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己が前に立ちはだかる全てを破壊しつくそうとする兇悪な意志を持ったリーヴァンスの左拳、既に機能を果たしていなかった右腕の代わり撃ち出された利き腕では無い片腕からの攻撃。ダメージにより人の瞳でも余裕で映す事の出来る速度で目標に急接近し、そしてそれをした後でようやく気付いた攻撃方法、使えないはずの右腕で拳撃を放とうとしていたリーヴァンスは、すかさず思い直してもう片方の腕を無理矢理に振るった。だが、右腕からの攻撃を想定して接近し位置取っていた為に、急所からは確実に外れている。だが、その拳には十分に目標を殺すだけの兇悪が籠もっている。
そしてそれを躱そうとはせず、瞳を閉じ甘んじて受けようとしているブロラルド。
一瞬遅れた攻撃の間は、そのブロラルドに僅かな静寂を生ませ、その間がいったい何の意味を持つのかを考えさせていた。
その答えは、否。
これより冥府へと旅立つ己がそんな事を考え幾つかの推論を導き出したとしても、それは意味無き事。
たった一刹那の間にも関わらず、早々にその否という答えを出し、再びブロラルドは脳を沈黙、自らの内に流れる時の流れを無に帰す。
だが、その一刹那が終わったにも関わらず、再びブロラルドの身に新たなる静寂の一刹那が訪れた。
既に思考を止めたブロラルドの意識は、その一刹那さえ長き時の渦に感じてしまう。
進まぬ時の渦の渦中に再びその身を投じられた考える事を放棄した意識は、だがブロラルドの意志に反して再び思考を開始していた。
その答えは、やはり否。
間断無く伝え続ける失った左腕の苦痛。
感覚さえ無い筈の左腕という身体の部位から大量の激痛を訴えられるのは初めての経験ではない。これほどの重傷では無いが、過去にそれぐらいの負傷は幾らでもある。その度に己を殺し、その激痛を忘れる事に務め冷静を装った。
それは一軍の将としての義務ではない。
己が求める理想の姿を保つ為の、そしてそれをする事により満たされる何かを誇っての事。
自らを襲うその激痛に、今にも地面をのたうち回りたい心境を必死に押さえ、最後の時まで自らでありたいとブロラルドは思った。
故に出した解答、否の後に終わりを告げた沈黙の一刹那。
今度こそ、ようやく自らの命に終わりが訪れる筈だった。
だが、再び巡ってきた一刹那の周期が、ブロラルドに更なる心の苦痛を与える事になった。
瞬時に思考を開始した脳に心の中で激を飛ばし、否という答えを与え思考を中断させる。
そして終わりを告げた、我が身の命。
そうはならなかった、一刹那の沈黙。
繰り返される事の、四刹那の後の、更なる刹那。
もうそれは刹那と呼べる様な時の一端ではない。
だが、その無駄に流れていった時間の中で、ブロラルドは新たに再開した思考により、もう一つの答えを出してしまっていた。
それは、最後の時まで自らでありたいという、一生を通して行ってきた欲望の固まり。
それが今の自分と全く正反対である事に、ブロラルドは気付いた。
今、此処で甘んじて己が死を受け入れる事は、絶対なる本意では無い。
己が夢見ていた死に時は、自らが認める強敵と闘い、そして全力なる闘いの中で破れた結果としての死だ。
死を抗うだけ抗っても認められる事の無かった生。
そんな死が自らに最も相応しく、そして自らが欲し望む死だ。
この様な死は、受け入れられるべきものではない。
その応という答えを出した時、ブロラルドが瞬時に瞳をカッと開き、失われていた戦気を回復させる。
そして、自らに死を与えようとしていたリーヴァンスの姿を捜し始めた。
それはすぐに見付かった。
自らを値踏みする様に、愛馬草龍飛天の上に立ちじろじろと見下ろしている男。
睨み返して、同時にブロラルドはゼ・イルのランスを振るっていた。
その突然の一撃を、苦も無くヒラリと躱して、リーヴァンスは血と肉片と泥の混ざったスープの上に着地する。
「ビックリしたぜ、じじい。年寄りらしく、いつでも何処でも眠れる必殺の特技が発動したのかと思ったぜ」
「……その特技を有している事は否定はせんが、その「じじい」という言葉は止めて貰いたい。俺はまだ今年で60だ」
「って言うか、じじいだろ、60は」
言って、リーヴァンスは頭を掻こうとした。
だが、それをしようとした右腕が全く動かなかった事に気付いて、やむなく中止する。
「まぁ、良いか。んで、やる気あんのか、じじい。もっと俺を楽しませろよ、じじい。って言うか、じじいの出血がそいつの目にかぶって、何か嫌そうにしているぞ」
「じじいは止めろと言っているのがわからんのか!」
怒喝と同時に、ブロラルドは右手に持っていたゼ・イルのランスをリーヴァンスへと投擲した。
投擲した後で、しまったと言わんばかりに今仕方それをした右腕を、帰ってこいと言わんばかりに閉じたり開いたりする。
その、物凄い勢いで向かってきたランスを、リーヴァンスは避けようともせずに右肩に受ける。
だがその程度で威力と速度が失われる筈もなく、そのままリーヴァンスはランスに引っ張られて背後に存在した瓦礫の壁に激突して縫い込まれる。
「痛ぇな、じじ……おっさん」
「ようやく礼儀の何たるかを学んでくれた様だな」
その言葉の訂正に満足したのか喜ぶ様に言って、その後でブロラルドはしまったと言わんばかりに己の口を右腕で塞いだ。
そしてゆっくりと目を閉じ、二刹那の間、瞑想をする。
次にブロラルドの瞳が開いた時、リーヴァンスが最初に出逢った頃のブロラルドの顔がそこにはあった。
だが、初めて見るブロラルドのブロラルドではない姿に、運が良いのか運が悪いのか彼のすぐ近くにいた四天が一人、白天エナイル・レイダーや兵士達は、拍子抜けした様に驚いた顔を作っていた。
「……死にたい様だな、御前等。戦う事を忘れてないで、さっさとウォシュトールの雑兵を片付けんか!」
ブロラルドの一喝に、白天を除くコーセティアークの兵士達は我先にとその場を離れ、必死に敵の元へと突撃していった。
「ハハハハハハハハッ! 意外とお茶目なんだな、おっさん。んにゃ、見栄っ張りと言った方が良いか」
そう言うリーヴァンスを、ブロラルドは物凄い形相でジロリと睨んで威嚇する。
だが、そんなものがリーヴァンスに効くはずもなく、リーヴァンスの笑いは全く衰える事は無かった。
しかし、その姿が突然に消失する。
「!?」
その身を突き刺していたランスを壁に残して消えたリーヴァンスに、驚いたブロラルドは、奇襲を想定して己がある身から全方位の周囲を警戒する。
遠くの方では死と生を弄ぶ死神と女神が争って兵士達の獲得に勤しんでいたが、しかしブロラルドの側には一喝した為に兵士達の姿は一人として無い。
夜も半ばに入り、見える限りは壊れ落ち血の油を原料として燃えさかる松明の光に照らされる部分と、月と星も輝かぬどす黒い雲に覆われた空からほんの僅かに降りてくる明るみに慣れた瞳で映せる僅かな面積。それも、それ程広くは無く、草龍飛天の一飛びですぐに端まで行けるだろう。
その全てから突然に敵が襲ってきた場合に対して、ブロラルドは瞬時に対応できるだけの手段を講じる。
一刹那が、二刹那へと。
考える時間が長くなるだけ、その手段は幾つにも分岐し己の生の確率を僅かにずつ上げていく。
四方からの大雑把な戦術から始まり、八方からの襲撃に対する作戦。更に時が与えられ、それぞれが念密に練った防御戦闘へと代わり、それが次の時には迎撃まで含まれる。防御後の迎撃は、更に練られてカウンターを伴う防御へと代わり、そして最後まで行き着く事が出来た一瞬の攻防の一端は、相手の攻撃が繰り出される前に仕留めるという想定まで導き出した。
だが、同時に修正点も含まれる。
相手の能力は、まだ更なる高みを目指して、刻一刻と成長し続けているという事。
今までに手に入れた敵の情報は、既に当てにならないものだという事をブロラルドは悟っていた。
故に行き着く結論は、十分な備えを持った臨機応変。
結局は最初と変わらぬ戦術を取らなければならないという事に、ブロラルドは嘆息する。
しかし、それだけの思考をするだけの時間を待っても未だに訪れぬ驚異に、ブロラルドは同時に訝しく眉根を寄せた。
考える事さえ出来ない刹那の間に、恐ろしい程の威力を伴った兇悪なる攻撃がこの身を襲ってもおかしくないからだ。
だが、待つことしか出来ないブロラルドは、ただその攻撃を待つ事しか出来ない。
静謐にも似た無の時、何も起こる事が無い時間がただただ流れ過ぎていく。
その静寂の時を破ったのは、意外にもそれまでずっと黙りこくっていた男の言葉だった。
「奴は……我等が将軍が全力を持ってして闘うに値する強敵だと認めた修羅の闘士は、もうこの場には存在しない」
冷たく冷ややかに、しかし何かに対して詫びを入れている様な、力無く呟かれた言葉。
その言葉を発したのは、ブロラルドの一喝に唯一その場に残った白きに身を麗せた透明なる大剣を背に背負う剣士だった。
「どういう意味だ、レイダー。貴様、いったい何をした?」
まるで大切にしていたものを奪われたかの様な怒りの睨みが白き剣士に向けられる。
その強烈な瞳を向けられ、一瞬だが彼の顔に強張りが生じた。
だがすぐに元に戻り、感情の薄い無表情の形がレイダーの顔に張り付く。
「貴方らしく無い。我等が目的をお忘れになったか?」
「目的、だと?」
「そう、我等が目的は、王より承った命令の完遂以外に無い。そして、我等が王が下した命はただ一つ、この地ラルバを手に入れる事。それ以上でも、それ以下でもない」
「だからどうしたというのだ。それぐらい、貴様に言われるまでもない。俺はその目的の為に奴と闘い、排除しようとした。その結果がこの左腕という訳だが、それと奴がもう此処にはいないという事とは、いったいどういう繋がりがあるのか説明して貰えるのだろうな?」
言葉は穏やかだったが、しかしそれを口に出すブロラルドの闘気は尋常では無かった。
返答次第では、白天であろうと問答無用で殺す。
ブロラルドの怒気はそう物語っていた。
だが、それは何らレイダーという男に恐怖を植え付ける事は出来なかった。
それどころか、彼らしくなく溜息さえついて呆れていた。
その後で、ゆっくりとブロラルドの方へと視線を戻し、そして口を開く。
「……ここまで言わねば、お分かりにならないほど我を忘れたのか! ブロラルド将軍。いえ、コーセティアークの草原の狼よ! 例え彼の闘士リーヴァンスが強大な敵であり、後の世の災いとならん為に今ここで滅ぼさなければならない敵であったとしても、そんな事は問題では無い! 我等はただこの地を手に入れる事のみ。あの様な鬼神と闘う必要性など、何処にも含まれてはいない!」
瞬間、ブロラルドのランスの尖端が白天の胸を貫いていた。
だが、それをしたブロラルドの右腕にはゼ・イルのランスは握られていない。
ランスは、未だにリーヴァンスの身を貫き壁に刺さったままの状態、リーヴァンスを失った今もそんままの体勢でそこに存在していた。
まるでそこにランスがあるかの様な、殺気の槍がブロラルドの動作と共に錯覚を生みレイダーの身を貫いたのである。
故に、白き剣士はその身に全く傷を受けてはいない。
「フンッ……少しは成長した様だな、レイダー。俺にそこまで意見出来る様になったとは、そろそろ世代交代も考え始めた方が良いか」
「冗談を。将軍程の逸材の代わりになる事など、我等四天の誰にも出来はしない。そう、少なくとも後10年は現役でいて貰わなくては。でなければ、草狼を一騎打ちで堂々と倒すという計画が水泡に帰してしまう」
慣れていないのか、レイダーは苦笑する事に失敗する。
「言いおるわ。あまりにその身がひ弱な為に、剣を操って闘うしか出来ぬ癖に」
「だからこそ、無理矢理だったがあの修羅を何処か別の地に強制転送する事が出来るだけの魔力と技術を有する事が出来たのも事実。まさか成功するとは思わなかったが、恐らく奴は空間の歪みに耐えきる事が出来ず死しているだろう。もしくは、別次元へと飛ばされ、永遠にこの世界に帰ってくる事は無い」
リーヴァンスの最後となった場所を見て、レイダーは惜しくもなく嬉しくもなく言う。
「鍛えて育て上げれば、カルナスの聖騎士、いや<剣聖>(ソードマスター)にも匹敵する程の逸材になっただろうが」
「確かに。もっとも、あの様な闘いを狂喜し貪る性格。手なずけるのは無理だろうがな」
根拠の無い可能性を惜しんでいる事に気付いたブロラルドは、ついで思い出した様にもう一言付け足した。
「じじいと呼ばれる事にも、そろそろ慣れておかねばならぬか……」
その言葉は、白天の耳には届かなかった。
同日 コーセティアークの戦況報告
『侵攻敵軍八千騎。四天にてこれを殲滅。されど四天に匹敵する闘士により、うち三名が戦死。続戦に支障なく当方の意気未だ高し』
同日 ウォシュトールの戦況報告
『カルナスの聖騎士に匹敵する闘士に対し善戦、敵軍四天これを撃破。損害軽微。次なる命令を求むものなり』




