただきましたから、後はみなさんだけで楽しんでください。私は、少しやる事が出来てしまいましたので、またの機会で御願いします。彼等の未来の為にも」
子供達が一斉に自分の首にナイフの切っ先を向ける。だが、それぞれが持っているナイフの長さはバラバラで、同じ動作を行った子供達の幾人かは喉の中へと切っ先を突き刺していた。一番深くて、軽く切っ先が喉に刺さっているだけなので、致命傷には至る事は無かった様だが、滴る血の液体が刃を伝い、子供達の腕から服の袖を紅に染めていく。
「あっと……これはいけませんね。次からはナイフの大きさを揃える事に致しましょう」
本当にそう考えているのかは分からないが、リーヴァンスの動きを止めるには十分に説得力を持っていた様だった。今更言うまでもないが、彼はリーヴァンスよりも一枚も二枚も上手の様だ。というよりも、リーヴァンスが一枚も二枚も下手なだけだとは思うけど。事態を好転させようとするならば、アティシアがそうした様に、相手に出来た隙を確実に付けば良いだけの事である。その瞬間を狙ってレーゼルに攻撃を加えるなり、子供達のナイフを奪うなりしていれば、今の様な事態は防げた筈だ。それが出来るだけの身体能力をリーヴァンスは有しているのだから。
「それでは、ごきげんよう。次に会う時には、もう少しぐらいは私を楽しませてくださいね」
丁寧にお辞儀をして、レーゼルは身を翻して余裕綽々にこの場を後にしていった。
遅れて、虚ろに彩られた瞳をした子供達が、ナイフを喉元に向けたまま彼の後に続いて消えていく。
それを、リーヴァンスはただ見ている事しか出来なかった。
「……格好悪いね、バルキリー」
同意の意味も込めて、俺は悔しそうに地面を殴りつけたリーヴァンスに向けて伝わらぬ言葉を発した。




